三席は生き残りたい   作:瓢箪から窯

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7.余燼

市丸ギンの離反から、数日が経った。

瀞霊廷は、いまだ混乱の中にあった。

五番隊隊長、藍染惣右介。

三番隊隊長、市丸ギン。

九番隊隊長、東仙要。

三人の隊長が、護廷十三隊を裏切った。

その事実は瞬く間に広まり、各隊では対応に追われている。

当然、三番隊も例外ではなかった。

 

「……いやあ、参りましたねえ」

 

望月輝夜は、目の前に積み上げられた書類を眺めていた。

市丸ギンの行動記録。

隊長室への出入りの記録。

各隊との連絡履歴。

過去に発せられた命令の確認。

一番隊からの照会だけでも、既に相当な数に上っている。

 

「望月三席、こちらも確認をお願いします」

「……まだあるんですか」

「申し訳ありません」

「いえいえ。あなたが悪いわけではありませんからねえ」

 

輝夜は書類を受け取った。

隊長が裏切った。

その事実一つで、随分と仕事が増えるものらしい。

 

「……まったく、最後まで人使いの荒い方ですねえ」

 

思わず漏れた言葉に、隊士が顔を上げた。

 

「……望月三席」

「はい?」

「市丸隊長は……本当に、我々を裏切ったのでしょうか」

 

輝夜は筆を止めた。

 

「……そうですねえ」

 

どう答えたものか。

藍染とともに虚圏へ去った。

それは間違いのない事実だった。

だが、あの男が何を望み、何のためにそうしたのか。

そこまでは、輝夜にも分からない。

 

「少なくとも、護廷十三隊を去ったことは事実でしょうね」

「……そう、ですか」

 

隊士は俯いた。

 

「我々も、疑われているのでしょうか」

「調べられてはいるでしょうねえ」

 

輝夜は書類を揃えた。

 

「ですが、疑われていることと、罪があることは別です」

「……はい」

「聞かれたことには、知っている範囲で正直に答えてください。分からないことは、分からないで構いません」

「承知しました」

「それから」

 

輝夜は少しだけ笑った。

 

「妙な遠慮はしなくていいですよ。今まで通り、仕事をしてください」

「……はい!」

 

隊士は頭を下げ、部屋を出ていった。

輝夜はその背中を見送った。

知っていることは正直に話せ。

随分と立派なことを言ったものだ。

 

「……人のことは言えませんねえ」

 

自嘲気味に笑い、筆を取った。

 

⸻

 

三番隊への風当たりは、以前より厳しくなっていた。

無論、隊士全員が裏切り者として扱われているわけではない。

だが、他隊との連絡には慎重な確認が求められ、以前なら口頭で済んだ話にも書面が必要になった。

他隊の隊士とすれ違えば、時折、探るような視線を向けられる。

仕方のないことだとは思う。

輝夜自身、もし他隊の隊長が裏切ったと聞かされれば、その部下に多少の警戒はするだろう。

問題は、その疑いをどう晴らしていくかだった。

 

「望月三席。巡回の配置についてですが」

「ええ。昨日の案で問題ありませんよ」

「ですが、他隊から変更の要請が……」

「では、理由を確認してください。必要な変更なら応じましょう」

「承知しました」

 

仕事は、なくならない。

隊長がいなくなったからといって、巡回も警備も必要なくなるわけではない。

誰かが負傷すれば手当てが必要だし、隊士たちの訓練も続く。

そうした当たり前の仕事を、今まで通り続けなければならない。

 

「……さて」

 

輝夜は立ち上がった。

向かったのは、隊長室だった。

 

⸻

 

室内は、妙に整っていた。

市丸ギンが使っていた机。

椅子。

書類棚。

どれも、つい先日までと変わらない。

ただ、主だけがいない。

 

「…………」

 

輝夜は机の前に立った。

ここへ呼び出されたことは、数え切れないほどある。

仕事を押しつけられたことも。

くだらない冗談に付き合わされたことも。

何を考えているのか分からない笑顔に、呆れたこともあった。

 

「……少しは片づけていってほしかったですねえ」

 

当然、返事はない。

窓の外には、庭の柿の木が見えた。

輝夜はしばらくそれを眺め、それから机に残された書類を手に取った。

記録の確認をしなければならない。

隊長室に残されたものも、順次調べられることになるだろう。

見慣れた部屋が、いつの間にか調査の対象になっていた。

 

「……本当に、面倒なことをしてくれましたねえ」

 

そう呟いて、輝夜は部屋を出た。

 

⸻

 

吉良イヅルが隊舎へ戻ってきたのは、その日の午後だった。

事件の夜には所在が確認されていたが、負傷の手当てや事情の確認もあり、落ち着いて話せる機会はなかった。

 

「……望月先輩」

 

廊下から聞こえた声に、輝夜は顔を上げた。

 

「おや、イヅルくん」

 

吉良は深く頭を下げた。

 

「ご迷惑をお掛けしました」

「……ええ。お帰りなさい」

 

輝夜は椅子から立ち上がった。

 

「無事で何よりです」

「……はい」

 

顔色は、あまりよくなかった。

身体の傷よりも、別のものが堪えているのだろう。

 

「お怪我の方は?」

「大丈夫です」

「そうですか。なら、よかった」

 

輝夜は頷いた。

 

「……お茶でも飲みましょうか」

「ですが、仕事が……」

「仕事は逃げませんからねえ」

 

机の上を見やる。

 

「残念ながら」

 

吉良は少しだけ口元を緩めた。

 

「……そうですね」

 

⸻

 

茶葉を用意し、湯を注ぐ。

慣れた作業だった。

湯呑みを取り出しかけて、輝夜の手が止まった。

三つ。

いつもの数だった。

 

「…………」

 

一つを棚に戻す。

残った二つに茶を注いだ。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

吉良は湯呑みを受け取った。

二人は向かい合って座った。

しばらく、何も話さなかった。

先に口を開いたのは、吉良だった。

 

「……松本さんと、戦いました」

「ええ。聞いていますよ」

「市丸隊長の命令でした」

「……そうですか」

 

吉良は湯呑みを見つめた。

 

「僕は、隊長を信じていました」

「…………」

「雛森さんには手を出さないと、そう約束してくださったんです」

 

声が、わずかに震えた。

 

「だから、僕は……」

 

吉良は言葉を詰まらせた。

藍染に刺された雛森桃は、辛うじて一命を取り留めている。

そのことも、既に知らされていた。

 

「僕は、何をしていたんでしょうか」

 

輝夜は答えなかった。

吉良が何を望んでいたのかは分かる。

市丸ギンを信じたかった。

雛森を守りたかった。

だが、その結果として、友人にも刃を向けた。

そして、自分は。

 

「……イヅルくん」

「はい」

「市丸隊長が何を考えていたのか、俺にも分かりません」

 

吉良が顔を上げた。

 

「……先輩にも、ですか」

「ええ」

 

輝夜は茶を一口飲んだ。

 

「長い付き合いでしたが、結局、何も聞かせてはいただけませんでしたねえ」

 

正確には、聞かなかったのだ。

聞く機会がなかったわけではない。

何度もあった。

それでも、自分は踏み込まなかった。

 

「……そう、ですか」

 

吉良は俯いた。

しばらくして、小さく呟いた。

 

「……僕は、まだ」

「はい」

「市丸隊長を、嫌いになれません」

 

輝夜は目を細めた。

 

「……そうですか」

「こんなことになっても、まだ……」

 

吉良は唇を噛んだ。

 

「情けないですよね」

「……どうでしょうねえ」

 

輝夜は湯呑みを置いた。

 

「俺も、嫌いにはなれそうにありませんから」

 

吉良が顔を上げた。

 

「先輩……」

「まあ、仕事を山ほど残していかれたことには、少々腹が立っていますがねえ」

 

いつもの調子で言う。

吉良は一瞬、呆気に取られたような顔をした。

それから、ほんの少しだけ笑った。

 

「……そうですね」

「ええ。実に困った隊長でした」

 

二人は、それ以上ギンについて話さなかった。

今は、何を言っても答えが出る気がしなかった。

ただ、冷めかけた茶を飲んだ。

それだけだった。

 

⸻

 

翌朝。

三番隊の執務室には、久しぶりに二人分の筆の音が響いていた。

 

「先輩、こちらの確認は終わりました」

「ありがとうございます。では、次はこちらを」

「……先輩」

「はい?」

「これ、先輩が確認する書類ですよね?」

「おや、そうでしたか」

「そうでしたか、じゃありません」

 

吉良が眉を寄せる。

輝夜は笑った。

 

「いやあ、やっぱりイヅルくんがいると助かりますねえ」

「……まったく」

 

いつものやり取りだった。

ただ、隊長の席は空いたままだ。

これからの三番隊は、吉良を中心に立て直していくことになるだろう。

正式な指示が下るまでには、まだ時間が掛かるかもしれない。

それまでは、自分にできることをする。

そう決めていた。

 

「……ところで、イヅルくん」

「はい」

「少し、出掛けてきてもよろしいですかねえ」

 

吉良が顔を上げた。

 

「どちらへ?」

「一番隊です」

「……一番隊?」

「ええ。少々、お話がありまして」

 

吉良は不思議そうな顔をした。

 

「何か、追加の報告ですか?」

「まあ、そんなところです」

 

輝夜は書類を揃えた。

 

「その間、こちらをお願いできますか?」

「それは構いませんが……」

「ありがとうございます」

 

輝夜は立ち上がった。

 

「では、行ってきます」

「……お気をつけて」

 

その言葉に、足が止まった。

ほんの一瞬。

あの日、市丸ギンに言ったのと同じ言葉だった。

 

「…………」

 

輝夜は振り返った。

 

「ええ。すぐ戻りますよ」

 

そう答えて、部屋を出た。

 

⸻

 

一番隊へ向かう道すがら、輝夜は考えていた。

本当に、これでいいのだろうか。

今まで隠してきたものを、自ら明かす。

それがどういう意味を持つのかは、分かっている。

弓張月。

自分の斬魄刀。

その始解について、周囲が知っていることは限られている。

相手の呼吸を奪う。

それが、公にしている能力だった。

無論、間違いではない。

だが、全てでもない。

誰にも明かさずにいた能力。

それは、輝夜にとって最大の武器だった。

誰が、何を見ているのか。

誰と、何を話しているのか。

相手に気づかれることなく、それを知ることができる。

生き残るためには、実に都合のいい力だ。

だから、隠してきた。

知られれば警戒される。

警戒されれば、使いづらくなる。

場合によっては、その力を持っていること自体が疑われる理由になる。

今までは、それでよかった。

情報を持っていれば、危険を避けられる。

誰かが何かを企んでいても、先に知っていれば対処できる。

少なくとも、自分だけは生き残れる。

そう考えていた。

 

「……結局、何もできませんでしたねえ」

 

藍染の生存を知っていた。

市丸ギンが関わっていることも察していた。

だが、何もしなかった。

いや。

何もしないことを選んだ。

それが最善だと思っていた。

藍染を相手に、自分一人で何ができるというのか。

下手に動けば、口を封じられる可能性だってあった。

誰かに相談したところで、信じてもらえる保証はない。

その判断を、今でも完全に間違いだったとは思わない。

だが。

誰かに伝えていれば。

誰かが、自分とは違う方法を考えてくれていれば。

何か一つくらいは、違う結果になったのではないか。

そんな考えが、どうにも頭から離れなかった。

 

「……嫌になりますねえ」

 

輝夜は小さく息を吐いた。

生き残りたい。

その気持ちは、今も変わらない。

死ぬのは嫌だ。

痛いのも嫌だ。

できることなら、面倒事にも巻き込まれたくない。

ただ。

あの隊舎に帰りたい。

吉良と茶を飲みたい。

隊士たちと、くだらない話をして笑っていたい。

いつの間にか、そう思うようになっていた。

自分だけが生き残れば、それでよかったはずなのに。

守りたいものが、随分と増えてしまったらしい。

 

「……困ったものですねえ」

 

輝夜は苦笑した。

全てを話せば、どうなるか。

今まで誰の目を借りてきたのかと問われるかもしれない。

なぜ黙っていたのかと、責められるかもしれない。

何より、自分の能力が藍染への対抗手段になるかどうかさえ、まだ分からない。

それでも。

少なくとも、自分以外にこの力の使い道を考えられる者がいる。

その可能性を、今度は捨てたくなかった。

 

「……さて」

 

目の前には、一番隊の隊舎があった。

輝夜は足を止めた。

 

「少々、怒られに行きますかねえ」

 

⸻

 

面会の申し出は、既に届けてあった。

藍染惣右介の一件に関連して、重要な報告がある。

そう伝えたところ、総隊長から呼び出しを受けたのだった。

案内された先には、山本元柳斎重國をはじめ、幾人かの隊長が集まっていた。

室内に入った瞬間、空気が変わる。

向けられる視線。

肌を刺すような霊圧。

三番隊の三席が、一人で立つには少々居心地の悪い場所だった。

 

「三番隊三席、望月輝夜」

 

総隊長の声が響く。

 

「藍染惣右介について、報告があるとのことじゃな」

「はい」

 

輝夜は深く頭を下げた。

 

「此度の件に関連して、皆様にお伝えしたいことがございます」

「申してみよ」

 

輝夜は顔を上げた。

隊長たちの視線が、一斉に集まる。

市丸ギンの部下だった男。

その男が、今になって何を話すというのか。

そう思われても、仕方がない。

普段なら、こんな場所には近寄りたくもなかった。

できるだけ目立たず。

できるだけ危険を避けて。

できるだけ長く、生きていたかった。

その考えは、今も変わらない。

ただ、そのために必要なことが、少しだけ変わった。

輝夜は静かに口を開いた。

 

「……今一度、私の始解についてお話があります」




こうして、余燼に薪がくべられた。

物語は、さらに大きな炎となって燃え広がる。
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