三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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5.餞別

瀞霊廷の朝は、いつにも増して騒がしかった。

六番隊隊士、朽木ルキアの処刑。

急な日程の変更によって、各隊は対応に追われている。

三番隊も例外ではない。

 

「……まったく、慌ただしいことですねえ」

 

望月輝夜は、執務室の窓から外を眺めていた。

隊士たちが廊下を駆けていく。

処刑の警備に当たる者、旅禍の捜索を続ける者、各隊との連絡に追われる者。

やることはいくらでもある。

机の上には、昨夜から片づけきれなかった書類が積まれていた。

吉良イヅルの席は、今日も空いている。

 

「……さて」

 

輝夜は机に戻り、書類を一枚めくった。

 

巡回の配置変更。

警備の増員。

処刑に伴う各隊への連絡事項。

 

どれも急ぎのものばかりだ。

 

「……勘弁してほしいですねえ」

 

そう呟いたところで、扉が開いた。

 

「朝から精が出ますねえ、望月はん」

 

聞き慣れた声だった。

 

「おや、市丸隊長」

 

顔を上げれば、市丸ギンがいつも通りの笑みを浮かべて立っている。

 

「おはようございます」

「おはようさん。随分と忙しそうやね」

「ええ。イヅルくんがいませんからねえ」

「そら難儀やなあ」

「まったくです」

 

輝夜は筆を置いた。

 

「それにしても、市丸隊長。昨日は随分と大変だったそうで」

「……何がです?」

「日番谷隊長との一件ですよ」

「ああ、あれですか」

 

ギンはくすりと笑った。

 

「ちょっと揉めただけですわ」

「隊長同士で刀を抜いておいて、ちょっとですか」

「まあ、そんな日もありますやろ」

「……物騒な話ですねえ」

 

輝夜が肩をすくめると、ギンは楽しそうに笑った。

 

「望月はんは相変わらずやね」

「それはこちらの台詞ですよ」

 

二人は顔を見合わせた。

まるで、普段と変わらぬ朝だった。

 

⸻

 

「ところで、イヅルくんのことなんですが」

 

輝夜は机に置かれた書類を揃えた。

 

「牢を出たそうですねえ」

「おや、聞かはったんですか」

「ええ。昨日、報告がありまして」

 

輝夜はギンを見た。

 

「ただ、正式に釈放されたわけではないとか」

「そうみたいやねえ」

「……ご存じありませんか?」

「さあ、どうでしょう」

 

ギンは相変わらず笑っている。

 

「まあ、イヅルなら大丈夫ですわ」

「そうですか」

 

輝夜はそれ以上尋ねなかった。

少なくとも、目の前の隊長は吉良の所在について何か知っているらしい。

 

「無事ならいいんですがねえ」

「心配してはるんです?」

「ええ。大切な後輩ですから」

 

輝夜はあっさりと答えた。

 

「それに、仕事が溜まる一方ですし」

「ふふ、そっちも大事やねえ」

「もちろんですとも」

 

ギンは空いた吉良の席に目を向けた。

 

「イヅルがおらんと、静かやね」

「そうですねえ」

 

輝夜もそちらを見た。

 

「普段なら、この辺りで書類を持ってくる頃でしょうか」

「望月はん、また仕事押しつけようとしてました?」

「人聞きが悪いですねえ。少々手伝っていただくだけですよ」

「ふふ、そういうことにしときましょ」

 

ギンは机の端に腰掛けた。

 

「……望月はん」

「はい?」

「イヅルのこと、頼みますわ」

 

輝夜は顔を上げた。

 

「……おや」

 

少し珍しい頼みだった。

ギンが吉良の仕事を任せることは、これまでもあった。

だが、今の言葉は少し違う。

 

「それは、副隊長代理としてですかねえ」

「どうでしょう」

「曖昧ですねえ」

「ふふ、望月はんなら大丈夫ですやろ」

 

輝夜はギンを眺めた。

いつもの笑顔。

何を考えているのか、分かりにくい男だ。

 

「……承知しました」

 

輝夜は軽く頭を下げた。

 

「イヅルくんのことは、お任せください」

「おおきに」

 

ギンは小さく笑った。

 

⸻

 

しばらくして、ギンが立ち上がった。

 

「ほな、そろそろ行きますわ」

「処刑の方へ?」

「ええ。ちょっと用事がありまして」

「……そうですか」

 

輝夜は窓の外へ目を向けた。

朝の光が、隊舎の庭を照らしている。

遠くでは、隊士たちの声が響いていた。

 

いつもと同じ景色。

 

ただ、今日は何かが違う。

 

「……市丸隊長」

 

ギンが振り返った。

 

「何です?」

 

何十年と聞かなかったことを、今更尋ねるつもりもなかった。

 

藍染の偽装死。急がされる処刑。隊長のいつもと変わらない態度。

 

今日を逃せば、もう二度と聞けないような気がした。

 

「……そこまでして、叶えたいものがあるんですか?」

 

ギンは少しだけ目を細めた。

 

「……何の話です?」

「さて。何でしょうねえ」

 

輝夜は笑った。

ギンもしばらくこちらを見ていた。

やがて、いつもの笑みに戻る。

 

「……ええ。ありますよ」

「…………」

 

輝夜はギンを見つめた。

それ以上、何も尋ねなかった。

 

「……そうですか」

 

少しだけ間を置いて、頭を下げる。

 

「では、お気をつけて」

「ええ」

 

ギンは笑った。

 

「ほな、行ってきますわ」

 

扉が閉まる。

輝夜はしばらく、その扉を眺めていた。

 

「…………」

 

やがて、ゆっくりと息を吐く。

 

「……はあ」

 

静かな部屋だった。

吉良の席は空いている。

隊長も出ていった。

残されたのは、自分と書類の山だけ。

 

「……仕事、ですかねえ」

 

輝夜は筆を取った。

 

⸻

 

どれほど時間が経っただろうか。

執務室に差し込む光は、いつの間にか角度を変えていた。

輝夜が書類に目を通していると、不意に遠くで大きな霊圧が膨れ上がった。

筆が止まる。

 

「……おや」

 

窓の外へ目を向けた。

双殛の丘の方角。

遠く離れていても、何かが始まったことは分かる。

 

「……いよいよですかねえ」

 

処刑が始まったのだろう。

輝夜はしばらく窓の外を眺めていたが、ふと一人の少年を思い出した。

黒崎一護。

橙色の髪をした、あの旅禍。

あの少年なら、今頃どうしているのだろう。

輝夜は筆を置き、椅子に深く腰掛けた。

そして、左目に意識を向ける。

次の瞬間、景色が変わった。

 

「……おやおや」

 

目の前には、巨大な炎の鳥。

その嘴を、一本の大きな刀が受け止めている。

視界の向こうには、処刑台があった。

そこに立つ、小柄な少女。

朽木ルキア。

 

「……なるほど」

 

どうやら、あの少年は処刑そのものを止めに来たらしい。

耳元では、何かを叫ぶ声が聞こえた。

だが、輝夜はそちらに意識を向けすぎないようにした。

左目に映る景色と、右目に映る執務室。

二つを同時に追うのは、相変わらず疲れる。

しばらく様子を窺っていると、炎の鳥が激しく揺らいだ。

視界が大きく動く。

 

「……おっと」

 

輝夜はそこで接続を切った。

見慣れた執務室が、両目に戻ってくる。

 

「……若い人は元気ですねえ」

 

小さく笑い、額を押さえた。

あの少年が何をしようとしているかは、もう十分に分かった。

ならば、こちらにもやるべきことがある。

そのとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。

 

「望月三席!」

 

隊士が駆け込んでくる。

 

「双殛の丘に旅禍が現れ、処刑が妨害されたとのことです!」

「そうですか」

 

輝夜は頷いた。

 

「各隊の動きは?」

「現時点では確認中です!」

「では、こちらは持ち場を守りましょう」

「……よろしいのですか?」

「ええ。向こうには隊長方がいらっしゃいますからねえ」

 

輝夜は机の上の書類を揃えた。

 

「それに、俺たちまで持ち場を離れたら、こちらが手薄になりますでしょう?」

 

隊士は少し考えた後、頷いた。

 

「承知しました!」

「巡回中の隊士にも、そのように伝えてください。不審な動きがあれば、すぐに報告を」

「はっ!」

 

隊士が去っていく。

輝夜は窓の外へ目を向けた。

双殛の丘。

あちらでは、今も何かが起きているのだろう。

そして、その騒ぎの中に、市丸隊長もいるのかもしれない。

 

「…………」

 

輝夜は、閉じた扉を一度だけ見た。

朝、隊長が出ていった扉だった。

 

「……さて」

 

筆を取る。

今の自分が守るべきものは、ここにある。

少なくとも、今は。

 

「……仕事に戻りましょうか」

 

三番隊の隊舎では、今日も隊士たちの足音が響いていた。

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