三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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6.離反

最初に聞こえたのは、悲鳴でも怒号でもなかった。

声だった。

 

『護廷十三隊、各隊隊長・副隊長、ならびに全隊士へ通達します』

 

執務室で筆を走らせていた望月輝夜は、顔を上げた。

縛道の七十七、天挺空羅。

広範囲に声を届ける、高度な鬼道だ。

 

「……おや」

 

何事かと思えば、続いたのは五番隊隊長、藍染惣右介の名だった。

死んだはずの藍染が生きていたこと。

中央四十六室が殺害されていたこと。

これまで下されていた命令の多くが、偽りであったこと。

淡々と告げられる内容に、廊下が騒がしくなっていく。

 

『藍染惣右介は、護廷十三隊に対する反逆者です』

 

やがて声が途切れた。

しばしの静寂。

それを破ったのは、廊下を駆ける足音だった。

 

「望月三席!」

 

三番隊の隊士が、勢いよく扉を開けた。

 

「今の通達は……!」

「ええ。聞こえていましたよ」

「藍染隊長が、生きていたというのは本当なのでしょうか」

「四番隊からの通達です。少なくとも、根拠のない話ではないでしょうねえ」

 

隊士は言葉を失った。

無理もない。

数日前まで、五番隊は隊長を失った悲しみに沈んでいた。

その死が偽りだったという。

まして中央四十六室まで殺されていたとなれば、瀞霊廷そのものが揺らぐ事態だった。

 

「……では、市丸隊長は」

 

隊士が口にした名前に、輝夜はわずかに目を伏せた。

 

「まだ、何とも言えませんねえ」

「ですが、以前から疑われていたのは……」

「疑いと事実は別ですよ」

 

穏やかな声だった。

 

「今は、確かな報告を待ちましょう」

「……承知しました」

 

隊士が去る。

扉が閉まると、輝夜は筆を置いた。

藍染惣右介が生きている。

そんなことは、とうに知っていた。

あの男が何かを企んでいることも。

市丸ギンが、それに関わっているらしいことも。

ただ。

 

「……随分と派手に動きましたねえ」

 

ここまで大きな騒ぎになるとは、思っていなかった。

いや。

思いたくなかったのかもしれない。

 

⸻

 

窓の外では、隊士たちが走り回っていた。

誰かが命令を叫び、別の誰かがそれを伝える。

隊長たちの所在を確認する声も聞こえてきた。

輝夜は机に肘をついた。

藍染が生きていたことが公になった以上、事態はもう隠しようがない。

ならば、あの少年はどうしているだろう。

 

黒崎一護。

 

先ほど双殛を受け止めていた、橙色の髪の旅禍。

彼は確か、朽木ルキアを救うために来たのだった。

そして、藍染が必要としているのも、おそらく彼女だ。

 

「……少しだけ、失礼しますよ」

 

輝夜は目を閉じた。

左目に意識を集中する。

次の瞬間、景色が切り替わった。

最初に映ったのは、白い羽織だった。

五番隊隊長。

藍染惣右介。

 

「…………」

 

輝夜は黙って、その男を眺めた。

やはり生きている。

それも、随分と元気そうだ。

左耳からは、少年の荒い息遣いが聞こえてくる。

視界の端には、赤髪の死神。

阿散井恋次だろう。

そして、その腕の中にいる少女。

朽木ルキア。

なるほど。

状況は思っていた以上に悪いらしい。

藍染が何かを語っている。

だが、輝夜にはその話を最後まで聞く余裕がなかった。

突然、一護の身体が動いた。

視界が跳ねる。

黒い刀身が目の前を横切った。

 

「……っ」

 

輝夜は思わず机の縁を掴んだ。

左目では激しい戦闘。

右目では静かな執務室。

自分の身体が動いていないと分かっていても、感覚が追いつかない。

次の瞬間。

刀が、視界の正面に迫った。

鈍い衝撃。

景色が大きく傾いた。

 

「……うわ」

 

輝夜は慌てて接続を切った。

見慣れた机が両目に戻る。

 

「……ああ、気持ち悪い」

 

額を押さえた。

どうにも、他人の戦闘を覗くのは性に合わない。

まして相手は、藍染惣右介である。

あの少年がどれほど強くなったのかは知らないが、まともに戦って勝てる相手ではないだろう。

 

「……生きていますかねえ、あの子」

 

気にはなる。

だが、今の自分にできることは少ない。

隊長格ですら届かない相手に、三席の自分が割って入ったところで、犠牲者が一人増えるだけだ。

それに、三番隊にはまだ大勢の隊士がいる。

輝夜は立ち上がり、窓を開けた。

 

「……皆さん、無茶はしないでくださいねえ」

 

届くはずのない言葉が、風に流れた。

 

⸻

 

次に異変が起きたのは、それからしばらくしてのことだった。

双殛の丘の方角から、異様な霊圧が立ち上った。

一つや二つではない。

重く、肌にまとわりつくような気配。

 

「……何ですかねえ、あれは」

 

隊舎の外にいた隊士たちも、足を止めている。

遠くの空が、妙に明るかった。

 

「望月三席!」

 

またしても伝令が駆け込んできた。

 

「双殛の丘に、巨大な虚が出現したとのことです!」

「……虚?」

「はい! それも、一体ではないようで……!」

 

輝夜は窓の外を見た。

虚が瀞霊廷に現れる。

それだけでも大事件だ。

しかも、今は藍染の謀反が明らかになったばかり。

偶然とは考えにくかった。

 

「隊長方は?」

「現場に集結されているとのことです!」

「そうですか」

 

輝夜は頷いた。

 

「三番隊は現状の警備を維持。負傷者が運ばれてきた場合に備えて、四番隊との連絡も確保してください」

「はっ!」

「それから、許可なく双殛の丘へ向かう者が出ないように」

「……よろしいのですか?」

「隊長方が集まっている場所へ、俺たちが無理に駆けつけても仕方ありませんからねえ」

 

輝夜は苦笑した。

 

「できる仕事をしましょう」

 

隊士が頭を下げて去っていく。

その背中を見送ってから、輝夜は再び椅子に腰を下ろした。

そして、左目を閉じた。

 

⸻

 

今度は、空が見えた。

いや。

空に、何かが開いていた。

巨大な裂け目。

その向こうには、いくつもの異形の影。

そして、光。

天から降り注ぐ光の柱が、地上の何者かを包んでいる。

左耳からは、複数の声が聞こえていた。

一護は負傷しているらしい。

視界が低く、思うように動かない。

その代わり、見上げる先の光景はよく分かった。

光の中に、三人の死神がいた。

 

藍染惣右介。

 

東仙要。

 

そして。

 

「…………」

 

市丸ギン。

 

白い隊長羽織。

 

細められた目。

 

朝と変わらぬ、あの笑顔。

 

輝夜は、黙って見つめた。

分かっていたことだった。

市丸ギンが藍染と何らかの関係を持っていることは、ずっと前から知っていた。

いつか、こうなるかもしれないとも思っていた。

だからこそ、朝、尋ねたのだ。

そこまでして、叶えたいものがあるのかと。

返ってきた答えは、たった一言。

 

『……ええ。ありますよ』

 

輝夜は左目を閉じようとして、やめた。

もう少しだけ。

もう少しだけ、見ておきたかった。

光の中で、ギンが何かを話している。

誰に向けた言葉なのかは、分からない。

輝夜に向けられたものではない。

それでも、聞き慣れた声だった。

何十年も聞いてきた声。

隊舎で冗談を言うときも。

仕事を押しつけてくるときも。

吉良をからかうときも。

ずっと、同じ声だった。

光の柱が、ゆっくりと上昇していく。

三人の姿が遠ざかる。

周囲から怒号が上がった。

だが、誰も追いつけない。

輝夜はただ、その光景を見ていた。

やがて、ギンの姿が小さくなる。

白い羽織が、空の向こうへ消えていく。

そして、巨大な裂け目が閉じた。

 

「…………」

 

左目の景色が、静かな執務室へ戻った。

接続を切ったのは、自分だった。

それでも、しばらく目を開けられなかった。

 

⸻

 

「……行ってきます、ですか」

 

朝の言葉を思い出す。

いつもと変わらない挨拶だった。

行ってきます。

気をつけて。

ただ、それだけのこと。

そんなやり取りを、何度繰り返しただろう。

輝夜はゆっくりと目を開けた。

机の上には、まだ書類が残っている。

向かいの席は空いたまま。

隊長の席も、今は誰も使っていない。

 

「……参りましたねえ」

 

そう呟いて、笑おうとした。

だが、うまくいかなかった。

藍染が何かを企んでいると気づいたときも。

市丸ギンがそれに関わっていると察したときも。

藍染の死が偽装だと確信したときも。

輝夜は、誰にも話さなかった。

何を話せばよかったのか。

誰が信じてくれたのか。

話したところで、何が変わったのか。

分からないことばかりだった。

ただ一つ。

自分は何もしないことを選んだ。

それだけは、間違いなかった。

 

「…………」

 

輝夜は机に置いた筆を見た。

そして、朝から何度も開いていた扉へ目を向けた。

そこから市丸ギンが戻ってくることは、もうないのだろう。

少なくとも、昨日までと同じようには。

廊下から、隊士たちの声が聞こえてきた。

藍染の謀反について。

三人の隊長が姿を消したことについて。

そして、これからの三番隊について。

輝夜は立ち上がった。

扉に手を掛ける。

今は、彼らに伝えなければならないことがある。

誰も持ち場を離れないこと。三席は生き残りたい

負傷者の受け入れを優先すること。

正式な命令が下るまでは、各自の判断で動かないこと。

それから。

 

「……イヅルくんも、探さないとですねえ」

 

吉良が今、どこで何をしているのか。

それも、確かめなければならない。

輝夜は扉を開けた。

いつも通りの声で、隊士たちに呼びかける。

 

「皆さん。少し、お話があります」

 

振り返る隊士たちの顔には、不安が浮かんでいた。

無理もない。

自分たちの隊長が、護廷十三隊を裏切ったのだから。

 

「まずは、落ち着いてください」

 

輝夜は穏やかに笑った。

 

「大丈夫です。やることは、まだたくさんありますから」

 

そう言って、一人ひとりの顔を見た。

誰もが、何かを待っている。

命令か。

説明か。

それとも、安心できる言葉か。

自分には、隊長の代わりなど務まらない。

あの男ほど強くもなければ、何を考えているのか分からない笑顔を浮かべるのも苦手だ。

それでも。

ここに残ったのは、自分だった。

 

「……さて」

 

輝夜は袖をまくった。

 

「まずは、皆さんが無事かどうか、確認させてください」

 

三番隊の一日は、まだ終わらなかった。




18時尸魂界編エピローグ
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