大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗)   作:ouka23

16 / 17
もくもく

1/

東富士演習場。

戦車道の聖地と呼ばれる富士の麓は、朝から人であふれていた。

大洗の戦車は、前の晩に貨車で運ばれてきた。荷台から降ろされた九輌が、陣地の草の上に並んでいる。IV号、ヘッツァー、八九式、三突、M3、B1bis、ポルシェティーガー、三式。そして、くすんだ緑の車体に赤い星と白い熊を描いた、T-34。

第六十三回戦車道全国高校生大会、決勝。大洗女子学園対黒森峰女学園。

試合前の大洗の陣地には、思いがけない客が次々と訪れた。

最初に現れたのは、紅茶のカップを手にしたダージリンと、オレンジペコだった。続いて、ケイがアリサとナオミを引き連れて、大きく手を振りながらやってくる。

「Hey、ミホ! 応援に来たわよ! 今日は思いっきりエキサイティングな試合を見せてね!」

「……なんで私たちが、負けた相手の応援なんか」

アリサがぶつぶつ言い、ナオミが黙ってガムを噛んでいる。ケイは気にした様子もなく、T-34のほうへ目をやった。

「That's cool! 砲身、変わってない?」

伊里奈は、答えに困って、曖昧に頭を下げた。

そして、雪もないのに、あの小さな暴君が、背の高い副隊長の肩に乗って現れた。

「ミホーシャ!」

カチューシャは、ノンナの肩の上から、胸を張ってみほを呼んだ。みほが、きょとんと目を瞬かせる。

「カチューシャを負かしたんだから、黒森峰なんかに負けたら承知しないわよ!」

それから、カチューシャの目が、ちらりと大洗の戦車の列をなぞった。

赤い星と白い熊。その砲塔から、一回り太くなった砲身が伸びている。

「……ふん。ずいぶん立派な砲身じゃない。どこで手に入れたのかしらね」

それは、伊里奈のほうを一度も見ないままの台詞だった。

伊里奈は、笑いをこらえて、深く頭を下げた。

「……寒いところの、親切な人からです」

「へえ。物好きな人もいたものね」

カチューシャは、つんとそっぽを向いた。その下で、ノンナが、ほんのわずかに口元を緩めていた。

「じゃあね〜ピロシキ〜」

去っていく二人を見送っていると、いつのまにか、ダージリンが伊里奈の隣に立っていた。

「不思議なことね。負かした相手が、皆、応援に来るなんて」

ダージリンは、カップの紅茶を一口含んだ。

「西住さんには、そういう力があるのよ。――それと、あなたにも、ね」

伊里奈は、何も答えられなかった。ダージリンは、それで満足したように、小さく微笑んで去っていった。

―――

大洗の陣地では、それぞれのチームが、それぞれのやり方で、試合前の時間をやり過ごしていた。

「お、落ち着け! 落ち着くんだ! 決勝だぞ、決勝!」

桃が、誰よりも落ち着かない声で、行ったり来たりしている。

「桃ちゃん、それ、もう五回目だよ」

柚子が、苦笑しながら水筒を差し出した。その横で、杏は干し芋を一枚ずつ、のんびりとかじっている。

「いいねえ、決勝。空気がおいしいよー」

バレー部の四人は、八九式の横で円陣を組んでいた。

「相手は黒森峰! 九連覇の王者! でも、こっちには根性がある!」

「「「はいっ!」」」

典子の掛け声に、三人の声が揃う。妙子が、なぜかサーブの素振りをしていた。

三突の陰では、歴女たちが地図を囲んでいる。

「平原に森、丘に川、そして市街地。……まるで、戦場の博物館だな」

エルヴィンが、帽子のつばを指で押し上げた。

「関ヶ原も、最初は霧の中だったぜよ」

「いや、ここはアウステルリッツだ。朝霧が晴れたとき、勝敗は決まる」

「……今日、霧は出てないけどね」

左衛門佐の呟きは、誰にも拾われなかった。

M3の周りでは、一年生たちが、互いの髪を結び直したり、お菓子を分け合ったりしている。

「ねえ、黒森峰の人たち、みんなすっごい怖い顔してたよ」

「戦車も全部ドイツのだしー」

「大丈夫だよ。西住隊長がいるもん」

梓がそう言うと、六人は顔を見合わせて、こくりと頷いた。紗希だけが、空を流れていく雲を見上げていた。

真新しいポルシェティーガーの上では、自動車部の四人が、最後の点検をしていた。レストアしたばかりのその車体は、試運転で砲塔が抜けなくなったり、エンジンから火を噴いたりと、つい数日前まで散々だったのだ。

「モーター、よし。エンジン、まあまあ」

「まあまあって何」

「走るけど、坂はちょっと自信ない、ってこと」

ナカジマとスズキのやりとりに、ホシノが肩をすくめ、ツチヤが「ドリフトはできる?」と目を輝かせた。

そして、三式の中では。

「き、緊張して、手が……」

「ねこにゃー、深呼吸もも」

「ゲームなら、ここでセーブするんだけどぴよ……」

アリクイさんチームの三人が、身を寄せ合って震えていた。

T-34の前では、こはるが、履帯を拳で軽く叩いていた。

「今日も頼むよ。いちばん大事な日なんだから」

「昨日、千紗と二人で全部の転輪を見たわ。問題なし」

すみれが記録帳を閉じる。千紗は、無線機の周波数をもう一度確かめていた。

伊里奈は、胸ポケットのカードに、そっと指を当てた。

今日、この場所で起きることを、自分はおおよそ知っている。知っているからこそ、口を閉じていなければならないことも。

―――

観客席は、もう、ぎっしりと埋まっていた。

サンダースの三人は、いちばん見やすい段に陣取っていた。ケイの膝の上には、大きなポップコーンの袋と、瓶のコーラ。足元には、なぜか軍用の携帯食の箱まで置いてある。

「ねえケイ、それ、試合中に食べるの?」

「もちろん! 観戦は、戦場の気分でしなくちゃ!」

アリサが呆れた顔をし、ナオミが黙ってガムの包みを開けた。

少し離れた一角には、白い衝立と小さなテーブルが据えられていた。ダージリンが、オレンジペコの淹れた紅茶を受け取る。

「ダージリン様、毎回これを運ぶの、けっこう大変なんですけど……」

「あら。紅茶のない観戦なんて、砂糖のないスコーンのようなものよ」

「スコーンに砂糖は、もともと入っていないと思います」

ダージリンは聞こえなかったふりをして、カップを口へ運んだ。

さらに上の段では、ノンナの肩の上から、カチューシャが会場全体を見下ろしていた。

「ノンナ、もっと右! 画面が見えないわよ!」

「はい」

ノンナが一歩動く。カチューシャは満足そうに頷き、それから、大洗の陣地のほうへ、ちらりとだけ目をやった。くすんだ緑の車体と、赤い星。すぐに、ぷいと顔をそむける。

ノンナは、何も言わなかった。

観客席の端には、大きなテントがひとつ張られていた。アンツィオの旗が立っている。前の晩から会場入りして、決勝の前祝いだと夜通し騒いでいたらしい。今は、テントの中から、静かな寝息だけが聞こえてくる。

そして、関係者席の一角に、スーツの女性がひとり、背筋を伸ばして座っていた。

西住しほは、まだ誰もいない試合会場を、黙って見つめていた。

準決勝のあと、娘の戦い方を、しほは「邪道」と切り捨てた。そして、もう一人の娘には、こう告げている。

――王者の戦いを、見せてやりなさい。

2/

「両校、挨拶!」

審判長の蝶野亜美の声が、よく通った。

両校の隊長と副隊長が、中央で向かい合う。黒森峰は、西住まほと、逸見エリカ。大洗は、みほと、桃と、伊里奈。

エリカは、まずみほを見た。上から下まで、値踏みするように。

「弱小チームだと、あなたでも隊長になれるのね」

みほは、何も言わなかった。桃が言い返しかけて、みほの横顔を見て、口を閉じた。大洗の誰も、その言葉を拾わなかった。

手応えのなさに、エリカは小さく舌打ちをした。その目が、みほを通り過ぎて、伊里奈の上で止まる。

「……へえ。プラウダを飛び出した砲手まで、拾ったのね」

その声には、隠す気のない棘があった。

「去年の決勝で、うちのフラッグ車を狙っていた列の、ひとりでしょう。よくもまあ、この人の隣に立てるものだわ」

「……はい。そのとおりです」

「だったら、――」

「エリカ」

まほの声が、短くそれを遮った。エリカは、不服そうに口をつぐんだ。

まほの目が、伊里奈をとらえた。

戦車喫茶の前で。サンダース戦のあとのヘリコプターの前で。そして今。三度目の、同じ静かな目だった。

伊里奈は、その目を、今度も逸らさなかった。

「礼!」

「「よろしくお願いします!」」

挨拶が終わって陣地へ戻る途中で、黒森峰の制服を着た少女がひとり、小走りに追いかけてきた。

「……西住さん!」

みほが、足を止める。

小梅は、息を切らしながら、みほの前で深く頭を下げた。

去年の決勝で、川に落ちた戦車に乗っていたという。あのとき助けてもらったお礼を、ずっと言いたかった。けれど、みほはすぐに黒森峰からいなくなってしまった。もう戦車道をやめてしまったのではないかと、心配していたのだと。

みほは、小梅に、まっすぐに答えた。戦車道は、やめない、と。

その声には、もう迷いがなかった。

伊里奈は、少し離れたところで、その光景を見ていた。

あの雨の日、川に落ちた戦車。その中にいた人が、今、ここで泣きそうな顔で笑っている。

撃たないでください、と無線に叫んだあの日。自分が守りたかったものは、守れなかった。けれど、みほが守ったものは、ちゃんと、ここにある。

それを、自分の目で見られて、よかった。

少女が去ったあと、優花里が、みほの横で小さく言った。だから何度も言ったでしょう、西住殿のしたことは、間違えてなかったんです、と。

みほは、少しだけ考えてから、首を横に振った。間違いだったかはわからない。でも、自分にとっては、正しいことだった、と。

 

3/

西住まほは、ティーガーⅠのキューポラから、大洗の陣地を見ていた。

九輌。一輌は、どう見てもその日に動かしたばかりのような三式。一輌は、まともに坂を登れるかも怪しいポルシェティーガー。

そして、赤い星のT-34。

「……八十五ミリ、か」

サンダース戦のときには、たしか七十六ミリだった。どこから届いた砲身なのかは、調べるまでもない。それを寄越す人間がいる学校は、ひとつしかない。

あの雨の決勝のあと、プラウダの列で、ひとりだけ勝った顔をしていなかった砲手。

その砲手が、今は妹の隣に立ち、妹のために、自分に砲口を向ける。

西住流に、逃げるという道はない。それは、今日も変わらない。

けれど、まほは、ほんの一瞬だけ、あの子がこちらを逸らさずに見返してきたことを思い出していた。

「――全車、前進(Panzer vor)」

その声に、迷いはなかった。

 

4/

試合が始まった。

大洗のフラッグ車は、あんこうチームのIV号。黒森峰のフラッグ車は、まほのティーガーⅠ。姉妹が、それぞれの旗を背負う。

両校の開始位置は、遠く離れていた。みほは、黒森峰が大きく回り込んでくる前に、守りやすい高地へ移り、三突とヘッツァーで待ち伏せるつもりだった。

伊里奈は、照準器をのぞきながら、左の森を見ていた。

知っている。黒森峰は、あの森を突っ切ってくる。

けれど、それを早く口にすれば、大洗の動きが変わる。変われば、このあとのどこかで、みほは姉にたどり着けなくなるかもしれない。

伊里奈は、唇を噛んだ。

そのとき、千紗が双眼鏡を下ろした。

「……森が、動いてる」

千紗が、自分で見つけたのだ。伊里奈は、すぐに無線のスイッチを押した。

「こちら雪村。左の森に、動きがあります」

ほとんど同時に、森の中から、黒い戦車の群れが飛び出してきた。

『――全車、右へ! 向こうの森に入ります! ジグザグに走ってください!』

みほの声。大洗の九輌が、一斉に向きを変える。

『な、なんでもう来てるんだ! 早すぎるだろう!』

桃の声が裏返る。

『左、左からも来てます! あ、あや、ハッチ閉めて!』

梓の声。

『森を突っ切ってきたのか。電撃戦だな、まさに』

エルヴィンが、なぜか感心したように言った。

『感心してる場合じゃないぜよ!』

『この子、重いから、急には曲がれないよー。みんな、先に行ってー』

ナカジマの声だけが、いつもどおりにのんびりしていた。

「こはる!」

「わかってる!」

T-34が、平原を斜めに突っ切る。後ろから、砲弾が土を吹き上げる。

伊里奈は、照準器を後ろへ回した。群れの先頭を走るパンターが、大洗の列の尻に食らいつこうとしている。

「――撃ちます」

八十五ミリの砲声は、七十六ミリよりもずっと重かった。パンターの足元で、履帯が弾け飛ぶ。その一輌が止まったぶんだけ、後続の列がわずかに乱れた。

「……重い。でも、届く」

伊里奈は、胸ポケットのカードに、一瞬だけ触れた。

そのときだった。

前を走っていた三式が、がくんと揺れて、後ろへ下がり始めた。

『う、うそ、ギアがかった……ゲームと違う……!』

猫田の悲鳴が、無線に響いた。

後退する三式の先に、IV号がいた。そして、そのIV号に、エリカのティーガーⅡが砲口を向けていた。

『――一発で終わらせる』

無線に乗った声が、こちらにまで聞こえた気がした。

伊里奈は、目をそらさなかった。

砲声。後退した三式が、その射線に、ちょうど入り込んでいた。三式の上に、白旗が上がる。IV号は、無傷だった。

『……あ、あれ?』

猫田の、きょとんとした声。

『アリクイさんチーム!ありがとう!怪我は大丈夫!?』

みほの声が、少しだけ震えていた。

「「「大丈夫(だっちゃ)(なりー)」」」

伊里奈は、ゆっくりと息を吐いた。

後退の仕方を、教えることはできた。教えなかった。その結果が、今の一発だった。

「……ごめんなさい」

誰にも聞こえない声で、伊里奈はそう呟いた。

―――

「……ちっ」

ティーガーIIのキューポラで、エリカは舌打ちした。白旗を掲げた三式の向こうで、IV号が森へ逃げ込んでいく。

『隊長、申し訳ありません。フラッグ車を、仕留め損ねました』

その声は、悔しさよりも、苛立ちのほうが勝っていた。

『構わない。陣形を崩さずに追え』

『はい!』

一輌減らした。それでいい。どうせ、あの子は逃げることしかできない。――それに、あの赤い星も。

エリカは、まっすぐに前を見た。

―――

観客席が、どよめいた。

「Oh no! いきなり一輌!」

ケイが頭を抱える。

「……でも、今の。三式がいなかったら、IV号が撃たれてたわよね」

アリサが、眉をひそめて画面を見つめた。

「Lucky! あれは、運がよかったのよ」

「運だけで決勝は勝てないでしょ」

「運も実力のうちって言うじゃない、アリサ」

ナオミが、ガムを噛みながら、小さく頷いた。

衝立の向こうでは、オレンジペコが、胸の前で両手を握りしめていた。

「始まって、まだ数分なのに……」

「黒森峰は、待たないわ。西住流は、最初の一撃で決めにくるもの」

ダージリンは、静かにカップを置いた。

「でも、決めきれなかった。……それが、あの子たちの運の強さね」

上の段で、カチューシャが、ノンナの頭の上で足をばたつかせていた。

「最初から一輌減らして、どうするのよ!」

「偶然ですが、三式がIV号を庇いました」

ノンナが、淡々と言う。

「わかってるわよ! ……もう。見てるこっちの心臓がもたないじゃない」

カチューシャは、そっぽを向いた。けれど、その目は、画面から一度も離れていなかった。

5/

大洗は、八輌になった。黒森峰は、まだ二十輌。

向こうの森を抜けた先に、小高い丘があった。地図の上では、二〇七高地と記されている。あそこを取れば、上から待ち構えられる。

『もくもく作戦、開始します!』

みほの合図で、大洗の戦車が一斉に発煙筒を放った。白い煙が、平原にもくもくと広がっていく。

その中を、八輌が丘へ向かう。

『じゃ、私たちはちょっと寄り道してくるねー』

杏の声と同時に、ヘッツァーだけが、煙の中で列を離れていった。低い車体が、草むらに溶けるように見えなくなる。

『会長!? ど、どこへ……!』

桃の声が、無線の向こうでひっくり返る。

『いいからいいから。かーしま、ちゃんと照準見ててね』

―――

逸見エリカは、ティーガーIIのキューポラから、白い煙の壁をにらみつけていた。

「煙幕……!? 忍者じゃあるまいし!」

どこかにいる。この煙の向こうの、どこかに。あの子のIV号も、赤い星のT-34も。

「前進! このまま煙の中に――」

『待て、エリカ』

まほの声が、無線から静かに届いた。

『みほのことだ。煙の中で、何か仕掛けている。むやみに飛び込むな』

「……っ、了解」

『あの方角は、二〇七高地だ。ポルシェティーガーは足が遅い。あの坂は登りきれない。焦らず、詰めればいい』

エリカは唇を噛んで、煙の向こうの、見えない丘を見上げた。

―――

まほの読みどおりだった。坂にかかったところで、一輌だけが、どんどん遅れ始めた。

『……ごめん、この子、坂は苦手なんだよねー』

ナカジマの、のんびりした声。ポルシェティーガーのエンジンが、苦しそうに咆えている。

『引っ張ります! ワイヤーを掛けてください!』

みほの声。煙の中で、何輌かの戦車が向きを変え、ポルシェティーガーの前に回り込んでいく。

「こはる、私たちも」

「うん! 力だけなら、うちの子も負けないよ!」

T-34の後ろに、太いワイヤーが掛けられる。千紗とすみれが、煙の中を走って金具を確かめ、車内に飛び戻ってくる。

「いいよ!」

「こはる、ゆっくり。みんなと合わせて」

「……せーのっ!」

何輌もの戦車に引かれて、ポルシェティーガーが、少しずつ坂を登り始めた。一輌では登れない坂も、全車で引けば登れる。履帯が土を噛むたびに、列は思ったよりも速く上へ進んでいく。

最初の煙が、少しずつ薄くなっていく。黒森峰の砲弾が、こちらへ近づいてきた。

『アヒルさんチーム、カモさんチーム、お願いします。パラリラ作戦です!』

みほの声。

『……その作戦名、なんとかならないの!?』

そど子の抗議が、無線に響いた。

『そど子、文句はあとで』

ごも代の声が、冷静に返す。

『……っ、もう! 風紀委員として、正々堂々と煙を張ります!』

『よーし、アヒルさんも行くよ! そうれっ!』

八九式とB1bisが、列の後ろで大きく蛇行し始めた。車体の後ろから、白い煙が勢いよく噴き出す。右へ、左へ。薄くなりかけた煙の上に、新しい煙が重なっていく。坂を登る大洗の列が、また、白い壁の中に隠れた。

煙の外から、黒森峰の砲弾が飛んでくる。けれど、どれも見当外れの場所に落ちていく。こちらが見えていないのだ。

そのうち、砲声の質が変わった。

頭の上を風を切って過ぎた砲弾が、丘の斜面に落ちて、土の柱を高く吹き上げた。ひとつ、またひとつ。狙いは列ではない。丘の上そのものだ。

「……榴弾です」

伊里奈は、照準器から目を離さずに言った。

「煙が晴れる前に、丘の上に居場所をなくさせる気です。――西住まほさんらしいやり方です」

「感心してる場合じゃないでしょ!」

すみれが、車内で頭を抱えた。天井に、土がばらばらと降りかかる音がする。

そのとき。

坂の下で、乾いた砲声が二つ続いた。

伊里奈は、ハッチの隙間から、坂の下をのぞいた。煙の切れ間に、黒い車体が二輌、斜めに止まっているのが見えた。ヤークトパンターと、パンター。どちらも、片側の履帯を地面に投げ出している。

ヤークトパンターのハッチが開き、ベリーショートの車長が身を乗り出した。

「な、なんで履帯が!? どこから撃ってきたのよ!」

叫び声だけが、煙の中に響いた。撃ったはずのヘッツァーは、もうどこにもいなかった。

『二輌、足止めしといたよー。私たちはこのまま下に残って、もうちょっと遊んでるねー』

『会長……!』

桃の声が、半分泣いていた。

―――

『隊長! ヘッツァーです! 追いますか!』

エリカの声が、無線に飛び込んだ。

『深追いするな』

まほの答えは、短かった。

『小さな一輌に構えば、本隊が遅れる。二輌は修理に回れ。残りは丘を囲む』

『……了解しました』

破られた履帯を繋ぎ直す二輌を残して、黒い列は、また一糸乱れずに動き始めた。ただ、そのわずかな足踏みのぶんだけ、大洗は、先に丘の上へたどり着くことになる。

―――

伊里奈は、照準器の向こうの白い世界を見つめていた。

知っている。この丘の上で、大洗は囲まれる。そして、そこから抜け出し、川を渡る。

その川で、みほは、もう一度、仲間を助けに戦車を降りる。

去年と同じように。けれど、今度は、去年とは違う結果になる。

その場面を、伊里奈は、画面の向こうで何度も観た。そして何度も、泣いた。

「……着いた!」

こはるの声で、伊里奈は顔を上げた。

丘の上だった。煙が、ゆっくりと晴れていく。

『各車、稜線の後ろについてください。車体を隠して、砲塔だけを出して。高さは、こちらの味方です』

みほの声に従って、大洗の七輌が、丘の縁にそれぞれの場所を取っていく。T-34も、こはるの操縦で、岩の陰に車体を沈めた。

そして、その下には、黒い戦車の群れが、丘をぐるりと取り囲み始めていた。

その真ん中に、一輌だけ、動かずにこちらを見上げているティーガーⅠがあった。

―――

「Yes! 登りきった!」

観客席で、ケイが拳を突き上げた。

「何が Yes よ。下、見てよ。囲まれ始めてるじゃない」

アリサが、画面の下のほうを指さす。黒い戦車の群れが、丘の麓をぐるりと取り巻くように広がっていく。

「でも、上を取ったのは大洗よ。撃ち下ろせるのは、上にいるほうだもの」

ケイが言い返す。その横で、ナオミが、ガムを噛みながら、ひと言だけ呟いた。

「……あのヤークトティーガー、正面からは抜けない」

ケイとアリサが、同時にナオミを振り返った。

衝立の向こうで、オレンジペコが、画面とダージリンの顔を交互に見た。

「丘の上に逃げ込めたのは、いいんですけど……」

「ええ。逃げ込めた。それに、西住まほは、あの小さなヘッツァーを追わなかった。王者の戦い方よ」

ダージリンは、カップを持ち上げかけて、また下ろした。

「……だからこそ、あの丘から出られるかしら」

上の段では、カチューシャが、ノンナの頭にしがみついていた。

「……ノンナ。あの丘、見たことあるわ」

「はい」

「プラウダの廃村と、同じよ。上に逃げて、下から囲まれて」

カチューシャは、ほんの少しだけ、声を落とした。

「……あのときは、カチューシャが囲む側だったけど」

ノンナは、何も言わずに、カチューシャの足首をそっと押さえた。

関係者席で、西住しほは、少しも表情を変えずに、丘の上の小さな戦車たちを見つめていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。