大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
1/
「――『憧れの先輩は誰ですか』って聞かれたら、雪村先輩の名前を出してもいいですか!?」
澤梓は、両手を合わせたまま、一息に言い切った。
伊里奈は、おにぎりを持ったまま、固まった。
「……私の、ですか」
「西住隊長の名前は、もちろん出します! でも、砲手のことだったら、やっぱり雪村先輩だよねって、みんなで話してて……」
「決勝のあの一発、すごかったですよねー!」
阪口桂利奈が、身を乗り出した。その後ろで、宇津木優季と大野あやが、うんうんと頷いている。山郷あゆみは、何か言いたげに梓の袖を引いていて、丸山紗希は、いつものように、何も言わずに空を見ていた。
「……でも、その……」
伊里奈は、言葉を探した。憧れられるようなことは、何もしていない。去年は、何もできなかった側の人間だ。
「……私の名前を出すと、そのあと、前の学校のことも聞かれるかもしれませんよ」
梓は、きょとんとした。それから、当たり前のように言った。
「そのときは、『知りません、大洗の先輩です』って答えます。本当のことだし」
「……」
「だって私たち、雪村先輩が前にどうだったかより、今の雪村先輩しか知らないですから」
伊里奈の隣で、こはるが、ものすごく得意げな顔をした。千紗は、何も言わずにカメラを構えて、六人の後輩と、固まったままの車長を、一枚に収めた。
「……はい。それなら、どうぞ」
「やったー!」
六人が、いっせいに飛び跳ねた。紗希だけが、少し遅れて、小さく飛び跳ねた。
―――
十二時。
M3リーの前での取材は、開始三分で、もう何の話だかわからなくなっていた。
「――それでね、最初の練習試合のとき、私たち、戦車を置いて逃げちゃったんですよ」
「えっ、逃げたんですか?」
「そうなんです! でも、そのあとは、一回も逃げてません!」
「決勝では、エレファントも倒したし!」
「あと、あと、回り込んで――」
六人が、よってたかって話す。記者は、誰の話を書き取っていいのかわからないまま、必死にペンを走らせていた。
やがて、記者が、ようやく尋ねた。
「では、皆さんが憧れている先輩は?」
「西住隊長です!」
六人の声が、きれいにそろった。それから、梓が、少しだけ胸を張って付け足した。
「それと、雪村先輩です。いつも、砲塔の上から、私たちのことも見てくれているので」
記者が、ちらりと倉庫の入口のほうを見た。そこに立っていた伊里奈は、どこを見ていいかわからずに、天井の梁を見上げていた。
「その雪村さんは、前の学校では――」
「知りません! 大洗の先輩です!」
梓は、笑顔のまま、きっぱりと言った。紗希が、その隣で、こくりと一度だけ頷いた。
すみれの記録帳。『十二時 ウサギさん。約束どおり。伊里奈、天井を見る。』
―――
一時。
自動車部のガレージは、外よりもさらに暑かった。
ポルシェティーガーの巨体の下から、四本の足がのぞいている。記者が声をかけると、そのうちのひとりが、がらがらと台車ごと滑り出てきた。
「あ、取材の人。すみません、今ちょうど手が離せなくて。このままでいいですか」
油まみれの顔で、ナカジマがにこやかに笑った。
取材は、本当にそのまま続いた。質問をすると、戦車の下から答えが返ってくる。そのあいだも、工具の音は止まらない。
「――決勝では、ポルシェティーガーが――」
「あ、うちの子、ちゃんと動いてたでしょ? それがいちばんの自慢です」
「大洗の戦車は、ほとんど自動車部の皆さんが整備しているとか」
「まあ、だいたいは。……あ、でも、ひとつだけ例外があるな」
スズキの声が、車体の奥から響いた。
「T-34は、半分くらい、あの人たちが自分でやってるよ。特に、あの車長さん」
「勝手に工具を借りに来ないから、助かるよねー」
ホシノが、笑いながら続けた。
「ちゃんと自分の工具を持ってるんだよ。結構使い込んだやつ。……あ、あと、決勝のあと、あの子の前面を一晩で叩き直したんだよ。ジャッキを貸してくれって言われてさ。あの人たち、結局、朝まで帰らなかったなあ」
ツチヤが、ポルシェティーガーの上から顔を出した。
「いい戦車だよ、あれ。一度、本気で飛ばしてみたいんだけどなあ。あの操縦手の子に、いつも断られるんだ」
ガレージの入口で、こはるが、さっと伊里奈の後ろに隠れた。
「……絶対に、だめですからね」
「まだ何も言ってませんよ」
すみれの記録帳。『一時 レオポンさん。記者、最後までナカジマさんの顔しか見ていない。こはる、T-34を守る。』
2/
二時。北の海。
プラウダ高校の学園艦では、取材班が、整備場の前で少しだけ待たされていた。
やがて、整備場の扉が重々しく開いた。その向こうから、背の高い黒髪の少女が、肩の上に小さな隊長を乗せて、ゆっくりと歩いてくる。
「よく来たわね! このカチューシャに取材しようなんて、いい心がけじゃない!」
カチューシャは、ノンナの肩の上から、記者を見下ろして胸を張った。ちょうど、そこがいちばん高い位置だった。
取材は、二時ちょうどに始まって、二時ちょうどから、ほとんどカチューシャの演説だった。プラウダの戦車道がいかに偉大か。去年の優勝がいかに当然だったか。今年の準決勝は、いかに「たまたま」だったか。
「――それで、大洗についてなんですが」
記者が、ようやく口を挟んだ。二時十五分だった。
「大洗のT-34の砲手の方が、元プラウダだという話がありまして……」
「はあ?」
カチューシャは、心底あきれたような声を出した。
「『話がある』じゃないわよ。当たり前でしょう。イリーナは、カチューシャのT-34/85の砲手だったのよ。一年のときから、二年間ずっと」
記者のペンが、一瞬だけ止まった。それから、ものすごい勢いで動き始めた。
「補習の教室で、照準の癖を直してやったのもカチューシャ。砲手席に座らせたのもカチューシャ。あの子の砲の腕は、半分はカチューシャが育てたようなものなんだから」
「……残りの半分は、本人の努力ですよ」
ノンナが、静かに付け足した。
「わかってるわよ!」
「では、なぜその方は、大洗に――」
そこで、カチューシャの口が、ぴたりと閉じた。
ノンナの肩の上で、小さな隊長は、しばらく黙っていた。整備場の中から、工具の音が、小さく聞こえている。
「……それは、イリーナに聞きなさい」
それまでの声とは、少しだけ違う声だった。
「カチューシャが答えていいことじゃないわ。あの子が、自分で決めて、自分で出ていったんだから。……ただし、これだけは書いておきなさい」
カチューシャは、また胸を張った。
「イリーナは、今は大洗の砲手よ。だから、次に試合で会ったら、カチューシャがちゃんと粛清してあげるわ。――それと、プラウダの整備場には、今でもあの子の工具箱の跡が残ってる。そこまで書きなさい!」
「……カチューシャ。後半は、書かせないほうがよいかと」
「なんでよ!」
整備場の入口で、二人の一年生が、必死に笑いをこらえていた。ひとりが、もうひとりの耳元で、東北の訛りのある小声で言った。
「……カチューシャ様、結局、半分自慢だべ」
―――
二時三十分。大洗。
麻子は、倉庫の隅の日陰で、赤いクッションを枕に寝ていた。その胸の上で、携帯が震えた。麻子は、目を閉じたままそれを探り当て、薄目を開けて画面を見た。
それから、のそりと起き上がって、伊里奈のところまで歩いてきた。
「……雪村さん。届いた」
差し出された画面には、勢いだけで打ったような文が並んでいた。
『マコーシャ。イリーナに言っておきなさい。記者に、イリーナはカチューシャの砲手だったって、ちゃんと言っておいたわよ! それと、なんで大洗に行ったかは、自分で言いなさいって。いいわね。――地吹雪のカチューシャ』
伊里奈は、その画面を、しばらく黙って見つめていた。
それから、ふっと、小さく笑った。
「……やっぱり、答えないという選択肢は、あの人にはなかったですね」
「……ここまで当たると、可笑しいわね」
すみれが、記録帳を開いたまま、結局笑っていた。こはると千紗は、もう倉庫の壁にもたれて、声を殺して笑っている。
けれど、伊里奈は、画面の最後の一文から、目を離さなかった。
なんで大洗に行ったかは、自分で言いなさい。
聖グロも、サンダースも、ウサギさんたちも、そこだけは答えなかった。そして、いちばん何でも話してしまいそうな人も、そこだけは、口を閉じた。
みんなが、その一つだけを、自分のために取っておいてくれている。
「……冷泉さん。返信、お願いできますか」
「……何て」
伊里奈は、少しだけ考えてから、言った。
「『わかりました。――イリーナ』と」
麻子は、眠そうな目のまま、そのとおりに打ち込んで、送信した。それから、また倉庫の隅へ戻っていって、クッションに顔を埋めた。
すみれの記録帳。『二時 プラウダ。(冷泉さん経由)カチューシャさん、全部言う。ただし、理由だけは言わない。伊里奈、それを見て、決めた顔をする。』
3/
三時。アンツィオ。
アンツィオ高校の広場では、取材班が、到着して三分で皿を持たされていた。
「よく来たな、月刊戦車道! まずは食え!」
「あの、取材の前に――」
「取材は食いながらでもできる!」
アンチョビが、マントを翻して胸を張った。その後ろで、ペパロニが鉄板をじゅうじゅうと鳴らしている。
取材は、実際、食べながら進んだ。アンツィオの生徒がどうやって戦車の費用を稼いでいるのか。屋台の売り上げが、どれくらい戦車道に消えていくのか。P40は、何年積み立てて買ったのか。
「――それで、今年の大会ですが」
「……二回戦で大洗に負けた。それだけだ。……でも、いい試合だったぞ!」
アンチョビは、一瞬だけうつむいて、すぐに顔を上げた。
「試合のあと、うちの宴会に、大洗の連中を全員呼んだんだ。あの宴会は、優勝した学校よりも盛り上がった自信がある!」
「そのとき、T-34の乗員の方とは――」
「ああ、あの四人か。いちばんよく食ってたな!」
アンチョビは、楽しそうに笑った。
「特にあの操縦手。三皿目でも、一皿目と同じ顔で食ってた。あれは見事だった! あと、記録をつけてた三年生に、うちのレシピを聞かれたな。……うん、いい連中だった」
「……砲手の方については、何か」
「砲手?」
アンチョビは、少しだけ考えた。それから、苦笑いを浮かべて、鉄板のほうを指さした。
「一番よく撃たれたのは、そこのペパロニだ。本人に聞いてくれ」
「えー、覚えてないっすよ。気づいたら、白旗が上がってたんで」
ペパロニは、ヘラを振り回しながら、あっけらかんと答えた。それから、ふと思い出したように付け足した。
「あ、でも、宴会のとき、あの砲手の人、『いい動きでした』って言ってくれたっす。撃った人に褒められるのって、なんか変な感じっすよねー」
その隣で、カルパッチョが、穏やかに微笑んでいた。
「……たかちゃんから聞きました。あの人は、試合のあとに、必ず相手のいいところをひとつ言うんだそうです。……それ以上のことは、わたしたちにはわかりません」
取材班は、結局、元プラウダの件を一度も聞き出せないまま、三皿目のパスタを平らげた。
―――
同じころ、大洗では、沙織の携帯に、アンツィオから写真が届いていた。山盛りのパスタを前に、必死な顔でフォークを巻く記者の姿だった。
「……あの人も、やられたんだ」
沙織は、仲間を見る目でつぶやいた。
―――
四時。
ゲーム部の部室は、カーテンが引かれていて、暗かった。画面の光だけが、三人の顔を、青白く照らしている。
「……あ、あの、取材の……人……ですにゃ……」
ねこにゃーが、画面から目を離さないまま、か細い声で言った。その両隣で、ももがーとぴよたんが、コントローラーを握ったまま、ちらりとこちらを振り向いた。
「ごめんなさいももー。今、ボス戦なももー」
「十分だけ……待ってほしいぴよ」
記者は、十分待った。その後ろで、こはるも十分、画面に釘付けになっていた。
「……あ、そこ、右から回ったほうが……」
「こはる。取材の邪魔をしないの」
すみれに袖を引かれて、こはるはしぶしぶ一歩下がった。
ボスを倒してからの取材は、意外なほどまっすぐに進んだ。三人は、画面の中では何年も一緒に戦ってきた仲間で、本物の戦車に乗ったのは、今年の大会の途中からだった。
「……本物の戦車は……重くて、暑くて……それでも、画面の中より、ずっと……」
ねこにゃーは、そこで言葉を探して、眼鏡をちょっと押し上げた。
「……ちゃんと、ここにいる感じが、するんですにゃ」
伊里奈は、部屋の暗がりの中で、その言葉を聞いていた。
画面の向こうから、こちら側へ。
自分もまた、何年も前に、別の形でそれをしたのだと、伊里奈は思った。ただし、自分は、画面の向こうにあった物語を、今もそのまま脱ぐことができないでいる。
「……伊里奈?」
千紗が、小声で呼んだ。伊里奈は、何でもないと首を振った。
すみれの記録帳。『三時 アンツィオ。(武部さん経由)記者、食べさせられる。 四時 アリクイさん。こはる、取材よりボス戦を見る。伊里奈、少しだけ遠い目をする。』
4/
五時。
生徒会室の窓から、西日が斜めに差し込んでいた。
「いらっしゃーい。干し芋、食べるー?」
杏は、会長の椅子に深く腰かけたまま、記者に干し芋を差し出した。その両側で、桃は直立不動で胸を張り、柚子は、書類の束を抱えてにこにこと笑っている。
取材は、優勝の話から始まった。初めての戦車道で、いきなりの全国優勝。記者がその秘訣を尋ねると、杏は、干し芋をかじりながら、あっさり答えた。
「西住ちゃんがいたからだよー。あと、みんながいたから」
「それだけ、ですか?」
「それだけ。それがいちばん難しいんだけどね」
記者は、少しだけ考えてから、手帳をめくった。
「大洗の隊の編成について伺います。隊長は西住さん、副隊長は――」
「私だ!」
桃が、一歩前に出た。
「副隊長の河嶋桃だ! しっかり書いておけ!」
「……と、雪村ちゃんねー」
杏が、付け足した。桃の肩が、びくりと跳ねた。
「会長! それはそうですが、今は私の番で――」
「だって、二人じゃん。副隊長。河嶋が声を出して、雪村ちゃんが砲塔の上から全体を見てる。あの二人で、ちょうどいいんだよねー」
桃は、何か言い返そうとして、それから、むすっと口をつぐんだ。柚子が、その背中を、そっと叩いた。
「……その雪村さんについてなんですが。今日、他校の取材班からも、いろいろと――」
「うん、知ってる。全部、本人に聞いて」
杏は、一秒も迷わなかった。
「七時に、ちゃんと時間を空けてあるからさ。うちの子のことは、うちの子が話すよ」
記者は、それ以上尋ねなかった。その代わりに、最後の質問をした。
「では、来年の大会に向けて、ひとことお願いします」
杏の手が、干し芋を口に運ぶ途中で、一瞬だけ止まった。
「……来年かぁ」
それから、いつものように、ゆるゆると笑った。
「そのときも、みんなで楽しくやれたらいいなー。……それでよろしく」
生徒会室の扉の外で、それを聞いていた伊里奈は、壁にそっと背中を預けた。
来年。
その言葉の前で、あの人が一瞬だけ止まった理由を、伊里奈は知っている。そして、あの人自身は、まだそれを知らない。ただ、何かの気配を感じているだけだ。
すみれが、伊里奈の横顔をじっと見ていた。それから、記録帳に、いつもより少しだけ小さな字で書き込んだ。
『五時 カメさん。副隊長は二人。会長「全部、本人に」。 会長が「来年」で止まったとき、伊里奈も止まった。』
―――
六時。熊本。
黒森峰女学園の格納庫は、この日のどの取材先よりも、静かだった。
西住まほは、取材班の質問に、ひとつずつ、短く答えた。決勝について。大洗について。来年について。どの答えも、必要なことだけで、余計なものが何もなかった。
その半歩後ろで、逸見エリカは、腕を組んだまま、ずっと不機嫌そうな顔をしていた。
「決勝で特に印象に残った、大洗の車輌はありますか」
「IV号だ」
まほは、即答した。それから、少しだけ間を置いた。
「……それと、T-34」
エリカの眉が、ぴくりと動いた。
「そのT-34の砲手について、元プラウダだという話が――」
「あの赤い星のことなら、うちには言いたいことが山ほどありますけど!」
エリカが、割り込んだ。
「ティーガーIIの砲塔を丸ごとばらす羽目になったんですよ! 整備班に、三日も――」
「エリカ」
まほのひとことで、エリカは口を閉じた。それでも、眉間の皺は消えなかった。
まほは、記者のほうへ向き直った。
「その砲手のことは、去年の決勝のあとから知っている。……だが、私が話すことではない」
「……皆さん、そうおっしゃいますね」
記者が、思わずというようにつぶやいた。
まほは、それを聞いて、ほんのわずかに、口元を緩めたように見えた。
「そうか。……なら、それが答えだ。あの砲手には、そういう仲間がいる」
その後ろで、エリカが、誰にも聞こえないくらいの声で、ぶつぶつとつぶやいていた。
「……だから、支払いは、次の試合で正面から、なのよ」
―――
六時半。大洗。
倉庫の前に、西住みほが、ひとりで立っていた。
手には、携帯を握っている。その画面には、さっき届いたばかりの、短い一通が表示されていた。
『取材は終わった。あの砲手のことは、何も話していない。――まほ』
「……雪村さん」
みほは、倉庫の中から出てきた伊里奈に、その画面を黙って見せた。それから、少しだけ迷って、言った。
「七時、……一緒にいても、いいですか」
伊里奈は、みほの顔を見た。
去年の雨の日の話になったら、この人の前で。それを、一番恐れていたはずだった。
けれど、今日一日で、もうわかっていた。この人もまた、「自分で語る」ことを、自分に待っている人たちのひとりなのだ。
「……はい。いてください」
すみれの記録帳。『六時 黒森峰。(西住さん経由)まほさん、何も話さず。逸見さん、請求書の件を話したそうにしていた(たぶん)。 六時半 西住さん、来る。』
5/
夜の七時。
倉庫の裸電球の下で、T-34は、叩き直した前面装甲をこちらに向けて座っていた。赤い星と、白い熊。
記者は、一日中走り回ったあととは思えないほど、しゃんとした顔で、その前に立った。
「……美しい戦車ですね」
最初の一言がそれだった。こはるが、ものすごく得意げな顔をした。
作業台の前に、椅子が五つ並べられていた。四人と、少し離れたところに、みほ。記者は、みほを見て少しだけ目を見開いたが、何も尋ねなかった。
取材は、乗員の紹介から始まった。
「操縦手のこはるです! 二年です! この子の運転は、誰にも譲りません!」
「……周囲確認と無線の千紗。二年。写真も撮ります」
「装填と記録のすみれです。三年。……今日の取材は、全部記録してあります」
すみれが、分厚くなった記録帳を掲げてみせると、記者は、恐れと感心が半分ずつの顔をした。
そして、最後に、車長の番が来た。
「……車長と、砲手を兼ねています。三年の、雪村伊里奈です」
記者は、手帳を開いた。そこには、今日一日で書き留めた、いくつもの言葉が並んでいるのだろう。けれど、記者は、それを読み上げはしなかった。
「……今日は、一日中、あなたのことを聞いて回っていたようなものでした」
「……はい。少しずつ、聞こえていました」
「皆さん、同じことをおっしゃいました。本人に聞け、と」
記者は、まっすぐに伊里奈を見た。
「ですから、本人に伺います。――答えたくないことは、答えなくても構いません」
伊里奈は、小さく息を吸った。
隣で、こはるが、膝の上で拳を握っている。千紗は、カメラを下ろしていた。すみれのペンは、一日で初めて、止まっていた。そして、少し離れたところで、みほが、黙ってこちらを見ていた。
「……私は、二年間、プラウダ高校の戦車道にいました」
声は、思っていたよりも、震えなかった。
「カチューシャさんのT-34/85の砲手でした。去年の決勝も、その砲手席にいました」
記者は、何も言わずに頷いた。
「去年の決勝の、雨の日のことは……ご存じだと思います。あの日、私は、砲手席で、何もできませんでした」
みほのほうを、見ないようにした。見たら、そこで止まってしまいそうだったからだ。
「私は、撃たなかったんです。撃たないでくださいと、言うことしかできなかった。……それでも、試合は終わりました。そういうものだと、わかっていたはずなのに」
倉庫の中が、しんとした。
「……では、大洗に来られたのは、そのためですか」
「それも、あります。でも、理由は、ひとつではありません」
伊里奈は、そこで、少しだけ間を置いた。
「残りは……いつか、ちゃんと話せる日が来たら、まず、ここにいる人たちに話したいと思います。雑誌よりも、先に」
すみれが、わずかに息をのんだ。
記者は、しばらく黙っていた。それから、手帳のそのページに、短く何かを書いて、閉じた。
「……わかりました。そこは、書きません」
そのときだった。
「……あの」
みほが、小さく手を挙げた。
「ひとつだけ、言ってもいいですか」
記者が頷くと、みほは、伊里奈のほうを見た。その目は、一度もそらされなかった。
「去年の決勝のあと、挨拶の列で、ひとりだけ勝った顔をしていなかった人がいたって、お姉ちゃんが言っていました。……私は、そのとき、下ばかり見ていたので、知らなかったんですけど」
みほは、少しだけ笑った。
「その人が、今年は、私たちの後ろから、ずっと撃ってくれていました。……雪村さんは、大洗の砲手です。それだけ、書いてください」
伊里奈は、何も言えなかった。
言えないまま、ただ、深く、頷くことしかできなかった。
―――
最後の質問は、どの学校にもしたという、同じものだった。
「今、戦車道は楽しいですか」
「はい!」
こはるが、真っ先に答えた。千紗が、カメラを構え直しながら「楽しいです」と続け、すみれが「記録が追いつかないくらいには」と答えた。
そして、三人が、そろって伊里奈を見た。
伊里奈は、叩き直した前面装甲の、赤い星を見上げた。それから、記者のほうへ向き直った。
「……はい。今は、とても」
6/
記者を校門まで送っていくと、外はもう、すっかり暗くなっていた。
「一日、ありがとうございました。……とても、いい取材になりました」
記者は、五人に深く頭を下げた。それから、少しだけ照れたように笑った。
「実は、今日の特集の題を、まだ決めていなかったんです。でも、今、決まりました」
「……何と、ですか」
「それは、発売日のお楽しみです」
記者は、重そうなカメラを肩に掛け直して、夜の坂道を下りていった。
―――
倉庫へ戻る道を、五人で歩いた。
こはると千紗が、今日の取材でいちばん面白かった場面を、前のほうで言い合っている。その少し後ろを、すみれが、記録帳を閉じて歩いていた。今日は、もう、書くことがないという顔だった。
いちばん後ろを、伊里奈とみほが、並んで歩いていた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
「……西住さん」
先に口を開いたのは、伊里奈だった。
「さっきは、……ありがとうございました」
「ううん」
みほは、首を横に振った。それから、夜空を見上げた。
「私も、前の学校のこと、ちゃんと話せるようになるまで、すごく時間がかかったから。……今も、全部は、話せてないかもしれないけど」
「……はい」
「だから、雪村さんが『いつか』って言ったの、ちょっとだけ、わかる気がするんです」
みほは、伊里奈のほうを見て、穏やかに笑った。
「その日が来たら、……私にも、聞かせてください。待ってますから」
伊里奈は、立ち止まりそうになるのを、こらえた。
その日は、そう遠くない。この夏の終わりに、この人たちの学校が、もう一度取り上げられようとする日が来る。そのとき、自分は、何を、どこまで話すのだろう。
「……はい。お約束します」
それだけを、ようやく言った。
―――
その夜遅く、伊里奈の携帯が鳴った。
麻子からだった。カチューシャからの一通が、そのまま転送されていた。
『マコーシャ。イリーナに伝えなさい。わかればいいのよ。――それと、あんたもとっとと寝なさい。もう十時よ。――地吹雪のカチューシャ』
その下に、もう一行だけ、麻子の字があった。
『……そっちも起きてる。と、送っておいた』
伊里奈は、声を殺して笑った。
―――
倉庫の作業台の上に、すみれの記録帳が置きっぱなしになっていた。
その最後のページには、一日分の観察記録のあとに、いつもより少しだけ乱れた字で、こう書かれていた。
『七時 シロクマさん。伊里奈、自分で話す。理由の残りは、「まず、ここにいる人たちに」。 ――待つ。いくらでも。』