戦ってから数日が経った。
俺の日常は変わった。と言っても、表面上は何も変わっていない。朝起きて、学校に行って、放課後になればスケボー場に向かう。ただ一つ違うのは、スケボー場での練習が「天道師匠の背中を追うため」になったことだ。
「よっしゃぁ!!オーリー!!」
デッキを蹴る。板が浮く。足元に馴染む浮遊感。一週間前には出来なかった高さ。まだまだ師匠には遠いけど、少しずつ近づいている気がした。
「…ん?」
ふと、首筋がぴりりとした。
何かの視線。いや、気のせいか。俺はスケボーの練習を再開した。だが、感覚は消えない。背中に何かが張り付いているような、じっと見つめられているような──。
「…気のせいか」
俺は首を捻った。
スケボー場には俺以外に誰もいない。夕方の公園は静かだ。秋の風が頬を撫でていくだけ。だというのに、背中の感覚はずっと消えなかった。
帰り道。
スケボーで街を滑る。夕暮れの渋谷。駅前の雑踏を避けて、裏道を抜けるいつものルート。コンビニの角を曲がる。坂を下る。最後の角──。
「──」
俺はスケボーごと勢いよく角を曲がった。
そして、そこにいた。
スーツの男性。
街灯の下に立っていた。黒いスーツに、黒いネクタイ。まるで葬式か何かみたいにきっちりと整えられた身なり。だが──その佇まいは、そんな場所にいる人とは似ても似つかなかった。
背筋が伸びている。まるで鉄の芯でも入っているみたいに。手はポケットの中。顔は──こちらを向いていた。
いや。
正確には、俺を見ていた。
「…っ」
背筋に何かが走った。
あの感覚だ。さっきスケボー場で感じていた、あの視線。
この男だったのか。
「…誰だ、あんた」
俺はスケボーを止めた。足元のデッキが小さく跳ねる。男は──何も言わなかった。ただ、静かに俺を見ていた。その目は、何の感情も読み取れない。昼間の日差しみたいに明るい訳でもなく、夜の闇みたいに暗い訳でもない。ただ──そこにある。
俺は不覚にも、一歩退がった。
身体が勝手に警戒していた。この男は──何かが、違う。
「加賀美さんか田所さんに、何か?」
俺は名前を出して探りを入れた。男はわずかに口元を動かした気がした。笑ったのか。呆れたのか。それとも、ただの風で口元が動いただけか。
「…いや」
男が初めて口を開いた。
低い声だった。
落ち着いた、何の迷いもない声。
「通りすがりだ」
嘘だ。
この男は──ずっと俺を見ていた。スケボー場から、ここまで。人間が偶然通りかかるための道じゃない。俺が通るための道だ。
「嘘だろ」
俺はスケボーの上で踏ん張った。
「ずっと見てたんだろ。スケボー場からここまで」
男は──一瞬だけ、目を細めた気がした。
そして、何も答えなかった。肯定でも否定でもなく、ただ沈黙。
その沈黙が何より雄弁だった。
男は俺の警戒なんて気にする様子もなく、ひとつ頷いて距離を詰めてきた。
「おい、待てって」
「待たない」
「待てよ!」
俺がスケボーを抱えて半歩引いても、男は止まらない。スーツの裾が夕風に揺れている。整った歩幅。まるで時間通りに動く機械みたいだ。
「俺の名前は矢車想」
立ち止まったのは、俺のすぐ目の前だった。
「ZECTに所属している者だ」
「ZECT…」
その単語に、俺の肩から少しだけ力が抜けた。ZECT。加賀美さんと田所さんがいる組織。つまり──この人は、あの二人の同僚ってことか。
「リュシオルである君に、協力して欲しいことがある」
「リュシオルって……俺のことか」
「ああ。君しかいない」
矢車さんはそう言い切った。迷いがなかった。自分の言葉が正しいと、一秒たりとも疑っていないみたいな言い方だった。
「加賀美さんの知り合い、なのか?」
「加賀美? ああ、加賀美新のことか。同じ組織にいる」
矢車さんは、そのまま、頷いた
「彼はいい男だ。熱意がある。だが、今の話に彼は関係ない」
「関係ないって……」
「私の話を聞いてから判断してくれればいい」
矢車さんはポケットから手を出した。何かをするわけじゃない。ただ、まっすぐ俺を見て立っている。その立ち姿が、やけに様になっていた。
「俺の仲間が今、危険な状態だ」
静かな声だった。さっきまでの淡々とした口調とは少し違う。どこか、焦りにも似た熱が混じっていた。
「君の力を貸してくれ」
俺はスケボーを抱えたまま、矢車さんの顔を見た。
嘘をついている顔じゃなかった。冗談を言っている顔でもない。本気で、仲間のことを心配している顔だった。
「……話、聞くよ」
俺はそう言った。矢車さんは短く頷いた。