数日後、俺は加賀美さんと一緒に歩いていた。
「あーあ、本当に来たよな…」
加賀美さんは前を歩きながら、何度目か分からないため息をついた。その背中には、隠しきれない葛藤が張り付いている。
「俺の腕一本で止められたら良かったんだけどなぁ…」
「無理に連れてきたわけじゃないだろ。加賀美さん自身が『案内する』って言ったんだから」
「うっ…それはそうだけど」
そう。俺が「天道さんに会いたい」と言った時、加賀美さんは最終的に──渋々ながらも──俺を案内することを選んだのだ。
『あいつは一筋縄じゃいかない。でも、レイくんの熱意に免じて案内はする。ただし、俺の目の前で会わせる。何かあったら即座に俺が介入するから』
それが加賀美さんの条件だった。俺としては文句のつけようがない。
「天道さんって、今どこにいるんですか?」
「今は──」
加賀美さんは一瞬言葉を止め、嫌そうに顔をしかめた。
「──ビストロサルだ。俺のバイト先」
「バイト先?」
「そう。あいつ、最近よく店に来るんだよ。客として来るんじゃなくて、厨房勝手に使って料理作り始めるんだ。店主もそれを止めようとするけど、あいつが作る料理がうますぎて逆に黙ってる始末でさ」
「…料理上手なんですね」
「それが一番ムカつくんだよ」
加賀美さんは苦々しく呟いた。だが、その声にはどこか諦めのようなものが滲んでいる。
「でもさ、あいつの料理は本当にうまいんだ。俺、最初は『何だこいつ』って思ったけど、一度食べたら──正直、否定できなくなった」
「ふーん」
「だからってあいつの態度まで認めるわけじゃないぞ。俺は、あいつのやり方が正しいとは思ってない。ただ──」
加賀美さんは言葉を切り、空を見上げた。
「ただ、あいつが戦ってる時の姿は──確かに本物だ。それだけは認めてる」
その横顔には、悔しさと尊敬と、それから──少しの不安が混じっていた。
「レイくん、本当に会うのか?」
「会う」
即答した。俺の言葉に、加賀美さんは「はぁ…」とまたため息をついた。
「ま、後で後悔しても知らないからな」
「後悔しないさ。俺は何事も一番を目指す男だからな」
「そういうとこ、天道に似てるんだよなぁ…」
加賀美さんはぼそりと呟いた。俺には聞こえなかったふりをした。
* * *
ビストロサルは、駅から少し離れた住宅街の片隅にあった。小さな洋食店だ。暖色系の照明が窓から漏れていて、外からでも店内の温かさが伝わってくる。
「ここが、俺のバイト先だ」
加賀美さんが店の前で足を止めた。ガラス越しに中を覗くと、数人の客が食事を楽しんでいるのが見えた。カウンター席の奥──厨房の方に、一人の男が立っている。
背筋を伸ばして料理をしている。年齢は二十代半ばくらいだろうか。黒髪をきっちり整え、表情はどこか無機質だ。だが、その手つきは──美しかった。
「あの人が…」
「ああ。天道総司だ」
俺は息を呑んだ。画面越しに見た赤いライダーと、今目の前にいる男。
「あの人が、カブト…」
「表で言うなよ。ここはZECTの施設じゃないんだから」
「あ、すみません」
俺は慌てて口をつぐんだ。だが、視線は天道さんから離せなかった。
「中に入るか?」
加賀美さんが尋ねてきた。その声には、迷いと──少しだけ、心配が混じっていた。
「入ります」
俺は頷いた。ドアノブに手をかける。心臓が早鐘を打ち始めた。
会いたかった。この人に、会って話してみたかった。
ドアを開けると、温かい空気と共に料理の香りが漂ってきた。店内は落ち着いた雰囲気で、BGMのジャズが静かに流れている。
店内に入ると、料理の香りが一層強くなった。
カウンターの奥、厨房に立っていたのは間違いなく天道総司だった。画面越しに見た姿よりも、実物は──もっと存在感があった。背筋が伸びて、無駄のない動作でフライパンを振る。その一挙手一投足に、無駄がない。
天道さんはこちらに一瞥もくれなかった。まるで客の一人が入ってきた程度の関心しか示していない。
それが逆に、俺の心臓を早鐘に変えた。
「……天道」
加賀美さんが声をかけた。その声には、やっぱりどこか気まずそうな響きが混じっている。
「何だ、加賀美」
天道さんはフライパンから視線を外さずに答えた。声は低く、落ち着いていた。まるで予測していたかのような、何の驚気もない反応だ。
「連れてきたよ。この前話した──」
「ああ。リュシオルの資格者か」
フライパンの火を止め、天道さんは初めてこちらを向いた。
その目が──俺を捉えた。
真っ直ぐだった。迷いがない。何もかもを見透かすような、澄んだ瞳。俺は息を呑んだ。まるで全身をスキャンされているような気持ちになる。
(……これが、天道総司)
カブトゼクターを使う男。ZECTにも属さず、独自の判断でワームと戦う男。加賀美さんが「一筋縄じゃいかない」と言った、その本人。
俺は──
「お、おいレイくん!?」
加賀美さんの驚いた声が聞こえた。
俺は床に手をついていた。いや、正確には──土下座をしていた。
額を床に擦り付ける。アスファルトではない。きれいに磨かれた店内のフローリングだ。だが、俺にとってはこれ以上ないほど真剣な姿勢だった。
「えっ、ちょ──なにしてんの!?」
加賀美さんが慌てて声を上げる。だが、俺は顔を上げなかった。
「お願いします!!」
声を張り上げた。店の客が一斉にこちらを見た。ジャズのBGMが静かに流れる中、俺の声だけがやけに響いた。
「俺を、あなたの元で最強にしてください!!」
沈黙が降りた。
カウンターの奥で、天道さんは静かに俺を見下ろしていた。表情は変わらない。だが──その目が、ほんの少しだけ細められた気がした。
「……は?」
加賀美さんの声が上擦った。
「いや待って、レイくん。お前、何言ってんの?」
「そのままの意味だよ。俺は天道さんの下で最強を目指したい」
俺は顔を上げた。額には床の冷たさが残っている。
「俺は何でも一番を目指す男だ。スケボーだって一番を目指してる。でも──あの動画を見た時、分かったんだ」
あの映像。空中で滞空し、真っ直ぐに踵を落とすライダーキック。あの姿を見た瞬間、背筋が震えた。憧れとは違う。もっと──原始的な何かだった。
「あれが、俺の目指すべき場所だ。あの高さに届くなら、俺は何だってやる」
天道さんは黙って俺を見ていた。
加賀美さんが俺と天道さんを交互に見て、口を開閉させている。「あ……あのさ……」と言いかけて、言葉が続かない。
「……おい、天道。お前、何か言ってやれよ」
「何も言うことはない」
天道さんは淡々と答えた。
だが──その口元が、ほんの少しだけ動いた気がした。笑ったのか。呆れたのか。判別できない。
「立て」
短い言葉だった。俺は言われた通りに立ち上がった。
天道さんはカウンター越しに俺を見据えた。その視線は、さっきよりも少しだけ──深くなった。
「おばあちゃんが言っていた。『頭を下げるのは、それ相応の覚悟があるからだ』とな」
「……はい」
「お前の覚悟は、見せてもらった。だが──」
天道さんは一旦言葉を切った。
「俺は弟子を取るつもりはない。ZECTの指示に従うつもりもない。俺のやり方は俺にしかできない」
その言葉に、俺は──
「でも、天道さん」
俺は遮った。加賀美さんが「おい!」と慌てる。だが、今は止まれなかった。
「俺はZECTの指示に従えとも言ってない。ただ、あんたの背中を見たいんだ。あんたがどうやってあのキックに至ったのか、どうやって戦うのか、全部見せてほしい」
俺は真っ直ぐに天道さんの目を見た。
心臓がバクバク言っている。指先が震えている。だが──不思議と、怖くはなかった。
天道さんはしばらく俺を見ていた。無表情のまま。だが、その瞳の奥で何かが──動いた。
「……面白い」
その一言を残して、天道さんは厨房に戻った。背中を向けた。それ以上の言葉はなかった。
「え……」加賀美さんが固まっている。「え、うそ。おい天道! それで終わり!?」
返事はない。フライパンに火が灯る音だけが響いた。
フライパンに火が灯る。料理の香りが漂い始めた。
天道さんは背中を向けたまま何も言わなかった。加賀美さんが「おい天道!」と声を上げるが、反応はない。
「加賀美。うるさい」
「うるさいじゃないだろ! お前、人が土下座してんだからさ、もうちょっと真面目に──」
「真面目だ」
火を止める音。フライパンを置く硬質な音。天道さんは振り返らずに言った。
「俺は弟子を取るつもりはない。師匠になるつもりもない」
「なら──」
「だが」
天道さんは切り替えすように言った。
「背中を見せないとは言ってない」
俺は息を呑んだ。
「勝手に見ろ。俺のやり方を学ぶつもりなら、勝手について来い。ついてこれるならな」
それだけ言って、天道さんは再びフライパンに向き直った。背中だけが見える。だが──その背中は、何よりも雄弁だった。
(ついてこれるなら、か)
上等じゃないか。
俺は口角を上げた。震えるほどの興奮が指先から爪先まで走っていくのが分かった。
「はい! 師匠!!」
俺は最大限の声で答えた。
「──は?」
天道さんが初めて動きを止めた。フライパンを持ったまま、ゆっくりとこちらを向く。その眉がほんの少しだけ動いた。
「師匠じゃない。天道だ」
「いや、師匠でいいんです。俺はあんたの背中を見て最強を目指す。なら師匠以外何でもしょう」
「…だから俺は師匠じゃないと言っているんだが」
「師匠」
「……」
天道さんは無言で俺を見た。その目には何の感情も読み取れない。だが──ほんの少しだけ、その眉間の力が抜けた気がした。呆れたのか呆れられたのか分からない。
「あのさぁ…」
加賀美さんが俺の肩を掴んだ。その手は微かに震えている。いや──震えてなどいない。ガチガタに震えている。
「レイくん。お前、今自分が何したのか分かってる?」
「分かってるけど」
「分かってないよ。絶対分かってない。天道が『勝手にしろ』って言ったら、こうなるって分かってたんだよ俺は。だから悩んだんだよ。なのに──」
加賀美さんは俺の肩から手を放し、両手で頭を抱えた。
「あーあ。とんでもないことになった」
ガクガタと肩を落とす加賀美さんを見て、俺は少し申し訳ないと思った。だが──後悔はなかった。
「すいません、加賀美さん」
「謝るくらいなら最初からやるなよ…」
加賀美さんがぐしゃぐしゃと自分の髪をかき乱す。その様子を見て、俺は小さく笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「いや、加賀美さんが面白いから」
「面白くないよ! 俺、これからどうなるんだよ! 天道がまた勝手に──」
「加賀美。うるさい」
天道さんの声が飛んだ。加賀美さんがビクッとする。
「お前も勝手にしろ。俺に関わるなら、それなりの覚悟はしておけ」
その言葉に加賀美さんは一瞬固まり──それから深く、深くため息をついた。
「…もう知らない。勝手にしてくれ」
加賀美さんはカウンター席に崩れ落ちた。まるで力が抜けきったみたいに。
一方で、天道さんは再び背中を向けた。フライパンで何かを炒める音が響く。その背中は──変わらず真っ直ぐだった。
(あの背中だ)
あのライダーキックに至った背中。あの高さに届いた男の背中。俺は今、そのすぐ近くにいる。
心臓が早鐘を打っていた。だがそれは恐怖じゃない。武者震いだ。
「師匠、何作ってるんですか?」
「……」
天道さんは答えなかった。だが──フライパンの上で、何かが黄金色に焼き上がっていくのが見えた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。俺の腹が鳴った。
「……腹、減ってるんだよ」
俺は笑って言った。天道さんは何も言わなかった。
だが──ほんの少しだけ、フライパンを動かす手が丁寧になった気がした。
「あーあ。とんでもないことになった」
加賀美さんがカウンターに突っ伏しながら呟いた。