翌朝。俺は太陽が昇るのと同時に起きた。
「よっしゃあ!! 今日から始まるんだ!」
布団を跳ね上げ勢いよく立ち上がる。窓の外はまだ薄暗い。だが、俺の中ではすでに太陽が昇り切っていた。
洗顔。着替え。朝食。全部をスピードでこなして、家を飛び出した。
「待ってましたよ天道師匠!」
心の中で叫びながら、ビストロサルへ向かって走る。
数日後──俺はZECTが用意してくれたアパートで暮らすことになった。田所さん曰く「資格者にはそれなりの待遇が必要だ」とのことだ。勉強も必要だし、と。
だが、そんなことは後回しだ。俺の目的は一つ。
天道師匠の背中を見て、最強になること。
「今日は何教えてくれるかな! 料理か? 格闘か? それとも──」
「おはよう、加賀美くん!」
「うわあああっ!?」
俺の背後から声がした。振り返ると、加賀美くんが死んだ魚のような目で立っていた。手にはコンビニ袋と缶コーヒー。
「おはようございます! 加賀美さん!」
「…朝早すぎない? 太陽まだ昇りきってないよ?」
「早いもん勝ちですよ! 師匠に追いつくには、一分一秒も無駄にできないんで!」
「天道は朝は七時半まで寝るよ」
「なっ、そんなのずるい! 俺が起きてる間に修行してると思ったのに!」
「修行なんてしてないよ。ただの朝寝坊だ」
加賀美くんは缶コーヒーを一口飲み、ため息をついた。
「それに、天道は今日は店に来ないってさ。用事があるとかで」
「用事!? 何の用事ですか!」
「知らないよ。ただ『今日は休む』って一言だけだった」
ショックだった。俺は道端に膝をついた。
「そんな…師匠…」
「立てよレイくん。道端でへたり込むな。人目が悪い」
「師匠に会えないなんて…」
「あーあ。あんなの聞かせなきゃよかった」
加賀美くんが頭をかきながら苦笑いした。その顔には呆れと──ほんの少しの同情が混じっていた。
「でも、今日は俺と行動することになってるからさ。それでいいだろ?」
「加賀美さんと? どこへ?」
「ZECTの訓練。レイくんにも基礎的な戦闘訓練受けてもらうって田所さんが」
「戦闘訓練!」
血が騒いだ。これだ。これだよ。
「行きましょう! 早く!」
「ちょっと待て! 着替えてからに──」
「着替える時間も惜しいですよ!」
「なんで!?」
「師匠の背中に追いつくには時間が足りない! 一秒も無駄にできない!」
俺は加賀美くんの手を引いて走り出した。加賀美くんは「ちょっと! 俺のコンビニ弁当!」と叫んでいるが、聞こえないふりをした。
「あーあ。本当にハイテンションだなぁ…」
背後から加賀美くんの呆れた声が聞こえた。だが──その声には、少しだけ楽しそうな響きがあった。
走りながら、俺は今日の予定を頭の中で組み立てていた。
まずは基礎体力トレーニング。次は加賀美さんに戦闘の基礎を教えてもらう。午後は──
「あ、はい。田所さん」
加賀美さんの足が止まった。
俺もつられて立ち止まる。加賀美さんは携帯を耳に当てて、表情が変わっていた。さっきまでの呆れ顔が消えて、真剣な目に変わっている。
「了解しました。現場に向かいます」
電話を切る。加賀美さんは俺の方を向いた。
「レイくん、ワームが出た」
その一言で、俺の全身に電流が走った。
「ワーム!?」
「渋谷方面だ。田所さんからの連絡で、一般市民の通報が入ったらしい」
「行きましょう」
即答した。俺はもう走り出していた。
「おい待て! レイくん!」
加賀美さんが追いかけてくる。
「まだ準備が──」
「準備? 師匠はいつも準備完了で戦ってるんですか?」
「天道は別にしてだろ! お前はまだ訓練も始まってないんだから──」
「なら現場で学べばいい」
俺は振り返って言った。加賀美さんが足を止める。
「…お前、マジで言ってるのか」
「マジだ。加賀美さん、案内してくれ。俺じゃ場所も分からない」
加賀美さんは俺をじっと見た。その目には迷いと──何か、別の感情が混じっていた。
「…分かった。でも無茶するなよ。俺の指示に従え」
「了解!」
俺は敬礼してみせた。加賀美さんは「ふぅ」とため息をついて、それから走り出した。
俺も続く。
「渋谷駅の東口だ。近くの商業施設でワームが目撃された。ZECTルーパー部隊が先発してるが──」
「 一人じゃ足りない?」
「そうだ。ワームはサナギ体じゃない。成虫だ。クロックアップを使える個体かもしれない」
クロックアップ。
あの超高速の戦闘。師匠が映像の中で見せていたあの動き。成虫ワームがそれを使えるなら──
「俺のリュシオルゼクターがいるなら、やれます」
「それが分からないから訓練が必要なんだよ」
加賀美さんの声は呆れていたが、足は止まらなかった。
街を走る。人の波を抜けて、駅へ向かう道を駆ける。朝の通勤ラッシュが始まりかけている渋谷の街は、まだ何も知らない人たちで溢れていた。
道行く人々は俺たちを見ていた。走る二人組を不思議そうに、あるいは面白そうに眺めている。
だが──この街のどこかに、人間に擬態した怪物が紛れている。
「レイくん」
走りながら、加賀美さんが声を落とした。
「そのワームとまた戦うかもしれないけど、気を付けてくれ。君はまだ学生だからね」
「…あぁ」
現場に着いた時、嫌な匂いがした。
鉄と油と、焦げた何か。そして──血。
「加賀美さん」
「分かってる」
加賀美さんの声が低くなる。俺たちは商業施設の裏手に回り込んだ。そこには──
「…やっぱりな」
ZECTルーパー部隊が倒れていた。黒い装甲を着た隊員たちが、何人も地面に転がっている。動いている者はいない。
そしてその中心に──
立っていた。
テントウムシ。
最初はそう見えた。だが、それは違った。青い外殻に、黒い斑点が無数に散らばっている。頭部はテントウムシの背中を思わせる半球形で、そこから何本もの触手がうねうねと伸びている。両腕には鋭い鉤爪。その姿は──
「ワーム…」
俺は呟いた。成虫だ。間違いない。さっきスケボー場で見た奴と同じ、いやそれ以上に凶悪な姿。
ワームがこちらを向いた。触手がゆらりと揺れる。頭部の奥から何かを見つめるような視線を感じる。
「人間を吸うつもりか…!」
加賀美さんが呟く。だが彼の手には何もない。今の加賀美さんはZECTの一般隊員だ。戦う手段がない。
「加賀美さん下がってて」
「レイくん!」
「俺がやる」
俺はベルトに手をかけた。腰元のホルダーからリュシオルゼクターを取り出す。蛍型の機械が手のひらの中で淡く光った。
「行くぞ」
リュシオルゼクターをベルト中央のスロットに装填する。
【HEN-SHIN】
電子音声が響き、全身を緑色の光が包む。マスクドフォーム。全身を覆う重厚な装甲が俺の体を守る。
「…来る」
ワームが動いた。触手が一斉に俺へ向かって伸びてくる。まるで蛇のようにしなやかに、そして速い。
「っ!」
俺は横に跳んだ。触手が地面を叩き、アスファルトに亀裂が走る。あれに当たったら──
「怪力…車すら武器にするんだ」
加賀美さんの声が聞こえる。ワームは近くに停まっていた乗用車を持ち上げた。いとも簡単に。そのまま俺へ投げつけてくる。
「おいおい!」
俺は走った。飛んでくる車を避ける。背後で金属がひしゃげる音が響いた。もし直撃していたら──
「クロックアップが来る可能性もある。気を付けて!」
「分かってる!」
俺はワームに向かって駆けた。距離を詰める。だがワームは触手を鞭のように振り回し、俺の進路を塞ぐ。
鉤爪が俺を襲う。俺は腕で受け止めた。金属同士がぶつかる音が響く。だが──
「くっ…重い!」
力負けする。このワームの怪力は、前の奴より上だ。鉤爪が俺の装甲を削る。火花が散る。
「触手に気を付けて! あれに突き刺されたら体液を吸われる!」
「体液!?」
嫌な想像が頭をよぎる。だが今は集中しろ。
俺は強引にワームを押し返した。鉤爪が外れる。その隙に──
「もらった!」
俺は拳を突き出した。ワームの頭部へ。だが──
ワームの姿が消えた。
「えっ?」
視界から消えた。いや、違う。速い。速すぎて見えない。
「クロックアップ!?」
加賀美さんの叫び声。次の瞬間、俺の背中に衝撃が走った。
「ぐっ!」
地面に叩きつけられる。視界が揺れる。背中の装甲が悲鳴を上げた。
「くそ…!」
起き上がろうとした瞬間、触手が俺の足首を捕らえた。絡みつく。その先端から何か鋭いものが突き出し、装甲の隙間を探っている。
「レイくん!」
「大丈夫だ!」
俺は足を振り払った。触手が千切れる。だがワームはすぐに距離を取った。クロックアップしたまま、俺の周りを高速で回っている。
見えない。だが──気配は分かる。
「来るぞ…!」
俺は構えた。どこから来る? 上か? 横か? 下からか?
「クロックアップ…?」
俺の身体も反応していた。リュシオルゼクターが脈打つ。
「…ここを?」
「レイくん! キャストオフだ!」
加賀美さんの声が飛んだ。
「キャストオフ!?」
「今のマスクドフォームじゃクロックアップには対応できない! 装甲を捨てて軽くなるんだ!」
言われて俺は胸部を見た。リュシオルゼクターが青い光を明滅させている。ドライバーに装填されたゼクターの羽は閉じたままだ。
(回すのか……?)
分かる。不思議と指が動くべき方向を知っていた。
胸元のゼクターに手を伸ばす。指が触れた瞬間、ゼクターがほんの少しだけ熱を持った気がした。
「行くぞ──!」
ゼクターをドライバー上で180°回転させる。
パシャン──
乾いた音と共に、ゼクターの羽が開いた。閉じていた翅が左右へ展開し、中央の円形コアが強く青く発光する。節状の腹部が脈打つように光を放つ。
その光が全身の装甲に伝播していくのが分かった。各部のロックが順番に外れる感触が身体に響く。
「ボタンを──!」
加賀美さんの声。俺はドライバーのボタンを押した。
『CAST OFF!』
電子音声が夜に響き渡った。
次の瞬間──
バシュゥゥゥッ!!
全身の装甲が弾け飛んだ。
胸部、肩、腕、脚。分厚い蛍光グリーンの装甲が一斉に剥離し、八方へ弾き出される。顔を覆っていたバイザー型装甲も砕けるように外れ──
視界が変わった。
黄色い複眼の奥から世界が鮮明に見える。マスクドフォームの時とはまるで違う。軽い。身体が震えるほど軽い。
両腕のガントレットから砲身ユニットが離脱する。肩の後ろを回る感触が背中を走り、背部にスナップインした。固定される重みが腰にかかる。
ガシャン。
砲身が背部に固定され、推進器を備えたバックパック状に展開する。背中に翼のような突起が伸びた感触。
『 CHANGE LUCIOLE!』
そして──
地面で何かが再結合する音が聞こえた。
分離した装甲がアスファルトの上で集まり、一つの形になる。スケートボードの形だ。
「マジかよ……装甲がボードになるのか」
俺は軽く踏み込んだ。地を蹴る力が全然違う。マスクドフォームの時の重さが消え、足裏から地面の感触がダイレクトに伝わってくる。
(これが──ライダーフォーム)
風が吹くたびに装甲の隙間から夜気が肌に触れる。だが、それは寒さじゃない。研ぎ澄まされた感覚だ。
「来るぞ!」
加賀美さんの声。
俺はエピラクナワームへ向き直った。
視界の端で──ワームの輪郭が揺らいだ気がした。
クロックアップしている。速い。だが、さっきよりも──何かが違う。
「見える……!」
完全には見えない。だが、残像が分かる。ワームが高速で回り込んでいる軌跡が、複眼の中でぼんやりとした光の帯として捉えられる。
「加賀美さん!」
「何だ!」
「俺もやれるかも──!」