大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
エキシビションマッチ始まります!
1/
その日の大洗の空は、抜けるように青かった。
試合開始の一時間前。集合場所の広場には、四つの学校の戦車が、学校ごとに並んでいた。聖グロリアーナのチャーチルとマチルダ。緑色のT-34とIS-2。そして、そのどれとも違う、小さくて丸っこい、日本の戦車。
「――大洗女子学園の皆さんですね!」
長い黒髪の少女が、胸を張って歩み寄ってきた。その後ろに、同じカーキ色のパンツァージャケットの生徒たちが、きっちりと列を作って続いている。
「知波単学園、隊長の西絹代です。本日は、優勝校と肩を並べて戦えること、光栄に思います!」
「西住みほです。こちらこそ、よろしくお願いします」
みほが頭を下げると、西は、さらに深く頭を下げた。その後ろで、一列に並んだ知波単の生徒たちが、いっせいに頭を下げる。その速さに、優花里が小さく「おお……」と声を漏らした。
「本日は、我ら知波単、伝統の――」
「突撃であります!」
列のどこかから、元気な声が上がった。それを合図に、知波単の生徒たちが、口々に「突撃!」「突撃あるのみ!」と叫び始める。西が、少しだけ困ったように笑った。
「……と、いうことです。元気だけは、どこにも負けません!」
伊里奈は、その光景を、少し離れたところから見ていた。
知っている。この人たちが、このあと、どうするのかを。
そして、それを知っていても、この元気な声を、嫌いにはなれなかった。
―――
広場の向こう側では、紅茶の香りがしていた。
ダージリンは、チャーチルの前に置かれた小さなテーブルで、優雅にカップを傾けていた。その周りで、オレンジペコと、金髪をきっちりまとめたアッサムが、地図を広げている。少し離れたところでは、赤い髪の少女が、クルセイダーの上でじっとしていられないように足をばたつかせていた。
伊里奈の姿を見つけると、ダージリンは、カップを少しだけ掲げてみせた。
「ごきげんよう。今日は、割れないカップを持ってきたわ」
「……それは、何よりです」
「ただし、中身をこぼさせられるかどうかは、あなた次第よ」
ダージリンは、それだけ言うと、またカップを口に運んだ。その隣で、オレンジペコが、小さく会釈してくれた。
―――
そして、そのさらに向こう側に、緑の戦車たちがいた。
「――遅いわよ、イリーナ!」
ノンナの肩の上から、よく通る声が飛んできた。
「カチューシャさん。……まだ、集合時間の前ですよ」
「カチューシャより後に来たら、それは遅刻なのよ!」
理屈になっていない。けれど、二年間、ずっとこうだった。伊里奈は、思わず笑ってしまった。
そのとき、ノンナの後ろから、もうひとり、背の高い少女が姿を現した。
長い金髪。プラウダの制服。そして、どこか、この国の空気に、まだ少しだけ馴染んでいないような立ち姿。
その少女は、伊里奈を見て、ノンナに何かを尋ねた。ロシア語だった。
伊里奈には、その半分くらいが、聞き取れた。二年間、カチューシャとノンナが交わす言葉を、すぐそばで聞いていたからだ。
――この人が、イリーナですか。
ノンナが、同じ言葉で答える。――そうです。カチューシャの、前の砲手です。
「――ちょっと! 日本語で話しなさいよ!」
カチューシャが、ノンナの肩の上で頭を抱えた。
「クラーラよ。この夏から、ロシアから来た留学生。……クラーラ、これがイリーナ。大洗の砲手よ」
クラーラと呼ばれた少女は、伊里奈の前に進み出て、ゆっくりと微笑んだ。
「……はじめまして。クラーラです」
きれいな日本語だった。
伊里奈は、一瞬だけ、言葉を失った。
知っている。この人のことも。画面の向こうで、何度も見た。この人が、いつ、どこで、何をするのかも。
けれど、自分が席を空けたその後に、この人が来たのだと、今、はじめて実感した。
「……はじめまして。雪村伊里奈です。……カチューシャさんとノンナさんを、よろしくお願いします」
クラーラは、少しだけ首をかしげた。それから、またゆっくりと微笑んだ。
「……はい。ただし、今日は、敵同士ですね」
「そうよ!」
カチューシャが、胸を張った。
「約束どおり、カチューシャがちゃんと粛清してあげるわ。――手加減なんてしたら、許さないわよ!」
「はい。しません」
伊里奈は、まっすぐに答えた。
ノンナが、少しだけ目を細めた。その後ろの列では、KV-2の前に立ったニーナとアリーナが、大きく手を振っている。少し離れたところでは、短い髪の同級生が、T-34/76の砲塔にもたれて、ぶっきらぼうに片手を上げた。
今度やったら、私が勝つ。
北の海で聞いたその声を、伊里奈は思い出していた。
―――
「……伊里奈ちゃん」
自分たちのT-34のところへ戻ると、こはるが、操縦窓から顔を出して待っていた。
「あの金髪の人、だれ?」
「クラーラさんです。プラウダに、この夏から来た人。……とても、強い人ですよ」
「……なんで知ってるの?」
千紗が、砲塔の上から首をかしげた。
伊里奈は、一瞬だけ答えに詰まった。それから、砲塔に手をかけて、自分の席へのぼった。
「……カチューシャさんの隣に並んでいて、弱い人はいませんから」
それは、嘘ではなかった。ただ、全部でもなかった。
装填手席で、すみれが、何も言わずに砲弾を数え直していた。
2/
試合開始の合図から、二十分。
ゴルフ場の緑の中に、ひとつだけ、白い穴があった。
バンカー。砂の窪地の底に、チャーチルが一輌と、マチルダが四輌、身を寄せ合うようにして並んでいる。その周りの稜線を、大洗と知波単の戦車が、ぐるりと取り囲んでいた。
その向こう、ゴルフ場の反対側では、別の砲声が響いていた。カモさんチームのルノーB1bisと、レオポンさんのポルシェティーガー、それに福田の九五式と知波単のもう一輌が、林の向こうから近づいてくるプラウダと、撃ち合っている。
「――こちらカモ! プラウダ、まだ来るわ! こっちは任せて、そっちは早く片付けなさい!」
「福田、必ずここを守るであります!」
無線に飛び込んでくる声の向こうで、重い砲声が、何度も重なっていた。あの音を、伊里奈は知っている。IS-2の砲声だった。
「――包囲、完了しました」
無線から、みほの落ち着いた声が聞こえた。
「各車、そのまま稜線の陰から、射撃を開始してください。砂地では、向こうは思うように動けません。焦らず、一輌ずつです」
「シロクマ、了解」
伊里奈は、照準器をのぞき込んだ。バンカーの縁の向こうに、マチルダの丸い砲塔が、半分だけのぞいている。
「――発射」
最初の一発を撃ったのは、IV号だった。華の弾が、マチルダの足回りを正確に捉える。砂ぼこりが上がって、一輌が動かなくなった。
続いて、知波単の九七式が一発。もう一輌のマチルダが、砂の中で足を止めた。
無線の向こうで、知波単の生徒たちの歓声が、一気に膨らんだ。
「やったぞ!」「敵は崩れている!」「今こそ――」
伊里奈の背中に、ひやりとしたものが走った。
知っている。このあと、この声がどうなるのかを。
「――西さん!」
伊里奈は、思わず、全車に向けて叫んでいた。
「稜線を越えないでください! 向こうは、まだ――」
「――突撃!」
その声は、伊里奈の声を、きれいに上から塗りつぶした。
稜線のあちこちから、小さな九七式が、いっせいに飛び出した。せっかくの射撃位置を捨てて、砂の窪地に向かって、一直線に。
「待ちなさい! 突撃はまだ――」
無線の向こうで、西の声が、必死にそれを止めようとしていた。けれど、一度走り出した九七式たちは、もう、誰の声も聞いていなかった。
無線が、ほんの一瞬だけ、静かになった。
「……まあ、いいか」
伊里奈は、耳を疑った。
稜線の端で、西の九七式が、エンジンを吹かした。その砲塔の上で、西が、IV号のほうへ向き直って、きれいに敬礼していた。
「西住さん、お先に失礼いたします! ――知波単学園、突撃!」
そして、部下たちの後を追うように、稜線を飛び越えていった。
「……止めるほうじゃなかったの?」
千紗が、思わずというようにつぶやいた。伊里奈は、何も答えられなかった。知っていたはずなのに、この目で見ると、やはり言葉が出なかった。
バンカーの底から、チャーチルとマチルダの砲が、ゆっくりと、正確に、稜線の上を向いた。
待ち構えていたのだ。最初から。砂地で動けないのではなく、動かずに待っていたのだ。
砲声が、続けざまに響いた。
一輌。二輌。三輌。稜線を越えた九七式が、砂の斜面の途中で、次々と白旗を上げていく。そのうちの何輌かは、稜線の上で止まってしまった。ちょうど、大洗の戦車の射線を、その車体で塞ぐ形で。最後まで走り続けていたのは、西の九七式、ただ一輌だった。
「……照準、通りません」
伊里奈は、唇を噛んだ。照準器の向こうにあるのは、白旗を上げた九七式の背中だけだった。
「……わかってたんだ。伊里奈。こうなるって」
千紗が、稜線の向こうを見つめたまま、小さく言った。問い詰める声ではなかった。ただ、確かめるような声だった。
「……経験です。砂地の底にいる相手は、たいてい、待ち構えていますから」
それは、嘘ではなかった。ただ、本当の理由でもなかった。
―――
無線の向こうで、西の声がした。
「……申し訳ありません、西住さん。突撃した車輌は、私の一輌のほかは、全部やられてしまいました。林のほうでも、一輌がプラウダにやられたと。……知波単で残ったのは、私と、福田の九五式だけです」
その声は、悔しそうで、それでも、まっすぐだった。
「だが、まだ終わっていません。残った限り、最後までご一緒します!」
「……はい。お願いします」
みほの声は、少しも乱れていなかった。
そのとき、周囲確認の千紗が、後方を指さした。
「――伊里奈、後ろ! 速いのが来る!」
稜線の反対側から、細長い車体の戦車が、砂ぼこりを上げて回り込んでくる。クルセイダーだ。その先頭で、赤い髪が、風になびいていた。
「――全車、市街地のほうへ撤退してください」
みほの声が、全車に響いた。
「挟まれます。その前に、ここを離れます」
「こはる、後退です。稜線の陰を伝って」
「了解!」
エンジンが唸りを上げて、T-34が、ゆっくりと後ずさりを始めた。照準器の中で、白旗を上げた九七式の背中が、少しずつ小さくなっていく。
その中の一輌の砲塔から、知波単の生徒が顔を出して、こちらに向かって大きく手を振っていた。
負けたというのに、笑っていた。
「……後は、お願いしますー!」
伊里奈は、照準器から目を離して、砲塔のハッチから半身を乗り出した。そして、その生徒に向かって、片手を上げた。
止められなかった。やはり。
けれど、あの笑顔を、後で思い出して、少しだけ救われた気持ちになるのだろうと、伊里奈は思った。
3/
市街地へ向かう道の途中に、大洗町役場があった。
「――カモさん、レオポンさん、アヒルさん。町役場の前で、少しだけ足止めをお願いします。知波単の西さんと、福田さんも、一緒に」
「了解したわ。風紀の乱れは、ここで止めるんだから!」
「はいはーい。うちの子、止まってる分には強いからねー」
「はいっ! 根性で守ります!」
ルノーB1bisと、ポルシェティーガーと、八九式が、町役場の前で向きを変えた。その両脇に、西の九七式と、福田の九五式が並ぶ。
その後ろを通り過ぎようとしたとき、伊里奈は、無線のスイッチを入れた。
「――西住さん。シロクマも、ここに残ります。少しだけです」
無線の向こうで、みほが、ほんの一瞬だけ黙った。
「……理由を、聞いてもいいですか」
「こちらに来るのは、クルセイダーだけではないと思います。……たぶん、プラウダが来ます。カチューシャさんの来方なら、私がいちばんよく知っていますから」
「……わかりました。無理はしないでください。もたなくなったら、すぐに市街地へ」
「了解です」
こはるが、T-34を町役場の建物の陰へ滑り込ませた。ポルシェティーガーの巨体の、ちょうど影になる場所だった。
「……どうして、プラウダが来るってわかるの?」
すみれが、砲弾を抱えたまま、小声で尋ねた。
「……聖グロのクルセイダーが、後ろから回り込んできたでしょう。ダージリンさんは、挟むなら、反対側からも来させます。そういう人です」
それも、嘘ではなかった。
―――
「――来た」
周囲確認の千紗が、低い声で言った。
町役場の前の通りを、緑の戦車が、列を作って進んでくる。先頭は、T-34/85。その砲塔の上で、小さな人影が、腕を組んで胸を張っていた。そのすぐ後ろに、IS-2の長い砲身。さらにその後ろに、もう一輌のT-34/85と、T-34/76と、そして、巨大な砲塔を載せたKV-2。列は、さらにその後ろへと続いていた。
「……プラウダだ」
こはるの声が、少しだけ上ずっていた。
伊里奈は、照準器に目を当てたまま、動かなかった。
あの列の並び方を、知っている。絵でも、画面でもなく。自分の体で。二年間、あの先頭の砲手席に座って、あの列のいちばん前から、何度もこういう景色を見てきた。
その列を、今は、反対側から見ている。
4/
「――いたわね、イリーナ!」
無線ではなかった。通りの向こうから、生の声が、風に乗って飛んできた。
先頭のT-34/85の砲塔の上で、カチューシャが、まっすぐにこちらを指さしていた。ポルシェティーガーの影に隠れていたはずなのに、もう見つかっている。
「……どうして、もうわかるの」
千紗が、うめくように言った。
「……二年間、隣にいたからです」
伊里奈は、照準器の十字線を、そのT-34/85に重ねた。
引き金に指をかける。その瞬間、わずかに、指が重くなった。
あの砲塔の下に、自分の座っていた席がある。そこに今座っているのは、自分の知らない誰かだ。そして、その上には、あの人がいる。
去年は、撃てなかった。撃たないでと、言うことしかできなかった。
――手加減なんてしたら、許さないわよ。
伊里奈は、息を止めた。
「――発射」
85ミリの砲声が、町役場の窓を揺らした。
弾は、T-34/85の砲塔の前面を、斜めに叩いた。火花が散って、弾が、暴れるように弾かれて空へ飛んでいく。白旗は、上がらなかった。
「……弾かれた」
すみれが、次弾を押し込みながら言った。
「はい。……あの人は、砲塔を斜めにして止めるんです。正面から撃たれそうなときは、いつも」
知っていた。それでも、撃った。撃たなければ、約束を破ることになるからだ。
砲塔の上で、カチューシャが、腕を振り上げて叫んでいた。
「――そうよ、それでいいのよ! でも、そんなのじゃカチューシャは倒せないわ!」
その声は、どこか、うれしそうだった。
「――こはる、後ろへ三メートル! 今すぐです!」
「えっ、あ、はい!」
こはるが、考えるよりも先にレバーを引いた。T-34が、建物の陰へ、がくんと後ろへ下がる。
その一秒後。さっきまでT-34の砲塔があった場所を、T-34/85の弾が、風を切って通り過ぎていった。
「……うそでしょ」
千紗が、息をのんだ。
「……カチューシャさんは、一発撃たれたら、必ずすぐに撃ち返させるんです。……砲手が誰でも、それは変わりませんから」
伊里奈は、照準器から目を離さずに答えた。
その声が、少しだけ笑っていることに、自分でも気づいていた。
―――
次に来たのは、重い音だった。
ポルシェティーガーの分厚い前面に、IS-2の弾が突き刺さるように当たって、あたりの空気が震えた。なんとか持ちこたえたその巨体の中から、ナカジマののんびりした声がした。
「いやー、重いなあ、あの子の弾。ちょっと、長くはもたないかもー」
「――ノンナさんです」
伊里奈は、無線に向かって言った。
「あのIS-2は、一度狙った場所を、何度でも正確に撃ちます。同じ場所に、留まらないでください。……それと、前へ出ても、だめです」
「了解ー。……いやあ、元プラウダがいると、助かるなあ」
無線の向こうで、ナカジマが楽しそうに笑った。
町役場の前では、ほかの車輌も、撃ち続けていた。ルノーB1bisの砲が火を吹き、その脇で、西の九七式と、福田の九五式が、小さな砲を懸命にプラウダの列へ向けている。
「――発射であります!」
九五式の砲弾は、先頭のT-34/85の正面に、まっすぐ当たった。そして、軽い音を立てて、あっけなく弾かれた。
「……弾かれたであります!? ……いえ、まだであります! 次弾、急ぐであります!」
それでも、福田は、撃つのをやめなかった。小さな九五式が、何度でも、自分より何倍も大きな戦車の列へ、砲口を向け直す。
伊里奈は、次弾を待ちながら、その小さな砲塔を、照準器の端で見ていた。
そのとき、ナカジマの声が、町役場の全車に流れた。
「――みんなー、そろそろ下がろっかー。うちの子も、これ以上はもたないし。時間は、もう十分稼いだよー」
「シロクマ、了解。――こはる、後退です。建物の反対側へ」
「了解!」
ルノーB1bisが、ポルシェティーガーが、八九式が、順に向きを変え始める。
けれど、西の九七式だけが、動かなかった。
「……西さん?」
無線から、西の返事はなかった。ざ、ざ、と、雑音だけが聞こえてくる。さっきのバンカーでの突撃で、無線をどこかにぶつけたのかもしれない。
西は、砲塔の上から、隣の八九式を見ていた。
その八九式のハッチから、磯辺が身を乗り出して、西に向かって大きな口を開けていた。「後退です!」と、叫んでいるのだろう。けれど、砲声とエンジンの音にかき消されて、その声は、こちらまでは届かない。
西は、磯辺の口の動きを、じっと見つめていた。
そして、力強く頷いた。
伊里奈の背中を、また、ひやりとしたものが走った。
知っている。このあと、この人が、何を読み取るのかを。
「――西さん、違います! 後退です!」
伊里奈は、砲塔のハッチから身を乗り出して叫んだ。けれど、その声もまた、砲声にかき消された。
「――突撃、承知いたしました!」
西の九七式が、町役場の前を飛び出した。通りを進んでくるプラウダの列の、まっすぐ正面へ。
何秒もかからなかった。
列の二番目で、IS-2の長い砲身が、わずかに向きを変えた。一発。重い音がして、西の九七式から、白旗が、ぱたんと上がった。
「……西さん」
こはるが、息をのんだ。
白旗の下のハッチから、西が、少しも悪びれない顔で、こちらに向かって敬礼していた。
そのすぐ後ろで、福田の九五式が、エンジンを吹かした。
「西隊長に、続くであります!」
「待ちなさい!」
ルノーB1bisが、その九五式の前に、どんと車体を割り込ませた。
「勝手な行動は禁止です! 並んで、下がりなさい!」
「……は、はいっ。申し訳ありませんであります……!」
九五式のハッチから、福田が、半泣きの顔を出した。園は、ふんと鼻を鳴らして、そのまま九五式を追い立てるようにして下がっていく。
「……風紀委員って、こういうときも風紀委員なんだね」
こはるが、感心したようにつぶやいた。
伊里奈は、白旗を上げた西の九七式に、もう一度だけ目をやった。
止められなかった。今日、二度目だった。
けれど、その敬礼は、まっすぐだった。
―――
ポルシェティーガーが、重たい体をゆっくりと引きずるようにして、それに続く。八九式が、ちょこまかとその後を追う。そのいちばん後ろを、T-34が、砲塔を後ろへ向けたまま、後ずさりで下がっていった。
通りの向こうから、また、生の声が飛んできた。
「――逃がさないわよ、イリーナ! 町の中でも、どこでも、追いかけてあげるんだから!」
伊里奈は、砲塔のハッチから少しだけ身を乗り出して、その声のほうを振り返った。
道の先で、小さな人影が、腕を組んで胸を張っていた。その後ろで、IS-2と、もう一輌のT-34/85が、それに寄り添うように並んでいる。
伊里奈は、何も言わずに、片手を上げた。
答えは、町の中で返せばいい。
5/
町に入ると、音が変わった。
履帯が、土ではなく、アスファルトを噛む音。それが、商店街の両側の壁に跳ね返って、何倍にも膨らんで響く。
そして、その音に重なるように、歓声が上がった。
「――来たぞ、大洗だ!」
「がんばれー!」
道の両側に、町の人たちが並んでいた。店の軒先から。二階の窓から。歩道橋の上から。小さな子どもが、おじいさんに肩車されて、手作りの旗を振っている。
「……すごい」
操縦窓の向こうを見ながら、こはるがつぶやいた。
その人ごみの中に、伊里奈は、見覚えのある前掛けを見つけた。
魚屋のおじさんだった。どこから持ち出してきたのか、大漁旗を両手で振り回している。
「――赤い星ぃぃ! 来年も勝てよぉ!」
伊里奈は、砲塔のハッチから、少しだけ顔を出して、頭を下げた。
来年も。
その言葉が、履帯の音に紛れて、胸の奥に落ちていった。
―――
「――全車、聞いてください」
無線から、みほの声が流れた。
「ここからは、町の中で分かれます。決勝のときと同じように。ただし、今日の相手は、聖グロリアーナとプラウダです。まっすぐフラッグ車を追いかけてくると思います」
フラッグ車は、IV号だ。みほたちの乗る、あんこうチームの戦車。
「あんこうは、町の中を回ります。そのあいだに、各チームは、追ってくる相手を、一輌ずつ減らしてください」
そこで、みほは、少しだけ間を置いた。
「――シロクマさん」
「はい」
「レオポンさんと一緒に、待ち伏せをお願いします。場所は、あとで地図で送ります。……たぶん、プラウダが、そこを通ります」
伊里奈は、一瞬だけ、ヘッドセットを押さえる手に力をこめた。
たぶん、プラウダが。
さっき、町役場で自分が使った言い方だった。
「……了解です。シロクマ、待ち伏せに向かいます」
「それと――」
みほの声が、ほんの少しだけ、やわらかくなった。
「……さっきの町役場、助かりました。ありがとうございます」
「……いいえ」
無線が切れた。伊里奈は、しばらく、ヘッドセットに手を当てたままでいた。
―――
商店街を抜ける角で、T-34は、古い旅館の前を通り過ぎた。
無骨な二階建て。よく磨かれた玄関の戸。日陰の猫は、今日はいなかった。代わりに、玄関の前で、旅館の人たちが、楽しそうに手を振っている。
伊里奈は、その前を通るときだけ、少しだけ速度を落とすように、こはるに頼んだ。
「……どうして?」
「……この建物には、今日、大変なことが起きる気がするので」
こはるは、意味がわからないという顔で、それでも、そっと速度を落としてくれた。
すみれが、装填手席で、何かを書き留めるように、小さく唇を動かした。記録帳は、試合中は開かない。その代わりに、全部、覚えておくのだと、すみれは言っていた。
―――
地図が届いた。
市街地の外れの、広い駐車場だった。
その場所の名前を見たとき、伊里奈は、小さく息を吸った。
知っている。そこで、何が起きるのかを。
そして、その場所に、今度は、自分がいる。
「――こはる、千紗、すみれ」
伊里奈は、照準器から顔を上げて、三人を見た。
「ここから先は、ゴルフ場とは違います。町の中で、正面からです」
「……うん」
「わかってる」
「砲弾は、まだ十分あるわ」
三人の声が、そろった。
伊里奈は、小さく笑って、もう一度、照準器をのぞき込んだ。
「――では、行きましょう。約束の続きを、しに」