大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
あんこう、しろくまさんチーム訪問します!
1/
全国大会が終わって、一週間が過ぎた。
大洗女子学園の学園艦は、何事もなかったような顔で、いつもの海を進んでいる。廃校の話は、もうどこからも聞こえてこない。格納庫の前では、自動車部が修理を終えた戦車を一輌ずつ並べ直していて、そのいちばん端に、前面を叩き直したT-34が、赤い星と白い熊を並べて座っていた。
その日の放課後、あんこうチームの五人が、生徒会室に呼ばれた。
伊里奈は、格納庫でT-34の転輪を磨いていて、それを見送った。呼ばれたのは五人だけのはずだった。
「……雪村ちゃーん。ちょっと来てー」
十分もしないうちに、生徒会室の窓から、杏の声が降ってきた。
―――
生徒会室の机の上には、日本地図が一枚広げてあった。その上に、色の違う画鋲が五つ、ぽつぽつと刺さっている。
「というわけで、あんこうチームのみんなには、手分けして、今年戦った学校にご挨拶に行ってもらいまーす」
杏が、干し芋の先で地図をつついた。
「ご挨拶、ですか」
みほが、まだ事情を飲み込めていない顔で首をかしげる。
「そ。決勝の応援にも来てくれたし、砲身くれた人もいるしね。お礼参りってやつ」
「会長、お礼参りは意味が違います!」
桃が、すかさず叫んだ。柚子が、苦笑しながら書類を配っていく。
「来年の大会に向けて、各校との交流を深めておきたいの。練習試合も組みやすくなるし。それに、優勝校が挨拶に来ないのは、ちょっと失礼でしょう?」
「なるほど……それなら、五人で一緒に回ったほうが」
「五校もあるのに、一緒に回ってたら一か月かかっちゃうよー。だから手分け。一人一校ね」
杏は、にっこりと笑った。
「……また、無茶ぶりだ」
沙織が、小さくつぶやいた。
伊里奈は、部屋の隅でそのやりとりを聞きながら、地図の上の画鋲を目で追った。横浜。佐世保。静岡。熊本。そして、いちばん北の、青森。
「じゃ、行き先決めよっか。希望ある人ー」
「はいっ! サンダースにぜひ行かせてください!」
真っ先に手を挙げたのは、優花里だった。
「秋山さん、サンダースは一回潜入してるよね?」
「だからこそであります! あのときは、ちゃんとご挨拶もせずに逃げ帰ってしまいましたので! 今度は正面から、堂々と!」
「じゃ、サンダースはゆかりんね」
沙織が書類に書き込むと、華が、地図の横浜のあたりに指を置いた。
「わたくしは、聖グロリアーナに伺ってみたいです。ダージリンさんに、お茶の淹れ方を教えていただきたくて」
「華さんらしい……。じゃあ私は――」
沙織が地図を見回して、静岡のあたりで目を止めた。
「アンツィオ! パスタ食べ放題でしょ、あそこ。あと、イタリアの女の子ってモテそうだし、なんか勉強になりそう」
「沙織さん、アンツィオは日本の学校です」
「わかってるよ! 雰囲気の話!」
みほは、少しだけ迷うような顔をしてから、熊本の画鋲に目を落とした。
「……黒森峰には、私が行きます」
部屋が、少しだけ静かになった。誰も、何も言わなかった。杏が、うん、と一度だけ頷いた。
残ったのは、いちばん北の画鋲だった。
「じゃあ、プラウダは――」
沙織の目が、残った二人を順番に見た。優花里と、麻子。優花里は、もうサンダースに決まっている。
「……ちなみに秋山さん、もしサンダースじゃなかったら、プラウダは?」
「え、えっと……プラウダは……」
優花里が、目に見えて縮こまった。
「その、準決勝で、偵察のためにプラウダの上着をお借りして潜入したので……。あのとき、一年生の方に先輩と間違われて、陣形を全部教えていただいてしまって……。今行ったら、その方に、合わせる顔が……」
「……ああ」
全員が、なんとなく納得した。
「じゃあ、麻子だね」
「……なんで私が」
麻子は、窓際の椅子で、ほとんど目を閉じていた。
「残り物だから」
「……雑だな」
「いいじゃん。プラウダ、寒いから、きっとよく眠れるよ」
「……それは、少し魅力的だ」
麻子は、のそりと身を起こして、地図の上のいちばん北の画鋲を見た。青森の、そのさらに先の海。
「……で、どうやって行くんだ。そこまで」
「えーっと……新幹線で青森まで行って、そこから連絡船、かな」
柚子が、時刻表をめくりながら答える。麻子の眉が、わずかに寄った。
「……朝、何時に出ればいい」
「プラウダの学園艦の入港に合わせるなら……始発、かなあ」
麻子の顔から、すうっと血の気が引いた。
「……夜行列車は通ってないのか」
「ないよ、そんなの。もう、とっくに」
沙織が、即座に言った。
「……夜のうちに乗って、寝てるあいだに着く。それ以外に、人が遠くへ行く方法があるとは思えない」
「麻子、昔の人みたいなこと言わないの」
麻子は、本気で絶望した顔で、天井を見上げた。
――そこで、杏が、干し芋の先を、部屋の隅に向けた。
「で、雪村ちゃん」
伊里奈は、思わず背筋を伸ばした。
「冷泉ちゃんだけだと、たぶん青森の駅で寝ちゃうからさ。プラウダ、一緒に行ってくれない? 道、わかるでしょ」
「……私が、ですか」
「うん。あ、もちろん、シロクマさんチームの四人でね。向こうの隊長さんにも、ちゃんと話は通してあるから」
杏は、何でもないことのように言った。
伊里奈は、少しだけ言葉に詰まった。
プラウダへ。あの雪の学園艦へ、もう一度。
決勝の夜、カチューシャは言った。困ったら、ちゃんと言いなさい、と。ノンナは言った。次に会うときも、ちゃんと来てください、と。
けれど、こんなに早く、その「次」が来るとは思っていなかった。
「……話を通してある、というのは」
「ん? 向こうの隊長さんから、電話もらったの。『イリーナを連れてこないなら、来なくていいわよ』って」
杏は、楽しそうに笑った。
「愛されてるねえ、雪村ちゃん」
伊里奈は、顔が熱くなるのを感じた。桃が、何か言いたげに口を開けかけて、柚子に止められていた。
「……わかりました。行きます」
「よろしくー。あ、冷泉ちゃん。雪村ちゃんたちが一緒なら、新幹線でもちゃんと寝られるよ。起こしてもらえるから」
「……それなら、いい」
麻子は、ようやく少しだけ顔を上げた。それから、伊里奈のほうを見た。
「……よろしく頼む。朝は、たぶん起きられない」
「はい。起こします。必ず」
伊里奈が答えると、麻子は、ほんの少しだけ口の端を上げた。
―――
「えっ、プラウダ!? 私たちも!?」
格納庫に戻って話すと、こはるが、手に持っていた雑巾を取り落とした。
「行く! 行きたい! 伊里奈ちゃんがいた学校、見てみたい!」
「……寒いのかな。上着、足りるかな」
千紗が、もう荷物のことを考え始めている。
「記録帳、新しいのを下ろすわ。一冊まるごと、プラウダの記録にするから」
すみれが、鞄の中を確かめた。
伊里奈は、三人の顔を見回した。
自分が二年間を過ごした場所に、この三人を連れていく。カチューシャのいる学校に。ノンナのいる学校に。何も言わずに出てきた学校に。
少し前の自分なら、きっと、逃げる理由を探していた。
「……はい。四人で行きましょう」
伊里奈がそう言うと、こはるが、ぱっと笑った。
「あ、でも、冷泉さんも入れたら五人だね」
「……そうでした」
「伊里奈、冷泉さんを起こす係、交代でやろうね。一人じゃ絶対に無理だから」
千紗が、真顔で言った。
2/
出発の朝、空はまだ真っ暗だった。
麻子の部屋の前に、四人と、沙織が立っていた。
「……麻子ー。起きてー。始発だよー」
沙織が扉を叩く。返事はない。
「合鍵、借りてきたから」
沙織は慣れた手つきで扉を開けた。布団の山が、ひとつ。こはるが、思わず小声になった。
「……ほんとに、毎朝これやってるんですか」
「毎朝じゃないよ。毎朝だったら、私もう死んでるよ」
沙織は布団の端をつかんで、一気にめくった。麻子は、丸くなったまま、目も開けずに言った。
「……あと、五時間」
「新幹線、行っちゃうから!」
結局、麻子は、千紗とすみれに両脇を抱えられて、半分眠ったまま港の連絡船に乗った。こはるが麻子の鞄を持ち、伊里奈が切符を持った。
―――
岸壁には、まだ薄暗いなか、あんこうチームの残りが集まっていた。
華は、風呂敷に包んだ小さな包みを抱えていた。聖グロリアーナへの手土産に、実家の花を少しだけ分けてもらったのだという。優花里は、背中に自分の体ほどもあるリュックを背負って、もう目を輝かせている。
「秋山さん、その荷物、何が入ってるの?」
「カメラと、予備のフィルムと、シャーマンの資料と、前回お借りしたサンダースの制服であります! ちゃんとお返ししようと思いまして!」
「……返してなかったんだ」
沙織が、あきれた声を出した。
みほは、少し離れたところで、黙って海を見ていた。熊本行きの便は、いちばん遅い。それでも、みんなと同じ時刻に、ここへ来ていた。
伊里奈は、その横顔を見て、何か言おうとして、やめた。
その代わりに、みほのほうが、先に口を開いた。
「……雪村さんも、前の学校に行くんだね」
「はい」
「ちょっとだけ、怖くない?」
伊里奈は、少し考えてから、正直に答えた。
「……怖いです。でも、三人が一緒なので」
みほは、少しだけ笑った。
「……そっか。いいな。私は、ひとりだから」
「ひとりでは、ないと思いますよ」
伊里奈は、胸ポケットに手を当てた。携帯が、そこに入っている。
「昨日の夜、九人でグループを作ったじゃないですか。それに――向こうには、お姉さんがいますから」
みほは、少し目を見開いて、それから、小さく頷いた。
―――
連絡船の汽笛が鳴った。
岸壁で、沙織が大きく手を振っていた。沙織自身は、昼の便でアンツィオへ向かうのだという。
「雪村先輩! 麻子のこと、よろしくお願いします! あと、カチューシャさんに、あんまり変なこと言わないように見ててください!」
「……どっちのことですか」
「両方!」
伊里奈は、思わず笑ってしまった。
その後ろで、華が、優花里が、手を振っている。みほも、少し遅れて、片手を上げた。
大洗のあんこうチームが、この日、日本地図の五つの画鋲に向かって、ばらばらに散っていった。
3/
聖グロリアーナ女学院の学園艦は、横浜の港に、赤い煉瓦の街並みごと浮かんでいるように見えた。
五十鈴華は、風呂敷包みを抱えたまま、石畳の道を案内されていた。前を歩くのは、小柄な少女だった。細い三つ編みを後ろでまとめて、背筋をまっすぐに伸ばしている。
「オレンジペコです。本日は、ようこそお越しくださいました」
「こちらこそ、お招きいただいて、ありがとうございます」
練習試合のとき、チャーチルの中で、ダージリンの隣にいた子だ。練習試合のお礼を華が口にすると、オレンジペコは、少しだけ照れたように笑った。
「……あのときは、車内が大変でした。ダージリン様のカップが、車内で割れたので。あんなことは、初めてでした」
華は、思わず足を止めた。その一発を撃ったのは、自分ではない。赤い星の砲手だ。
「ご心配なく。ダージリン様は、あの一発を、とても気に入っていらっしゃいますから」
―――
通されたのは、窓の大きな部屋だった。白いテーブルクロスの上に、磁器のティーカップがいくつも並んでいる。窓の外には、横浜の港。
ダージリンは、窓を背にして、優雅にカップを傾けていた。
「ようこそ、五十鈴さん。優勝校の砲手が、ひとりで紅茶を飲みに来てくださるなんて。光栄だわ」
「ご挨拶に伺いました。……それと、口実をひとつ。紅茶の淹れ方を、教えていただきたくて」
華は、風呂敷をほどいた。中から出てきたのは、細い竹の花入れと、料で包んだ数本の花だった。
「実家の花です。こちらのお部屋に合うかどうか、わかりませんが」
ダージリンは、しばらくその花を見つめていた。それから、カップをソーサーに戻した。
「……素敵。では、交換しましょう。あなたには紅茶を。わたくしには、花を」
―――
紅茶の淹れ方は、思っていたよりもずっと、ゆっくりとしたものだった。
汲みたての水を、しっかりと沸かすこと。ポットもカップも、先に温めておくこと。茶葉の量は、人数ぶんと、ポットのためにもう一杯。そして、蓋をして、待つこと。
「待つのですね」
「ええ。茶葉が、ポットの中で開いて、沈んで、また浮かぶまで。そのあいだは、何もしないの」
華は、砂時計の砂が落ちていくのを、じっと見つめた。
「……花を活けるのと、少し似ています。花は、活けた瞬間ではなくて、少し時間がたってから、いちばんいい顔をするんです。待つのも、活けるうちですから」
ダージリンは、少しだけ目を細めた。
「イギリスには、こんな言葉があるわ。『忍耐は、誰の庭にも咲く花ではない』」
「……古いイギリスのことわざです」
オレンジペコが、華にだけ聞こえる声で、そっと付け足した。ダージリンは、聞こえなかったふりをして、続けた。
「あなたの庭には、咲いているようね。……決勝で、あの一発を待てたのも、きっとそのせいだわ」
砂が、落ちきった。
華が注いだ紅茶は、深い琥珀色をしていた。ダージリンは、ひと口飲んで、何も言わずに、もうひと口飲んだ。それが答えだということは、華にもわかった。
―――
帰り際、窓辺の花瓶には、華が活けた花が飾られていた。
ダージリンは、その前で、ふと思い出したように言った。
「そういえば。あの赤い星の砲手は、今日はどちらに?」
「雪村さんは、プラウダへ。今ごろは、新幹線の中だと思います」
「そう。……では、伝言をお願いできるかしら」
ダージリンは、空になった自分のカップを、指先でそっとなぞった。
「カップをひとつ割った方に、よろしく。次は、割れないカップで紅茶を飲みましょう、と」
華は、微笑んで頷いた。
港へ戻る道で、華は携帯を取り出して、紅茶のカップの写真と、教わったことと、その伝言を、一通ずつ丁寧に打ち込んだ。
4/
佐世保の港に泊まったサンダース大学付属高校の学園艦は、やっぱり、とんでもなく大きかった。
秋山優花里は、タラップの前で、背中のリュックを背負い直した。
前にここへ来たときは、コンビニの配送車にもぐり込んで、借り物の制服で、物陰から物陰へと走った。今日は、大洗の制服で、正面から、堪々と歩いていく。
「――Hey、オッドボール三等軍曹!」
甲板の上から、元気な声が降ってきた。金色の髪を風になびかせて、ケイが大きく手を振っている。
「今日は正面から来たのね! Welcome!」
「ケ、ケイ殿! 一年、秋山優花里、本日はご挨拶に参りました!」
「二年生でしょ? 前にも聞いたわよ」
「あっ、そうでした! 緊張して、つい……!」
ケイは、大声で笑って、優花里の肩にどんと腕を回した。その後ろで、そばかすの少女が、腕を組んでこちらを睨んでいた。
「……隊長。その子、前回、うちの作戦会議に勝手に入ってきた子ですよね」
「そうよ、アリサ。だから今日は、ちゃんと招待したの」
「だから、の意味がわかりません!」
アリサは、優花里のリュックをじろりと見た。
「……その荷物、何が入ってるのよ。また何か、仕掛けるつもりじゃないでしょうね」
「い、いえ! これは、その……」
優花里は、リュックを下ろして、いちばん上に入れていた紙袋を、両手で差し出した。中には、きちんとクリーニングしてたたんだ、サンダースの制服が入っている。
「前回、お借りしたままになっていたものです! 大変、申し訳ございませんでした!」
アリサは、口を開けたまま固まった。ケイが、腹を抱えて笑い出した。
「……ちゃんと返しに来るの、そこなの!?」
その横で、背の高い少女が、黙ってガムを噵んでいた。ナオミだ。ナオミは、何も言わずにポケットからガムを一枚取り出して、優花里の手のひらに載せた。
「……あ、ありがとうございます!」
ナオミは、小さく頷いただけだった。
―――
格納庫には、シャーマンが、どこまでも並んでいた。
「……ふわぁ……」
優花里は、言葉を失って立ち尽くした。M4。M4A1。そして、砲身の長い、あのファイアフライ。
「好きなだけ見ていいわよ。今日は、許可もちゃんと出てるから」
「本当でありますか!?」
そのあとの一時間、優花里は、ひとこともしゃべらずにシャッターを切り続けた。ケイは、それを楽しそうに眺めていた。アリサは、一枚撮るたびに、「そこは機密よ!」と叫んで、ケイに「どこも機密じゃないわよ」と笑われていた。
ファイアフライの前で、ナオミが、ふいに口を開いた。
「……あの、赤い星の砲手」
優花里は、カメラを下ろした。ナオミの声を聞くのは、初めてだった。
「雪村殿でありますか」
「決勝、観た。……いい腕だった」
それだけ言うと、ナオミはまたガムを噵み始めた。その横顔は、砲手が、別の砲手のことを考えているときの顔だった。優花里には、それがわかった。華も、雪村も、ときどき、あんな顔をするからだ。
―――
昼食に出てきたのは、優花里の顔よりも大きなハンバーガーだった。
「……こ、これを、ひとりででありますか」
「もちろん! サンダースのおもてなしは、いつでもBigなのよ!」
ケイは、親指を立てて、優花里とハンバーガーを並べて写真を撮った。優花里は、その写真を、さっきの甲板での一枚と一緒に、グループへ送った。『今から、これを食べます。……食べきれる気がしません』
三分の一ほどを必死で食べたところで、ケイが、コーラのストローをくわえたまま言った。
「それでね、オッドボール。帰ったら、あのT-34の子にも伝えておいて。今度、うちとも練習試合しましょって」
「雪村殿に、でありますか」
「そう! ナオミが、またやりたいって」
優花里は、ナオミのほうを見た。ナオミは、何も言わずに、ガムをふくらませていた。否定も、しなかった。
「……一回も、やってないですよね。いまの、『また』って」
アリサが、あきれたようにつぶやいた。ケイは、まったく気にしていなかった。
「細かいことはいいの! 戦車道は、戦争じゃないんだから。楽しくやれそうな相手とは、何回でもやりたいじゃない?」
優花里は、口の端にソースをつけたまま、大きく頷いた。
「……はい! 必ず、お伝えします!」
5/
アンツィオ高校の学園艦に着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。
武部沙織がタラップを下りた瞬間、いい匂いがした。ニンニクと、トマトと、焼けたチーズの匂い。広場には屋台が並び、赤と緑と白の旗が、あちこちではためいている。
そのいちばん真ん中で、マントを翻したツインテールの少女が、胸を張って待ち構えていた。
「よく来たな、大洗の通信手! アンツィオへようこそ!」
「あ、アンチョビさん! 今日は、お招きいただいて――」
「挨拶はあとだ! まずは食え!」
差し出されたのは、湯気の立つパスタの大皿だった。沙織は、反射的に受け取ってしまった。
「えっ、あの、まだ着いたばっかり……」
「着いたばかりだからだ! 長旅で腹が減ってるだろう!」
――それは、そうかも。
沙織は、フォークを巻きつけて、ひと口食べた。それから、目を見開いた。
「……おいしい。何これ、めちゃくちゃおいしいんだけど!」
「だろう! これがアンツィオの味だ!」
アンチョビは、鼻高々にマントを翻した。
―――
広場の端の鉄板の前では、腰に布を巻いた少女が、大きなヘラを振り回していた。
「おっ、大洗の人じゃん! ちょうどいいとこだ、これも食ってけって!」
ペパロニだった。鉄板の上では、肉と野菜が、じゅうじゅうと音を立てている。
「あの、これ、何ていう料理ですか?」
「何ていうんだっけな? まあ、うまけりゃ何でもいいっすよ!」
「……ペパロニ、そこは覚えておけと言っただろう……」
アンチョビが、こめかみを押さえた。沙織は、思わず吹き出してしまった。
そのとき、沙織の横に、もうひとり、金色の髪の少女が、そっと腰を下ろした。穏やかに微笑んでいるけれど、その目は、何かを聞きたくてうずうずしていた。
「カルパッチョです。……あの、大洗の、三号突撃砲のチームのこと、聞いてもいいですか」
「カバさんチーム? うん、いいよ」
「カエサルさんは……たかちゃんは、元気ですか。ちゃんとごはん、食べてますか。決勝のあと、けがとか、してませんか」
矢継ぎ早の質問に、沙織は目を丸くした。それから、だんだんわかってきて、つい顔がほころんだ。
「……元気だよ。この前も、倉庫の前で、歴史の話ですっごい盛り上がってた。あと、アンツィオのこと、ときどき話してるよ」
「……そうですか」
カルパッチョは、両手でコップを包んで、うれしそうにうつむいた。
――いいなあ、こういうの。
沙織は、そう思った。そして、今日ここへ来た、もうひとつの目的を思い出した。
―――
「あのっ! ちょっと、聞きたいことがあるんですけど!」
沙織は、フォークを置いて、身を乗り出した。アンチョビと、ペパロニと、カルパッチョが、そろってこちらを見た。
「イタリアの女の子っぽくなるには、どうしたらいいですか! こう、自然にモテる感じの!」
三人は、一瞬、顔を見合わせた。
「……とりあえず、食え」
アンチョビが言った。
「そうそう、とりあえず食う!」
ペパロニが、鉄板から新しい一皿を滑らせた。
「……おいしいものを、おいしそうに食べる人は、素敵だと思います」
カルパッチョが、いちばんまともなことを、いちばん穏やかに言った。
「……結局、食べるしかないんだ」
沙織は、観念して三皿目に手を伸ばした。それから、山盛りのパスタと、湯気の立つ鉄板と、旗の下で笑う三人を、まとめて写真に収めた。
『アンツィオなう! モテる方法を聞いたら、みんな「とりあえず食え」しか言わない。もう三皿目……! 帰ったら、ダイエット……!』
送信してから、沙織は、もう一通だけ、別の相手に打ち込んだ。『麻子、起きてる? ちゃんと雪村先輩の言うこと、聞くんだよ』
既読は、つかなかった。たぶん、寝ている。
6/
そのころ、東北新幹線の座席では、麻子が二人ぶんの座席に体を横たえて、すっかり眠り込んでいた。胸の上で、携帯が一度だけ震えたけれど、まぶたはぴくりとも動かなかった。
「……起こさなくて、いいの?」
こはるが、小声で聞く。
「新幹線のあいだは、寝かせておきましょう。起こすのは、八戸を過ぎてからです」
伊里奈は、窓の外を見ていた。田んぼ。川。低い山。北へ行くほど、空の色が少しずつ薄くなっていく。
半年前、同じ線路を、逆の向きに走ったことがある。
あのときは、ひとりだった。窓の外は、何も見ていなかった。ただ、これで終わりにできる、と思っていた。
今は、隣に三人がいる。向かいの席では、麻子が寝息を立てている。
―――
「伊里奈ちゃん、携帯、鳴ってるよ」
こはるに言われて、伊里奈は胸ポケットから携帯を取り出した。あんこうチームの五人と、シロクマさんチームの四人で作ったグループに、華から、丁寧な文面が何通も届いていた。
白いテーブルクロスの上の、琥珀色の紅茶。その写真の下に、こうあった。
『それから、ダージリンさんから、雪村さんにご伝言です。「カップをひとつ割った方に、よろしく。次は、割れないカップで紅茶を飲みましょう」とのことです』
「……割れないカップ」
すみれが、伊里奈の手元をのぞき込んで、首をかしげた。
「練習試合で、ダージリンさんのカップを割らせたこと、まだ覚えてるのね」
「……忘れてくれていいのに」
伊里奈は、小さくため息をついた。それでも、その口元は、少しだけ緩んでいた。
次に届いたのは、優花里からの写真だった。甲板の上で、金色の髪の少女に肩を組まれて、もみくちゃになっている優花里。それから、自分の顔より大きなハンバーガーを前に、目を白黒させている優花里。
『それと、ケイ殿から雪村殿に。「T-34のあの子、今度うちとも練習試合しましょ! ナオミがまたやりたいって!」だそうです。ナオミ殿は、否定しませんでした!』
「……ナオミさん、ほんとにそう言ったのかな」
千紗が、くすりと笑った。
「言ってなくても、言ったことにされてそう」
「ケイさんなら、ありえるわね」
すみれが頷く。
昼を過ぎると、沙織から、写真が一度に何枚も届いた。山盛りのパスタ。湯気の立つ鉄板。赤と緑と白の旗の下で笑う、三人の少女。
「……楽しそうだね、沙織さん」
こはるが、羨ましそうに言った。
「アンツィオの人たち、試合のあとも、ああやってもてなしてくれたものね」
すみれが、記録帳をめくりながら言う。二回戦のあと、大鍋と鉄板が並んだ、あの宴会のページだ。
―――
最後に、みほから、短い一通が届いた。
『熊本に着きました。これから、黒森峰の学園艦に行きます』
それだけだった。写真は、なかった。
伊里奈は、その一行を、しばらく見つめていた。
「……西住さん、大丈夫かな」
千紗が、小さく言った。
「……大丈夫です」
伊里奈は、携帯を胸ポケットに戻した。カードの角に、指が触れた。
「お姉さんが、待っていますから」
―――
八戸を過ぎたところで、伊里奈は、麻子の肩をそっと揺すった。
「冷泉さん。もうすぐ、着きます」
「……着かなくていい」
「着きます」
麻子は、薄く目を開けた。窓の外では、いつの間にか、空が低く、灰色になっていた。
「……寒そうだな」
「はい。向こうは、もっと寒いです」
「……ノンナとかいう人は、まだいるのか」
「はい。いますよ」
麻子は、少しだけ考えるような顔をした。
「……あの人の撃つ弾は、怖かった」
伊里奈は、思わず麻子の顔を見た。準決勝の雪原で、IV号を操縦していたのは、この人だ。
「……はい。私も、二年間、すぐ隣で見ていましたけど。ずっと怖かったです」
麻子は、ふん、と小さく鼻を鳴らした。それから、胸の上の携帯をちらりと見て、沙織からの一通に、ひとことだけ返信した。『起きた』
そして、また目を閉じた。
「……青森で、起こしてくれ」
「……今、起きたところですよね」
返事は、もう寝息だった。