その夜、ラオウは一人で拳を振るっていた。
拳が風を裂く。
岩が砕ける。
地面が震える。
それでも、怒りは収まらなかった。
「なぜだ……!」
北斗神拳の修練に、誰よりも打ち込んできた。
己の力を鍛え上げ、技を磨き、誰にも負けぬ強さを追い求めてきた。
それなのに。
伝承者に選ばれたのは、ジャギだった。
力では自分に及ばない。
技の理解ではトキに劣る。
天賦の才ではケンシロウに及ばない。
そんな男が、北斗神拳の頂点に立つという。
「認められるものか……!」
ラオウは拳を握りしめた。
だが、彼はすぐにはジャギを倒しに行かなかった。
北斗神拳の伝承者は、師父によって選ばれた者。
その決定を覆すには、相応の理由がいる。
そして何より。
ラオウは、ジャギの実力を完全に侮っていたわけではなかった。
ジャギは確かに弱点の多い男だった。
感情に流されやすく、虚栄心が強い。
相手を見下し、余計な挑発を繰り返す。
だが、その一方で、異様なほど勝ち方に執着していた。
相手が何を得意とし、どこに隙を作るのか。
自分より強い相手を前にしたとき、どうすれば一瞬でも優位に立てるのか。
ジャギは、そうしたことばかり考えていた。
そして、その執念が、時として才能の差を埋める。
それがラオウには気に入らなかった。
「小細工で、この俺を超えられると思うなよ……ジャギ」
ラオウは夜空を見上げた。
「お前が伝承者にふさわしいかどうか。この拳で、いずれ証明させてやる」
その頃。
ジャギは自分の部屋で、酒を飲んでいた。
もちろん、修行中に許されることではない。
だが、今夜くらいはいいだろう。
「へへっ……伝承者か」
杯を傾ける。
「悪くねえ響きじゃねえか」
思い描くのは、長兄ラオウの悔しそうな顔。
次兄トキの複雑そうな表情。
そして、愚弟ケンシロウのあの落ち着き払った顔。
「……あの野郎」
ケンシロウの顔を思い出した瞬間、ジャギの笑みが消えた。
なぜ、あいつは何も言わなかったのだろう。
伝承者に選ばれたのは自分ではない。
それなのに、ケンシロウは怒りも、悔しさも、表に出さなかった。
まるで、誰が選ばれようと関係ないとでも言うように。
「気に入らねえ……」
ジャギは杯を置いた。
伝承者になった。
これで、自分は兄弟たちの頂点に立ったはずだ。
なのに。
ケンシロウのことが、頭から離れなかった。
「……まあいい」
ジャギは立ち上がった。
「そのうち、思い知らせてやる」
誰に?
何を?
自分でも、よくわかっていなかった。
ただ、これだけは確かだった。
伝承者に選ばれたからといって、ジャギの劣等感が消えたわけではない。
むしろ、今まで以上に、他人からの評価を気にするようになっていた。
自分が本当に強いのか。
自分が本当にふさわしいのか。
そんな疑問を、誰にも悟らせないために。
ジャギは、今まで以上に強くなる必要があった。
そして、そのためなら。
彼は、どんな手段でも使うつもりだった。