「……平子、隊長?」
思わず漏れた言葉に、隣の隊士が顔を上げた。
「望月三席?」
「……ああ、失礼」
望月輝夜は、左目に映る景色を眺めたまま答えた。
黒崎一護の視界。
教室の前に立つ、一人の少年。
金色の髪に、細い目。
百年前と変わらぬ、飄々とした笑顔。
「……まさか、生きていらしたとは」
「どなたか、お知り合いでも?」
「ええ。随分と昔の知り合いでしてねえ」
輝夜は、そこで接続を切った。
両目に見慣れた室内が戻ってくる。
「……観測は終了でよろしいですか?」
「はい。接続そのものには問題ありませんでした」
「では、記録をお願いします」
隊士が用紙を差し出した。
輝夜は筆を取った。
現世への接続成功。
対象は黒崎一護。
学校と思われる施設内にて観測。
視覚、聴覚ともに異常なし。
そこまで書いて、手が止まった。
「……望月三席」
「はい?」
「先ほどの平子隊長というのは、何でしょうか」
やはり、聞かれていたらしい。
無理もない。
よりにもよって、一番隊の監督役の前で口にしてしまったのだから。
「……平子真子という方をご存じですか?」
「いえ」
「百年以上前、五番隊の隊長を務めていた方です」
隊士が目を見開いた。
「……元隊長、ですか?」
「ええ。今回、黒崎一護の近くにいる姿を確認しました」
「それは……」
「大事な情報でしょうねえ」
輝夜は頷いた。
「ですので、少々お願いがありまして」
「何でしょうか」
「この件について、先に京楽隊長へご相談したいのですが」
隊士は困惑した様子だった。
「……報告先は一番隊となっておりますが」
「ええ。承知しております」
輝夜は記録用紙に目を落とした。
「もちろん、今見たものを隠すつもりはありませんよ。ただ、百年前の事情もありますので、少しばかり確認したいことがありましてねえ」
隊士は考え込んだ。
「……私の判断では、報告を止めることはできません」
「でしょうねえ」
「観測内容は記録に残します。それでもよろしければ、京楽隊長への面会を申請していただくことは可能です」
「ええ。それで構いません」
輝夜は頷いた。
「お手数をお掛けしますねえ」
その後、観測記録の残りを記入して提出した。
既に知られた情報は、もう自分一人のものではない。
それが、今までとは違うところだった。
「……さて」
輝夜は小さく息を吐いた。
「また、面倒なことになりましたねえ」
⸻
「……望月くん」
京楽春水は、目の前に座る三席を眺めていた。
「はい」
「君はどうして、ボクのところに来るたび厄介な話ばかり持ってくるんだい?」
「いやあ、俺も好きで持ってきているわけじゃないんですがねえ」
「そうかい?」
「ええ。できることなら、平穏無事に暮らしたいもので」
京楽は呆れたように笑った。
「その割には、随分と物騒な能力を持ってるじゃないか」
「生まれつきなものでしてねえ」
「便利な言葉だねえ」
輝夜は苦笑した。
八番隊の隊長室。
以前、茶渡泰虎との一件で顔を合わせたときも、京楽はこの調子だった。
もっとも、今回は旅禍の話ではない。
「……それで?」
京楽が茶を置いた。
「今度は何を見つけたんだい?」
輝夜は姿勢を正した。
「平子真子という方を、ご存じでしょうか」
京楽の動きが止まった。
「…………」
ほんのわずかな沈黙。
それから、いつもの調子で口を開く。
「……懐かしい名前だねえ」
「ええ」
「もちろん、知ってるとも」
京楽は輝夜を見た。
「それがどうかしたのかい?」
「……現世にいらっしゃいました」
「…………」
「黒崎一護の通う学校で、学生をされているようでして」
京楽は何も言わなかった。
輝夜は続けた。
「今回の観測任務で、偶然お見かけしました。お名前も確認しております」
「……平子くんが、学校にねえ」
京楽は小さく息を吐いた。
「それはまた、随分と変わったことをしているもんだ」
「まったくです」
「……望月くん」
「はい」
「見間違いじゃないんだね?」
「ええ。あの顔は忘れませんよ」
百年以上前。
まだ平子真子が五番隊を率いていた頃。
輝夜は既に三番隊の三席だった。
平子と親しくしていたわけではない。
それでも、隊長格の顔を見間違えるほど、付き合いの浅い相手ではなかった。
「……なるほどねえ」
京楽はしばらく考えていた。
「それで、君はどうしたいんだい?」
「……できれば、お話を伺いたいですねえ」
「平子くんに?」
「ええ」
輝夜は頷いた。
「百年前のことについて、少々」
京楽の目が細くなった。
「……あの事件かい」
「はい」
それだけで、十分だった。
百年前。
複数の隊長、副隊長が姿を消した事件。
その中には、当時の三番隊隊長、鳳橋楼十郎もいた。
そして、八番隊副隊長の矢胴丸リサも。
「……君も、あの頃から三席だったね」
「ええ。長いばかりが取り柄なもので」
「鳳橋くんのことは?」
「……もちろん、覚えておりますよ」
輝夜は静かに答えた。
「お世話になった隊長ですから」
京楽は頷いた。
「……そうだったねえ」
しばらく、二人とも黙っていた。
⸻
「……ところで、望月くん」
先に口を開いたのは京楽だった。
「君が平子くんに会いたい理由は、昔話をするためだけじゃないんだろう?」
「……お見通しですか」
「君の立場で、わざわざボクを訪ねてきたんだ。何かあると思うじゃないか」
輝夜は笑った。
「……藍染のことです」
京楽の表情が変わった。
「ほう」
「百年前の事件について、私は以前から疑問を抱いておりました」
藍染惣右介。
あの男が、何かを企んでいる。
そう気づいたのは、随分と昔のことだった。
だが、その全容は今でも分からない。
誰が、何をされて、どうして姿を消したのか。
輝夜が知っているのは、断片的な出来事にすぎない。
「……もし、あの事件に藍染が関わっていたのなら」
輝夜は言った。
「平子隊長も、藍染に思うところがあるのではないでしょうか」
京楽は黙って聞いている。
「もちろん、今のあの方が何を考えているかは分かりません。護廷十三隊に協力する意思があるかどうかも」
「……それで?」
「ですが、敵と決まったわけでもありませんでしょう?」
輝夜は小さく笑った。
「藍染を討つために、手を組める余地はあると思うんですよねえ」
京楽は腕を組んだ。
「……なるほど」
「敵の敵は味方、などと申し上げるつもりはありません。ただ、確認もせずに敵にしてしまうのは、少々もったいないかと」
「……君、なかなか嫌なところを突いてくるねえ」
京楽は苦笑した。
「使えるかもしれない札なら、捨てる前に確かめておきたい。そういうことかい?」
「ええ。そういうことです」
「だけどねえ、望月くん」
京楽は湯呑みを置いた。
「その札が、藍染の仕込んだ罠だったらどうする?」
「……十分にあり得る話ですねえ」
「他人事みたいに言うね」
「いえいえ。ですから、確かめたいんですよ」
輝夜は答えた。
「そのために、京楽隊長のお知恵をお借りできればと」
京楽は目を細めた。
「……なるほどねえ」
しばらくして、笑った。
「要するに、ボクにも面倒事を背負えってことだね?」
「……まあ、そうなりますかねえ」
「まったく」
京楽は大きく息を吐いた。
「困った三席だこと」
⸻
「……一つ、確認しておきたいんだけどね」
京楽は笑みを消した。
「君、この件を総隊長に報告するつもりはあるのかい?」
輝夜は少し考えた。
「……いずれは」
「いずれ、か」
「ええ。ですが、今すぐとなると少々困りまして」
「何故だい?」
「……平子隊長が、どういう立場にあるのか分からないからです」
京楽は黙っている。
「百年前の事件で、あの方々は護廷十三隊から姿を消しました。今更見つかったからといって、穏便に話が進むとも限りません」
「……まあ、そうだねえ」
「まして、藍染との関係も分からないままです」
輝夜は一度言葉を切った。
「確認する前に追手を差し向けてしまえば、協力できる相手まで失うかもしれません」
京楽は頷いた。
「それで、ボクに報告を控えろと?」
「……できれば、少しばかりお時間をいただけませんかねえ」
「……望月くん」
「はい」
「君、自分が処分保留中だってこと、忘れてない?」
「……よく覚えておりますとも」
「その割には、随分と大胆なお願いをするじゃないか」
「いやあ、我ながら驚いております」
京楽は額に手を当てた。
「……まったく」
輝夜は笑った。
だが、京楽の表情は変わらない。
「一つ、勘違いしないでほしいんだけどね」
「はい」
「ボクは、護廷十三隊の隊長だ。君が持ってきた情報を、勝手に握り潰すわけにはいかない」
「……ええ。存じております」
「それに、一番隊にはもう観測記録が残っているんだろう?」
「はい」
「なら、完全に隠すことなんてできないよ」
「……そうですねえ」
それは、輝夜自身も承知していた。
一度提出した記録は、消せない。
監督役の隊士に嘘をつかせるつもりもなかった。
「……ただ」
京楽は続けた。
「その情報をどう扱うかは、まだ決められる」
輝夜は顔を上げた。
「……と、仰いますと?」
「平子くんが現世にいた。それは一つの情報だ。でも、彼が護廷十三隊の敵かどうかは別の話だろう?」
「……ええ」
「だったら、まずはそこを確かめる。報告するにしても、少しは材料があった方がいい」
京楽は湯呑みを持ち上げた。
「一番隊には、今回の件について確認が必要だと、ボクから話を通しておこう。ただし、総隊長への報告を止められるとは約束できないよ」
輝夜は、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「礼を言うには早いって」
京楽は笑った。
「君には、もう少し働いてもらわないとねえ」
「……おや」
「平子くんの動向について、引き続き情報を集める。ただし、観測は正式な許可の下で。勝手な接触も禁止」
「……現世への派遣は?」
「君、本当に分かってて聞いてる?」
「……駄目ですかねえ」
「駄目だねえ」
即答だった。
輝夜は肩を落とした。
「……残念です」
「君を現世に出す理由なんて、今のところないだろう?」
「……ごもっともで」
京楽は楽しそうに笑った。
「それに、平子くんだって、突然君が会いに来たら驚くと思うよ」
「……でしょうねえ」
元五番隊隊長。
百年前の事件で姿を消した男。
その前に現れるのが、市丸ギンの部下だった三席。
それも、藍染の動向を長年探っていたという。
「……どう考えても怪しいですねえ」
「そうだろう?」
二人は顔を見合わせた。
輝夜は苦笑した。
どうやら、平子に会うまでには随分と時間が掛かりそうだった。
⸻
「……望月くん」
帰り際、京楽が声を掛けた。
「はい?」
「平子くんが生きていたということはね」
そこで、一度言葉が途切れた。
「……他の皆も、生きているかもしれない」
輝夜は振り返った。
京楽は窓の外を眺めていた。
「鳳橋くんも。……リサちゃんもね」
「…………」
輝夜は、すぐには答えなかった。
百年前。
突然いなくなった隊長。
その理由も分からぬまま、三番隊には別の隊長がやってきた。
やがて市丸ギンが隊を率いるようになり、随分と長い時間が過ぎた。
それでも、忘れたわけではない。
「……そうですねえ」
輝夜は頷いた。
「皆さん、お元気だといいんですが」
「……そうだね」
京楽は笑った。
いつもの、少し気の抜けた笑顔だった。
「まあ、まずは平子くんからだ」
「ええ」
「それと、望月くん」
「はい?」
「次に何か見つけたら、ちゃんと持ってきてくれるかい?」
輝夜は一瞬、目を瞬かせた。
それから、笑った。
「……ええ。もちろんですとも」
「ただし、できればもう少し平和な話にしてほしいねえ」
「善処いたします」
「……期待しないでおくよ」
京楽は苦笑した。
輝夜は深く頭を下げ、隊長室を後にした。
⸻
八番隊を出ると、空はすっかり夕暮れだった。
「……いやあ」
輝夜は大きく伸びをした。
「疲れましたねえ」
今までなら、こんな話を誰かに持ちかけることなどなかった。
知った情報は、自分だけのもの。
危険を避けるために使い、誰にも知られないようにする。
それで十分だった。
だが、今回は違う。
情報を一人で抱える代わりに、京楽春水という協力者を得た。
もっとも、信用されたわけではない。
京楽が守ろうとしているのは、輝夜個人ではなく、護廷十三隊にとっての選択肢だ。
平子真子が敵ならば、切り捨てる。
味方になるならば、利用する。
その判断を下すために、少しだけ時間を作った。
「……なるほど」
輝夜は小さく笑った。
「こういうやり方も、あるんですねえ」
藍染惣右介。
あの男を止めるには、自分一人では到底足りない。
だからこそ、使えるものは使わなければならない。
たとえ、それが百年前に姿を消した元隊長であっても。
あるいは、護廷十三隊から追われた者であっても。
まずは、敵か味方かを確かめること。
そして、できることなら。
「……手札は、多い方がいいですからねえ」
輝夜は、三番隊の隊舎へ向かって歩き始めた。
明日もまた、仕事は山ほど残っている。
それでも今日は、少しだけ。
昨日よりも、できることが増えた気がした。