【TS】魔法少女は崩壊世界にただ一人 作:顔の良い魔法少女
魔法少女イクリプス・ノクティスに変身したのは二度目だ。
そこに感慨深さはない。
この力が嘘ではないことを紫月に見せられた。そのことへの安堵があった。
紫月の着替え諸々を待ち、研究棟に移動する。
東京先進大学は凪の見る限り、頭の良い人間が多い。実際、凪では太刀打ちできないレベルの試験や面接、論文審査を突破したエリートの集合体、人類の頭脳たちだ。
そんな彼らの紫月を見る眼差しは尊敬に満ち溢れている。
昔からそうだ。
外に見える部分は完璧なクール美少女だった紫月は中学・高校でも人気だった。綺麗な髪も、怜悧な瞳も、スタイルの良い肢体に、聡明な頭脳。
「唯一駄目なのは私生活でした」
「悪かったわね」
「それが良いんだよ。完璧すぎないから。いくらでも頼って」
「推定幼馴染が私を堕落させようとしてきて困るわね」
ゴミだらけの部屋にされようと、衣服や下着が散らばろうと、紫月の嫌いな虫が出て泣きつかれようと、求めてくるなら応じよう。
掃除も家事も料理もなんでもござれ。それが幼馴染で、黒瀬凪の役割だった。
紫月は大学構内にある侵食医療学科に凪を連れて行った。そこは病院としての機能もあるが、主に侵食現象による病気や怪我の研究を行っている。
「お疲れ様です、星崎教授。……彼女は? 妹さんですか?」
「そうよ」
「違うけど!?」
「名前は明かせないけど適応者よ。彼女の能力を把握したい。侵食医療学科に患者がいたでしょ? 同意済みのを何人かちょうだい」
「構いません。つい先ほど署名済みの患者が複数人きましたので。ただ、患者を使うなら私にも彼女の能力を見せて欲しい」
「口外は厳禁よ」
「当然」
患者とはいずれも致命的な侵食被害を受けた探索者たちであり、先進的な治療を受ける契約をしていた者だ。
終末時代前なら違法だった治療行為も、今では倫理観と共に形骸化している。
「国分寺ラインが突破されたそうですね」
「ええ、私も見ていたわ。で、そこにこの子もいたのよ」
「ほう。どうでしたか?」
どうでしたか? と言われても。
唐突に振られて凪は戸惑いつつも口を開く。
「やっぱり、侵食獣の対応が大変でしたね。ロストとか」
「なりたては人に近いですからね。ゾンビのような感染力はないですが人に近いものは忌避感が強くなりがちだ。返り討ちにあってロストもどきにされる患者が多い」
「はあ」
そんな雑談をしながら連れて来られた室内は静かだった。
ベッドには一人の探索者が乗せられていた。モニターに目を向けた佐々木が、まるでレストランのメニューを読み上げるような声色で告げる。
「こちらの患者は……簡単に言うとこのまま侵食が進めばロスト化の可能性が高い。既に星崎教授の医療用ナノマシンでも抑えきれない末期に近い状態だが……」
凪が患者を見下ろす。女性だった。
酷いことに手から肩、顔の一部にまで広がっている。腕に巻いた包帯の隙間に黒い紋様が浮かんでいた。
目を閉じた表情は苦悶に満ちており、凪には想像できない痛みに支配されているかのようだった。四肢や服の中にまで管が伸び、モニターが定期的に謎の数値を出している。
「……で、どうするんですか」
佐々木の眼差しは知的好奇心と疑いが見え隠れしている。
凪としてもその疑いは晴らしたいところだ。
なにより、苦しそうに呻く患者を見せられて、おめおめと帰る真似はしたくない。
「……イクリプス・ドレイン」
患者の腕を手に取って呪文を唱える。
直後、女の肢体で蠢く黒い痣や紋様が黒い粒子となって凪の手に吸い寄せられる。ジッと見つめてくる二人の教授の視線を浴びながら、凪は目を閉じた。
体内に冷水が注がれる感覚。だが胃袋には溜まらず、奥の奥に運び込まれる。
「これは……」
ガタッ、と椅子から誰かが立ち上がる音がした。
「侵食係数E値が42から19に低下。侵食反応指数が急落している……?」
佐々木がモニターを覗いて呟く。
患者の瞼を覗き、肌を触り、明確に薄れ消えていく痣や紋様に目を剥く。
「まさか、血液や細胞に浸透した侵食粒子を強制的に吸収しているのか? そんなの聞いたことが……おい、検査機器の故障じゃないだろうな」
「機械は正常よ。データを見る限り、侵食粒子そのものが消失……いえ、吸い出されたようね。あとは傷を治せば完治。腕の切断も必要ないでしょうね」
珍しくクールな美貌の口端を上げて紫月は凪を見る。
その手の中で収束する黒い粒子を握り締めると消失する。ただ、確かに自分の中に吸収され、確かな力へと変わった実感があった。
「気分は?」
「冷水って感じ」
「つまり?」
「問題ねえよ。次もいけるぜ」
凪と紫月の短いやりとりに佐々木は嫌々と首を振る。
「そんな簡単な話ではない! 星崎教授、あなたが生んだ医療用ナノマシン以上の効果、いや、これは治療ではない。まったく別の医学常識の破壊だ!!」
「……ですって。佐々木教授、細かいことはともかく他の患者も連れてきてくれる? 彼女の能力がどこまで適用可能か、何人まで吸収できるか把握したいわ」
「こちらも、ぜひお願いしたい」
紫月の進言に佐々木は強く首肯した。凪としても拒否することは特にないので二人目に挑戦する。
二人目、三人目、四人目。
侵食された場所も年齢も性別も関係なかった。
イクリプス・ドレインは等しく侵食を吸い上げた。
「これが、侵食粒子を吸収する魔法か」
それを真剣な眼差しで見つめる佐々木がメモを取る。
目覚めた患者たちが歓喜の声を上げながらも、近くでは驚愕と動揺を見せる医者や研究者たちが調査を進めている。
その光景に凪の胸中に到来するのは優越感──だけではなかった。
もちろん、気分の高揚もある。
主に後ろ暗い感情だ。先ほど佐々木に呼ばれた研究者たちが凪のことを『紫月の腰巾着』とか『無能の寄生虫』と陰口を叩いていたのを凪は知っている。
そんな連中が凪の、イクリプスの魔法とその結果に目を剥いていた。
ざまあみろ。
お前たちエリートが長年努力して積み上げた物を簡単に抜き去り、壊してやったぞ。
ここでイクリプス=黒瀬凪だと明かしたらどうなるか。
どちらが有能なのかを骨の髄まで理解させてやる。
そんなことを考えながら凪は吸収魔法を使っていた。
だけど、五人目の患者と目が合った時、そんな考えは吹き飛んだ。
「……たすけて」
小さな、細い声だった。
絶望と後悔と苦痛と焦燥と。およそ考えられる負の感情が渦巻く瞳に見上げられる。顔と胸元を覆い尽くす紋様は少女の美貌を台無しにしていた。
鏡を見ているかのようだった。
いや、実際に凪が鏡を見ていた時を思い出す。笑われて、馬鹿にされて、陰口を叩かれて、なんでもないような顔をして、ヘラヘラと効いてない振りをして。
ボロボロの家に一人で帰った時、洗面所で見た凪の顔に近かった。
「……きついよな」
目尻に浮かぶ涙を拭う。
「大丈夫だ。俺が苦痛を奪ってやるから」
何を調子に乗っているのだ、黒瀬凪。偶然手に入れたものに勘違いするな。
結局のところ凪本人が凄い訳ではない。
イクリプスの魔法が凄いのであって、凪はそれを使っているに過ぎない。
それを忘れてはならない。
腕に爪を立てながら自身に刻み込む。痛みが凪を導き、吸収を終わらせる。
「…………あ、りがと」
「良いってことよ。ゆっくり休め」
六人目。明日にでも安楽死させる予定の患者だ。全身を侵食の紋様で覆われている。
凪は魔法を使用した。
「んん!?」
慌てて手を止める。気が付くと凪の身体周囲を膨大な量の黒紫と銀の粒子が漂い、周囲にいた研究者たちが警戒色を顔に見せ、佐々木が声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「……悪い。限界だ」
直感で分かった。力の貯蔵が限界に感じた。無理やりすれば破裂する。
凪の主張に紫月は静かに頷いた。
「じゃあ検証は終了よ。ここからは他の魔法も調査するから。場所を変えるわ」
「待ってくれ! もっと吸収できないか? 他にも患者がいるんだ。君がいれば」
「佐々木教授。データ集めなら、ここまででも十分に有益な物が手に入りましたよ」
ぴしゃりと紫月が佐々木の主張を止める。
「私はあくまで彼の魔法の有用性を確認しに来ただけです。今後の患者たちの治療対応については管理局の方から連絡がいくと思います。
本格的な調査と治験対応はそれから考えてもおかしくはない筈です」
「そうか。……彼?」
「失礼します」
有無を言わさずに紫月に手を握られて凪は部屋を出た。
研究室を出た途端に、静寂が戻ってくる。
患者の声も、研究者の興奮も、ドア一枚を隔てるだけで遠ざかっていく。
「お疲れ。購買に寄る?」
何気なく掛けられた紫月の声に、いつの間にか身体が強張っていたことに凪は気づいた。
「この恰好で?」
「誰も気にしないわよ。研究者なんて変人が殆どだもの」
「確かに」
「なんで今、私を見たの? ねえ」
首を掴んでくる白衣を着こなす美人の真顔は怖いものだ。
凪の人生で学んだことの一つを再確認しながら、遠ざかる研究室を振り返る。
「……さっきの患者たちはどうなるんだ?」
「すぐに退院という訳にはいかないわね。検査して、データを取って、問題ないと判断したら元の生活に戻れるんじゃない?」
「元の、生活か……あれ、俺って元の生活に戻れるのか?」
生活と言われて、今後のことがふっと頭に浮かんだ。
今回、侵食現象が起きたのは国分寺近辺だ。そこには凪のボロ家もあった。恐らくは財産ごと侵食現象に取り込まれた可能性は高く、既に防衛局に規制されているだろう。
「これからどうやって生きていくんだ?」
今更ながら不安に凪は襲われた時だった。
「いいわよ」
立ち止まっていた凪の前にいつの間にか紫月が仁王立ちする。
天才特有の主語を省いた言葉に、見上げた凪は「え?」と首を傾げざるを得ない。そんな凡人の仕草を真似するように紫月は小首を傾げる。凪の百倍は可愛かった。
「だから私のところに住むんでしょう? もともと通い妻状態が居候に変わるだけよね。そのつもりで来たんじゃなかったの?」
「え? いや、紫月なら男に戻せるんじゃないかって。あと、会いたかったから」
「…………まあ、私なら? できないことも無いでしょうけど?」
ふいっと紫月は顔を背ける。
どういう感情なのかと顔を覗き込もうとするも身体ごと逸らされる。しばらく追いかけるも怒られる一歩手前でやめる。ホームレスは嫌なので。
「ただ、私の頭脳を持ってしても情報が足りない。けど試してみたいことは思いつく。私といれば元の姿に戻れる可能性はある。居候の理由には十分よね?」
天才の幼馴染が、そう語る。
どこか蠱惑的な笑みを浮かべて、悪魔が契約を迫るような楽し気な声音を聞かせる。
「私からは住まいと天才のサポートを。あなたは、あなたという存在から得られる研究データと家事を。これならより対等な関係でいられるでしょう?
戸籍とかは管理局に相談ね。間違いなく適応者認定はされたら元の戸籍も使えるでしょうし。なんなら私直属の適応者にしても──」
「ありがとな」
早口で話を決めていく紫月の握る手を握り返す。それで彼女は止まった。
訝し気に見下ろしてくる彼女を見上げ、凪は小さく笑った。
「なんだかんだで、俺を凪と認識してくれて。助かるよ」
「……別に、状況証拠と経験と私の頭脳が導いただけよ。それに疑いは晴れた訳じゃない。決して勘違いしないように。今の話はあなたが黒瀬凪と確信できた時の話だから」
そう言いながら紫月は瞑目し、言葉を続けた。
「それよりもあなたの魔法を見せて貰うわ」
「ああ、といってもあと使えるのって二つくらいか」
重力魔法とレーザー魔法……エネルギーの放出魔法だろうか。
少なくとも凪の主観はそんな感じだ。正確には違うのかもしれないが細かいことは学者に任せるのが一番だ。
「たぶん、今の凪って体内に内包できるエネルギーが満タンな状態だと仮定して。どこかで魔法を使って発散した方がいいわね」
「……となると?」
紫月が指さすのは研究局所有の車だ。外出するつもりらしい。
「ちょうど国分寺ラインで侵食獣が溢れて人手が欲しいらしいから。せっかくの魔法は有効活用しましょうよ」
「つまりデートのやり直しってことでいいか?」
調子に乗った凪の発言に、紫月はゆっくりと口端を緩めた。
「考え方は人それぞれね」