大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
1/
試合開始の合図弾が、空に上がった。
第63回戦車道全国高校生大会、一回戦。大洗女子学園対サンダース大学付属高校。フラッグ戦。
大洗は六輌。フラッグ車は、生徒会の38(t)。サンダースは、上限いっぱいの十輌。
「……十対六かぁ」
操縦席で、こはるが情けない声を出した。
「数では勝てません。でも、これはフラッグ戦です。向こうのフラッグ車を一輌倒せば、それで勝ちです」
伊里奈はそう答えて、ハッチから顔を出した。
先に偵察に出たのは、一年生たちのM3だった。しばらくして、無線から悲鳴のような声が飛び込んでくる。
『う、ウサギさんチーム、敵に見つかりました! 六輌もいます! 追われてます!』
『落ち着いてください。あんこうとアヒルさんが援護に向かいます』
みほの声が、落ち着いて応じる。
けれど、そのあとの報告は、どんどん悪くなっていった。援護に向かった先にも、別のシャーマンが待ち構えている。さらに三輌。フラッグ車以外の九輌が、大洗の動きを先回りするように一か所へ集まっていく。
「……なんで、こっちの動きが全部先に読まれてるの?」
千紗が、地図を握りしめた。
伊里奈は答えずに、空を見上げた。
青い空の高いところに、小さな白い粒が、ひとつ浮かんでいた。
気球だ。大洗の無線を、全部拾っている。
2/
伊里奈は、無線のスイッチに伸ばしかけた指を、止めた。
無線で言えば、それも拾われる。
「すみれ、携帯を貸してください」
「携帯? こんなときに?」
「こんなときだからです」
受け取った携帯で、空を見上げたまま短いメールを打つ。宛先は、沙織。
『雪村です。空に気球。無線を聞かれています』
送信して数十秒。返信は、思っていたよりもずっと早かった。
『みぽりんも、いま気づいたって! ここからは本当の指示はメールで送るね。無線は嘘だから、信じないで!』
伊里奈は、小さく息を吐いた。
やはり、あの子は自分でたどり着く。自分が教える必要など、初めからなかったのだ。それでも、同じものを同じ瞬間に見つけられたことが、少しだけ嬉しかった。
ほどなく、無線からみほの落ち着いた声が流れた。
『全車、マルキューハチゴーの道路を南進してください』
同時に、すみれの携帯が震える。そこに書かれていたのは、まったく違う場所だった。
「……嘘の指示で、相手を呼び寄せるんだ」
すみれが、感心したように呟いた。
無線で告げた道路に、シャーマンが二輌、姿を現す。そこに大洗の戦車はいない。――いないはずだった。
茂みの奥から、三突の太い砲身が火を吹いた。一輌の上で白旗が上がり、もう一輌は慌てて来た道を引き返していく。
『やったぞ! 大洗、先制だ!』
無線の向こうで、桃の声が弾んだ。
3/
そこから、大洗は仕掛け続けた。
『全車、百二十八高地に集結してください』
無線でそう告げておいて、本当の行き先は別にある。強豪サンダースの主力が、誰もいない高地を目指して走っていく。
大洗が探していたのは、ひとり孤立したサンダースのフラッグ車だった。
そして、それを最初に見つけたのは、偶然だった。
『こちらアヒルさん! 敵のフラッグ車と鉢合わせしました!』
先を行っていた八九式が、フラッグ車の旗を掲げたシャーマンと、真正面から鉢合わせしたのだ。八九式は、慌ててその場から逃げ出す。シャーマンが、後を追う。
「こはる、合流地点へ。全速で」
「りょーかい!」
逃げる八九式の上で、磯辺典子が、バレーのサーブのようなフォームで、発煙弾を後ろへ放り投げる。白い煙に視界を奥われたシャーマンが、そのまま大洗の待つ一点へと誘い込まれていく。
三方向から、大洗の全車が砲口を向けた。
「――撃ちます」
T-34の砲弾は、シャーマンの砲塔に当たって、弾かれた。ほかの戦車の弾も、空を切るか、装甲を掟めるだけだった。煙の中で、フラッグ車が必死に向きを変え、来た道を逃げていく。
「……決めきれなかった」
すみれが、悔しそうに記録帳を握る。
「大丈夫です。まだ、追えます」
伊里奈は、逃げていくシャーマンの背中を見つめた。
ここから先を、伊里奈は知っている。フラッグ車が助けを呼び、無線を盗み聞いていたことが、サンダースの隊長にバレる。
そして、あの人は、怒るのだ。
4/
ナオミは、ファイアフライの砲手席で、ガムを噛んでいた。
無線の向こうで、ケイが怒っている。めったにないことだった。
『――アリサ! 無線傍受なんて、そんなことしてたの!?』
『す、すみません……!』
『そんなことして勝っても、ちっとも嬉しくないわよ!』
ナオミは、黙ってガムを膨らませた。こうなると、うちの隊長は止まらない。
『――OK、全車よく聞いて! ここから先、追うのは向こうと同じ六輌だけ。フラッグ車も入れて六輌よ。残りは待機!』
九輌のうち、六輌。せっかくの数の差を、自分から捨てる。
それが、ケイの戦車道だった。無線を盗み聞いた分の、お詫びのようなものだ。
ファイアフライは、その六輌の中に入っていた。
先頭を行くのは、ケイ自身のシャーマンだった。自分が前に出て戦いたいからと、フラッグ車を引き受けなかった隊長だ。
追いついたとき、大洗の戦車は、逃げるフラッグ車を必死に追いかけていた。その最後尾に、八九式とM3が回り込んでくる。後ろを守るつもりらしい。
ナオミは、照準器を覗いた。
一発。八九式が大きく跳ね、岩にぶつかって止まる。もう一発。M3の上でも、白旗が上がる。
そのときだった。
大洗の列から、もう一輌が向きを変えた。形の違う、赤い星と、白い熊のマークを描いた戦車。
「……T-34?」
そのT-34は、追う側のシャーマンの列に、斜めから割り込んできた。走りながら、砲塔だけがぴたりと止まる。
先頭を走っていたシャーマンが、横っ腹に一発を食らって、その場に止まった。白旗。
ナオミは、ガムを噛む口を止めた。
そのT-34は、一発撃っただけで立ち止まらなかった。すぐに向きを変え、次の一輌との間に車体をこじ入れて、前を行く仲間への射線をふさいでいる。
いい腕だ、と思った。それと、いい覚悟だ。
「……悪いけど」
ナオミは、引き金を引いた。
T-34の車体が揺れ、ハッチの横で白旗がぱたりと上がる。
ナオミは、またガムを噛み始めた。いつもより、少しだけ強く噛んでいた。
5/
走行不能になったT-34のハッチから、伊里奈は遠くを見ていた。
「……一輌は、倒したよね」
こはるが、操縦席から小さく言う。
「はい。こちらが一輌多いぶん、向こうも一輌多く追ってきた。その一輌は、倒せました」
無線から、みほの声が全車に届いていた。仲間が次々と白旗を上げて、車内が泣きそうになっている。そこへ、みほは、落ち着いた声で言った。
『当てれば勝つんです。諦めたら終わりなんです』
その声を聞きながら、伊里奈は、尾根を登っていくIV号を見つけた。逃げるフラッグ車を上から狙える、ただ一つの場所へ。その後ろを、ファイアフライが追っていく。
知っている。このあと、あの二輌は、ほとんど同時に撃つ。
「……華さん」
知らず、その名前がこぼれていた。
尾根の上で、IV号が止まる。砲塔が、ゆっくりと回る。その後ろで、ファイアフライの長い砲身が、まっすぐに上を向いていた。
二つの砲声が、ほとんど同時に重なった。
煙が晴れる。尾根の上のIV号から、白旗が上がっている。
そして、そのはるか先、逃げていたサンダースのフラッグ車からも。
『サンダース大学付属高校、フラッグ車走行不能! よって、大洗女子学園の勝利!』
審判の声が、試合会場に響き渡った。
「……勝った」
千紗が、呼吸を忘れたような声で言った。
「勝った! 勝ったよ、伊里奈ちゃん!」
こはるが操縦席から飛び出してきて、伊里奈に抱きついた。すみれは記録帳に何かを書こうとして、手が震えて、うまく書けていなかった。
知っていた結末だ。それなのに、伊里奈の胸も、少しも落ち着いてくれなかった。
6/
試合のあと、ケイはみほに駆け寄って、そのまま抱きしめた。
「エキサイティン! こんな試合ができるなんて思わなかったわ!」
みほが目を白黒させている。それから、おずおずと尋ねた。
「あの……どうして、六輌しか来なかったんですか?」
「ザッツ戦車道! 戦車道は戦争じゃない。道を外れたら、戦車が泣くでしょ?」
ケイは、からりと笑ってそう答えた。それから少しだけ真面目な顔になって、無線の盗み聞きのことを詫びた。
「いえ。……同じ数で戦ってくれたから、勝てたんだと思います。そうじゃなかったら、私たちは負けていました」
「でも勝ったのはあなたたち」
ケイは、少し離れたところでうなだれているアリサの肩に、ぽんと手を置いた。
「アリサ。帰ったら、反省会よ」
「……はい」
みほの言葉に、ケイはウィンクをひとつ返した。それから、少し離れたところに立っていた伊里奈にも、手を挙げる。
「そこのT-34のあなた! ナオミが褒めてたわよ。あんな割り込み方、素人にはできないって」
ケイの後ろで、背の高い少女が、ガムを噛みながら、小さく頷いた。
伊里奈は、黙って頭を下げた。
そのときだった。
「……おばあが?」
麻子の声だった。携帯を耳に当てたまま、青い顔で立ち尽くしている。祖母が倒れて、病院に運ばれたらしい。
学園艦は、大洗の港から遠い。麻子は「泳いででも行く」と言い出し、沙織が必死に引き止めている。
伊里奈は、その光景を知っていた。そして、このあと誰が現れるのかも。
「――乗っていくといい」
静かな声だった。振り返ると、黒森峰のパンツァージャケットを着た少女が立っていた。その後ろには、試合を観に来るのに使ったらしい、黒森峰のヘリコプター。
西住まほだった。
「隊長!? どうして、こんな学校に……」
エリカが吐き出すように言う。まほは振り返らずに、短く答えた。
「これも、戦車道だ」
麻子と沙織を乗せたヘリコプターが、空へ上がっていく。みほが「ありがとう」と頭を下げても、まほは何も言わなかった。
ただ、その場を去るとき、まほの目が、一瞬だけ伊里奈をとらえた。
戦車喫茶の前で、電柱の陰から目が合ったときと同じ、静かな目だった。
伊里奈は、今度は目を逸らさなかった。ただ、小さく頭を下げた。
まほは何も言わず、エリカを連れて去っていった。
その夜。寮の部屋で、伊里奈は、一回戦のほかの試合の結果を見ていた。
黒森峰、圧勝。
そして、プラウダも。ひまわりの咲く野原で、相手校を一方的に叩きのめしたという。
小さな写真の中で、ひまわり畑を見下ろす背の高い少女がいた。
伊里奈は、しばらくその写真から目が離せなかった。