大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
1/
格納庫の前で、ポルシェティーガーが、大きな咆き込みのような音を立てて止まった。
掃気口から、もくもくと煙が上がっている。
「……あー」
ナカジマが、頭をかいた。自動車部が徹夜続きで仕上げた試運転は、格納庫の前を一周もしないうちに終わってしまった。
杏が、干し芋をくわえたまま、しみじみとその巨体を見上げる。戦車と呼ぶのも、ちょっとどうかという顔だった。
伊里奈は、煙を上げるポルシェティーガーを見つめた。
知っている。この戦車は、決勝の大事な場面で、仲間に引っ張られて坂を登り、そして最後に、自分の車体で道を塞ぐ。
「……それでも、この子、乗るよ」
ナカジマが、煙の向こうで笑った。
「私たち自動車部で。こんなに手のかかる子、ほかの人には任せられないでしょ」
そうして、自動車部の四人は、レオポンさんチームになった。
操縦手のツチヤが「これでドリフトしてみたい」と言い出し、スズキが「戦車でそれは無理でしょ」と呆れ、ナカジマが「条件さえそろえば、できなくはないよ」と大真面目に理屈を説明し始める。
こはるが、その話に目を輝かせていた。
2/
決勝の相手は、黒森峰。車輌の上限は、二十輌。
「黒森峰は、必ず二十輌そろえてきます」
作戦会議で、みほはそう言った。誰も、それを疑わなかった。
大洗は、今のところ七輌。そこに、動くかどうか怪しいポルシェティーガーが一輌。
「ほかの部から、予算を少しずつ寄付してもらえたんだけどね」
杏が、のんびりと言う。
「戦車を一輌まるごと買うのは、ちょっと無理かなー」
そこで、大洗は町へ出た。
風紀委員の三人が、くろがね四起で拡声器を叩きながら町を回り、一年生たちが足で学園艦中を尋ね歩く。どこかに、まだ戦車はないか。乗ってくれる人はいないか。
そのあいだに、杏が、大きな木箱を格納庫に運び込ませた。
「じゃーん。ヘッツァー改造キット」
38(t)を、低くて丈夫な駆逐戦車に作り変えるための部品だという。桃が「それより、IV号にシュルツェンを付けたほうが」と口を挑む。IV号には、その増加装甲も付けられることになった。
そのときだった。
格納庫の入り口で、背の高い少女が、もじもじと立ち尽くしていた。猫耳のカチューシャに、分厚い眼鏡。
「あ、あの……せ、戦車道、入れてもらえませんか……」
猫田。ネットでは、ねこにゃーと名乗っている子だ。
みほは、ぱっと顔を輝かせて、それから、困ったように眉を下げた。乗ってもらう戦車が、もうないのだ。
「……あの戦車じゃ、だめなんですか?」
ねこにゃーが、きょとんとした顔で、駐車場のほうを指さした。
そこには、一輌の戦車が、当たり前のような顔で停まっていた。
三式中戦車。
「ずっとそこにあったけど、誰も乗らないから、使えないんだと思ってた」
その場にいた全員が、言葉を失った。
伊里奈は、笑いをこらえるのに必死だった。画面の向こうで観たときも、ここで吹き出したのだ。
猫田は、その場で携帯を取り出した。ネットの戦車ゲームで一緒に遊んでいる仲間がいるらしい。顔を合わせるのは、これが初めてだという。
そうして、アリクイさんチームが生まれた。
伊里奈は、三式を囲んではしゃぐ三人を見ていた。
この子たちは、ほとんど練習できないまま決勝に出る。そして、試合が始まってすぐ、IV号の盾になる。変えようとすれば、後退の仕方を教えることはできる。けれど、その後退がなければ、IV号はもう少しで、エリカに撃たれていた。
伊里奈は、何も言わなかった。
3/
その荷物が届いたのは、決勝の三日前だった。
青森の港から、大洗の学園艦へ。クレーンで吊り下ろされたのは、人の背丈よりもずっと長い、細長い木箱だった。
「……宛先、『大洗女子学園 戦車道 T-34御中』だって」
すみれが、伝票を読み上げて首をかしげた。
「差出人は……『暴君』と『ブリザード』。……何これ、天気予報?」
伊里奈は、息を止めた。
地吹雪のカチューシャ。ブリザードのノンナ。戦車道をやっている人なら、一度は耳にしたことのある異名だ。名前は書かなくても、わかる人には一目でわかる。それを承知で、あの二人はこう書いたのだ。
「地吹雪とブリザード……!」
通りかかった優花里が、伝票をのぞき込んで目を丸くした。
「プラウダの隊長と副隊長の異名じゃないですか! どうして、こんな……」
伊里奈は、慌てて人差し指を唇に当てた。優花里ははっとして、それから、小さく敬礼した。
「……了解です。秋山優花里、何も見ていません」
そう言って、優花里は嬉しそうに去っていった。
自動車部が、バールで蓋を開ける。おがくずの中から現れたのは、油を引いて鈍く光る、一本の長い砲身だった。
「……八十五ミリだ」
ナカジマが、感心したように口笛を吹いた。
千紗が、砲身の下に挑まっていた一枚のカードを拾い上げた。
そこには、二つの筆跡があった。
ひとつは、紙からはみ出しそうな、大きくて勢いのある字。
『カチューシャより下の戦車で、黒森峰に負けたら許さないわよ』
もうひとつは、その下に小さく添えられた、美しいキリル文字だった。
『Удачи』
「……これ、なんて読むの?」
こはるが、カードをのぞき込んで尋ねた。
伊里奈は、しばらく答えられなかった。
「……ウダーチ。幸運を、という意味です」
やっとそれだけ言うと、伊里奈は、カードをそっと胸ポケットにしまった。
「……プラウダの人たち、なんだね」
「……寒いところの、知り合いです」
こはるは、伊里奈の顔をじっと見て、それから、にっこりと笑った。それ以上は、何も聞かなかった。
ナカジマが、砲身とT-34の砲塔を見比べて、腕を組んだ。
「この砲塔に八十五ミリを載せるのは、普通は無理なんだけどね。ちょっと狭いし」
「……だめ、ですか」
「ううん」
ナカジマは、油だらけの手で砲塔の赤い星を軽く叩いた。
「一晩あれば、なんとかしてみせるよ。この星も、ちゃんと残してね」
4/
その夜、倉庫では、自動車部の火花が朝まで止まらなかった。
伊里奈は、部屋に帰らずに、その視線を立ち会っていた。工具を渡し、砲塔の内側を照らし、ときどき、胸ポケットのカードに触れる。
カチューシャは、一言も寄こせとは言っていない。ノンナも。宛名にも、自分の名前はない。それでも、この砲身が誰のために送られてきたのかは、わかりすぎるほどわかった。
こんな展開は、画面のどこにもなかった。
自分がそこにいたから、届いたものだ。
明け方、ナカジマが、あくびをしながら親指を立てた。
「できたよ。――まあ、元の形は、ちょっと変わっちゃったけどね」
朝日の中に、一回り太くなった砲身を備えたT-34が、静かに座っていた。その砲塔の横では、赤い星と白い熊が、変わらず並んでいる。
「……ありがとうございます」
伊里奈は、深く頭を下げた。
そして心の中で、北の海の二人にも、同じように頭を下げた。
5/
決勝の前日は、不思議と穏やかだった。
麻子は、退院した祖母が握ってくれたというおにぎりを、むっつりとした顔で配っていた。祖母は、決勝を観に富士の麓まで来るつもりらしい。麻子はそれが恥ずかしいようで、でも、少しだけ嬉しそうだった。
華は、花の展示会に、戦車を思わせる力強い作品を出した。それを見た母親が、華が自分だけの花を見つけたことを認めてくれたのだという。華は、その話をしながら、少しだけ目元を拭っていた。
その夜。大洗のあちこちで、皆がカツを食べていた。「勝つ」にかけて。
みほの部屋では、あんこうチームの五人が卓を囲んでいた。沙織が、アマチュア無線の二級に合格したと発表して、皆を驚かせたらしい。
生徒会の三人は、行きつけの店でカツをつつきながら、明日、笑うか泣くかが決まる、と話していたという。
伊里奈たち四人は、倉庫で、こはるが買ってきたカツサンドを分け合っていた。太くなった砲身の下で。
「……明日で、最後なんだね」
こはるが、カツサンドを両手で持ったまま、ぽつりと言った。
「勝ったら、学校は残る。負けたら、なくなる。この倉庫も、この戦車を見つけたあの日も、全部」
「……なくならないわよ」
すみれが言った。
「記録に残っているものは、なくならない。それに、勝つんでしょう」
千紗が、黙って頷く。
伊里奈は、三人の顔を見た。
知っている。大洗は、勝つ。そして、そのあとに、もう一度、この学校がなくなりかける日が来ることも。
けれど、それは、まだ言えない。
「……勝ちましょう」
伊里奈は、それだけ言った。四人は、太くなった砲身の下で、笑い合った。
翌日の未明、大洗の九輌の戦車は、貨物列車に積まれて、富士の麓へ向かった。
その中に、一輌だけ、太い砲身と赤い星を持つ戦車があった。