「……藍染隊長が?」
望月輝夜は、手にしていた筆を止めた。
「はい! 藍染隊長の遺体が発見されたそうです!」
三番隊の隊士は、息を切らしていた。
「それから、吉良副隊長も拘束されました!」
「……イヅルくんが?」
「五番隊の雛森副隊長と交戦したそうで……。両名とも身柄を拘束されたとのことです」
「怪我は?」
「大きな負傷はないと聞いております」
「そうですか。それは何より」
輝夜は筆を置いた。
昨日まで同じ部屋で仕事をしていた後輩が、今日は拘束されている。
どうにも落ち着かない話だった。
「それで、市丸隊長は?」
「ご無事です。ただ、藍染隊長の遺体発見現場にいらっしゃったため、雛森副隊長から疑いを向けられているようで……」
「……なるほど」
藍染惣右介の死。
市丸ギンへの疑惑。
吉良イヅルの拘束。
厄介な話が一度に押し寄せてきたものだ。
「分かりました。ありがとうございます」
隊士が頭を下げ、部屋を出ていく。
輝夜はしばらく、閉まった扉を眺めていた。
「…………」
やがて椅子に深く腰掛ける。
左目から、ふっと光が失われた。
見慣れた執務室の景色が、半分だけ遠のく。
代わりに映ったのは、白い壁と、その先へ続く廊下。
景色はゆっくりと動いていた。
輝夜はしばらく黙っていたが、やがて目を伏せた。
再び顔を上げたとき、左目にはいつもの執務室が映っていた。
「……はあ、参ったな」
報告書へ目を落とす。
藍染隊長は死んだ。
そういうことになっているらしい。
⸻
「望月はん」
隊長室へ入ると、市丸ギンが顔を上げた。
「おや、市丸隊長。ご無事で何よりです」
「ふふ。何です、その言い方」
「随分と物騒なことになっているようですので」
「ほんまやねえ。困ったもんですわ」
ギンはいつも通り笑っていた。
輝夜は軽く頭を下げる。
「それで、イヅルくんのことなんですが」
「ああ、イヅルね」
「しばらく戻れそうにありませんかねえ」
「どうやろねえ。上の判断次第やろうし」
「……困りましたねえ」
「イヅルのこと、気にしてはるんですか?」
「ええ。いい後輩ですから」
輝夜はあっさりと答えた。
「それに、仕事の方も心配でして」
「そっちもですか」
「もちろんですとも」
ギンがくすりと笑った。
「望月はんらしいねえ」
「お恥ずかしい限りです」
ギンは机の上の書類を一枚持ち上げた。
「せやけど、イヅルがおらへんとなると困りますわ」
「ええ。昨日も随分と働いてもらいましたからねえ」
「そこで、望月はん」
「……はい」
「しばらくイヅルの代わりをお願いできます?」
「……俺が、ですか?」
「他に頼める人もおりまへんし」
「なかなか重いご期待ですねえ」
「信用してますよ」
「そう言われると、断りづらいですね」
「ふふ。ほな、決まりや」
輝夜は小さく息を吐いた。
「……承知しました」
「助かりますわ」
「ただし、俺はあくまで三席ですからねえ」
「分かってますよ」
「副隊長ほどの働きは期待なさらないでください」
「それは困りますわ」
「おや、厳しい」
ギンは楽しそうに笑った。
輝夜もつられて笑う。
藍染の死を巡る騒ぎの最中だというのに、隊長室の空気はいつもとさほど変わらなかった。
⸻
八番隊隊舎へ向かう道を、輝夜は歩いていた。
吉良が拘束されたことで、各隊との連絡業務まで引き受けることになったのである。
「……やれやれ」
書類を届けて、隊舎へ戻る。
それで今日の仕事は終わりにしたかった。
八番隊の隊舎が近づいてきた頃、遠くから破砕音が響いた。
続いて、隊士たちの悲鳴。
輝夜は足を止めた。
「…………」
帰ろうか。
一瞬、そう考えた。
だが、今は吉良がいない。
普段以上に、三番隊の看板を背負っている身である。
「……まったく」
音のした方へ足を向けた。
そこには、倒れた隊士たちと、ひときわ大柄な男がいた。
褐色の肌に大きな体躯。そして、異様な形状の右腕。
少し離れた場所には、八番隊の席官らしき男が倒れている。
どうやら、こちらは既に片がついているらしい。
「……おやおや」
大柄な男が振り向いた。
「死神か」
「ええ。三番隊の望月輝夜と申します」
輝夜は軽く会釈した。
「旅禍の方ですねえ」
男は答えず、右腕を構えた。
「いつもなら、見なかったことにして差し上げるんですがね」
輝夜は腰の刀に手を掛けた。
「生憎、今はイヅルくんの分まで働かなきゃいけないもんで」
「……どいてくれ」
男が低く告げた。
「そうしたいのは山々なんですが」
輝夜は笑った。
「副隊長代理、三番隊第三席。望月輝夜がお相手いたします」
「……俺は、先へ行く」
「でしょうねえ」
輝夜は刀を抜いた。
「困りましたね」
⸻
「満たせ、弓張月」
刀身が変形する。
長く伸びた柄。大きく湾曲した刃。
偃月刀を手にした輝夜は、その切っ先を静かに下げた。
「まずは、お名前を伺っても?」
「……茶渡泰虎」
「茶渡くんですか。よろしくお願いします」
茶渡が地を蹴った。
巨体に似合わぬ踏み込み。
輝夜は半歩退き、偃月刀の柄を横に振った。
鈍い音が響く。
柄が茶渡の脇腹を捉えた。
だが、足は止まらない。
「……おや」
茶渡の右拳が迫る。
輝夜は後ろへ跳び、拳の軌道から身体を外した。
拳が石畳を砕いた。
「これはまた、随分と頑丈なことで」
茶渡は何も答えない。
そのまま距離を詰めてくる。
輝夜は偃月刀を回し、今度は柄の端を胸元へ突き出した。
体勢を崩すつもりだった。
しかし、茶渡はその一撃を受けながら前進した。
「……っ」
輝夜は横へ退く。
右拳が、わずかに死覇装を掠めた。
布が裂ける。
「……参りましたねえ」
やりづらい。
一撃の重さだけなら、先日出会った橙髪の少年にも引けを取らないかもしれない。
それ以上に厄介なのは、この男がほとんど怯まないことだった。
普通なら足を止める一撃を受けても、前へ出てくる。
狙いは一貫している。
こちらへ拳を届かせること。
そのためなら、多少の痛みは構わないらしい。
輝夜は片手を上げた。
「縛道の四、這縄」
光の縄が走り、茶渡の腕を絡め取る。
男の動きが止まった。
ほんの一瞬。
「これで大人しくしていただけると――」
縄が軋んだ。
茶渡が右腕を引く。
霊力の縄が、力任せに引き千切られた。
「……おやおや」
茶渡が踏み込む。
輝夜は瞬歩で距離を取った。
すぐ横を拳が通り過ぎる。
「随分と無茶をなさる」
「……退け」
「それはできませんねえ」
輝夜は偃月刀を握り直した。
「できれば、あまり傷つけたくなかったんですが」
刃が、静かに持ち上がる。
「……仕方ありませんか」
⸻
茶渡が踏み込む。
輝夜は後ろへ下がった。
追いかける茶渡。
退きながら、偃月刀が弧を描く。
刃が、茶渡の左肩を浅く裂いた。
血が滲む。
それでも茶渡は止まらない。
輝夜は間合いを保ったまま、さらに一歩退いた。
「痛くありませんか?」
返事はない。
茶渡の拳が伸びる。
輝夜は身を捻り、刃を返した。
今度は脇腹。
浅い傷が一本増える。
「……なるほど」
思った以上に頑丈だ。
いや、頑丈というだけではない。
傷を負うことに、あまり頓着していない。
輝夜が間合いを取ろうとすれば、茶渡は追ってくる。
深追いを誘うように退き、刃を振るう。
茶渡が進めば下がり、足が止まれば間合いを測った。
一度、二度。
浅い斬撃が重なる。
そのたびに茶渡は、輝夜の間合いへ踏み込もうとした。
だが、輝夜は近づかせない。
少なくとも、拳が十分な威力を持つ距離には。
「……っ!」
茶渡の右腕が光を帯びた。
次の瞬間、凄まじい霊圧が膨れ上がる。
輝夜は即座に横へ跳んだ。
衝撃が、先ほどまで立っていた場所を吹き飛ばす。
石畳が抉れ、土煙が舞った。
「……危ないですねえ」
距離を取った輝夜の袖が、わずかに焦げていた。
まともに受ければ、ただでは済まなかっただろう。
茶渡は荒く息を吐き、右腕を構え直した。
「……どいてくれ」
「随分と頑固ですねえ」
輝夜は偃月刀を肩に担いだ。
「そこまでして、先に何があるんです?」
「……仲間がいる」
「お仲間?」
「助けなきゃならない」
「……なるほど」
輝夜は小さく頷いた。
「それは大変ですねえ」
茶渡は答えない。
「ですが、こちらにも仕事がありまして」
輝夜は偃月刀を構え直した。
「困ったものです」
⸻
刃が茶渡の腕を掠める。
茶渡は構わず拳を振るう。
輝夜は一歩退いた。
すれ違いざまに、また一太刀。
深くは斬らない。
大きな隙も作らない。
ただ確実に、刃を届かせる。
しかし、茶渡もただ斬られていたわけではなかった。
偃月刀の間合いを測り、輝夜の退く方向を見ている。
次の一撃。
茶渡はあえて刃を左腕で受けた。
「……!」
そのまま踏み込む。
右拳が迫った。
避けきれない。
輝夜は咄嗟に偃月刀の柄を横へ差し込んだ。
衝撃が走る。
柄越しに伝わる力に、足が石畳を滑った。
「……っ!」
輝夜は後ろへ跳び、ようやく距離を取る。
右腕が痺れていた。
あと少し遅れていれば、骨の一本くらい持っていかれていただろう。
「……まったく」
輝夜は小さく息を吐いた。
「頑丈なだけじゃありませんか」
茶渡は黙ったまま構える。
輝夜は左手を開いた。
「縛道の六十一、六杖光牢」
六本の光が茶渡を捉えた。
茶渡が力を込める。
光の柱が軋んだ。
その隙に、輝夜は踏み込む。
偃月刀が一閃した。
浅く、だが確実に。
そして、すぐに退く。
「……さて」
茶渡の身体には、幾筋もの傷が刻まれている。
左肩、脇腹、太腿、腕。
いずれも深い傷ではない。
それでも、これだけ動けば消耗は避けられない。
六杖光牢が砕けた。
茶渡が再び構える。
その呼吸は、少し荒くなっていた。
輝夜は偃月刀を静かに持ち上げた。
「茶渡くん」
返事はない。
「せっかくですから、一つご説明を」
⸻
「我々死神の持つ斬魄刀は、いわば己の写し身のようなものでしてねえ」
輝夜は一歩、横へ移動した。
茶渡もそれに合わせて身体を向ける。
「それぞれに、不思議な力があったりするんですよ」
「…………」
「ご覧になったことがあるでしょう? うちの隊長の刀が伸びるところを」
茶渡の表情が、わずかに動いた。
「他にも、炎を操るものや、氷を生み出すもの。実に様々でしてね」
輝夜は偃月刀を軽く回した。
「それなのに、そんな無防備に斬られていて大丈夫ですか?」
茶渡は答えない。
「隊長格でなければ、大した能力はないと?」
輝夜の声は、どこまでも穏やかだった。
「それとも、その頑丈な身体なら耐えられるとお思いで?」
茶渡の右腕に力がこもる。
「……俺は」
男は低く答えた。
「一護のために、ここを通る」
「…………」
「だから、退かない」
「……そうですか」
輝夜は小さく頷いた。
「でしたら、仕方ありませんねえ」
茶渡が地を蹴った。
右腕に霊圧が集まる。
その拳が振り抜かれる、直前。
「……っ!」
茶渡の足が鈍った。
呼吸が乱れる。
吸おうとしても、胸が思うように動かない。
踏み込んだ足に、力が入らなかった。
「……な、にを……」
茶渡は片膝をつきかけ、堪えた。
輝夜は片手で偃月刀を支えた。
「俺の斬魄刀はね」
一歩、前へ。
「呼吸を奪うものなんですよ」
茶渡は歯を食いしばった。
右腕を持ち上げる。
まだ拳を振るおうとしていた。
「……おや」
輝夜は目を細める。
「まだ動けますか」
茶渡が一歩進んだ。
勢いは明らかに落ちている。
だが、拳にはまだ力が残っている。
輝夜はその軌道を見極め、横へ躱した。
懐へ入り、偃月刀の柄の端を茶渡の鳩尾へ叩き込む。
鈍い音。
茶渡の身体が折れた。
続けて足を払う。
巨体が石畳へ崩れ落ちる。
それでも茶渡は地面に手をつき、立ち上がろうとした。
「……一護……」
小さな声が漏れる。
輝夜は偃月刀を構え直した。
「……もう十分でしょう」
茶渡の腕が震えた。
やがて、その身体から力が抜ける。
意識が途切れた。
輝夜は短く息を吐いた。
胸が重い。
自分の呼吸も、いつも通りとはいかない。
長く使いたいものではなかった。
輝夜は偃月刀を元の刀へ戻した。
その瞬間、茶渡の肩に浮かんでいた淡い半月が欠けていく。
やがて、紋様は消えた。
輝夜の胸の重さも、ゆっくりと薄れていく。
膝をつき、茶渡の呼吸を確かめた。
浅いが、確かに息をしている。
「……まったく」
刀を鞘に納める。
「頑丈な人は、これだから困りますねえ」
⸻
「……やれやれ。間に合わなかったか」
背後から声がした。
輝夜が振り向く。
笠を被った男が立っていた。
八番隊隊長、京楽春水。
「おや、京楽隊長」
輝夜は軽く頭を下げた。
「これはお騒がせしました」
「こっちこそ、うちの隊舎の前で働かせちゃったねえ」
京楽は倒れている茶渡へ目を向けた。
「……生きてるかい?」
「ええ。今、確かめたところです」
「そうかい」
京楽は小さく息を吐いた。
「途中から見てたんだけどね。そろそろ止めようかと思っていたところさ」
「申し訳ありません。もう少し穏便に済めばよかったんですが」
「……あの子、退かなかったんだろう?」
「ええ。なかなか頑固な方でして」
京楽は茶渡の傍らにしゃがんだ。
「そうだろうねえ」
しばらく、その顔を眺める。
「いい目をした子だね」
「そうですねえ」
輝夜も頷いた。
「まったく、困ったものです」
「それにしても、望月くん」
「はい?」
「君もなかなか器用な戦い方をするじゃないか」
「とんでもない。これでも必死だったんですよ」
「ふふ。そうかい」
京楽は笑った。
「ところで、京楽隊長」
「ん?」
「こちらの旅禍の処遇ですが、お任せしてもよろしいですかねえ」
「……そこまで任せるのかい?」
「何しろ八番隊の管轄ですし、俺もイヅルくんの分まで仕事を抱えておりまして」
京楽は苦笑した。
「君ねえ。うちの隊士の代わりに戦ってくれたのはありがたいけど、後始末まで任せるとは」
「隊長のお力を頼りにしておりますので」
「よく言うよ」
京楽は肩をすくめた。
「まあ、いいさ。四番隊にはこっちから連絡しておくよ」
「助かります」
輝夜は深々と頭を下げた。
「では、俺は市丸隊長のところにでも戻りますかねえ」
「……ああ、望月くん」
「はい?」
京楽は倒れた茶渡を見たまま、口を開いた。
「さっきの子、随分と必死だったろう」
「ええ。そうですね」
「君は、ああいう子をどう思う?」
輝夜は少し考えた。
そして、いつものように笑った。
「……俺には、あそこまで無茶はできませんねえ」
「そうかい」
京楽も笑う。
「君らしい答えだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
輝夜はもう一度頭を下げ、その場を後にした。
背後では、京楽が四番隊を呼ぶ声が聞こえている。
石畳を歩きながら、輝夜は軽く肩を回した。
右腕には、まだ少し痺れが残っていた。
「……はあ」
まったく、今日は働きすぎた。
「……イヅルくん、早く戻ってきてくれませんかねえ」
そう呟いて、三番隊の隊舎へと歩き出した。