アリア先生から廃部を告げられた、翌日の昼休み。
「テウス、行くぞ。我が配下を集めに行くのじゃ」
四時間目の終わりのチャイムが鳴るなり、エレーナが俺の教室に乗り込んできた。
クラスメイトたちが、慣れた様子で道を空ける。魔王が勇者を迎えに来るのは、この学校ではもはや見慣れた光景だった。
「配下って、前に断られたって言ってた奴らか?」
「うむ。あのときは、我も少々軽く誘いすぎた。今度は廃部がかかっておる。事情を話せば、あ奴らも心を入れ替えるはずじゃ」
エレーナは自信満々に胸を張った。
その自信がどこから来るのか、俺には分からない。
◇
最初に向かったのは、二年C組だった。
「ゴルド! ゴルドはおるか!」
エレーナがドアを開け放って叫ぶと、教室の奥で、山のような影がのそりと動いた。
オーガ族のゴルド。
エレーナ配下の四天王の一人で、身長は二メートルを軽く超える。腕は俺の太ももより太く、額からは二本の太い角が突き出ている。
見た目だけなら、間違いなくこの学校で一番怖い男だ。
「おー、エレーナちゃん。どしたの」
その見た目で、ゴルドはのんびりと手を振った。
手には、小さなじょうろが握られている。窓際に並んだ鉢植えに、水をやっていたらしい。
「あ、テウスくんもいるじゃん。お守りおつかれー」
「……どうも」
この一年で、すっかり顔なじみになってしまった。
エレーナが何かやらかすたびに、後始末で顔を合わせているうちに、いつの間にか「テウスくん」と呼ばれるようになっていた。
「ちゃん付けで呼ぶでない! 我は魔王ぞ!」
「はいはい。魔王様、魔王様」
ゴルドは大きな手で、エレーナの頭をぽんぽんと撫でた。
エレーナの頭が、すっぽりと手のひらに収まる。
「撫でるでない!」
「ごめんごめん。あ、飴いる?」
「……いる」
いるのかよ。
ゴルドがポケットから取り出した飴を、エレーナは不服そうな顔のまま受け取って、口に放り込んだ。
「で、どしたの。わざわざ教室まで」
「うむ。実はな、我が世界征服部が、廃部の危機なのじゃ」
エレーナは飴を転がしながら、昨日の顛末を説明した。
部員が二人しかいないこと。活動内容がはっきりしないこと。二週間以内に、それをどうにかしなければならないこと。
ゴルドは、うんうんと真剣な顔で聞いていた。
「そっかぁ。大変だねぇ」
「であろう? だからゴルド、お主、我が部に入るのじゃ」
「無理」
即答だった。
「なぜじゃ!」
「だって俺、園芸部だし。この学校、兼部できないじゃん」
ゴルドは、窓際の鉢植えを指さした。
小さな赤い花が、いくつも咲いている。
「今、マリーゴールドが見頃なんだよね。こいつら、俺がいないと枯れちゃうから」
「花と我と、どっちが大事なのじゃ!」
「えー……今は、花かなぁ」
「ゴルドぉ!」
エレーナがゴルドの腕をぽかぽかと叩く。
ゴルドはまったく痛くなさそうに、笑いながらされるがままになっていた。
……なんというか。
こいつら、本当に魔王とその配下なんだろうか。
「あ、でもさ」
ゴルドは、ふと思いついたように言った。
「部員集め、手伝えることあったら言ってよ。チラシ配るくらいならやるし。エレーナちゃんの頼みだし」
「……むう」
エレーナは口を尖らせたまま、ぷいっと顔を背けた。
「そ、それなら、最初からそう言うのじゃ」
耳の先が、ほんの少し赤い。
俺は見なかったことにした。
◇
次に向かったのは、二年A組。
四天王のもう一人、ラミア族のミラの教室だった。
「ミラ! ミラはおるか!」
「あら、エレーナ。いらっしゃい」
窓際の席で、長い髪の女子生徒が顔を上げた。
上半身は人間の少女だが、腰から下は艶やかな蛇の尾になっている。その尾を椅子の脚にくるりと巻きつけて、器用に座っていた。
「テウスくんも。いつもエレーナがお世話になってます」
「本当にな」
「我がいつ世話になったのじゃ!」
ミラは楽譜を閉じると、するすると尾を伸ばしてエレーナの前まで近づいてきた。
「今日はどうしたの? またお昼、一緒に食べたいの?」
「ち、違うのじゃ! 今日は魔王として、大事な話をしに来たのじゃ!」
「まあ。魔王として」
ミラは口元に手を当てて、くすくすと笑った。
完全に、小さい子を相手にするお姉さんの笑い方だった。
エレーナはめげずに、ゴルドにしたのと同じ説明を繰り返した。
ミラは最後まで、優しい顔で聞いていた。
「そう。廃部はかわいそうね」
「であろう! だからミラ、我が部に――」
「ごめんなさいね。私、吹奏楽部だから」
ミラは、申し訳なさそうに微笑んだ。
「来月、コンクールがあるの。私、ソロを任されてて。今、部活を抜けるわけにはいかないのよ」
「うぐっ……」
さすがのエレーナも、それには言い返せなかった。
ソロを任されている相手に、世界征服部に来いとは言えないらしい。妙なところで常識的な魔王だ。
「でも、エレーナ」
ミラは、そっとエレーナの髪を撫でた。
ゴルドのときと違って、エレーナは振り払わなかった。
「本当に困ったら、ちゃんと言うのよ? あなた、すぐ一人で抱え込むんだから」
「……か、抱え込んでなどおらん」
「はいはい」
ミラはまた、くすくすと笑った。
◇
結局その日、エレーナは学校中に散らばった配下を、片っ端から訪ねて回った。
インプ族の一年生は「えー、魔王様の部活? 楽しそう! でも僕、もう陸上部入っちゃった!」と元気に断り。
スライム族の三年生は「すまんのぅ、受験がのぅ」と、ぷるぷる震えながら頭を下げ。
ゴブリン族の双子は「エレーナ様のためなら!」と目を輝かせたあと、「あ、でも俺ら、生徒会だった」と顔を見合わせた。
誰一人として、首を縦には振らなかった。
そして誰一人として、エレーナを冷たくあしらいはしなかった。
飴をくれる者がいた。頭を撫でる者がいた。
「がんばってね」と手を振る者も、「困ったら呼んで」と言う者もいた。
「……全滅じゃ」
放課後の部室で、エレーナは机に突っ伏していた。
両手には、配下たちからもらった飴やお菓子が、山のように抱えられている。
「なぜじゃ。なぜ誰も入ってくれんのじゃ。我、魔王じゃぞ……」
机に頬をつけたまま、エレーナはぶつぶつと文句を言っている。
俺は、エレーナが抱えたお菓子の山を見た。
知っている。
エレーナに人望がないわけじゃない。むしろ逆だ。
あいつらは、エレーナのことが好きなのだ。魔王としてひれ伏すのではなく、もっと気安くて、もっと近いところで。
だからこそ、遠慮なく断るし、遠慮なく頭を撫でる。
この一年、それを横で見てきた。
……気づいていないのは、本人だけだ。
「エレーナ」
「なんじゃ」
「その飴、一個くれ」
「……やらん。これは我の戦利品じゃ」
エレーナは、お菓子の山をぎゅっと抱え込んだ。
その顔が、ほんの少しだけ嬉しそうに見えたのは、たぶん気のせいではない。
◇
二日目。
「今日は二年を攻めるのじゃ」
放課後の廊下で、エレーナが宣言した。
「同じ学年なら、我の魅力もよく伝わっておるはずじゃ」
「伝わってるのは悪名の方だと思うぞ」
「黙るのじゃ」
俺たちは二年の教室を、端から順番に回ることにした。
放課後とはいえ、まだ教室に残ってだべっている生徒はそれなりにいる。部活に入っていない暇人なら、勧誘の余地もある――というのが、エレーナの読みだった。
◇
二年A組。
「ねえ、世界征服部ってガチのやつ?」
窓際でスマホをいじっていた女子三人組が、面白そうにこちらを見た。
エレーナが勧誘の口上を述べ終えるより早く、だった。
「ガチじゃ。我らは本気で世界を――」
「え、やば。ウケる」
「写真撮っていい? 魔王と勇者のツーショ」
「ねえ勇者くん、ピースして」
「……しない」
結局、三人は写真を三枚撮ったところで満足したらしく、「がんばってー」と手を振って帰っていった。
入部の話は、最後まで一度も出なかった。
◇
二年B組。
俺のクラスだ。
「あ、勇者くんだ」
「勇者くん、どしたの?」
残っていたクラスメイトたちが、少しだけ距離のある笑顔を向けてくる。
嫌われているわけではない。ただ、親しいわけでもない。
勇者という肩書きのせいか、俺はクラスでいつも、少しだけ遠巻きにされていた。
「あー……部員を探してて」
「そうなんだ。何部?」
「……世界征服部」
空気が、すっと冷えた。
「あ、あー……そっか。うん、がんばってね」
曖昧な笑顔で、クラスメイトたちは鞄を手に取り、そそくさと教室を出ていった。
残されたのは、俺とエレーナだけだった。
「…………」
「…………テウス」
「何も言うな」
「我はまだ何も言っておらん」
「言わなくても分かる」
エレーナは、そっと俺の背中をぽんぽんと叩いた。
慰められているのが、余計につらかった。
◇
二年C組。
「お、魔王様じゃん」
教室の後ろで携帯ゲーム機をいじっていた男子生徒が、顔を上げた。
見覚えがある。いつも放課後まで教室に残って、一人でゲームをしている奴だ。
「部活の勧誘? どんな部活?」
「おお、興味があるか!」
エレーナの目が輝いた。
ここに来て、初めての好感触だった。
「我が世界征服部は、世界を征服することを目標に活動しておる!」
「へー。で、具体的には何すんの?」
「…………」
エレーナの動きが、止まった。
「……ぐ、具体的に、とは」
「いや、普段の活動。毎日何してんのかなって」
エレーナは、助けを求めるように俺を見た。
俺は、正直に答えるしかなかった。
「……部室で、だべってる」
「あとゲームをしておる」
「お菓子も食べてる」
「たまに課題をしておる」
「…………それ、俺が今やってることと何が違うの?」
男子生徒は、心底不思議そうに首を傾げた。
返す言葉が、なかった。
「まあ、俺は家でできるから。いいや」
男子生徒は、また手元のゲームに視線を落とした。
◇
結局その日、二年の教室を全部回って、入部希望者はゼロだった。
「……具体的に、何をするのか」
部室に戻ってから、エレーナはずっと、その言葉を繰り返していた。
机の上で、『世界征服活動計画書(仮)』を開いては閉じ、開いては閉じている。
「アリア先生も言ってたろ。活動内容がはっきりしないって」
「分かっておる。分かっておるのじゃが……」
エレーナは計画書をぱたんと閉じると、天井を見上げた。
「世界征服部が何をする部なのか。……我にも、まだよく分からんのじゃ」
珍しく、弱気な声だった。
「名前は気に入っておるのじゃぞ。カッコいいからの。じゃが、それだけでは、誰も入ってくれんのじゃな」
「……まあ、名前だけで入る奴は、そうそういないだろうな」
部員を集めること。
活動内容をはっきりさせること。
アリア先生が出した二つの条件は、どうやら別々の問題ではないらしかった。
何をする部なのか分からなければ、人は集まらない。
そして、それを一番分かっていないのは、部長本人だった。
「……明日は、三年を回るのじゃ」
「まだやるのか」
「当たり前じゃ。我は諦めんぞ」
そう言って、エレーナはお菓子の山から飴を一つ取り出すと、俺の方へぽいっと放った。
「受け取るがよい。今日の働きに対する報酬じゃ」
「報酬」
「うむ。配下の働きには、きちんと報いる。我が世界征服部は、福利厚生も充実しておるのじゃ」
「飴一個でか」
「文句があるなら返すのじゃ」
「……もらっとく」
受け取った飴は、イチゴ味だった。
◇
三日目。
三年の教室がある四階は、空気からして違っていた。
廊下の掲示板には、模試の日程と大学の説明会のお知らせがびっしりと貼られている。
放課後だというのに、教室に残っている生徒の多くは、黙々と参考書に向かっていた。
ページをめくる音と、シャーペンが紙を走る音だけが、静かに響いている。
「……テウス」
階段を上がりきったところで、エレーナが小声で言った。
「なんか、入りにくいのじゃ」
「お前にもそういう感覚があったんだな」
「失礼な。我とて、空気くらいは読めるのじゃ」
一年A組で教室の空気を凍らせることになるのは、この翌日のことだ。
◇
「頼もう!」
とはいえ、そこはエレーナだった。
三年A組のドアを、遠慮がちに――エレーナにしては遠慮がちに――開ける。
参考書から顔を上げた何人かの先輩たちが、一斉にこちらを見た。
その目は、どれも少しだけ血走っていた。
「……何?」
一番近くの席の男子生徒が、低い声で言った。
「わ、我は世界征服部の部長、エレーナ・フェリアである。部員を募集しておってな、その……」
「悪いけど」
男子生徒は、ペンを置きもせずに言った。
「今、それどころじゃないんだわ。来週、模試なんで」
「…………」
「あと、声。もうちょい小さめで頼む」
そう言うと、男子生徒は再び参考書に視線を落とした。
他の先輩たちも、何事もなかったかのように勉強に戻っていく。
エレーナは、そっとドアを閉めた。
「……怒られたのじゃ」
「怒られたな」
◇
三年B組も、C組も、結果は同じだった。
「受験だから」「それどころじゃない」「ごめん、今忙しい」。
どの教室でも、ほとんど目を合わせてもらえないまま、俺たちは追い返された。
最後の三年E組で、ようやく少し違う反応があった。
「お、魔王じゃん」
窓際の席で単語帳をめくっていた人間の男子生徒が、懐かしそうに笑った。
どこかで見た顔だ。
「覚えてないか? 去年の菓子パン戦争で、高等部軍の突撃隊長やってた」
「おお! お主、あのときの!」
エレーナの顔が、ぱっと明るくなった。
俺も思い出した。去年、購買に一番乗りで突っ込んでいった、あの先輩だ。
「いやー、あれは楽しかったな。後で生徒指導室で三時間説教されたけど」
「うむ! あれは我らの輝かしい戦果であった!」
「戦果って。金桃クリームパン、結局一個も買えなかっただろ」
「…………それは言わぬ約束じゃ」
先輩はけらけらと笑った。
この人なら、もしかしたら――エレーナも同じことを思ったのか、身を乗り出した。
「のう、お主。我が世界征服部に――」
「あー、ごめん」
先輩は、困ったように頭をかいた。
「誘ってくれるのは嬉しいんだけどさ。俺、推薦狙ってんだよ。今、内申にちょっとでも響きそうなことは避けたくて」
「内申に、響く……?」
「ほら。『魔王の部活』って、聞こえ的にさ。面接で突っ込まれたら説明めんどくさいし」
悪気はないのだろう。
先輩の口調は、どこまでも軽かった。
「それに、菓子パン戦争の件、まだ親に言われるんだよな。『魔王と関わるのはほどほどにしなさい』って」
「…………」
「いや、俺は楽しかったんだけどね? ほんとに。……ま、受験終わったら遊びに行くわ。がんばれよ、魔王」
先輩はひらひらと手を振ると、また単語帳に目を落とした。
◇
帰り道、エレーナはしばらく黙っていた。
夕焼けの廊下に、二人分の足音が響く。
いつもなら何かしら文句を言っているはずの魔王が、今日はやけに静かだった。
「……『魔王の部活』は、内申に響くのじゃな」
ぽつりと、エレーナが言った。
「先輩も、悪気があって言ったわけじゃないだろ」
「分かっておる。分かっておるのじゃ」
エレーナは、窓の外の夕日を見上げた。
「楽しかったと言ってくれた。それは嬉しかったのじゃ。……じゃが、楽しかっただけでは、人はついてこんのじゃな」
俺は、何も言えなかった。
勇者という肩書きで、クラスで少しだけ遠巻きにされている俺には、その気持ちが少しだけ分かる気がした。
肩書きは、自分で選んだものじゃない。
なのに、周りはいつも、肩書きの方を先に見る。
「……三日で、二年と三年、全滅か」
「残るは一年じゃな」
エレーナが、ぐっと拳を握った。
さっきまでの静けさが嘘のように、その目にはいつもの光が戻っていた。
「まだ一週間以上ある。我は諦めんぞ、テウス」
「……ああ。分かってるよ」
俺は、ポケットの中の飴を、指先で転がした。
昨日もらった、イチゴ味の報酬は、まだ食べずに取ってあった。