大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗)   作:ouka23

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池の底と新たな戦車

1/

病院の廊下まで、怒鳴り声が響いていた。

「……帰りましょうか……?」

優花里が、小声でささやいた。その腕を、華がそっと押さえる。

「いえ。せっかく、ここまで来たんですから」

西住みほは、病室の扉の前で、小さく息を吸った。

サンダース戦のあと、麻子は沙織と一緒に、姉の用意したヘリコプターでここへ飛んだ。みほたちが追いついたのは、そのあとだ。

扉を開けると、ベッドの上に横になった小柄な老婦人が、床に立つ麻子を叱りつけていた。倒れたばかりとは思えない、達者な口調だった。

その矛先は、すぐに入ってきたみほたちにも向いた。こんな大勢で押しかけて、と。なのに、どこか嬉しそうにも聞こえた。

帰り道。麻子は、安心したのか、沙織の肩に寄りかかって眠ってしまった。

「……おばあちゃんはね、麻子のたった一人の家族なの」

沙織が、小さな声で言った。

麻子は小さいころに、両親を亡くしている。最後に母親と会った日、二人は喧嘩をしてしまって、仲直りできないままだったのだという。

みほは、眠る麻子の横顔を見つめた。

家族。

厳しい叱り声。けれど、あの祖母は、駆けつけてくれた孫を、ただ叱りはしなかった。

みほは、自分の母のことを思い出した。最後に顔を合わせたのは、あの決勝のあとだ。何を言われたのか、何を言えなかったのか。冷たい空気だけが、今も胸の奥に残っている。

それから、さっき何も言わずにヘリコプターを貸してくれた姉のことも。

あのとき、姉の後ろに、もうひとり大洗の制服が立っていたのを、みほは覚えている。姉の目が一瞬だけその人に向いて、その人が小さく頭を下げたことも。

雪村さんは、お姉ちゃんを知っているのだろうか。

窓の外を、夕暮れの町が流れていく。その問いの答えを、みほはまだ知らない。

 

2/

翌日の昼休み。伊里奈は、格納庫の奥で、T-34の転輪を点検していた。

入り口のほうでは、あんこうチームの五人がお弁当を広げていた。一回戦の勝利のお祝いらしい。沙織の明るい声と、優花里の笑い声が、鉄の壁に跳ね返って聞こえてくる。

話は、やがて次の試合のことになり、それから、みほの昔のことになった。

伊里奈の手が、止まった。

みほの声は、静かだった。黒森峰の十連覇がかかった、去年のプラウダとの決勝。フラッグ車の車長だったこと。雨の中で、味方の戦車が川に落ちたこと。フラッグ車を降りて、仲間を助けに走ったこと。その間に、フラッグ車が撃たれたこと。

伊里奈は、工具を握ったまま動けなかった。

その試合を、伊里奈は知っている。画面の向こうでではない。あの雨の中で、T-34/85の照準器越しに。撃たないでください、と無線に言った自分の声が、耳の奥でよみがえる。

しばらくして、優花里が、きっぱりと言うのが聞こえた。仲間を助けに行ったことが、間違いのはずがない、と。

誰も、何も言わなかった。それから、みほが小さく礼を言うのが聞こえた。

伊里奈は、転輪の陰で、深く息を吐いた。

あの日、自分が言えなかった言葉を、あの子は今、ちゃんと受け取った。自分ではない誰かから。

それでいい、と思った。思おうとした。

 

3/

アンツィオ戦に向けて、練習は日ごとに厳しくなっていった。

隊長になったばかりのみほの肩には、目に見えて仕事が積み上がっていく。見かねたあんこうチームの四人が、それぞれ手分けを申し出た。作戦の相談は生徒会と、細かい段取りは華、戦車の知識は優花里、操縦の指導は麻子。沙織は、なぜか一年生たちの恋愛相談に乗っていた。

伊里奈も、副隊長として手を挙げた。

「整備の段取りは、私が見ます。自動車部さんとの連絡も」

「……いいんですか?」

「はい。直すのは、昔から好きなので」

みほが、ほっとしたように笑った。

そんなある日、華が古い書類の中から、学園艦のどこかにまだ戦車が残っているらしい記録を見つけてきた。

「というわけで! 二回戦に備えて、二度目の戦車探しを行う!」

桃の声が、格納庫の前に響いた。

次の相手は、アンツィオ高校。その先には、去年の王者が待っている。大洗には、戦車も火力も、まだまったく足りていない。

「……また、探すんだね」

こはるが、うんざりしたような、でもどこか楽しそうな声を出す。

伊里奈は、何も言わなかった。この探索で何が見つかるのか、知っているからだ。

最初に見つかったのは、戦車ではなかった。

どこかの部室の裏で、洗濯物干しの竿として使われていた、長い鉄の筒。見つけたのは麻子だった。

「……これ、砲身じゃないのか」

「長砲身です! これがあれば、IV号の火力がぐんと上がります!」

優花里が、部品に抱きつかんばかりに喜んでいる。

捜索の組を分けるとき、伊里奈は、優花里と歴女チームのほうへ声をかけた。

「……学園艦の池のほうも、見てみてください」

「池、ですか?」

「なんとなく、です。水の中なら、何年も見つからずに残っていてもおかしくないので」

優花里は首をかしげたが、エルヴィンが「水没した戦車、か。ロマンがあるな」と乗り気になって、三人で池のほうへ向かっていった。

次に見つかったのは、池の中だった。

優花里と、歴女チームのエルヴィンとカエサルが、水面から突き出た分厚い車体を見つけたという。フランスの重戦車、ルノーB1bis。泥にはまり込んだまま、何年もそこにいたらしい。

日が傾きかけたころ、みほの携帯が鳴った。沙織からだった。

『た、大変! ウサギさんチームと一緒に、船の底のほうまで探しに来たんだけど……帰り道がわかんなくなっちゃった!』

格納庫の前にいた全員が、顔を見合わせる。みほの顔が、さっと青ざめた。

伊里奈は、みほの横で口を開いた。

「西住さん。武部さんに、近くの壁に書いてある区画の番号を読んでもらってください。それと、動かずにその場で待つように、と。学園艦の通路には、区画ごとに番号が振ってあります。番号がわかれば、どのあたりにいるのか、見当がつきます」

プラウダの艦で、整備場への近道を探して何度も迷ったから、読み方は体が覚えていた。

みほが頷いて、携帯越しに沙織へ伝える。返ってきた番号を、すみれが手早く書き留めて、みほに渡した。

「……あんこうチーム、行きます!」

沙織をのぞいたIV号の四人が、船底へと駆けていく。

「私たちも行きます。手分けしたほうが早いので」

伊里奈の言葉に、こはるたちが頷いた。四人は、別の階段から船底へ降りた。

船底の通路は、思っていた以上に入り組んでいた。伊里奈は壁の区画番号をひとつずつ読みながら、沙織たちのいる番号のほうへと進んでいった。

途中の分かれ道で、あんこうチームと鉢合わせた。携帯を耳に当てていた優花里が、顔を上げる。

「エルヴィン殿からです! 八卦で占ったら、そこの角を右だそうです!」

伊里奈は、壁の番号を見た。沙織たちのいる区画は、たしかに右の先だった。

「……合っています。右です」

八卦と区画番号が、同じ方角を指していた。

角を曲がった先の古い倉庫の中で、沙織と一年生たちが、半べそをかきながら座り込んでいた。真っ先に駆け寄ったのは、みほたちだった。麻子だけは暗がりが怖いらしく、華の腕にしがみついたまま離れない。

ウサギさんチームの車長、澤梓が、あとから来た伊里奈の前でも何度も頭を下げる。

「雪村先輩、番号のこと、ありがとうございました……!」

「無事でよかったです」

伊里奈は、それだけ答えた。

一年生たちが座り込んでいた倉庫の奥には、見慣れない形の、巨大な戦車が眠っていた。

後日、その戦車を倉庫から引き上げる作業に、自動車部が駆り出された。

「ナカジマさん、そのワイヤーの掛け方だと、重心が――」

伊里奈が言いかけたときには、もう遅かった。

ポルシェティーガー。自動車部が吊り上げて運び出そうとしたところで、ワイヤーが外れ、巨大な車体が轟音とともに落ちた。

轟音のあと、しばらく誰も動けなかった。

やがて、ナカジマが落ちた車体に歩み寄り、その装甲をそっと撫でた。

「……この子は、任せてください」

「相当マニアックな気がしますよー」

ナカジマは、どこか嬉しそうにそう付け加えた。

伊里奈は、落ちたポルシェティーガーを見上げた。この戦車が走れるようになるのは、決勝の直前だ。そのときには、この四人が乗り込んでいる。

見つかった戦車は、どれもアンツィオ戦には間に合わない。それでも、格納庫の前に集まった全員の顔は明るかった。

みほが前に出て、皆に向かって話した。短い、けれどまっすぐな言葉だった。転校してきたばかりの頃、校門の前で立ち尽くしていた子と、同じ人だとは思えなかった。

 

4/

その夜、伊里奈は、部屋で一人、古い記憶をたどっていた。

プラウダの一年生だった頃のことだ。

「――次の隊長は、勝ちにこだわらないって言ってるらしいよ」

寮の廊下で、同級生がそうささやいていたのを、伊里奈は覚えている。

その年、プラウダは全国大会で聖グロリアーナに負けた。本気で勝ちを目指していた当時の隊長が泣いて悔しがり、その下の学年の上級生たちは、「楽しくやれればいい」と言った。どれだけ死に物狂いでやっても、黒森峰には勝てなかった。その挫折を知っている人たちだった。

それに、一年生のリーダーになっていたカチューシャが、真っ向から子屋を上げた。

『楽しい戦車道? 負けて楽しいわけないでしょう!』

あのときの小さな背中を、伊里奈は今でも忘れられない。何もかもが正しいとは思わなかった。けれど、あの子は一度も逃げなかった。

その子に、自分は何も言わずに背を向けてきたのだ。

伊里奈は、窓の外の暗い海を見た。アンツィオの先に、あの子がいる。

 

5/

二回戦の前、優花里はまた姿を消した。

今度の行き先は、アンツィオ高校の学園艦だった。戻ってきた優花里は、アンツィオが倹約と屋台で貯めたお金で、重戦車P40を購入したことをつかんでいた。細かいところを屋台の生徒に尋ねたら、「おめぇ通だね〜!」と感心されて、あっさり教えてもらえたらしい。

「アンツィオは、調子づかせると手強い。全員、気を引き締めてかかれ!」

作戦会議で、桃が黒板の前で声を張り上げた。

伊里奈は、そこで初めて、自分から手を挙げた。

「……逆に言えば、最初の勢いさえいなせば、崩れやすいと思います。それと、豆戦車は速いので、砲塔で追いかけるより、車体ごと向きを変えて、来る先で待ち構えたほうがいいはずです」

桃が、片眼鏡の奥で眉をひそめた。

「……なぜ、そんなことがわかる」

「秋山さんの話と、去年までの試合の記録を読みました」

嘘ではない。全部でもないけれど。

みほが、伊里奈の顔をじっと見た。それから、小さく頷いた。

「ありがとうございます、雪村さん。豆戦車への対処は、その方法でいきましょう」

翌日から、大洗の練習は対アンツィオ一色になった。

チームを二つに分けて、片方がアンツィオの役をする模擬戦だ。豆戦車の役は、足の速い車輌が受け持つ。そしてP40の役を任されたのは、T-34だった。

「p40の役なら、雪村さんの戦車がいちばん近いので」

みほにそう頼まれて、伊里奈は頷いた。

P40の役なら、どう動けばいいかはわかっている。アンチョビなら、どこに陣取り、どこで撃つか。伊里奈は、知っている限りの癖を、T-34の動きに乗せた。

何度目かの模擬戦のあと、IV号から顔を出したみほが、少し驚いたように言った。

「……雪村さんのP40、すごく手ごわかったです」

「本物は、もっと勢いがあると思います」

答えながら、伊里奈は少しだけ胸が痛んだ。知っていることを、こんな形でしか渡せない。

格納庫の裏では、カエサルが黙々と装填の練習をしていた。砲弾を抱えては込め、抱えては込める。その手つきは、日に日に速くなっていった。

あとで聞いた話では、みほはこの頃、歴女チームが一緒に暮らしている家を訪ねたらしい。イタリア語の読めるカエサルが、イタリア戦車の本を訳していたのだという。そして、アンツィオの副隊長カルパッチョが、カエサルの幼なじみだということも。

試合会場は、山と林の入り組んだ土地だった。

大洗は、T-34を入れて六輌。アンツィオの隊長車は、アンチョビのP40。それがフラッグ車だ。セモヴェンテにはカルパッチョが、豆戦車CV33にはペパロニが乗っている。伊里奈は、それを知っていた。

試合が始まると、アヒルさんチームが偵察に出た。

『こちらアヒルさん! 十字路に、セモヴェンテと豆戦車がもういます!』

先回りされている。続けて、ウサギさんチームからも、同じ車輌を見たという報告が入った。

伊里奈は、黙って無線を聞いていた。十字路の戦車の中には、本物ではないものが混じっている。精巧に描かれた、板の看板。マカロニ作戦だ。

けれど、それを自分から口にする必要はなかった。

IV号の車内で、報告された数を足すと大会で認められた数を超えてしまうことに誰かが首をかしげ、みほがその正体を見抜いた。看板だ、と全車に伝わるまで、そう時間はかからなかった。

やはり、この人たちは自分でたどり着く。伊里奈は、少しだけ笑った。

そこからは、乱戦だった。

アヒルさんチームが、ペパロニたちの豆戦車を追いかける。小さな車体は、ひっくり返されても乗員が飛び出して起こし直し、白旗を上げずにまた走り出す。

「こちら雪村。右の尾根の陰から、豆戦車がもう二輌、回り込んできます。アヒルさんチーム、側面に注意してください」

『了解! 根性で受けます!』

磯辺の返事から数秒後、伊里奈が言ったとおりの場所から、豆戦車が飛び出してきた。

「こはる、右。――そこで止めて」

「りょーかい!」

自動車部が直してくれた右の旋回は、もう遅れない。車体ごと向きを変えて待ち構えた先に、豆戦車が飛び込んでくる。砲声。豆戦車が一輌、たもとの草むらに突っ込んで、今度こそ白旗を上げた。

無線の向こうでは、ウサギさんチームがセモヴェンテに追われて逃げ回り、あんこう、カメさん、カバさんの三輌がP40と撃ち合っていた。その中で、カバさんチームの三突だけが、一輌のセモヴェンテとぶつかり合っている。無線越しに、カエサルが誰かの名前を呼ぶのが聞こえた。幼なじみ同士の、一騎打ちだった。

アヒルさんチームが豆戦車を次々と倒していくと、アンツィオの動きが変わった。残った車輌が、P40のもとへ集まっていく。

集まりきる前に、大洗が追い詰めた。

最後は、高台に上がったIV号だった。見下ろす位置から放たれた一発が、アンチョビのP40を捉える。白旗。

『アンツィオ高校、フラッグ車走行不能! よって、大洗女子学園の勝利!』

試合が終わると、アンツィオの生徒たちは、その場で大鍋と鉄板を広げ始めた。

「諸君、試合だけが戦車道じゃないぞ!」

マントを翻したアンチョビの号令で、あっという間に宴会が始まる。パスタの山に、湯気を立てる鉄板。ついさっきまで撃ち合っていた相手を、アンツィオは全力でもてなした。

少し離れたところで、カエサルが、アンツィオの制服の少女と並んで笑っていた。セモヴェンテの、カルパッチョだ。

皿を手に目を丸くしているこはるの横で、伊里奈は小さく笑った。

画面の向こうで観たときも、この宴会がいちばん好きだった。勝っても負けても、最後は一緒に食卓を囲む。こんな戦車道も、ある。

そして伊里奈は知っていた。次の相手は、勝ったあとに、こんなふうには笑ってくれない。

 

6/

二回戦、突破。

その報せは、練習試合を経て、少しずつ戦うことに慣れてきた大洗の生徒たちを、さらに勢いづかせた。

準決勝に向けた練習が始まった日、いつもの格納庫の前に、見慣れない三人が並んでいた。おかっぱ頭をそろえた、風紀委員の三人だ。

「私たち風紀委員も、B1に乗ることになりました」

先頭の園みどり子が、少し不本意そうに、けれどきっちりと告げる。その後ろには、池から引き上げられ、自動車部の手できれいに整備されたB1bisが控えていた。

「お、いいねえ」

杏が、干し芋をかじりながら手を叩いた。

「チーム名、どうする? 西住ちゃん」

急に振られて、みほが目を瞬かせる。それから、B1bisの丸みを帯びた車体を見上げて、首をかしげた。

「B1って……かもっぽくないですか?」

「じゃあ、カモで」

あっさりと決まった。そど子が「ちょっと!」と抗議しかけたが、杏はもう次の話を始めていた。

伊里奈は、思わず口元を押さえた。画面の向こうでも、こんなふうに決まったのだ。

「次は、準決勝だね!」

倉庫で、こはるが拳を突き上げる。

「相手は、去年の優勝校よ」

すみれが、記録帳に対戦表を書き写しながら言った。

プラウダ高校。

その名前を聞いた瞬間、千紗がちらりと伊里奈の顔を見た。この三人にも、自分がそこにいたことは話していない。

けれど、千紗は何も聞かなかった。

「……雪、降るかな」

それだけ言って、千紗は窓の外を見た。

伊里奈は、答えられなかった。

雪は降る。そこで大洗は包囲され、廃校のことを知り、それでも戦うことを選ぶ。

そしてそこには、あの小さな暴君がいる。

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