三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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13.証言

現世からの報告が届いて以来、三番隊の仕事は少し増えた。

 

破面の襲撃。現世先遣隊の交戦。黒崎一護の敗北。

いずれも、気の休まらない話ばかりだった。

 

もっとも、報告を読んだからといって、私に何かできるわけではない。

処分保留。

監督付きの任務以外、自由な行動は許されていない。現世へ向かうことなど、もってのほかだ。

 

「……世知辛いですねえ」

「何がですか?」

 

向かいに座っていたイヅルが、顔を上げた。

 

「いやあ。現世は大変だなと思いまして」

「……そうですね」

 

イヅルは、書類へ視線を戻した。

先遣隊には松本もいる。彼女が破面と交戦したという報告も、既に届いていた。

心配していないはずがない。

 

「僕らにできることを、やるしかありませんから」

「……まったく、そのとおりで」

 

私は書類を一枚めくった。

市丸隊長がいなくなっても、三番隊の仕事はなくならない。

藍染が敵になっても、現世が襲撃されても、瀞霊廷は今日も動いている。

何事もなかったかのように。

いや、何事もなかったかのように動かさなければならないのだろう。

そんなことを考えていたときだった。

 

「失礼します」

 

戸口に立っていたのは、八番隊副隊長の伊勢七緒だった。

 

「望月三席。京楽隊長がお呼びです」

「……私を?」

「はい。お時間をいただけますか」

「ええ、もちろん」

 

心当たりはあった。

 

先日、京楽隊長に頼んだこと。

浦原喜助への接触。そして、平子真子。

 

百年前の事件について。

 

「では、少し席を外しますね」

「分かりました。こちらは進めておきます」

 

イヅルは、いつもどおりに頷いた。

私は書類を揃え、席を立った。

 

⸻

 

「やあ、望月くん。悪いね、呼び立てて」

 

八番隊の隊長室に入ると、京楽隊長が片手を上げた。

 

「いえ。何かございましたか」

「うん。返事が来たんだよ」

 

机の上に、一通の封書が置かれていた。

浦原喜助。

名前を聞いただけで、少し背筋が伸びる。

 

「……思ったより早かったですね」

「そうだねえ。向こうも忙しいだろうに」

 

京楽隊長は便箋を取り出した。

 

「百年前の件について、話を聞くこと自体は構わないそうだ。ただし、その前に君に確認したいことがあるらしい」

「確認、ですか」

「君が当時、何を見聞きしたのか。どこまでが事実で、どこからが推測なのか。それを聞きたいってさ」

 

私は小さく息を吐いた。

 

「……なるほど」

 

当然の要求だった。

こちらが知りたいことを尋ねれば、向こうもこちらの事情を知りたがる。

 

まして、百年前の事件である。

浦原喜助にとって、決して軽い話ではないだろう。

 

「書面でも構わないそうだけど、どうする?」

「……まずは、京楽隊長にお話ししたいです」

「僕に?」

「ええ。どこまで向こうへ伝えていいものか、私には判断できませんので」

 

京楽隊長は、少しだけ目を細めた。

 

「慎重だねえ」

「臆病なだけですよ」

 

いつものように笑う。

けれど、今回はそれで話を終えるわけにはいかなかった。

京楽隊長は、以前提出した報告書を取り出した。

 

「君の話は、一度聞いている。弓張月の能力についても、藍染の生存を知っていた件についてもね」

「はい」

「ただ、百年前のことは、まだ分からない部分が多い」

 

京楽隊長は、紙の一箇所を指で押さえた。

 

「当時、藍染の様子に異常を感じた。そう報告しているね」

「……ええ」

「具体的には、どんな異常だったんだい?」

 

私は、しばらく黙っていた。

それから、口を開いた。

 

「……あれは、鳳橋隊長がいなくなる少し前のことです」

 

⸻

 

百年前。

いや、正確には百年と少し前。

三番隊の隊長は、鳳橋楼十郎だった。

長い金髪に、どこか芝居がかった物言い。

音楽を好み、仕事中でも聞き慣れない旋律を口ずさむような人だった。

変わり者ではあったが、隊の仕事を疎かにする人ではなかった。

私も、あの人の下でそれなりに長く働いていた。

その頃、瀞霊廷では奇妙な事件が続いていた。

 

流魂街で、人が消える。

 

初めは小さな噂にすぎなかった。

けれど、やがて調査に出た死神まで戻らなくなった。

そんなある日のことだ。

私は、五番隊の平子隊長を見かけた。

その少し後ろを、藍染副隊長が歩いていた。

別に珍しい光景ではない。

二人はいつも一緒にいるわけではなかったが、隊長と副隊長なのだから、連れ立って歩いていても何の不思議もない。

私は、いつものように会釈をした。

平子隊長が軽く手を振り、藍染副隊長も穏やかに頭を下げた。

それだけのことだった。

 

……本来ならば。

 

私は、ふと思いついて弓張月の力を使った。

新月印を通じて、藍染副隊長の視界へ接続する。

左目の景色が変わった。

そこに映っていたのは、廊下でも平子隊長の背中でもなかった。

 

薄暗い室内。

机の上に置かれた書類と、灯り。

 

「…………?」

 

私は足を止めた。

右目には、平子隊長の後ろを歩く藍染副隊長が見えている。

だが、左目に映る景色は、まるで違う場所だった。

一瞬、弓張月の力を疑った。

接続先を間違えたのか。

そんなことがあるのかどうかも分からなかったが、そう考えるしかなかった。

私は一度接続を切り、改めて藍染副隊長へつなぎ直した。

 

結果は同じだった。

 

右目には、遠ざかっていく二人の背中。

 

左目には、見知らぬ室内。

 

その景色の中に、平子隊長の姿はない。

 

「……何ですか、これ」

 

思わず呟いた。

弓張月は、相手の視界を借りる能力だ。

過去の景色を見ることはできない。

相手の考えを読むこともできない。

ただ、今、その者の目に映っているものを知る。

それだけの力である。

だからこそ、分からなかった。

目の前を歩いている藍染副隊長と、私が視界を借りている藍染副隊長。

その二人が、同じ場所にいるはずなのに、まるで違うものを見ている。

私は、遠ざかる背中を見送った。

平子隊長は、何も気づいていないようだった。

普段と変わらない足取りで、藍染副隊長と話している。

その姿を見て、私は妙に寒くなった。

平子真子。

護廷十三隊の隊長である。

その実力者が、自分のすぐ後ろにいるはずの副隊長について、何か重大なことを見落としている。

 

……あるいは。

 

私自身が、何かを見誤っている。

どちらにしても、ろくな話ではなかった。

私は、その場を離れた。

後を追うこともしなかった。

誰かに相談することも。

その日は、何もしなかった。

 

⸻

 

それからしばらくして、九番隊の六車拳西隊長たちが消息を絶った。

瀞霊廷に緊張が走った。

流魂街で続いていた失踪事件。

その調査に向かった隊長格まで、戻らなくなったのである。

 

私は、弓張月を手に取った。

 

六車隊長には、以前から新月印が刻まれていた。

接続を試みる。

左目の景色が変わった。

暗い。

初めは、何も見えなかった。

やがて、僅かに光が差した。

木々の影。

地面。

景色が不規則に揺れ、何かが視界を横切った。

それが何だったのか、判別することはできなかった。

すぐに、再び暗くなった。

 

「……六車隊長?」

 

呼びかけたところで、声が届くわけではない。

私は、しばらく待った。

だが、視界はほとんど変わらなかった。

 

目を閉じているのか。

意識を失っているのか。

 

それとも、何か別のことが起こっているのか。

分からない。

ただ、少なくとも接続はできた。

それが何を意味するのかも、判断できなかった。

 

私は接続を切った。

 

そして、少し迷った末に、もう一人の視界を確かめることにした。

 

藍染惣右介。

 

先日、不可解な景色を見せた男である。

左目に映ったのは、室内だった。

書類。

机。

見慣れた瀞霊廷の建物。

 

少なくとも、六車隊長の視界に映った森とは違う。

私は、しばらくその景色を眺めた。

何かおかしなものが映らないか。

何か、手がかりになるものはないか。

けれど、何も見つからなかった。

 

「……考えすぎ、ですかねえ」

 

自分に言い聞かせるように呟いた。

そもそも、藍染副隊長と六車隊長の失踪を結びつける根拠などない。

あの男の視界がおかしかったことと、九番隊の異変。

二つの出来事が関係していると考える方が、無理がある。

 

そう思いたかった。

 

⸻

 

調査のため、さらに隊長格が派遣されることになった。

鳳橋隊長も、その一人だった。

その報せを聞いたとき、私は隊長室にいた。

 

「……望月、留守を頼むよ」

 

鳳橋隊長は、出立の支度を整えながら言った。

 

「承知しました。お気をつけて」

「ああ。そう長くはかからないだろう」

 

いつものように、軽く笑っていた。

私は、少しだけ迷った。

六車隊長の視界に映った、暗い森。

そして、藍染副隊長の不可解な視界。

何かを伝えるべきではないか。

そんな考えが、頭をよぎった。

 

「……隊長」

「ん?」

 

鳳橋隊長が振り返る。

私は、口を開きかけた。

だが、何を言えばいいのか分からなかった。

六車隊長の視界を覗いたことか。

藍染副隊長が、見えているはずの景色とは違うものを見ていたことか。

それを話して、どうなる。

何の証拠もない。

まして、藍染副隊長を疑っていると受け取られれば、面倒なことになるかもしれない。

 

「……いえ。どうか、ご無事で」

「もちろんさ」

 

隊長は笑った。

 

「君も、あまり根を詰めすぎないようにね」

「善処します」

 

私は頭を下げた。

それが、最後になった。

 

⸻

 

その夜。

 

私は、自室で弓張月を手にしていた。

どうにも落ち着かなかった。

六車隊長の失踪。

鳳橋隊長の出立。

そして、藍染副隊長。

あの男のことが、頭から離れなかったのである。

目の前にいる男と、その男の視界が一致しない。

あれから何度か接続を試したが、何が起こっているのかは分からなかった。

ただ、何かがおかしい。

それだけは確かだった。

私は、もう一度藍染副隊長へ接続した。

 

左目の景色が変わる。

 

そこには、暗い木々が映っていた。

 

夜の森。

 

「…………」

 

私は、息を止めた。

 

六車隊長の視界で見た景色と、よく似ていた。

だが、同じ場所なのかどうかは分からない。

 

視界が動いた。

何かが倒れている。

 

初めは、人間なのかどうかも分からなかった。

目が慣れるにつれて、それが死覇装を纏った死神たちだと分かった。

 

一人ではない。

何人も倒れている。

そして、その中に。

 

「……隊長?」

 

長い金髪が見えた。

 

鳳橋隊長。

 

見間違えるはずがなかった。

つい先ほど、私に留守を頼んだ人だった。

 

「……鳳橋隊長?」

 

返事はない。

当然だ。

私は、藍染副隊長の視界を借りているだけなのだから。

それでも、思わず声が漏れた。

視界の中で、鳳橋隊長は倒れたまま動かなかった。

その近くには、ほかの隊長格と思われる死神たちもいた。

見覚えのある金髪。

 

平子隊長。

 

その姿を認めた瞬間、背筋が冷たくなった。

 

そして。

 

「…………」

 

白いものが、見えた。

顔を覆う、異様な仮面。

虚の面に似ていた。

だが、それが本当に虚のものなのか、私には分からなかった。

倒れている者の中には、まだ顔が見える者もいた。

一方で、明らかに死神のものとは思えない異様な姿をした者もいる。

さらに、平子隊長の顔にも、何かが生じようとしていた。

 

「……何ですか、これ」

 

声が震えた。

虚が現れたのか。

隊長たちが何者かに襲われたのか。

それとも、もっと別の何かなのか。

分からない。

ただ、一つだけ。

私は藍染副隊長の視界を借りている。

つまり、あの男は今、この光景を見ている。

鳳橋隊長たちが倒れている場所で。

何かが起こっていることを、知っている。

 

それだけは、間違いなかった。

 

「…………」

 

私は、接続を切った。

それ以上、見られなかった。

恐ろしかった。

隊長格の死神たちが倒れている。

顔には虚のような仮面。

そして、そこにいる藍染副隊長。

あの男は、何をしているのか。

何を知っているのか。

もし、あの異常の原因が藍染副隊長にあるのだとしたら。

平子隊長たちでさえ、どうにもできなかった相手に。

私が何をできるというのだろう。

 

答えは、分かりきっていた。

 

何もできない。

だから私は、目を閉じた。

その夜は、もう弓張月を使わなかった。

 

⸻

 

「……以上です」

 

話し終えると、部屋は静まり返っていた。

京楽隊長は、何も言わなかった。

私は、膝の上で手を握った。

 

「見たものについては、以前の報告でもお伝えしたとおりです。ただ……当時の私が、どこまで理解していたのかというと、話は別です」

 

六車隊長の視界に映った、暗い森。

鳳橋隊長たちが倒れていたこと。

虚の仮面のようなものが見えたこと。

藍染副隊長が、その光景を見ていたこと。

それらは、私が確認した事実だった。

だが、どうしてあのような姿になったのかは知らない。

藍染が何をしたのかも、分からない。

鳳橋隊長たちが、その後どうなったのかも。

 

「……それで、君は黙っていたんだね」

 

京楽隊長が言った。

 

「はい」

 

私は頷いた。

 

「以前にもお話ししましたが、怖かったんです」

 

説明できないほど異常な光景だった。

しかも、平子隊長の目すら欺く何かが、そこにはあった。

自分が見ているものは、本当に正しいのか。

自分の能力を、どこまで信用していいのか。

それさえ分からなかった。

 

「それに、もし藍染副隊長が関わっていたとしたら……私が疑っていることを知られるのが、何より怖かった」

 

京楽隊長は、静かに聞いていた。

 

「結果として、私は何もしませんでした。疑いを口にすることも、調べることも、やめてしまったんです」

 

百年前。

私は、生き残ることを選んだ。

その判断を、今でも間違いだったとは思わない。

隊長格が何人も消息を絶った事件だ。

私のような三席が、たった一人で何をできたというのだろう。

仮に誰かへ話したところで、信用されたかどうかも分からない。

まして、藍染副隊長が関わっていたのなら。

下手に動くことは、自分の命を差し出すようなものだった。

 

「……あのときの私には、どうすることもできませんでした」

 

私は、京楽隊長を見た。

 

「その後、浦原隊長は追放され、鳳橋隊長たちは戻らなかった。藍染副隊長は、何事もなかったかのように五番隊に残っていたんです」

 

何かを訴えれば、状況が変わったのだろうか。

分からない。

ただ、私が消される可能性は、十分にあった。

 

「今だって、できることは限られていますけどね」

 

私は苦笑した。

 

「それでも、今は事情が違います。藍染は敵だと明らかになった。京楽隊長にも、こうしてお話しできる」

 

百年前にはなかった条件が、ようやく揃ったのだ。

 

「……望月くん」

 

京楽隊長が口を開いた。

 

「君が見たものは重要だよ。でも、それだけで事件の全容が分かるわけじゃない」

「……はい」

「藍染がそこにいたことと、藍染が何をしたかは、別の話だからね」

 

私は頷いた。

 

「ええ。だからこそ、知りたいんです」

 

百年前、何があったのか。

なぜ鳳橋隊長たちは戻らなかったのか。

平子隊長たちが、どうして今になって現世にいるのか。

そして、藍染は何をしたのか。

 

「浦原喜助なら、知っているかもしれません」

 

京楽隊長は、しばらく黙っていた。

それから、手元の報告書を閉じた。

 

「……分かった。浦原さんへの返事は、僕の方で考えよう」

「ありがとうございます」

「ただし、弓張月の能力についてどこまで伝えるかは、僕一人で決められる話じゃない。そこは改めて確認する必要があるね」

「承知しています」

 

私は頭を下げた。

 

「それから、望月くん」

「はい?」

「浦原さんが話を聞くと言ったからといって、信用されたわけじゃないよ」

「……ええ」

「君は市丸ギンの部下だった。そして、長い間藍染を疑いながら黙っていた。その事情は、向こうにとっても気になるはずだ」

 

私は苦笑した。

 

「私が浦原さんでも、信用しませんねえ」

「だろうね」

 

京楽隊長も笑った。

 

「まあ、焦らずにやろう。君をすぐ現世へ送るわけにもいかないしね」

「……世知辛いですねえ」

「はは。自業自得じゃないかい?」

「まったく、おっしゃるとおりで」

 

私は、もう一度頭を下げた。

少なくとも、話は進んだ。

百年前の私なら、そもそもこんな場所に来ようともしなかっただろう。

そう考えると、少しだけおかしかった。

 

⸻

 

三番隊へ戻る頃には、すっかり日が傾いていた。

 

隊舎には、まだ灯りがついている。

戸を開けると、イヅルが顔を上げた。

 

「お帰りなさい、望月さん」

「ただいま戻りました」

 

机の上には、片づけられた書類が積まれていた。

 

「……随分と進みましたね」

「できるところだけですけど」

「いやあ、助かります」

 

私は自分の席へ腰を下ろした。

 

「京楽隊長とは、長いお話だったんですか?」

「ええ。少し昔のことを」

「昔のこと、ですか」

「百年くらい前の話ですよ」

 

イヅルは、少し驚いたようだった。

 

「……鳳橋隊長がいらした頃ですか?」

「おや。よくご存じで」

「昔の三番隊隊長だった方ですよね。お名前は知っています」

 

私は頷いた。

 

「音楽の好きな人でした」

「音楽、ですか」

「ええ。仕事中でも、よく鼻歌を歌っていましたよ」

「……少し意外ですね」

「変わった人でしたからねえ」

 

思い出すと、自然に笑みがこぼれた。

あの頃の三番隊。

鳳橋隊長がいて、私がいて。

今とは、まるで違う場所だった。

 

「……望月さん」

 

イヅルが、静かに口を開いた。

 

「その方も、突然いなくなられたんですよね」

「……ええ」

 

私は頷いた。

 

「帰ってきませんでした」

 

それ以上は、言わなかった。

イヅルも、何も言わなかった。

市丸隊長。

その名前が、二人の間に浮かんだ気がした。

けれど、どちらも口にはしなかった。

 

「……昔から、そういうことが多い隊なんですよ」

 

私は、苦笑した。

 

「隊長が、いなくなることです」

 

言ってから、少し後悔した。

冗談にするような話ではなかった。

けれど、イヅルは怒らなかった。

ただ、俯いて。

 

「……そうですね」

 

と、答えた。

しばらくして、彼は顔を上げた。

 

「でも、望月さんは残ってくださっていますから」

「…………」

「僕は、それがありがたいです」

 

私は、返事に困った。

百年前。

鳳橋隊長がいなくなったとき、私は何もしなかった。

そして今。

市丸隊長がいなくなっても、やはり何もできていない。

そんな私が、ここに残っている。

ただ、それだけのことを。

この子は、ありがたいと言うのだ。

 

「……買い被りすぎですよ、イヅルくん」

「そうでしょうか」

「ええ」

 

私は、いつものように笑った。

 

「私は、ただ生き残っているだけですから」

 

イヅルも、小さく笑った。

 

「……それでも、ですよ」

 

何も言い返せなかった。

 

⸻

 

その夜。

私は、隊舎の廊下を歩いていた。

百年前のことを思い出す。

平子隊長の後ろを歩いていた藍染。

その男の目に映っていた、まるで違う景色。

六車隊長の失踪。

鳳橋隊長の出立。

夜の森。

倒れた死神たち。

そして、鳳橋隊長。

あのとき私は、目を閉じた。

何も見なかったことにしてしまえば、危険から遠ざかれると思っていた。

実際、私は生き残った。

百年もの間、何事もなかったかのように。

けれど。

今になって思う。

何も知らないふりをすることと、本当に何も知らないことは、やはり違う。

見てしまったものは、消えない。

どれほど長い時間が過ぎても。

 

「……まったく」

 

私は、小さく息を吐いた。

生き残りたい。

その気持ちは、今も変わらない。

百年前、私には動く手段がなかった。

 

今は違う。

 

京楽隊長に話した。

浦原喜助にも、いずれ話すことになるだろう。

ひょっとすると、平子隊長本人にも。

あのとき、何を見たのか。

なぜ、黙っていたのか。

そのすべてを。

 

「……嫌な話ですねえ」

 

誰に聞かせるでもなく、呟いた。

けれど、足は止めなかった。

少なくとも今は、動けるだけの条件が揃っている。

ならば、動く。

生き残るために。

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