大洗にT-34がいたら   作:ouka23

33 / 33
待ったー

1/

試合会場は、どこまでも続く草原だった。

なだらかな丘がいくつも重なって、その向こうに森が黒く沈んでいる。空は高く、雲が速かった。

大洗の九輌は、草原の端に一列に並んでいた。

その向こう、ずっと遠くに、大学選抜の戦車が並んでいるのが見えた。数える気にもならない数だった。

「――丘に誘いこんで、敵の戦力を分断します」

みほが地図を手に言った。

「それから、各個撃破。……そうすれば、勝機はあるかもしれません」

誰も何も言わなかった。

「でも、相手は経験も装備も上です。今回ばかりは……」

みほはそこで言葉を切った。

伊里奈はT-34の横で、その声を聞いていた。

こはるが操縦席のハッチの縁に座っていた。千紗は砲塔の上でカメラを胸に抱えていた。すみれは記録帳を開いたまま、何も書いていなかった。

伊里奈は草原の向こうの、誰もいない地平線を見ていた。

来る。

来るはずだ。

それでも、喉の奥が乾いていた。もし来なかったら。もし、自分がどこかで何かを変えてしまっていたら。

「……伊里奈ちゃん?」

こはるが小さく呼んだ。

「大丈夫です」

伊里奈は答えた。自分に言い聞かせるような声になった。

それから、T-34を離れて、みほの横へ歩いていった。

「……西住さん」

「雪村さん?」

「試合が始まるまで、少しだけ。……地平線のほうを、見ていてください」

みほが目をまたたいた。

「地平線、ですか」

「はい。理由は、今は言えません」

言ってしまえば楽になる。そう思った。けれど、もし来なかったら。この人に二度、同じ絶望を味わわせることになる。

だから、それ以上は言わなかった。

みほは伊里奈の顔をしばらく見ていた。それから、何も聞かずに草原の向こうへ目を向けた。

―――

試合前の挨拶のために、両チームの隊長と副隊長が草原の真ん中へ歩いていった。

みほの後ろに、杏と桃と伊里奈が並んだ。

向かい合ったのは、四人だった。三人の大人びた選手と、その真ん中に、ひとりだけ背の低い少女。

島田愛里寿は、黒いベレー帽をかぶっていた。灰色がかった長い髪が、風に揺れていた。

ボコミュージアムで、包帯だらけのクマに声を張り上げていた子だった。今は、何の表情も浮かべていなかった。

みほが小さく息をのむのが聞こえた。

伊里奈は愛里寿の顔から、目をそらさなかった。

この子が、あと何時間かのうちに、どこまでやるのかを知っている。そして最後に、どんな顔をするのかも。

審判長が、両者のあいだに立った。

「これより、大洗女子学園対大学選抜チームの試合を始めます。一同――」

そのときだった。

地面の奥から、低い音が響いてきた。

「――ちょっと待ったーっ!」

2/

丘の稜線の向こうから、戦車が現れた。

灰色の大きな車体。長い砲身。伊里奈はその形を、一瞬で見分けた。

ティーガーI。その横にティーガーII。後ろにパンターが二輌。

ティーガーIのキューポラから、一人の少女が身を乗り出していた。大洗の制服を着ていた。

「……あ。お姉ちゃん?」

みほの声がかすれた。

ティーガーIが挨拶の列の横で止まった。西住まほは車上から、審判長のほうへ向き直った。

「大洗女子学園、西住まほ」

その隣のティーガーIIから、銀色の髪の少女が顔を出した。

「同じく、大洗女子学園、逸見エリカ。……以下、計十八名。短期転校の手続きを済ませ、本試合に参加します。連盟への手続きも、済んでいます」

エリカはそう言って、ぷいと横を向いた。

みほはしばらく、何も言えないでいた。それから、少しだけうつむいて、小さく言った。

「……お姉ちゃん。ありがとう」

まほは何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ頷いた。

みほが振り返った。伊里奈と目が合った。

「……雪村さん。知って、いたんですか」

伊里奈は少しだけ迷ってから、首を横に振った。

「信じていただけです」

半分は、嘘だった。

みほはそれ以上聞かなかった。ただ、目元を指でぬぐって、小さく笑った。

会場の端の大きな掲示板に、係員が車輌名の札を掛けていく。

――県立大洗女子学園。IV号戦車H型。ヘッツァー。八九式中戦車甲型。III号突撃砲F型。M3リー。ルノーB1bis。ポルシェティーガー。三式中戦車。T-34/85。

その下に、新しい札が掛かった。

――ティーガーI。ティーガーII。パンターG型。パンターG型。

観覧席の天幕の下で、辻局長が立ち上がっていた。

「試合直前に戦車ごと転校など、認められるわけがないでしょう! ルール違反です!」

隣の理事長が、扇子を胸にあてて、ゆっくりと言った。

「あの戦車は、私物じゃないんですか?」

「……は?」

「私物の持ちこみを禁ずる規則は、ありましたかな」

辻が言葉に詰まった。

その間にも、地平線の向こうから次々と砂煙が上がっていた。

「――Hey! 私たちも転校してきたよー!」

シャーマンの砲塔の上で、ケイが大きく手を振っていた。その後ろにファイアフライと、アリサのシャーマン。ナオミがガムを噛みながら、片手を上げた。

「今日から、チームメイトだからね!」

「覚悟しなさい! サンダースが来たからには――」

アリサの声は、大洗の歓声にかき消された。

「黒森峰とサンダースの援軍……!」

「鬼に金棒です!」

優花里が両手を握りしめていた。

伊里奈は動けなかった。

来た。

本当に来た。

知っていたはずなのに、胸の奥が熱くて、うまく息ができなかった。こはるが伊里奈の腕をつかんで、何か叫んでいた。何を言っているのか、よく聞こえなかった。

3/

次に丘を越えてきたのは、緑色の戦車だった。

IS-2。KV-2。

それから、T-34/85が二輌。先頭の車体には、白い字で「015」と書かれていた。

伊里奈の目が、その二輌に吸いついた。

自分の戦車と、同じ形だった。同じ砲。同じ砲塔。三輌が草原の上に並ぶと、どれが大洗の戦車なのか、一瞬わからなくなった。

無線に、聞き覚えのある声が飛びこんできた。

『――ちょっと! 誰よ、先に着いてるのは!』

『カチューシャがずっと寝ていたからです』

ノンナの静かな声が続いた。

『べ、別に来たかったわけじゃないんだからね!』

『一番乗りして、格好をつけたかったのでは』

『うるさいっ!』

大洗の何人かが、思わず吹き出した。

先頭のT-34/85のハッチが開いて、小さな少女が顔を出した。カチューシャは砲塔の上から、伊里奈を見下ろした。

伊里奈はT-34の横で、まっすぐに立った。

「……カチューシャさん」

「ちゃんと寝た?」

「……少しだけ」

「ふん。少しだけ、ね」

カチューシャはそっぽを向いた。けれど、口の端が少しだけ上がっていた。

もう一輌のT-34/85から、クラーラが顔を出した。伊里奈のT-34を見て、それから伊里奈を見て、ロシア語で何かを言った。

ノンナが小さく訳した。

「――よく手入れされている、と」

伊里奈は頭を下げた。

すみれが記録帳を開いて、何かを書いていた。こはるが目を丸くしていた。

「……伊里奈ちゃん、同じ戦車が三つ」

「はい」

「どれが私たちのか、わかんなくなりそう」

「錆びているのが、私たちのです」

千紗がぶっと吹き出した。

聖グロリアーナのチャーチルとマチルダとクルセイダーが、その後ろに続いた。チャーチルの車内で、オレンジペコが紅茶のカップを手にしたまま首をかしげていた。

「試合用の服に、着替えるのではなかったのですか。……どうして皆さん、大洗の制服を」

「皆さんが、一度着てみたいとおっしゃったから」

ダージリンは涼しい顔でカップを傾けた。

小さな戦車が一輌、草原を跳ねるように走ってきた。CV33だった。

「大洗の諸君! 情熱とスタイルとパスタの国から、ドゥーチェ参上だ!」

アンチョビがマイクを握って叫んだ。狭い車内で、ペパロニとカルパッチョが肩を寄せ合っていた。

「驚いた?」

「間に合ってよかった……」

カルパッチョが身を乗り出した。

「カバさんチームのたかちゃーん! 来たよー!」

「ひなちゃん!? ……いや、私はカエサルだ!」

カバさんチームのほうで、カエサルが赤いマフラーに顔をうずめていた。

その後ろから、BT-42が一輌、ゆっくりと現れた。

「みんな、継続高校から転校してきたよー!」

アキが砲塔から手を振った。

「結局、手伝いに来たんじゃん」

「いや」

ミカがカンテレの弦を一本、はじいた。

「風に流されて、ここへ来ただけさ」

4/

最後に現れたのは、地平線を埋めるほどの戦車だった。

九七式中戦車。九五式軽戦車。数えきれないほどの砲塔が、草原の稜線に並んでいた。

「――お待たせいたしました!」

先頭の戦車の上で、西絹代が片手を高く掲げた。

「昨日の敵は今日の友! 勇敢なる鉄獅子二十二輌、ただいま推参!」

無線から、ダージリンの声が流れた。

『……西さん。援軍は総数で二十一輌、とお伝えしたはずだけれど』

「はい!」

『……つまり、知波単は五輌』

一瞬、間があった。

「――申し訳ありません! 間違えました!」

西は少しも悪びれずに振り返った。

「残り十七輌は、待機!」

後ろの十七輌が、一斉に止まった。

伊里奈は思わず、こめかみを押さえた。

九輌。

大洗に、一輌多い。だから、知波単の数が一輌減った。

自分がここにいることで、ほんの少しだけ、何かが変わっている。

掲示板の札が、次々と増えていった。M4。M4A1。ファイアフライ。チャーチル。マチルダ。クルセイダー。IS-2。KV-2。T-34/85。T-34/85。CV33。BT-42。九七式中戦車。九五式軽戦車。

三十。

大洗の欄の数字が、向かいの大学選抜と同じになった。

「……これなら」

ウサギさんチームの梓が、両手を胸の前で握った。

「勝てるかもしれない……!」

天幕の下で、辻が携帯を耳に当てたまま立ち上がっていた。

「試合開始の時点で参加車輌を増やすのは、規則に反するのでは」

理事長が扇子をゆっくりとあおいだ。

「異議を申し立てられるのは、相手チームだけですなあ」

辻が、大学選抜のほうを見た。

挨拶の列の真ん中で、愛里寿が顔を上げた。三人の選手が、その小さな背中を見下ろしていた。

「――構いません」

その声は小さかった。けれど、草原の端まで届いた。

「受けて立ちます」

―――

挨拶が終わると、西が戦車から飛び降りて、伊里奈のほうへ駆けてきた。

「雪村殿!」

「……西さん」

「先日のお電話は、このことでありましたか!」

西の目は、まっすぐだった。

「理由は今は言えぬ、と。……しかと、来ましたぞ」

「……ありがとうございます」

「それから」

西は声をひそめた。

「一度だけ、周りを見る。……忘れておりません」

伊里奈は返事をするかわりに、頭を下げた。

これで、何かが変わるのかどうかは、わからない。

それでも、言っておいてよかった。

5/

天幕の中に、各校の隊長が集まった。

黒板に、みほの字で編成が書かれていく。

――一、IV号、チャーチル、マチルダ、クルセイダー、BT-42、CV33、B1bis、ポルシェティーガー、三式、八九式。

――二、ティーガー、ティーガーII、パンター×2、T-34/85×2、IS-2、KV-2、III突、ヘッツァー。

――三、M4、M4A1、ファイアフライ、M3、九七式×4、九五式。

「三つの中隊に分けたいと思います。中隊長は……」

みほがチョークを持ったまま、少しだけ言いよどんだ。

「お姉ちゃ――西住まほさんと、ケイさんと、私です」

「ちょっと! 西側ばっかりじゃない!」

カチューシャがノンナの肩の上で、拳を振り上げた。

「……隊長、やりたいですか?」

「当然でしょ! カチューシャ以外に誰がふさわしいっていうのよ!」

「じゃあ、また今度……」

みほはにこりともせずに言った。

「カチューシャさんには、副隊長をお願いします」

「……ほんと? し、しょうがないわね。やってあげるわ!」

「ダージリンさんと西さんにも、副隊長を」

「結構よ」

「全力を尽くします!」

まほが手元の書類から顔を上げた。

「……では、大隊長はみほだな」

「私たちは、ミホの指示に従うよ!」

ケイが親指を立てた。

「大隊長、中隊の名前を決めてください!」

「え。……じゃあ」

みほは少し考えてから、黒板に書いた。

「お姉ちゃんの中隊が、ひまわり。ケイさんの中隊が、あさがお。私たちが、たんぽぽ。……どうですか」

伊里奈は天幕の端で、その黒板を見ていた。

ひまわりの欄に、黒森峰の四輌とプラウダの四輌。大洗からは、カメさんチームとカバさんチーム。

ひまわりは、あの丘へ向かう。

あの丘で、空から何かが降ってくる。

伊里奈は一歩前へ出た。

「……西住さん。T-34は、ひまわりに入れてもらえませんか」

みほがこちらを向いた。

「同じ戦車が三輌そろっていれば、プラウダの皆さんと同じ動きができます。……それに」

伊里奈は言葉を探した。全部は言えない。

「あちらの隊は、重い戦車が多いです。足の速いのが、一輌いたほうがいいと思います」

みほは黒板を見て、それから伊里奈を見た。

「……お姉ちゃん、いい?」

まほは短く答えた。

「構わない」

「当然でしょ。カチューシャの元砲手なんだから」

カチューシャがノンナの頭の上で腕を組んだ。

みほはチョークで、ひまわりの欄にもう一行書き足した。

――T-34/85(大洗)。

「作戦は?」

ダージリンがカップを置いて言った。その一言で、天幕の中が一気に騒がしくなった。

「行進間射撃しかないでしょう」

「止まらずに、撃ち続ける!」

「敵の戦線を突破すべきよ!」

エリカが机に手をついた。

「火力優勢ドクトリンでいこうよ! 敵一輌に、こっち十輌!」

ケイが人差し指を立てた。

「両翼包囲に決まってるだろう!」

「冬将軍が味方につくまで待つのよ! 殲滅戦には時間制限がないんだから!」

カチューシャが胸を張った。

「いろいろと考えましたが、やはり突撃が一番かと!」

「まあ、パスタを一杯食べてから考えようじゃないか」

アンチョビが指を振った。

「――ミホの指示に従うって言ったでしょ!」

ケイが両手を叩いた。天幕が静かになった。

「……ひとつだけ、いいですか」

伊里奈が手を上げた。天幕じゅうの目がこちらを向いた。

「大学選抜は、三輌一組で動きます。一輌を三輌で囲んで、確実に仕留める。社会人チームとの試合も、そうやって崩していました」

「三輌一組……」

ダージリンがカップを持つ手を止めた。

「だから、一輌だけで追わないでください。はぐれた一輌から狩られます。……それから、隊長車は後ろにいます。最後まで、ほとんど前に出てきません。前に出てきたときは、もう勝負が決まりかけているときです」

天幕が静まり返った。

ケイが口笛を吹いた。

「よく見てるねー」

「同感だ」

まほが短く言った。エリカが腕を組んだまま、伊里奈を横目で見た。

「……元プラウダの砲手って、伊達じゃないのね」

「当然でしょ。カチューシャが育てたんだから」

カチューシャが胸を張った。ノンナが何も言わずに、少しだけ目を細めた。

みほが伊里奈を見て、小さく頷いた。それから、もう一度黒板に向き直った。

「ひまわりが主力です。あさがおとたんぽぽは両翼を固めてください。各中隊は互いに支え合えるように距離を保って、はぐれないように……」

それから、少しだけ困った顔をした。

「……それで、一番大事なことですけど」

「作戦名は?」

「三方向から攻めるんだから、三種のチーズピザ作戦だ!」

アンチョビが身を乗り出した。

「ビーフストロガノフ作戦が一番よ! 玉ねぎと牛肉とサワークリームの組み合わせに勝るものはないわ!」

「フィッシュ・アンド・チップス・ビネガー作戦にしましょう」

ダージリンが微笑んだ。

「グリューワイン・ウント・アイスワイン作戦!」

「フライドチキンステーキ・グレイビーソース作戦!」

ケイが拳を突き上げた。

「あんこう鍋と干し芋と――」

「会長、混ざらないでください!」

柚子が杏の袖を引っぱった。

「間を取りまして、すき焼き作戦はいかがでしょう」

西が穏やかに言った。

「好物は作戦と関係ないだろう」

まほが眉ひとつ動かさずに言った。

「では、何がいいというのですか」

「マイスタージンガー・フォン・ニュルンベルク作戦はどうだ」

「長いっ!」

「――大隊長、決めてください!」

天幕じゅうの目が、みほに集まった。

みほはチョークを握ったまま、しばらく黙っていた。それから、目を閉じて言った。

「……こっつん作戦、は」

「こっつん?」

「敵を見つけたら、こっつんとぶつかって……」

「なにそれ。ぜんぜん強そうじゃない」

エリカが眉をひそめた。

まほが言った。

「それでいこう」

「……こっつん。わ、わかったわよ」

エリカがそっぽを向いた。

伊里奈の隣で、すみれが記録帳にペンを走らせていた。

――こっつん作戦。

その字が、いつもより少しだけ丸かった。

6/

天幕を出ると、伊里奈は三人をT-34の前に集めた。

「今日の役目を、決めておきます」

こはるが背筋を伸ばした。千紗がカメラを下ろした。すみれが記録帳を開いた。

「こはるさん。なるべく止まらないでください。撃つときも、撃たれそうなときも。止まった戦車から狙われます」

「うん。……止まらない」

「千紗さん」

伊里奈は少しだけ間を置いた。

「……空を、見ていてください」

「空?」

千紗が眉を寄せた。

「敵は地面にいるでしょ」

「地面は私が見ます。千紗さんは空を。何か光ったら、何か落ちてきたら、すぐに教えてください」

千紗はしばらく伊里奈の顔を見ていた。それから、カメラのストラップを首にかけ直した。

「……わかった。空ね」

「すみれさん。白旗の数を記録してください。敵も、味方も」

すみれはペンを持ったまま、少しだけ黙った。

「……味方の欄は、なるべく空けておくわ」

「伊里奈ちゃんは?」

こはるが聞いた。

伊里奈はキューポラの縁に手をかけた。

「私は。――全員を、連れて帰ります」

この戦車の三人だけではなかった。ひまわりの全員。あの丘に向かう全員。

三人は、それ以上何も聞かなかった。

「たんぽぽは右翼へ。あさがおは左翼へ。ひまわりは中央へ」

みほの声が無線に乗った。

「――こっつん作戦、開始!」

「パンツァー・フォー!」

三十輌のエンジンが、一斉に吠えた。

T-34がゆっくりと動き出した。左にカチューシャのT-34/85。右にクラーラのT-34/85。三輌の同じ戦車が、並んで草原を進んでいく。

「……変な感じ」

千紗が砲塔の上でつぶやいた。

「ずっと、敵だった戦車と並んでる」

「今日は、味方です」

伊里奈は答えた。

7/

草原の反対側。

センチュリオンの砲塔の上で、愛里寿が双眼鏡を下ろした。

「隊長、ご指示を」

メグミが無線機を手に言った。

「高校生とはいえ、侮れない」

愛里寿は前を向いたまま言った。

「まず、プラウダと黒森峰の重戦車を叩く。アズミとメグミの中隊は、私の中隊と横一列で前進。敵の側面攻撃に注意。……偵察車は、敵を見つけても撃たないで」

「全車、前へ」

『ルミ、了解!』

『アズミ、了解。前進します』

「メグミ、前進」

二十四輌のパーシングが、草を踏みしだいて動き出した。

8/

草原の上を、CV33が一輌だけ先行していた。

「……あの、ドゥーチェ。ツインテールで前が見えないっす」

「二人乗りなんだから、しょうがないだろう!」

「じゃあ降りてくださいよ」

「降りるならお前だ、ペパロニ!」

「嫌っす」

「なら文句を言うな!」

「……それ、ウィッグじゃないんすか」

「痛っ! 引っぱるな! 地毛だ!」

無線から流れてくる声に、こはるが操縦席で肩を震わせていた。

『――見えた!』

アンチョビの声が、急に真面目になった。

『敵発見! 横一列で、ゆっくり前進中!』

『了解しました』

みほの声が返った。

『大隊長、ひまわりは現在、丘のふもとです』

まほの落ち着いた声が続いた。

伊里奈は双眼鏡を上げた。

目の前に、草原でいちばん高い丘があった。斜面の途中に白い岩肌がのぞいていて、頂上はなだらかに開けている。

『前衛、前進!』

エリカのティーガーIIが斜面に取りついた。

しばらくして、無線が鳴った。

『丘の上に、敵影なし!』

『なら、すぐに占領しなさい!』

カチューシャの声が、無線から飛びこんできた。

『大隊長、指示を』

『……慎重に』

みほの声が、少しだけ硬くなった。

『全車がそろったのを確かめてから、散開して前進してください。敵を見つけても、無理に交戦しないで。ひまわりが突出しすぎると、側面を突かれて分断されるかもしれません。そうなると、ほかの中隊と連携が取れなくなります』

『M26は登るのが苦手よ。大丈夫だって!』

『高地を取れば、戦術的に有利になります』

エリカが言った。

『有利、か。……だが、罠かもしれない』

まほの声だった。

伊里奈の手が、双眼鏡を握りしめた。

罠だ。

その一言が、喉まで出かかった。

『大丈夫よ!』

カチューシャの声が、まほの声にかぶさった。

『結局、妹のこと信用してないんじゃない?』

『…………』

『その点、ノンナはカチューシャのこと完全に信頼してるわよ! カチューシャが雪は黒いって言ったら、白いなんて絶対に言わないんだから!』

『それ、ただの個人崇拝じゃない』

エリカがぼそりと言った。

『……高所の取り合いは、経験のある側に有利だ。今のうちに、少しでも前へ出ておこう』

まほが言った。

伊里奈は無線のスイッチに指をかけた。

「――カチューシャさん」

『何よ』

「頂上に、固まらないでください。……一か所に、集まらないでください」

一瞬、無線が静かになった。

『……わかってるわよ。あんた、誰に言ってるの』

それだけ返ってきた。

全部は言えない。空から何が来るのかは、言えない。言ったところで、なぜ知っているのかを説明できない。

それでも、言える分だけは言った。

『行くわよ、みんな! 二〇三高地!』

カチューシャの声が無線に響いた。

右翼のどこかで、ダージリンの声がした。

『二〇三高地? ……プラウダは、あれがどういう戦いだったか、ご存じなのかしら』

『負けるつもりなのでしょうか』

オレンジペコの声が続いた。

伊里奈は双眼鏡を下ろした。

知っている。旅順の丘が、どれだけの血を吸ったのかを。

そして、この丘で今日、何が起きるのかを。

「千紗さん」

「わかってる」

千紗はもう、空を見上げていた。

「……今のところ、雲しかない」

雲は速かった。

その向こうのどこかに、まだ誰も知らない大砲が一門、口を開けて待っている。

それを知っているのは、ここで自分ひとりだけだった。

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