三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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2.三番隊

「旅禍を逃がした?」

「ええ。申し訳ありません」

 

三番隊隊舎、隊長室。

机を挟んで、望月輝夜は頭を下げた。

向かいに座る市丸ギンは、いつもと変わらぬ笑みを浮かべている。

 

「へえ。望月はんがねえ」

「面目ありません」

「それで、どんな旅禍やったんです?」

「橙色の髪をした少年でした。黒崎一護と名乗っておりましたねえ」

「ああ、あの子ですか」

 

ギンは小さく頷いた。

 

「門のところで会いましたわ」

「おや、市丸隊長が追い返されたという?」

「そうそう。随分と威勢のええ子でしょう」

「ええ。なかなか骨のある方でした」

「せやけど、望月はんが逃がしてしまうとはねえ」

「俺ぁ弱いもんで」

「……よう言いますわ」

 

ギンがくすりと笑った。

 

「それで、始解は使わはったんですか?」

「ええ。一応は」

「呼吸を奪う、でしたっけ。望月はんの斬魄刀」

「物騒な能力でしょう?」

「便利そうやけどねえ」

「使う方もなかなか大変なんですよ。なにしろ、あの大刀ですから」

 

輝夜は肩をすくめた。

 

「近づくのも骨が折れましてねえ」

「ふふ。そうですか」

 

ギンはそれ以上、尋ねなかった。

輝夜も特に説明を付け加えない。

 

やがてギンは、机の上の書類に目を落とした。

 

「まあ、逃がしたもんは仕方ありまへん。次は気ぃつけてください」

「寛大なお言葉、痛み入ります」

「その代わり、次に見つけたらちゃんと捕まえてくださいね」

「善処いたします」

「望月はんの善処は、あんまり当てになりまへんなあ」

「おや、信用がありませんねえ」

「ありますよ。仕事はきっちりしてくれはりますし」

「それは光栄です」

「ただ、やる気のあるときとないときが、はっきりしすぎとるんですわ」

「はは。耳が痛い話です」

 

ギンは楽しそうに目を細めた。

 

「そういえば、市丸隊長」

「何です?」

「例の旅禍、門のところではどんな様子でした?」

「随分と真っ直ぐな子でしたよ。門番倒して、正面から入ろうとしてましたわ」

「おやおや。無茶をなさる」

「ほんまにねえ」

「それで、今回は空からですか」

「考えることが大胆やね」

「次は地面の下から来るかもしれませんねえ」

「ふふ、そら難儀な話やねえ」

「おっと、これは失礼」

 

二人は顔を見合わせて笑った。

 

「まったく、旅禍のせいで忙しくなりそうですねえ」

 

輝夜がぼやくと、ギンは机の書類を一枚持ち上げた。

 

「もう忙しなってますよ」

「……これはまた、随分な量で」

「イヅルが頑張ってくれてますけどね」

「それはそれは。イヅルくんには頭が上がりませんな」

「望月はんも手伝うたってください」

「ええ、もちろん」

「ほんまです?」

「隊長のお言葉ですから」

「……ふふ。ほな、頼みますわ」

 

輝夜は軽く頭を下げた。

 

「承知しました」

 

部屋を出ようとしたところで、ギンが声を掛ける。

 

「ああ、望月はん」

「はい?」

「今日は、もう旅禍を探しに行かへんのですか?」

 

輝夜は少し考えた。

 

「……そうですねえ。まずはイヅルくんの手伝いからでしょうか」

「そうですか」

「それとも、もう一度出てこいと?」

「いいえ。イヅルも大変そうやし、そっちをお願いしますわ」

「助かります」

「……望月はん」

「はい?」

「ほんま、分かりやすいお人やねえ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてますよ」

 

ギンは相変わらず笑っていた。

輝夜も笑顔のまま、隊長室を後にした。

 

⸻

 

「望月三席」

 

廊下へ出ると、吉良イヅルが書類の束を抱えて歩いてきた。

 

「おや、イヅルくん。お疲れさまです」

「お疲れさまです。隊長への報告は終わりましたか?」

「ええ。お叱りを受けてきたところですよ」

「……そうですか」

 

吉良は輝夜の顔を見た。

 

「その割には、あまり反省しているように見えませんね」

「おや、顔に出ていましたか」

「いつも通りです」

「それは困りましたねえ」

 

輝夜が笑うと、吉良は少しだけ肩の力を抜いた。

 

「それで、旅禍は本当に逃げてしまったんですか?」

「ええ。残念ながら」

「望月三席でも捕らえられませんでしたか」

「なかなか手強い相手でしたよ。あんまり無理をしても、いいことはありませんからねえ」

「……無事だったのなら、何よりです」

「おや。優しいですねえ」

「茶化さないでください」

 

吉良は困ったように笑った。

 

「ただ、次は気をつけてくださいね。旅禍がどれほどの実力か、まだ十分に分かっていないんですから」

「ええ。イヅルくんもお気をつけて」

「分かっています」

 

吉良の腕には、まだ大量の書類が抱えられている。

輝夜はその束を眺めた。

 

「ところで、それは全部?」

「はい。巡回の報告書と、各隊への連絡事項です。隊士の配置も変更しなければならなくて」

「大変ですねえ」

「……そうですね」

 

吉良は苦笑した。

 

「旅禍の件が落ち着くまでは、仕方ありません」

「では、半分持ちましょうか」

「え?」

「書類ですよ。イヅルくん一人じゃ大変でしょう」

 

輝夜は返事を待たず、上から半分ほどを持ち上げた。

 

「……ありがとうございます」

「いえいえ。このくらいは」

「でも、望月三席にもお仕事があるでしょう?」

「さっき市丸隊長から、イヅルくんを手伝うように言われましてね」

「隊長が?」

「ええ。ですから、今日は働きますよ」

「……今日は、ですか」

 

輝夜は笑った。

 

「そこは聞き流していただけると助かるんですがねえ」

「ふふ。すみません」

 

二人は並んで廊下を歩き始めた。

 

⸻

 

執務室へ戻ると、机の上には既に書類の山ができていた。

巡回記録、隊士の配置表、各隊への連絡事項。

普段ならそれほど手間の掛からない仕事も、旅禍の侵入によって量が増えている。

 

「では、俺はこっちを片づけますかねえ」

 

輝夜は書類を机に置いた。

 

「吉良副隊長は、隊士の配置をお願いします」

「分かりました。報告書の確認はお任せしても?」

「ええ。問題ありませんよ」

 

二人はそれぞれ仕事に取り掛かった。

輝夜は書類を一枚ずつめくり、巡回経路の重複や報告時刻の食い違いを確認していく。

未提出の班を書き出し、連絡が必要なものを別に分けた。

しばらくして、吉良が顔を上げる。

 

「……望月三席」

「はい?」

「もう終わったんですか?」

「ええ。残りはこの辺だけですね」

 

輝夜は机の端を指した。

吉良が確認する。

 

「……早いですね」

「こういうのは慣れですよ」

「本当に助かります」

「褒めても何も出ませんよ」

「いえ、本当に」

 

吉良は少し笑った。

 

「望月三席は、こういう仕事をお願いするといつも早いですから」

「普段もそれくらい働け、と?」

「……そこまでは言っていません」

「はは。冗談ですよ」

 

輝夜は次の書類を手に取った。

 

吉良も自分の作業へ戻る。

普段はどこか掴みどころがなく、仕事も必要以上には引き受けない。

けれど、こうして頼めばきちんと片づけてくれる。

何だかんだで、ありがたい先輩だった。

 

⸻

 

しばらくして、輝夜は筆を置いた。

向かいの机では、吉良がまだ書類と向き合っている。

 

「イヅルくん」

「はい?」

「少し休んだらどうです?」

「いえ、もう少しで終わりますから」

「そうですか。でも、その調子じゃ倒れますよ」

「そこまでではありません」

 

吉良は苦笑した。

 

「それに、望月三席も働いているのに、僕だけ休むわけには」

「俺が働いているのが、そんなに珍しいですかねえ」

「……いえ、そういうわけでは」

「はは。冗談ですよ」

 

輝夜は立ち上がった。

 

「お茶でも淹れましょうか」

「え?」

「ちょうど俺も喉が渇きまして」

「では、僕が――」

「座っていてください。すぐ戻りますから」

 

ほどなくして、輝夜は湯呑みを二つ持って戻ってきた。

片方を吉良の机に置く。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

二人はしばらく黙ってお茶を飲んだ。

湯気がゆっくりと立ち上る。

 

「……落ち着きますね」

 

吉良がぽつりと言った。

 

「お茶くらい、ゆっくり飲みたいもんです」

「こんなときでも変わりませんね、望月三席は」

「変わったところで、仕事が減るわけでもありませんしねえ」

 

吉良は小さく笑った。

 

窓の外からは、隊士たちの慌ただしい足音が聞こえてくる。

旅禍が侵入した以上、しばらくはこの騒ぎも続くだろう。

 

「……早く落ち着いてくれればいいんですが」

「まったくですねえ」

 

輝夜は湯呑みを傾けた。

 

その日は、結局大きな進展もないまま過ぎていった。

 

⸻

 

翌朝。

 

執務室には、前日から持ち越した書類が積まれていた。

吉良が隊士の配置表を確認し、輝夜が巡回報告をまとめている。

 

廊下を走る足音が近づいてきた。

 

「吉良副隊長!」

 

扉が勢いよく開く。

三番隊の隊士が、息を切らして立っていた。

 

「どうした」

 

吉良が顔を上げる。

 

「六番隊から連絡です!」

「六番隊?」

「阿散井副隊長が、旅禍との戦闘で敗北したとのことです!」

「……恋次が?」

 

吉良が立ち上がった。

 

「はい! 現在、四番隊で治療を受けているそうです!」

「容体は?」

「命に別状はないと聞いています。ただ、かなりの負傷だそうで……」

 

吉良は眉を寄せた。

 

「……相手は?」

「橙色の髪をした、黒い死覇装の旅禍とのことです!」

 

輝夜は手元の書類を置いた。

 

なるほど。

あの少年か。

 

「……望月三席」

 

吉良がこちらを見る。

 

「あなたが遭遇した旅禍では?」

「おそらく、そうでしょうねえ」

「……阿散井副隊長まで倒すなんて」

 

吉良は険しい表情のまま俯いた。

輝夜は少し考えてから、声を掛けた。

 

「イヅルくん」

「……はい」

「お見舞いにでも行かれますか?」

「え?」

「阿散井副隊長とは、お知り合いでしょう?」

「はい。真央霊術院の頃からの付き合いで……」

「なら、顔を見せてやったらどうです」

 

吉良は机の書類へ目を向けた。

 

「……ですが、まだ仕事が」

「そちらは俺が片づけておきますよ」

「そんな、悪いですよ」

「構いません。もう大体終わっていますしね」

 

輝夜は残った書類を指した。

 

「それに、こういうときはお互いさまでしょう」

 

吉良はしばらく黙っていた。

やがて、小さく頭を下げる。

 

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

「では、お言葉に甘えます」

「ええ。阿散井副隊長にもよろしくお伝えください」

 

吉良はもう一度礼をして、部屋を出ていった。

 

輝夜はその背中を見送った。

 

「…………」

 

窓の外には、朝の光が差し込んでいる。

 

黒崎一護。

 

あの少年が、六番隊の副隊長まで倒したという。

 

「……困りましたねえ」

 

輝夜は残った書類を手に取った。

まだ仕事は残っている。

考えることも増えた。

 

それでも、今日のところは。

 

「……まあ、先にこっちを終わらせましょうか」

 

筆を取り、次の報告書へ目を落とした。

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