大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗)   作:ouka23

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撃つと言った人

1/

試合が、再開された。

「ところてん作戦、開始します!」

教会から飛び出した大洗の七輌は、穴でもフラッグ車でもなく、包囲のいちばん厚いところへ突っ込んだ。

不意を突かれたプラウダの列が、崩れる。その隙間を、七輌が一列になって押し通る。

破った。

けれど、すぐに後ろから、プラウダの本隊が追ってくる。

『――ここは、私たちが引き受けます』

無線から、柚子の声が聞こえた。生徒会の38(t)が、列を離れて、ただ一輌で追ってくる大群の前に立ちはだかる。

そこからの38(t)は、まるで別の戦車のようだった。走り回り、撃ち、また走る。T-34が二輌、白旗を上げる。さらに二輌が、履帯を切られてその場で止まる。

そして、一発の砲声で、38(t)の上にも白旗が上がった。

伊里奈は、その砲声を知っていた。二年間、すぐ隣で聞いてきた音だ。

ノンナだ。

『……私と三突で、フラッグ車を探します!それ以外の車輌は、アヒルさんチームを守ってください!』

みほの声。IV号と三突が、本隊を離れていく。

残ったのは、フラッグ車の八九式と、M3と、B1bisと、T-34。

後ろから追ってくる砲塔の中に、ひときわ長い砲身があった。

IS-2。ノンナが、乗り換えたのだ。

 

2/

38(t)の白旗が、雪原の向こうに小さく見えた。

「……生徒会の人たち、すごかったね」

こはるが、操縦桿を握ったまま言った。それから、ぐっと前を向く。

「伊里奈ちゃん。私たちも、行こうよ」

「……え?」

「プラウダに、うちらの強さ見せようよ。伊里奈ちゃんが二年間いた学校に。伊里奈ちゃんが、今はどこの誰なのか」

千紗が、照準器の横で小さく笑った。

「賛成。生徒会の人たちだけに格好つけさせるのは、ずるいし」

すみれが、記録帳を閉じた。

「記録は、あとで書くわ。今は、ちゃんと見ていたいの」

伊里奈は、三人の顔を順番に見た。それから、ゆっくりと頷いた。

「……カモさんチーム、八九式をお願いします。T-34は列を離れて、後ろの本隊を引き受けます」

『ちょ、ちょっと、一輌で!?』

そど子の声が裏返る。伊里奈は、少しだけ笑った。

「一輌じゃありません。四人です」

「こはる、列を離れて後ろへ。追ってくる本隊の、鼻先に出ます」

「……わかった」

こはるの声は、震えていなかった。

カモさんチームのB1bisが、分厚い装甲で八九式の真後ろにつく。その列から、T-34だけが離れていった。

追ってくるプラウダの車輌が、左右に分かれ始めた。

伊里奈には、その意味がわかった。両側から回り込んで、挟み込む。カチューシャのいつもの追い方だ。

「ウサギさんチーム、左から二輌来ます。B1bisの陰に入ってください。カモさんチームは、そのまま八九式の真後ろを。後ろは、私たちが引き受けます」

『は、はいっ!』

『了解よ。風紀委員の名にかけて、一歩も引かないわ』

澤梓とそど子の声が、無線から重なった。

追ってくるT-34/85の一輌が、列に食らいつこうと割り込んでくる。伊里奈は、照準器の中にその側面を捉えた。

この照準器で、この戦車を狙う日が来るとは思わなかった。

「――撃ちます」

砲声。T-34/85が雪を蹴立てて止まり、白旗を上げた。

T-34は、止まらなかった。

こはるが、雪の窪地を縫うように車体を振り、追ってくる砲塔の群れの鼻先を横切る。プラウダの車輌が、何輌もこちらに砲口を向けた。そのぶんだけ、八九式から離れていく。

「こっち見てる! いっぱい見てる!」

こはるが、半分泣きながら、半分笑いながら叫んだ。

「それでいいの!」

千紗が叫び返す。砲弾が、すぐ横の雪を吹き上げた。すみれが、閉じた記録帳を胸に抱えたまま、まっすぐ前を見ていた。

群れの中に、見覚えのある車輌番号があった。

「……あの車長、曲がるとき、必ず一拍止まります」

一年のとき、同じ補習の教室で、同じ照準器を覗いた子だ。その癖は、二年たっても変わっていなかった。

「こはる、右に振って。千紗、あの車輌が止まった瞬間を教えて」

「……今!」

砲声。T-34/76が、雪の上で白旗を上げた。

「やった!」

こはるが叫ぶ。けれど、喜ぶ暇はなかった。もう一輌が、仲間の仇とばかりに、まっすぐこちらへ突っ込んでくる。勢いに任せて、側面ががら空きになっていた。

頭に血がのぼると、まっすぐ突っ込んでしまう。プラウダの下級生がよくやる失敗だ。それをやめなさいと教えたのは、ほかでもない、自分だった。

「こはる、止めて」

二発目。その一輌も、雪煙の中で止まり、白旗を上げた。

プラウダの列が、ほんの一瞬だけ、たじろいだように見えた。

「……見せてるね、うちらの強さ」

すみれが、記録帳を抱えたまま、小さく笑った。

その後ろで、IS-2の長い砲身が、ゆっくりとこちらを向いた。

左では、M3がB1bisの陰から必死に撃ち返していた。けれど、IS-2の一発がその車体を捉え、M3の上に白旗が上がる。

ウサギさんチームの悲鳴のような声が、無線に響いた。

伊里奈は、照準器をIS-2の正面に合わせた。

「……こはる、ほんの少しだけ止まって」

T-34の76ミリでは、IS-2の正面は抜けない。わかっていた。それでも、伊里奈は引き金を引いた。

砲弾は、IS-2の砲塔の正面で火花を散らし、弾かれた。

IS-2の長い砲身が、八九式から外れ、ゆっくりとT-34のほうへ向き直る。

それでよかった。ノンナの照準を、一瞬でも八九式から引きはがせれば、それで。

「……伊里奈」

千紗が、小さく呼ぶ。

「わかっています」

――カチューシャを裏切ったあなたは、私が撃ちます。

雪原で、ノンナはそう言った。あの人は、言ったことは必ずやる。そして、外さない。走りながらでも、鼻歌まじりでも、当ててくる。二年間、すぐ隣でそれを見てきた。

だから、伊里奈は、逃げ回るのをやめた。群れの真ん中で、T-34を、IS-2の射線の正面に置いた。

逃げるつもりはなかった。あの人が撃つと決めたのなら、その一発は、自分が受けるべきだ。そしてそのぶんだけ、あの子たちがフラッグ車にたどり着く時間が稼げる。

「こはる、止まらないで。まっすぐ」

「……うん」

 

3/

IS-2の照準器の中に、赤い星が見えた。

ノンナは、息を整えた。

T-34は、逃げなかった。たった一輌で本隊の鼻先に残り、自分から正面に出てきた。まるで、ここを撃てと言わんばかりに。

「……あなたは、昔からそうでしたね」

誰にも聞こえない声で、ノンナは呟いた。

一年の春、食堂の向かいの席に座ってきた子。カチューシャのことが好きになれないと言った自分に、何も言い返さず、ただ黙って向かいに座り続けていた子。いつも少しだけ先のことを知っているような顔をして、いつも何かを止めようとして、届かずにうつむいていた子。

そして、何も言わずにいなくなった子。

あの夜の、毛布の下の小さな背中を、ノンナは忘れていない。

ノンナは、引き金を引いた。

T-34の車体が大きく揺れ、ハッチの横で白旗がぱたりと上がった。

言ったとおりに、撃った。

それで、終わりにするつもりだった。けれど、白旗の上がったT-34を見つめるノンナの胸の奥には、思っていたような晴れ晴れしさは、少しもなかった。

ノンナは、次の装填を待った。B1bisが、まだ八九式を守っている。

 

4/

走行不能のT-34の車内で、伊里奈は、無線を聞いていた。

後ろで、B1bisが最後まで八九式を守り、やがてIS-2の一発に倒れた。

そのあいだに、IV号と三突がプラウダのフラッグ車を見つけ、その護衛のKV-2を倒していた。

護衛を失ったプラウダのフラッグ車が、廃村の中を必死に逃げ回る。同じ道を、何度も何度も。

その先の雪の中に、三突が車体を埋めて待っていた。

そして、八九式の後ろでは、IS-2が最後の一発を構えていた。

二つの砲声が、ほとんど同時に雪原に響いた。

八九式は、被弾の寸前で車体をわずかにずらしていた。車体の後ろから煙を上げ、片側の履帯を失いながら、それでも白旗は上がらない。

そして、廃村では、三突に底面を撃たれたプラウダのフラッグ車から、白旗が上がっていた。

『プラウダ高校、フラッグ車走行不能! よって、大洗女子学園の勝利!』

こはるが泣きながら抱きついてくる。千紗が、すみれが、その上から覆いかぶさる。

狭い車内で、四人は、しばらくそのまま動かなかった。

 

5/

雪は、いつの間にか止んでいた。

カチューシャは、ノンナの肩に乗ったまま、みほの前に現れた。その目は、今にもこぼれそうなものを、必死でこらえていた。

みほは、包囲されたまま砲撃を続けられていたら負けていた、と言った。

カチューシャは、しばらく黙っていた。それから、ノンナの肩を、自分から降りた。

雪の上に立ち、みほを見上げる。そして、小さな手を、まっすぐに差し出した。

みほが、その手を握った。

伊里奈は、少し離れたところから、それを見ていた。画面の向こうで何度も観た場面だった。けれど、雪の冷たさも、あの小さな背中の震えも、画面には映っていなかった。

握手を終えたカチューシャが、ノンナの肩には戻らず、そのまま伊里奈のもとへ歩いてきた。

自分の足で。いつもより、ずっと低いところから。

伊里奈の前で立ち止まると、カチューシャは、腕を組んで顎を上げた。

「……謝罪、まだ聞いてないわよ」

伊里奈は、雪の上に膝をついた。カチューシャと、同じ目の高さになるように。

「一言もなしで出ていって、すみませんでした」

「それだけ?」

「……三回、止めようとして、三回とも、ちゃんと伝えられませんでした。あなたが聞いてくれないなら、聞いてもらえるまで言えばよかった。それをしないで、逃げました。すみませんでした」

カチューシャは、何も言わなかった。

雪原を、冷たい風が吹き抜けていく。

「……バカね」

やがて、カチューシャが口を開いた。

「聞かなかったのは、カチューシャよ」

伊里奈は、顔を上げた。

「あんたの言ったとおりになった。クロムウェルも、雨も、川も。全部よ。気味が悪かったわ。だから、余計に聞かなかった。聞いたら、カチューシャの戦車道が、あんたに先に決められてるみたいで、嫌だったの」

カチューシャは、そっぽを向いた。

「去年の決勝を、恥じたことは一度もないわ。ルールどおりに戦って、勝った。それは今でも変わらない」

「……はい」

「でも」

小さな声だった。

「あんたが撃たないでって言ったのを、カチューシャは、ずっと覚えてた。……それは、ほんと」

伊里奈の目の奥が、熱くなった。

カチューシャは、ふん、と鼻を鳴らして、組んでいた腕をほどいた。

「謝罪は、受け取ってあげるわ。土下座の分は、まけといてあげる。大洗の連中に頭を下げさせるのは、カチューシャが勝ったときにとっておくから」

「……はい」

「それと」

カチューシャは、まっすぐに伊里奈を見た。

「次は、聞いてあげてもいいわ。……少しだけね」

伊里奈は、笑った。泣きそうな顔で。

「次に会うときは、ちゃんと言いなさいよ。どこにいても。何も言わずにいなくなるのは、もうなしよ」

「はい。約束します」

「……ふん」

カチューシャは、くるりと背を向けた。その背中が、少しだけ震えていたのを、伊里奈は見なかったことにした。

 

6/

カチューシャがプラウダの列へ戻っていくと、入れ替わるように、ノンナが近づいてきた。

伊里奈は、立ち上がった。

「撃つと言いました」

ノンナの声は、いつもどおり静かだった。

「撃ちました」

「……はい」

「あなたが出ていった夜、カチューシャは、毛布をかぶって朝まで起きていました。泣いてはいない、と言い張っていましたが」

伊里奈は、息をのんだ。

「私は、それが許せなかった。だから、私が撃つと決めました。それで終わりにするつもりでした」

ノンナは、少しだけ視線を落とした。

「ですが、今日のあなたは、逃げませんでしたね。たった一輌で残って、自分から正面に出てきた」

「……あなたに撃たれるなら、受けるべきだと思ったので」

「そうですか」

ノンナは、一年の春、食堂でそう言ったときと同じ声で、そう言った。

それから、ほんのわずかに、口元を緩めた。

「カチューシャは、もう泣いていません。……あなたの謝罪を、受け取ったので」

「ノンナさん」

「次は、いなくなる前に、私にも一言ください。日記が、心配ごとで埋まってしまいますから」

それだけ言って、ノンナは踵を返した。遠くで、カチューシャが「ノンナ! 早く来なさいよ!」と叫んでいる。

その夜、プラウダの学園艦の寮で、ノンナは使い込んだ日記帳を開いた。

二月のページに、一行だけ書かれた文字がある。

『イリーナ、大洗へ。理由は、まだわからない』

ノンナは、今日の日付の下に、ゆっくりと書き加えた。

『イリーナ、謝罪。カチューシャ、受理。理由は、少しわかった気がする。あの子は、仲間の横で笑っていた』

 

7/

撤収のトラックを待つあいだ、伊里奈は、雪の上にひとりで立っていた。

「雪村さん」

振り返ると、みほがいた。

「試合のあとで、お話しさせてくださいって、言いましたよね」

「……はい」

みほは、しばらく雪原を見つめていた。それから、ゆっくりと言った。

「あの雨の中で、撃たないでって言ってくれた人がいたこと。ずっと、知りませんでした」

「……変えられませんでした」

「でも、言ってくれました」

みほは、伊里奈のほうを向いた。

「私、あの試合のことを、ずっと誰にも言えなかったんです。私が間違えたんだって、思っていたから。でも、あの雨の中に、私と同じことを考えていた人が、相手の戦車の中にもいた。それを知れただけで……少しだけ、救われた気がします」

伊里奈は、何も言えなかった。

「それに、今日は、変わりましたよ」

「え?」

「雪村さんが穴のことを教えてくれなかったら、私、もしかしたらあそこを通ろうとしていたかもしれません。それに、一輌で後ろを引き受けてくれた」

みほは、小さく笑った。

「全部は変えられなくても、少しは、変えられるんだと思います」

雪原の向こうで、こはるが「伊里奈ちゃーん! トラック来たよー!」と手を振っている。千紗とすみれが、その横で待っていた。

「……行きましょう、西住さん」

「はい」

二人は、並んで歩き出した。

変えられない物語は、まだ続いていく。次は、決勝。黒森峰。あの子の姉が待つ場所だ。

けれど、今日は少しだけ、変わった。

それだけで、雪の上の足取りは、思っていたよりもずっと軽かった。

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