三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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14.観測

白い天井。

 

白い壁。

 

そして、長く続く廊下。

 

左目に映る景色は、今日も変わり映えしなかった。

虚夜宮。

藍染惣右介が居を構える、虚圏の宮殿である。

私は寝台に腰掛けたまま、その視界を眺めていた。

京楽隊長に百年前のことを話してから、幾日かが過ぎた。

浦原喜助への返事は、既に送られているらしい。

もっとも、それ以降の進展はない。

私の処遇も、相変わらず保留のままだった。

 

「……平和ですねえ」

 

もちろん、そんなはずはない。

現世では破面が活動し、護廷十三隊は警戒を強めている。

ただ、私の周囲に限れば、目立った変化がないというだけのことだ。

藍染の視界が、ゆっくりと動いた。

廊下の先に、一人の破面が立っている。

男は藍染に頭を下げ、何事かを報告した。

私は耳を澄ませた。

だが、聞こえてきたのは虚夜宮内部の些細な連絡だった。

 

「……残念」

 

藍染は短く応じ、再び歩き始めた。

私は接続を切った。

右目と左目の景色が一致する。

ここ数日、何度か接続を試していた。

十刃の姿を見ることもあれば、藍染が誰かに指示を出している場面に遭遇することもある。

けれど、私にとって有益な情報はほとんど得られていない。

十刃の存在は既に知っている。

虚夜宮の構造も、多少は分かるようになった。

しかし、肝心の藍染の動向となると、話は別だった。

あの男が何を考えているのか。

いつ、どこで、何を仕掛けるつもりなのか。

そんなものは、本人が口にしてくれなければ分からない。

 

「……まあ、そんなものでしょうね」

 

私は寝台に横になった。

そもそも、敵は藍染一人ではない。

十刃をはじめとする破面たち、そして隊長らがいる。

そのすべてを、一人の視界から把握するなど、無理な話だった。

 

⸻

 

数日後。

現世に、再び破面が現れた。

グリムジョー・ジャガージャック。

以前、黒崎一護を圧倒した十刃の一人である。

今回は、ほかにも破面が同行しているらしい。

現世先遣隊が迎撃に当たり、黒崎一護も再び交戦した。

 

「……また、あの男ですか」

 

私は報告を読みながら呟いた。

グリムジョー。

藍染の配下ではあるが、どうにも大人しく命令に従うような男には見えない。

少なくとも、私が藍染の視界を確認していた間に、今回の出撃を命じる場面はなかった。

もちろん、それだけで独断と決めつけることはできない。

私が見ていない間に命令が下されたのかもしれない。

それでも、藍染の動向だけを追っていれば敵の行動が分かる、という考えが甘かったことは確かだ。

 

「……好き勝手やってくれますねえ」

 

私は小さく息を吐いた。

戦闘の詳細が伝わってきたのは、しばらく後だった。

黒崎一護は、グリムジョーと再び交戦した。

前回のような一方的な敗北ではなかったらしい。

だが、決着には至らなかった。

グリムジョーは虚圏へ退き、同行していた破面たちも現世から姿を消した。

現世側にも負傷者が出ている。

 

「……厄介ですねえ」

 

十刃一人でも、隊長格に匹敵する脅威となり得る。

それが複数いる。

しかも、いつ襲ってくるか分からない。

考えれば考えるほど、現世へ行きたくなくなった。

幸い、私の処遇は保留のままだ。

少なくとも今のところ、現世への派遣を命じられる心配はない。

ありがたい話である。

 

……本当に、ありがたい話だ。

 

⸻

 

事態が動いたのは、それから間もなくのことだった。

井上織姫。

黒崎一護と行動を共にしていた、現世の人間。

その少女が、姿を消したという。

 

「……失踪、ですか」

 

私は報告書に目を落とした。

尸魂界から現世へ戻る途中で消息を絶った。

同行していた死神二名は負傷し、破面の関与が疑われている。

しかし、少女がその後どこへ向かったのかは分かっていなかった。

少なくとも、報告書にはそう記されていた。

 

「……妙ですねえ」

 

破面が人間を連れ去った。

それ自体は、あり得ない話ではない。

だが、なぜ彼女なのか。

黒崎一護の仲間だからか。

 

それとも、何か別の理由があるのか。

そも、井上織姫という少女について、私はほとんど知らない。

 

黒崎一護の仲間。

特殊な能力を持つ人間。

 

せいぜい、その程度だった。

私は報告書を閉じた。

 

そして、その夜。

再び藍染の視界へ接続した。

 

⸻

 

白い壁。

広い室内。

見慣れた虚夜宮の景色だった。

 

藍染は、椅子に腰掛けているらしく、その視界の先に、数人の破面がいる。

私は、しばらく様子を窺った。

特に変わったことはない。

 

そう思いかけたときだった。

扉が開いた。

一人の少女が、室内へ入ってくる。

橙色の髪。

現世の人間らしい服装。

そして、その傍らに立つ、黒髪の破面。

 

「…………」

 

私は、僅かに身を起こした。

少女は緊張した面持ちで、藍染の前に立っていた。

その姿を、藍染は穏やかに迎えた。

やがて、彼女の名前が呼ばれた。

井上織姫。

 

「……おや」

 

思わず、声が漏れた。

現世から姿を消した少女。

その本人が、今、虚夜宮にいる。

しかも、藍染の目の前に。

私は、接続を維持したまま姿勢を正した。

これは、少しばかり面白いことになってきた。

無論、面白がっている場合ではない。

だが、ようやく使えそうな情報が手に入ったのだ。

少しくらいは、喜んでもいいだろう。

藍染は、少女に何かを求めているようだった。

周囲の破面たちも、彼女に注目している。

やがて、一人の男が前へ出た。

 

青い髪。

険しい目つき。

そして、左腕がない。

 

「……グリムジョー?」

 

私は目を細めた。

先ほど現世を襲撃した十刃。

その男が、藍染の前に立っていた。

左腕を失っていることは以前から知っている。

東仙要によって切り落とされたという話も、既に耳にしていた。

それを、今さらどうしようというのか。

藍染が、少女に向かって何かを告げた。

 

「……無茶を言いますねえ」

 

私は呟いた。

失われた腕を再生させる。

回道に優れた四番隊の死神でも、容易なことではない。

まして、相手は破面である。

傷を塞ぐだけならともかく、存在しない腕を元どおりにするなど。

だが、少女は拒まなかった。

小さな声で何かを呟き、能力を発動させる。

 

光が広がった。

 

私は、息を潜めた。

藍染の視界は、その様子を正面から捉えている。

光の中で、何かが変化していた。

失われていたはずのものが、形を取り戻していく。

肩から先。

 

腕。

 

手首。

 

指。

 

「…………は?」

 

私は、思わず声を上げた。

見間違いではない。

グリムジョーの左腕が、戻っている。

 

まるで、初めから失われていなかったかのように。

 

「……いやいやいや」

 

私は寝台から立ち上がった。

あり得ない。

少なくとも、私の知る治療技術では説明できない。

切断された腕を接合したわけではない。

失われた組織を少しずつ再生したようにも見えない。

ただ、腕が戻った。

それだけだった。

 

藍染の声が聞こえた。

 

少女の能力について、周囲の破面たちへ説明している。

時間や空間を元に戻す力。

そうした解釈では足りないのだと。

あの少女が行っているのは、起きた事象そのものの拒絶である、と。

 

「……事象の、拒絶?」

 

私は、その言葉を繰り返した。

治すのではない。

失われたという事実を、なかったことにする。

そういう意味だろうか。

馬鹿げている。

だが、実際に腕が戻るところを見てしまった。

否定する方が難しかった。

 

「……とんでもないものを連れてきましたねえ」

 

私は、藍染の視界に映る少女を見つめた。

あの能力は明らかに尋常ではない。

藍染が彼女を虚圏へ連れてきた理由も、少しだけ分かった気がした。

あれほどの力なら、利用価値はいくらでもあるだろう。

もっとも。藍染が何を考えているのか、依然として分からない。

 

「……さて」

 

私は、腕を組んだ。

問題が増えた。

井上織姫は、虚夜宮にいる。

そして、藍染は彼女の能力を高く評価している。

それだけでも、十分に重要な情報だった。

だが、どうやって伝える。

 

⸻

 

私は接続を切り、寝台に腰を下ろした。

京楽隊長へ報告する。

それ自体は、難しくない。

既に百年前の件について話しているのだから、今さら藍染の視界を覗いたことを隠す必要もないだろう。

問題は、その先だ。

私が藍染の視界を借りられること。

それを、どこまで広めるべきか。

護廷十三隊の上層部には、いずれ伝わるかもしれない。

浦原喜助にも、伝える必要があるかもしれない。

だが、情報が広まれば、それだけ漏れる可能性も高くなる。

藍染に知られれば、この力の価値は大きく下がる。

 

最悪の場合、私自身が狙われる。

 

「……嫌ですねえ」

 

私は、額を押さえた。

百年前なら、黙っていた。

間違いなく。

あの頃の私には、頼れる相手も、藍染に対抗する手段もなかった。

今は違う。

少なくとも、京楽隊長には話ができる。

あの人なら、情報の扱いも考えてくれるだろう。

ならば、まずはそこからだ。

それに、もう一つ。

私は、先ほどの光景を思い返した。

失われた腕が戻る。

起きた事象そのものを拒絶する。

井上織姫の能力。

あれは、単に破面を治療できるという話ではない。

もし藍染が、あの力を何か別の目的に使おうとしているのなら。

 

……考えたところで、答えは出なかった。

 

私は小さく息を吐いた。

 

「……とりあえず、報告ですかねえ」

 

やるべきことは決まった。

明日、京楽隊長に話をしよう。

井上織姫の居場所。

その能力。

そして、藍染が彼女を手元に置いているという事実。

 

どこまでが確かな情報で、どこからが私の推測なのか。

そこを分けて伝えればいい。

百年前と違って、今は話を聞いてくれる相手がいる。

それだけでも、随分とありがたい。

私は灯りを消した。

寝台に横になり、目を閉じる。

虚夜宮では、今も藍染が何かを企んでいるのだろう。

だが、今夜はもう覗かない。

必要な情報は得られた。

あとは、それをどう使うかだ。

 

「……まったく、忙しいことですねえ」

 

そう呟いて、私は眠りについた。

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