8.開示
「……つまり、始解した弓張月を見た者には、新月の印が刻まれるということかい?」
京楽春水の問いに、望月輝夜は頷いた。
「ええ。私の意思とは関係なく、一度でも目にすれば刻まれます」
「それで、その印がある相手の目と耳を借りられる、と」
「はい。一度に一人だけですがねえ」
京楽は顎に手を当てた。
「……随分と厄介な能力だねえ」
「そう言っていただけると、嬉しいですねえ」
「褒めてないんだけどね」
一番隊の隊舎。
居並ぶ隊長たちの視線を受けながら、輝夜は小さく肩をすくめた。
「これまで説明していた能力はどうなる」
口を開いたのは、砕蜂だった。
「相手の呼吸を奪うというものだ」
「ええ。そちらも間違いではありませんよ」
輝夜は頷いた。
「正確には、神経の働きに干渉する能力でしてねえ。呼吸を奪うのも、その一つです」
「……つまり、他にもできることがあると?」
「ええ。ただ、相応の制約もありますので」
「その詳細も後ほど提出してもらおう」
「承知しました」
砕蜂は腕を組んだ。
「それよりも問題なのは、貴様がその能力を今日まで秘匿していたことだ」
「……仰る通りです」
「何のために隠していた」
「知られたくなかったからです」
あまりにあっさりとした返答に、砕蜂の眉が動いた。
「……貴様」
「知られなければ、警戒されずに済みますからねえ」
「それが問題だと言っている!」
鋭い叱責が飛ぶ。
輝夜は素直に頭を下げた。
「……申し訳ありません」
謝罪はできる。
だが、今更なかったことにはできない。
何十年も使い続けてきた能力だった。
そして、その能力によって知ってしまったことがある。
「望月輝夜」
山本元柳斎重國の声が響いた。
「その能力を、これまで誰に用いた」
「……随分と長い間使ってきたものですから、全てをこの場で申し上げるのは難しいですねえ」
「ならば、覚えておる限りの使用歴を書面で提出せよ」
「承知いたしました」
「その中には、隊長格も含まれるのか」
わずかに間が空いた。
「……はい」
部屋の空気が重くなる。
「よくもまあ、ぬけぬけと……」
砕蜂が呟いた。
輝夜は苦笑した。
「……申し開きもございません」
「それで」
京楽が静かに口を開いた。
「今回、わざわざその秘密を明かした理由は何だい?」
輝夜は顔を上げた。
「……藍染惣右介について、お話しするためです」
⸻
「藍染が、何だと?」
山本の問いに、輝夜は静かに答えた。
「藍染の死が偽装であることを、私は知っておりました」
沈黙が落ちた。
「……何?」
日番谷冬獅郎が、低い声を漏らした。
「今、何と言った」
「五番隊隊長の遺体が発見された後、私は藍染本人の視覚と聴覚に接続しました。そこで、藍染が生きていることを確認しております」
「……お前」
日番谷が一歩踏み出した。
「それを知っていて、黙っていたのか」
「……はい」
「雛森がどれだけ……!」
日番谷の声が荒くなる。
輝夜は何も言わなかった。
雛森桃。
藍染の死を嘆き、市丸ギンを疑い、そして最後には藍染自身の手で斬られた少女。
もし、もっと早く知らせていたなら。
彼女はあんな目に遭わずに済んだのだろうか。
分からない。
だが、分からないからといって、自分が黙っていた事実が消えるわけではない。
「……申し訳ありません」
輝夜は深く頭を下げた。
「謝って済む話か!」
「日番谷隊長」
京楽が静かに声を掛けた。
日番谷は唇を噛み、足を止めた。
「……理由を聞かせてもらおうか」
京楽の問いに、輝夜は顔を上げた。
「何故、報告しなかったんだい?」
「……命が惜しかったからです」
飾り気のない答えだった。
「藍染が何かを企んでいることには、随分と前から気づいておりました。市丸隊長がそれに関わっていることも、ある程度は」
「……市丸ギンのこともか」
山本が問い返す。
「はい」
「それでも黙っておったと」
「……ええ」
輝夜は頷いた。
「私では、あの方々を止められませんから」
隊長と三席。
その実力差は、今更語るまでもない。
まして相手は、藍染惣右介だ。
鏡花水月の完全催眠。
あれほど厄介な能力を持つ男に、正面から挑む気など起きなかった。
「情報を得ても、それを証明できるとは限りません。下手に動けば、私自身が消されるかもしれなかった」
「だから、自分だけ助かろうとしたのか」
砕蜂の声は冷たかった。
「……そういうことになりますねえ」
否定はしなかった。
言い訳なら、いくらでも思いつく。
だが、それを並べたところで、結局は同じことだった。
「……ただ」
輝夜は続けた。
「今回の件で、少々考えを改めまして」
「ほう?」
「私一人が情報を持っていても、使い道は限られます。藍染を止めるだけの力がないのなら、せめて止められる方々にお伝えした方がよいのではないかと」
京楽が目を細めた。
「それで、今更になって秘密を明かしたわけかい」
「……ええ」
「都合のいい話だねえ」
「まったくです」
輝夜は苦笑した。
「我ながら、そう思いますよ」
⸻
それからも、質問は続いた。
印を刻む条件。
能力の有効範囲。
これまでの使用歴。
そして、藍染について知っていたこと。
全てをその場で説明することはできず、詳しい内容は改めて報告書にまとめることになった。
「……それで、藍染に対しても、その能力は使えるのかい?」
京楽の問いに、輝夜は頷いた。
「ええ。既に印は刻まれておりますので」
「鏡花水月の影響は?」
「……分かりません」
輝夜は首を横に振った。
「少なくとも、これまで藍染本人の視界には接続できております。ただ、それが鏡花水月を破る手段になるかどうかまでは……」
「保証できない、ということじゃな」
山本の言葉に、輝夜は頷いた。
「はい」
しばしの沈黙。
やがて、山本の杖が床を打った。
「望月輝夜」
「はい」
「おぬしの処分は、当面保留とする」
輝夜は顔を上げた。
「……おや」
「無罪を意味するものではない」
「……承知しております」
「過去の使用歴と、藍染について知り得た情報を全て報告せよ。内容を精査した上で、処遇を決める」
「はい」
「それまでは三番隊での隊務を継続する。ただし、独断での情報収集能力の使用を禁ずる。現世への派遣も、当面は認めぬ」
「……はあ」
思わず、気の抜けた声が漏れた。
砕蜂の視線が突き刺さる。
輝夜は慌てて頭を下げた。
「失礼いたしました。承知いたしました」
山本は続けた。
「一方で、その能力が藍染への対抗に役立つ可能性はある」
「……はい」
「おぬしが印を刻んだ者の中に、黒崎一護がおると申したな」
「ええ。旅禍として瀞霊廷へ侵入した折に」
「現世に戻った後も、接続は可能か」
「……試したことはございませんねえ」
輝夜は少し考えた。
「ですが、印は残っているはずです」
「ならば、追って確認を命ずる。観測は監督の下で行え」
「承知いたしました」
結局、自由に使っていた能力は許可制になり、自分は調査対象になった。
それでいて仕事は減らない。
「…………」
輝夜は静かに息を吐いた。
どうやら、随分と割に合わない選択をしてしまったらしい。
⸻
「……というわけで、当面は処分保留だそうです」
三番隊の執務室。
輝夜の報告を聞いた吉良イヅルは、困ったような顔をした。
「……先輩、本当に大丈夫なんですか?」
「さて。どうでしょうねえ」
「どうでしょうねえ、じゃありませんよ」
「まあ、少なくとも今すぐ牢に入れられることはなさそうです」
「……何を話してきたんですか、一体」
吉良は深く溜息をついた。
輝夜は笑った。
「少々、昔のことでしてねえ」
詳しい内容は、まだ話せなかった。
調査が終わるまでは、能力の取り扱いも含めて不用意なことは言わない方がいい。
もっとも、いずれ吉良にも説明する必要はあるだろう。
「……とにかく」
吉良は机の上の書類を揃えた。
「三番隊に戻ってこられたなら、仕事はしてくださいね」
「おや、随分と厳しい」
「先輩がいない間、どれだけ溜まったと思ってるんですか」
「……いやあ、困りましたねえ」
輝夜は椅子に腰掛けた。
隊長は去った。
自分は疑われている。
三番隊には、以前にも増して仕事が増えている。
それでも、向かいの席には吉良がいた。
「……まあ」
輝夜は筆を取った。
「生きて帰れただけ、よしとしましょうかねえ」
⸻
それから、しばらく経った。
黒崎一護が現世へ戻った後、輝夜には一つの任務が与えられた。
弓張月による、現世への接続確認。
藍染が現世で活動を始めた場合に備え、情報収集の手段として利用できるかを調べるためだった。
もっとも、監督付きである。
「……何だか、落ち着きませんねえ」
輝夜は用意された椅子に腰掛けた。
室内には、一番隊から派遣された隊士が同席している。
観測する相手。
接続する時刻。
継続した時間。
確認できた内容。
全て記録することになっていた。
「望月三席。準備が整いましたら、始めてください」
「ええ。では、少々失礼して」
輝夜は目を閉じた。
意識を集中する。
黒崎一護。
橙色の髪をした、あの少年。
最後に見たのは、双殛の丘だった。
藍染に斬られ、地面に倒れていた姿。
あれから無事に現世へ戻ったらしい。
「……さて」
左目に意識を向ける。
次の瞬間。
景色が変わった。
「……おや」
明るい室内。
並べられた机。
黒板。
どうやら、学校らしい。
聞き慣れない話し声が左耳に流れ込んできた。
輝夜は右目を開き、手元の記録用紙を確認した。
現世と尸魂界。
異なる世界にいるというのに、接続そのものには問題がないらしい。
「……成功ですねえ」
「視界は確認できましたか?」
「ええ。現在、学校と思われる場所にいます」
「音声は?」
「問題ありません」
隊士が記録を取る。
輝夜は再び左目に意識を集中した。
黒崎一護の視界には、教室の中が映っていた。
机。
椅子。
制服姿の少年少女。
実に平和な光景だった。
「……学校ですか」
そういえば、あの少年はまだ学生だった。
尸魂界で斬魄刀を振り回していた姿からは、少々想像しにくい。
輝夜は小さく笑った。
そのとき。
一護の視線が動いた。
教室の前方。
そこに、一人の少年が立っていた。
金色の髪。
細い目。
飄々とした笑顔。
「…………」
輝夜の表情が止まった。
見覚えがある。
いや。
忘れるはずがなかった。
百年以上前。
五番隊を率いていた男。
藍染惣右介が副隊長を務めていた頃、その上官だった人物。
姿は随分と変わっている。
髪型も、服装も。
だが、あの顔を見間違えるはずがない。
左耳に、声が流れ込んできた。
転校生の自己紹介らしい。
その名を聞いた瞬間、輝夜は確信した。
平子真子。
かつての五番隊隊長。
そして、百年以上前の事件で姿を消した男。
「…………」
筆を持った右手が止まる。
「望月三席?」
同席していた隊士が顔を上げた。
「どうかなさいましたか?」
輝夜は答えなかった。
左目の向こうでは、平子真子が笑っていた。
まるで、何事もなかったかのように。
黒崎一護と同じ教室で。
「……平子、隊長?」
思わず、声が漏れた。