魔法少女たちにハッピーエンドを   作:ドン草

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初投稿です。拙い文章ですが、ぜひ見ていってください。


春の放課後

春の風は、思っていたより少し冷たかった。

 

 俺、新井光は大学の正門を抜け、肩からずり落ちかけた鞄を掛け直した。入学式からまだ日も浅く、キャンパス内にはサークル参加を呼び掛ける先輩方と、真新しい人間関係に気を張った学生たちがあふれている。

 

「先生になりたいんです」

 

 今日の学科オリエンテーションで、自己紹介の順番が回ってきたとき、そう答えた。

 何の先生に、と担当教員に尋ねられて、「小学校の」と付け足した。小さな子どもたちと関わる仕事がしたい。何かを教えるだけでなく、分からなかったことが分かる瞬間を、一緒に喜べるような大人になりたい。思ったことをそのまま口にしたつもりだった。それなのに、教室を出てからも少しだけ胸が温かかった。

 

いつか本当に、教壇に立つ日が来る。

まだ何年も先の話だ。それでも、そんな未来を当たり前のように考えられることが、俺には嬉しかった。

 

 帰り道の商店街では、制服姿の中学生たちが菓子屋の前に集まっていた。大きな笑い声が風に乗って届く。彼らを横目に見ながら、鞄の外ポケットを探った。

 スマートフォンには、少し前に届いたメッセージが一件。

『お兄ちゃん、今日って何時に帰ってくる?』

 

 差出人は夢咲結。近所に住む、中学一年生になったばかりの女の子だ。

『もうすぐ帰るよ。どうした?』

 

返事はすぐに来た。

『数学が分かんない!!』

続けて、泣いている顔の絵文字が三つついていた。

 

思わず笑ってしまった。

『じゃあ、四時半から一緒にやろうか』

『やった! お菓子持ってくね!』

 

 画面の向こうで、結が両手を上げて喜んでいる姿が目に浮かぶ。大学に入ったからといって、近所の子に勉強を教える役目まで卒業する必要はないらしい。

それも悪くなかった。

 

 

 

「お兄ちゃん!ここのマイナス、絶対おかしい!」

 

「数字に怒っても変わらないよ」

 

「だって、マイナスにマイナスを足したら、なんでこんな数字になるの?」

 

「まず、その式は足してない。引いてる」

 

「……あっ」

 

結は問題集に目を落とし、それから気まずそうに笑った。

 

「…今の、見なかったことにして」

 

「それは無理かな」

 

「意地悪!」

 

 午後四時半。新井家の食卓には、ノートと問題集、色鉛筆、それから結が持ってきた小さな紙袋が並んでいた。

結はまだ少し大きく見える中学校の制服を着ている。結び直したばかりなのか、髪を留めるゴムも新しい。制服を着ていると、ついこの前まで小学生だったことが不思議に感じられた。

本人はその感想を嫌がるので、俺は口にしなかった。

「ほら、ここ。直線を描いてみようか」

 

俺はノートの余白に一本の線を引いた。

 

「今いる場所がマイナス3。そこから右に五つ進むと?」

 

「……2?」

 

「正解」

 

「じゃあ、左に5つなら?」

 

「マイナス8」

 

「そうそう。符号だけ覚えようとするより、何をしているか考えた方が分かりやすいでしょ」

 

「うーん……ちょっとだけ」

 

 結はそう言いつつ、さっき間違えた問題を消しゴムで丁寧に消した。もう一度式を書き直す。その手が途中で止まり、数直線を指でたどる。

 

 やがて、ぱっと顔を上げた。

 

「できた!」

 

「見せて」

 

 差し出されたノートには、途中式まできちんと書かれていた。

 

「うん、合ってる」

 

「やったあ!」

 

結は椅子に座ったまま小さく跳ねた。その様子がおかしくて、俺も笑う。

 

 こういう瞬間が好きだった。

 さっきまで眉間に皺を寄せていた子が、分かった途端に嬉しそうな顔をする。それを見ると、こちらまで何かをもらったような気持ちになる。教師という仕事の大変さを、すべて理解しているわけではない。授業をするだけで済む仕事ではないし、子どもと向き合うのは楽しいことばかりでもないだろう。

 

それでも、こんな時間を仕事にできたら、と思う。

 

「お兄ちゃん」

 

「ん?」

 

「なんか楽しそうだね」

 

「結がちゃんと問題を解けたからね」

 

「私のおかげ?」

 

「そうとも言う」

 

「じゃあ、もっと褒めていいよ!」

 そう言って結は俺の方にずいっと頭を差し出してきた。小さいころからの撫でろの合図。この子はもう少し異性との距離の取り方を学んだ方がいいんじゃないだろうか。

 

「調子に乗らない」

 

「ぷへっ」

 

差し出された頭に軽くノートの表紙で叩く。そんなコントじみたことをしてから、結が紙袋に手を伸ばした。

 

「そうだ。これ、お母さんから。大学入学おめでとう、だって」

 

中から出てきたのは、小さな焼き菓子の箱だった。

 

「わざわざありがとう。あとでお礼を言っておくよ」

「ねえ、一個食べていい?」

「…持ってきた本人が聞くことかな、それ」

 

「いいでしょ?」

 

「どうぞ」

 

結が箱を開ける。バターの香りがふわりと広がった。一つ手に取った。薄く焼かれた表面が指先でかすかに崩れる。口に入れると、さくりとした感触がした。

 

「どう? おいしい?」

 

結がこちらを見る。

 

「……うん。美味しいよ」

 

「やっぱり?これ、私も好きなんだ!」

 

結は満足そうにしてからクッキーを頬張った。

 

箱の模様に目を落とす。香りも、歯ざわりも分かる。

 

 けれど、甘いのかどうかは、分からない。

 もうずいぶん長いこと、それが当たり前だった。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「いや。結のお母さん、相変わらず選ぶのが上手だなって」

 

「でしょ!」

 結は得意そうに笑った。

 俺はもう一つ、焼き菓子を手に取った。

 

 

 宿題が終わる頃には、窓の外の日差しが少し傾いていた。

 

「はい、おしまい」

 

俺がそう言うと、結は机に突っ伏した。

 

「疲れたあ……。中学校って、なんでこんなに勉強が難しいの?」

 

「まだ始まったばかりじゃないか」

 

「それが問題なの。今からこれじゃ、三年間どうなるの?」

 

「少なくとも、三年間ずっと正負の数だけやってるわけじゃないよ」

 

「もっと難しいのが来るんでしょ?」

 

「来るね」

 

「そこは否定してよ!」

 

また笑い声が上がる。

 

 結は鞄に問題集をしまいながら、ふいに手を止めた。

「そういえば、お兄ちゃん。大学って楽しい?」

 

「まだ数日しか行ってないけど、楽しいよ」

 

「友達できた?」

 

「何人かは」

 

「…女の人は?」

 

「……どうしてそこが気になるの」

 

「別に!」

 

あまりに素早い返事だったので、光は首をかしげた。

 結は頬を膨らませ、乱暴に筆箱のファスナーを閉める。

 

「それより! お兄ちゃん、本当に先生になるんだよね?」

 

「そのつもり。今はまだ、なるための勉強を始めたところだけど」

 

「ふうん……」

 

「何、その反応」

 

「なんでもない」

 

 結は椅子から立ち上がった。

 

「でも、お兄ちゃんが先生だったら、勉強嫌いな子もちょっと好きになるかもね」

 

「そうだといいな」

 

「私だって、昔より算数好きになったし」

 

「さっき数字に怒ってた人が言う?」

 

「あれは数学!」

 

「はいはい」

 

結が鞄を背負う。そのとき、居間のテレビから短い電子音が流れた。

 

『続いて、各地の怪獣関連情報です』

 

 画面には海沿いの道路と、規制線の前に停まる緊急車両が映っていた。

 

『本日午前10時頃、沿岸部で小規模な怪獣が確認されました。現場には魔法協会の登録魔法少女が出動し、周辺住民の避難が行われました。現在、怪獣の反応は消失したと発表されています』

 

 映像が切り替わる。鮮やかな光の中に立つ白い服を着た少女の姿が一瞬だけ映った。

この世界では、怪獣も魔法少女も、絵本の中の存在ではない。

どこかで怪獣が生まれれば、ニュースになる。学校では避難訓練があり、街には避難経路を示す標識がある。子どもたちは魔法少女に憧れ、大人たちは被害の少なかった日を喜ぶ。

それは、俺が生まれたときから続く、この世界の日常だった。

 

「今日も出たんだ」

 

結がテレビを見つめる。

 

「怖いね」

 

「……うん」

 

「でも、魔法少女が来てくれたら安心だよね」

 

 すぐには答えられなかった。

 画面に映る少女は、カメラに向かって笑っていた。けれど、その腕には包帯が巻かれている。

 

「魔法少女だって、怪我をするから」

 

 俺が言うと、結はこっちを見た。

 

「そうだね……」

 

「もし避難の案内が出たら、ちゃんと逃げてね。誰かを助けに行きたくなっても、一人で無理をしないこと」

 

「分かってるよ」

 

結は一度うなずき、少し考えてから続けた。

 

「でもさ。目の前で困ってる人がいたら、放っておけないかもしれない」

 

何でもないことのように言った。

 

その横顔を見つめる。

 結は怪獣が怖くないわけではない。昔から雷が鳴れば肩をすくめるし、怖い映画を見た夜は廊下を走って通る。それでも、目の前の誰かが泣いていたら、先に手を伸ばそうとする。

 そんな子だった。

 

「だったら、なおさら」

 

 俺は静かに言った。

 

「自分のことも、ちゃんと守って」

 

「……お兄ちゃんって、たまにお母さんみたい」

 

「それは褒められてるのかな」

 

「たぶん!」

 

 結が笑う。

 俺もつられて笑った。けれど、胸の奥に残ったものまで消えるわけではなかった。

 

 

 

 結を玄関まで見送ると、外は夕暮れに差しかかっていた。

 

「暗くなる前に帰るんだよ」

 

「家、すぐそこじゃん」

 

「すぐそこでも」

 

「分かってるってば」

 

 結は数歩先まで歩いてから振り返った。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

「どうした?」

 

「今度の土曜日、子どもたちの勉強を手伝うんでしょ?」

 

「うん。地域の学習会ね」

 

「私も行っていい?」

 

「もちろん。手伝ってくれるなら助かるよ」

 

「じゃあ行く!」

 

結はそういって元気に返事をした。

 

「宿題を終わらせてからね」

 

「……それは、がんばる」

 

「じゃあ、また土曜日」

 

「うん! またね、お兄ちゃん!」

 

結は手を振って、家の方へ駆けていった。

 その背中を見ていると、結が小さかった昔のことを思い出す。

 

「……本当に、大きくなったな」

 

誰に聞かせるでもなくつぶやき、光は家の中へ戻った。

 食卓には、さっきまで結が使っていた数直線のメモが残っていた。端には、丸をつけた問題と、小さく書かれた『できた!』の文字。

 

俺はその紙を捨てずに、ノートの間へ挟んだ。

 

 

窓の外では、街灯が一つずつともり始めている。

 この街は今日も、何事もなかったように夜を迎えようとしていた。

 俺はそれを、心から嬉しく思う。

 

 大学へ通い、子どもたちに勉強を教え、結とくだらない話をして笑う。そんな明日が、明後日も、その先も続けばいい。

 ただし、俺には一つだけ、誰にも話していないことがあった。

 

この世界のことを、俺は知っている。

 

 夢咲結という少女が、やがて魔法少女になることも。

 

 その先に、どんな結末が待っているのかも。

 

 知らないふりをして、いつもの日々を過ごすことはできる。けれど、何もせずに、その結末を迎えるつもりはなかった。

 

 俺は窓の外へ目を向けた。

 さっき結が駆けていった道には、もう誰もいない。

 

 

「……今度こそ」

 声は、夜になりかけた部屋に小さく落ちた。

 

 俺の知っている物語では、春の終わりに少女の運命が動き出す。

 そして、その物語の最後で、彼女は死ぬ。

 

 その結末だけは変えると決めていた。

 

 

 

 

 

 

「っ!ゴホっ!…ゆい、大丈夫か?」

 

「………おにい…ちゃん…なんで…?」

 

 降りしきる雨の中、俺は血だらけになりながら、敵と対峙する。いつかこうなることも分かっていた。俺一人の力じゃこの世界のすべてを変えることはできないし、ただの犬死にかもしれない。

 

 けれどももし、俺が、俺だけに原作を変えられる力があるのなら

 

 どうかお願いします。

 

 彼女たちに

 

 ハッピーエンドを

 




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