「次代の北斗神拳伝承者は、ジャギ。お前だ」
その言葉が道場に響いた瞬間、四人の時間が止まった。
最初に口を開いたのは、長兄ラオウだった。
「……師父。今、何と申された?」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
しかし、その声に込められた圧力だけで、道場の空気が張り詰める。
リュウケンは表情を変えなかった。
「聞こえなかったか。次代の伝承者はジャギだ」
「なぜだ!」
ラオウが一歩踏み出す。
「北斗神拳の力を最も備えているのは、この俺だ! 拳の威力も、技の練度も、弟たちを圧倒している!」
「それは認めている」
「ならば、なぜ!」
リュウケンは静かに答えた。
「北斗神拳は、力を誇示するためだけの拳ではない」
ラオウの眉が動く。
「力を持つ者が、必ずしも伝承者にふさわしいとは限らぬ」
「……戯言を」
ラオウの拳が震えた。
トキは黙って二人を見つめている。
そして、末弟ケンシロウは、ただジャギの顔を見ていた。
当の本人はというと。
「…………」
ぽかんと口を開けていた。
冗談だろ。
そう思った。
いや、冗談であってほしかった。
自分が伝承者?
長兄ラオウでも、次兄トキでも、ケンシロウでもなく?
この俺が?
「……ぷっ」
思わず吹き出しそうになった。
しかし、師父の目を見て、笑いを飲み込んだ。
リュウケンは本気だった。
「ジャギ。前へ出ろ」
「お、おう……」
ジャギはぎこちなく歩み出た。
三人の兄弟の視線が背中に突き刺さる。
気に入らねえ。
ラオウの怒りに満ちた目も。
トキの何かを見透かすような目も。
そして、ケンシロウの静かな目も。
何もかもが気に入らなかった。
だが。
目の前にいる師父が、確かに言ったのだ。
お前が伝承者だ、と。
その事実が、胸の奥からじわじわと熱を生み出していた。
「ジャギ」
「はい、師父」
「お前は、自分の弱さを知っているか」
「……は?」
予想外の問いだった。
「お前はラオウほどの剛力を持たぬ。トキほど技の理解が早いわけでもない。ケンシロウほど、北斗神拳の奥義を自然に身につけられるわけでもない」
「…………」
「お前自身が、それを誰よりも理解しているはずだ」
ジャギの顔から笑みが消えた。
それは、何年も言われ続けてきたことだった。
ラオウには力で敵わない。
トキには技術で敵わない。
ケンシロウには才能で敵わない。
何をするにも、誰かの後ろを歩いている。
その事実を、ジャギ自身が一番よく知っていた。
「それでも、お前は修練をやめなかった」
リュウケンは続ける。
「お前は何度打ち負かされても、相手の動きを観察した。自分の拳に足りぬものを考え、技を磨いた。時には、相手の癖を突き、意表を突くことで勝利を得ようとした」
「……それの何が悪いんです?」
思わず口を挟んだ。
「勝てばいいでしょうが。実戦で相手が待ってくれるわけでもねえ」
ラオウが睨みつける。
「卑怯者が」
「何だと、兄者!」
「やめよ!」
リュウケンの一喝が二人を制した。
師父はジャギを見据えた。
「お前のやり方には問題もある。だが、お前は自分の限界を知り、それを補うために工夫してきた。勝つために何が必要なのかを、誰よりも考えてきたのだ」
ジャギは黙った。
「北斗神拳は、伝承者の技量だけでなく、その拳を何に使うかによっても意味を変える。私は、お前にその可能性を見た」
可能性。
そんな綺麗な言葉で説明されても、実感は湧かなかった。
それでも。
伝承者に選ばれた。
この俺が。
「……へっ」
ジャギの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「そういうことかよ」
顔を上げる。
「ようやく、見る目ができたってわけだな。師父」
トキが小さく息を吐いた。
ケンシロウは、何も言わなかった。
ラオウの殺気は、ますます強くなっていた。
だが、ジャギはもう気にしなかった。
今まで何度も味わってきた屈辱。
兄弟たちに追いつけない焦り。
自分だけが認められないという怒り。
そのすべてが、今この瞬間、裏返った。
今度は俺が上だ。
ラオウが何を言おうと。
トキが何を考えようと。
ケンシロウがどれほどの才能を持っていようと。
北斗神拳の伝承者は、この俺なのだ。
「ありがたく受け取らせてもらうぜ、師父」
ジャギは深々と頭を下げた。
その姿は、礼儀正しい弟子のものだった。
だが、顔を上げたとき。
その目には、隠しきれない野心が宿っていた。