大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗)   作:ouka23

4 / 5
赤い星は、洗われる

履修者が集められたのは、新学期が始まって数日後の放課後だった。

校庭の端に、二十人ほどの生徒がばらばらに立っている。

戦車道を取った生徒たち、らしい。

バレー部のジャージ姿の四人組。歴史の話で盛り上がっている四人組。小柄な一年生のかたまり。

伊里奈は、その一番後ろに立っていた。隣には、こはると千紗とすみれ。

(……全員、いる)

画面で見たとおりの顔ぶれだった。

右手の端。癖のある茶色の髪の少女と、その両脇にいる二人。

武部沙織。五十鈴華。

そして、そのすぐ横で、そわそわと目を輝かせている、もじゃもじゃ頭の少女。

(秋山優花里)

名前は、口の中だけで呼んだ。

知っている。全員、知っている。

知っているのに、誰とも話したことがない。

不思議な感覚だった。

「はーい、みんな集まったねー」

前に出てきたのは、三人の生徒会役員だった。

小柄な会長の角谷杏は、干し芋をかじりながら手を振る。後ろでは、副会長の小山柚子が心配そうに眉を下げ、片眼鏡の広報・河嶋桃が腕を組んで仁王立ちしていた。

「では、戦車道の履修者に、最初の任務を言い渡す!」

桃の声が、校庭に響く。

「戦車を探せ」

ざわり、と空気が揺れた。

「探せ、って……」

「どこに?」

「学校のどっかにあるから。見つけたら教えてねー」

杏が、干し芋の先を空に向けて言った。

「会長! 説明が足りません!」

「えー? 戦車を探すんだよ?」

「だから、どこにあるのかと聞いているんです!」

生徒たちが、不安そうに顔を見合わせる。

伊里奈の隣で、こはるが小声で言った。

「……ねえ、伊里奈ちゃん」

「はい」

「私たち、もう持ってるよね?」

三人の視線が、伊里奈に集まった。

(……そうだ)

原作どおりなら、ここで全員が学校中を走り回る。

戦車を見つけるのは、そのあと。

でも、自分たちには、もう戦車がある。

伊里奈は、一歩前へ出た。

「あの」

杏の視線が、こちらを向いた。

「戦車なら、もう一輌あります」

干し芋をくわえたまま、杏の動きが止まる。

「……え、なに?」

「倉庫に古い戦車がありました。私たちで直して、動くようにしてあります」

「は!?」

桃が目を剥いた。

「勝手に直したのか!?」

「先生の許可は、いただいています」

千紗が、小声で補足する。

「危ないことはしない、という条件で」

杏が、じっと伊里奈を見た。

そして、にんまりと笑う。

「いいじゃん。動くなら、使っちゃおう」

「会長!」

「だって、探す手間が省けるでしょ。あんた、名前は?」

「雪村伊里奈です。三年生で、転入生です」

「雪村ちゃんね。じゃあ、雪村ちゃんたちは、その戦車の担当ってことで」

あまりにあっさりしていた。

伊里奈は、何を言えばいいのか分からなかった。

(……こんなに簡単に)

取り上げられるかもしれない、と思っていた。

何日も、そのことを考えていた。

それが、たった一言で。

「……ありがとうございます」

「うん。じゃ、よろしくねー」

杏は、ひらひらと手を振った。

桃が何か言いかけて、柚子に「桃ちゃん、落ち着いて」となだめられ、「桃ちゃんと呼ぶな!」と叫んでいる。

こはるが、伊里奈の袖を引いた。

「ねえ、よかったね!」

「……はい」

胸の奥に、じんわりと熱が広がっていく。

守れた。

少なくとも、今は。

     *

生徒たちが一斉に散っていく。

「戦車、戦車!」

「どこだろう?」

賑やかな声が、校庭から校舎の向こうへ流れていった。

伊里奈たちは、そのままT-34のもとへ向かった。

「せっかくだから、校庭まで持ってきちゃおうよ」

こはるが、拳を握る。

「前進と停止しか、まだ練習していませんよ」

「歩くくらいの速さなら、大丈夫でしょ?」

「……ゆっくり、ですよ」

「了解!」

こはるが操縦席に潜り込み、千紗が後ろで外を確認する。

「前方、よし」

「すみれ、時間は?」

「十五時十二分。出発」

T-34が、ゆっくりと倉庫を出た。

履帯が土を踏む音。

重いエンジンの唸り。

校庭のほうから、声が上がる。

「え、戦車が動いてる!」

「うそ、あれ動くの!?」

ざわめきが、一気に広がった。

伊里奈は車長席から、顔を出した。

たくさんの視線が、こちらに集まっている。

(……目立ってる)

頬が、少しだけ熱くなった。

     *

校庭の端に、戦車が並び始めていた。

遠くで歓声が上がるたびに、一輌、また一輌と戦車が見つかっていく。

伊里奈たちのT-34は、ようやく校庭の端に停まった。

「ふう、無事に着いた!」

こはるが、操縦席から顔を出して笑う。

「よくやりました」

「えへへ」

そのときだった。

「T-34!?」

誰かの叫び声が、校庭に響いた。

振り返ると、もじゃもじゃ頭の少女が、猛然と駆け寄ってくるところだった。

「T-34! T-34ですよね!? しかも、動いている!?」

「ゆ、優花里さん、待って!」

後ろから、沙織の声が追いかけてくる。

優花里は、止まらなかった。T-34の前でぴたりと足を止め、車体を上から下まで食い入るように見つめる。

「この砲塔の形……初期型ですね!? T-34/76の、それも初期の!?」

「あの」

「しかも、ここまでちゃんと動く状態に整備されている! これは、いったい誰が!?」

優花里の視線が、勢いよく伊里奈に向いた。

伊里奈は、思わず一歩下がった。

「えっと……私たち、四人で」

「四人で!? 直したんですか!?」

「は、はい」

「すごい……! すごいです!」

優花里は、両手で顔を覆って震えていた。

沙織が追いついて、息を切らしながら優花里の肩を叩く。

「優花里、落ち着いて! ほら、ご迷惑でしょ」

「す、すみません! つい興奮して!」

「ほんと、戦車のことになると止まらないんだから」

華が、おっとりと微笑んで後から来る。

そして、その少し後ろ。

遠慮がちに、一歩下がった場所に、みほが立っていた。

伊里奈の心臓が、どくんと跳ねた。

(……来た)

「あの……」

みほが、おずおずと口を開いた。

画面越しに何度も聞いた声。

少し高くて、遠慮がちで、でも、やさしい声。

本物だった。

「この戦車、本当に、自分たちで直したんですか?」

「……はい」

声が、少し裏返った。

「四人で、一か月半ほどかけて」

「すごい、ですね」

みほは、T-34の足回りを見つめた。

「履修したばかりで、こんなに状態のいい戦車を用意できるなんて。履帯の張りも、転輪の取り付けも、丁寧に整備されていて」

言葉が、どんどん熱を帯びていく。

「ここの部品、わざわざ加工して合わせたんですか? すごく丁寧に――あ」

みほが、はっと口を押さえた。

「ご、ごめんなさい。急に、いろいろ言って」

「いえ」

伊里奈は、首を振った。

「……見ていただけて、嬉しいです」

嘘ではなかった。

胸の奥が、きゅっと鳴った。

(この人は、戦車を見る目がある)

分かっていた。

分かっていたことなのに、実際に目の前で見ると、全然違った。

「あの、お名前を伺ってもいいですか?」

「雪村伊里奈です。三年生で、転入生です」

「三年生の方でしたか。すみません、失礼しました」

みほは慌てて頭を下げた。

「私は、西住みほです。二年生で……あの、私も転校してきたばかりで」

「知っています」

言ってしまってから、口をふさぎたくなった。

「……あの、噂で。戦車道の経験者の方が、転校してきたと」

「あ……」

みほの表情が、ほんの少しだけ曇った。

けれど、すぐに、小さく微笑んだ。

「噂、広がっているんですね」

「すみません」

「いえ。大丈夫です」

それ以上、みほは何も言わなかった。

沈黙が、少しだけ落ちる。

「ねえねえ!」

こはるが、その空気を一気に破った。

「せっかくだから、洗おうよ! みんなで!」

「洗う?」

「戦車! このまま汚れてたら、かわいそうでしょ?」

「……こはる、バケツ持ってきました?」

「持ってきてる!」

こはるは、どこからか大きなバケツを取り出して、自慢げに掲げた。

沙織が、思わず吹き出す。

「面白い子だね。いいなあ、私たちも洗おうよ、みほ!」

「うん……!」

みほが、頷いた。

「優花里さん、一緒に洗いましょう」

「はいっ! 喜んでお手伝いします!」

優花里は、勢いよく敬礼した。

     *

校庭の端に、水の音が響いていた。

「せーのっ!」

こはるが、バケツの水をT-34の車体にかける。

ざあっと泥が流れ、錆びた鉄の下から、うっすらと赤い塗料が顔を出した。

「あ、星だ!」

こはるが声を上げる。

「これ、赤い星のマークだよね?」

「……はい」

伊里奈は、布を握りながら頷いた。

砲塔の側面。

洗い流されて、少しだけくっきりと浮かび上がった、赤い星の名残。

(……こんなふうに、見えるんだ)

倉庫の暗がりで見るのとは、まるで違った。

日の光の下では、色褪せた赤が、思ったより鮮やかだった。

「ソ連の戦車だから、ですか?」

ふいに、隣から声がした。

みほだった。

いつの間にか、スポンジを持って、T-34の反対側から回ってきたらしい。

「赤い星のマーク。ソ連の戦車、ですよね」

「……はい」

「プラウダ高校の戦車とは、マークが違うんですね」

心臓が、止まりそうになった。

「……そう、ですね」

声が、かすれた。

みほは、何も気づいていない様子で、T-34の車体を優しく拭いている。

「きれいにしてあげると、戦車も喜んでいるみたいですね」

「……喜んで、いますか?」

「はい。なんとなく、ですけど」

みほは、くすっと笑った。

その笑顔を、伊里奈は直視できなかった。

(……この人は、知らない)

去年の決勝で、自分が何をしていたか。

あの泥の中で、誰の声を聞いていたのか。

何も、知らない。

知らないままで、いい。

「……そうだと、いいです」

それだけ答えて、伊里奈は車体を拭き続けた。

手が、少しだけ震えていた。

     *

洗車が終わるころには、夕日が校庭を橙色に染めていた。

沙織たちは、自分たちの戦車の前で、満足そうに頷き合っている。

「きれいになったね!」

「ええ。見違えるようです」

「これから、一緒に頑張りましょうね、西住殿!」

「うん。よろしくね」

楽しそうな声が、夕空に溶けていく。

そのすぐそばで、T-34も、すっかり汚れを洗い流されていた。

赤い星が、夕日を受けて、鈍く光っている。

「……伊里奈ちゃん」

こはるが、横から顔を覗き込んできた。

「顔、赤いよ?」

「夕日のせいです」

「でも、それ、さっきから赤くない?」

「……こはる」

「はーい、黙りまーす」

こはるが、にやにやしながら下がっていく。

千紗が、くすりと笑った。

「いい子たちだったね。あの人たち」

「……はい」

「西住さんも、思ったより話しやすかった」

「……そうですね」

伊里奈は、校庭の向こうを見た。

沙織と華と優花里に囲まれて、みほが笑っている。

少し困ったように。でも、確かに、楽しそうに。

(……変えられない)

本当に、そう思う。

この物語は、きっと、予定どおりに進む。

でも。

(今日だけは、少しだけ違う)

原作の洗車の場面に、T-34はいなかった。

画面の隅に、赤い星なんて映っていなかった。

それだけのことが。

なぜか、少しだけ、嬉しかった。

伊里奈は、そっと砲塔に手を置いた。

洗い立ての鉄が、夕日で、温かかった

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。