大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
第6話 一騎打ち
ガールズ&パンツァー二次創作(TV版・第63回大会前)
1/
その日の午後は、風が強かった。
演習場の駐車場で、伊里奈はT-34を停める場所を選んでいた。
「伊里奈ちゃん、ここに停めるの? 道の真ん中だよ?」
「端のほうが、日陰で涼しいと思うけど」
こはると千紗が、そろって首をかしげる。
「今日は、念のためです。ここのほうが安全なので」
「安全って、何から?」
「……空から、です」
すみれが見上げた空には、雲ひとつなかった。三人の怪訝な視線に、伊里奈は曖昧に笑ってごまかした。言えるわけがない。今からこの駐車場に戦車が降ってきます、なんて。
そのときだった。
空の彼方から、重たい爆音が響いてきた。大型の輸送機が低空で姿を現し、その後部から、巨大な鉄の塊が滑り出してくる。パラシュートが開き、戦車を載せたパレットが、地面すれすれを滑るように着地した。
「……戦車? 戦車が、降ってきた……!」
こはるが、口を開けたまま呟く。
着地した戦車は勢いのまま駐車場に突っ込み、そこに停めてあったスポーツカーに激突した。車がひっくり返り、さらにその上を、履帯がめりめりと乗り越えていく。
「ええええっ!? が、学園長の車がああっ!」
どこからか、悲鳴が響き渡った。
「……なるほど。だから、ここだったのね」
すみれが静かに言う。千紗が、伊里奈の腕を掴んだまま小声で聞いてきた。
「伊里奈、あなた予知能力でもあるの?」
「ありません。……勘です」
嘘ではない。全部でもないけれど。
自衛隊の最新鋭、10式戦車。そのハッチが開いて、迷彩服の女性が軽やかに降り立った。
「みなさん、こんにちは! 今日から戦車道を教える、陸上自衛隊の蝶野亜美です!」
その少し前で、沙織ががっくりと肩を落としていた。
「……カッコいい教官って、女の人じゃん……」
華が、困ったように微笑んでいる。伊里奈は、笑いをこらえた。
蝶野は生徒たちを見回して、ある一点で視線を止めた。
「あら、あなた、西住師範のところの……みほさんね!」
みほの肩が、びくりと跳ねた。周囲がざわつく中、みほは困ったように笑って、小さく頭を下げる。
伊里奈は、その横顔を黙って見ていた。画面で観たとおりの光景だった。
2/
「最初の授業は、さっそく模擬戦です!」
「ええっ!?」「いきなり!?」
「大丈夫、みんな初めてなんだから! 戦車はね、乗ってみればわかるの! ガーッと走って、ドーンと撃つ! それが一番の近道よ!」
操縦の仕方ひとつ教えないまま、蝶野は満面の笑みで言い切った。
「……ドーン?」
「撃つ、ということです」
「わかりやすい説明、ありがとう」
こはるとそんなやりとりをしながら、伊里奈はIV号のほうに目をやった。
沙織たち四人が、紙切れを手に何やら言い合っている。役割をくじ引きで決めたらしい。車長は沙織、操縦手は華、砲手は優花里。そして、経験者のはずのみほが、装填手だった。
ぐだぐだだ。画面で観たとおりに。
この模擬戦がどう転ぶのかを、伊里奈は知っている。IV号は二輌に狙われて逃げ回り、草むらで寝ていた麻子を拾い、吊り橋で挟み撃ちにされる。そして麻子の操縦で息を吹き返し、残りの全員を倒して、最後まで残る。
全員を倒して、最後まで。
ならば、自分たちがやるべきことはひとつだ。
「みんな、聞いてください」
T-34の車内で、伊里奈は三人を振り返った。
「この試合では、最初は戦いません。隠れて、見ます」
「えっ、戦わないの?」
「最後まで残ることを優先します。たぶん、最後に残るのはIV号です。私たちが戦うのは、そのときです」
三人が、顔を見合わせた。すみれが、静かに頷く。
「……わかった。雪村さんがそう言うなら」
「りょーかい! 隠れんぼなら得意!」
開始の合図が、演習場に響き渡った。
3/
T-34は、森の縁の茂みに身を潜めていた。
伊里奈は双眼鏡を覗く。遠くの斜面を、IV号が必死に逃げていた。その後ろから、八九式と三号突撃砲が、ぴったりと食らいついている。
「二輌で、IV号を追いかけてる……」
千紗が、息をのむ。
「バレー部と歴史の人たち、組んだのかな」
「たぶん、一番強そうなところから潰すつもりなんでしょう」
それも、知っている。
逃げるIV号の進む先、草地の真ん中に、誰かが仰向けに寝転がっていた。顔の上には、開いたままの本。
冷泉麻子だ。
IV号が、慌てて急停止する。ふらふらと起き上がった麻子が、手を引かれて車体によじ登り、中へと転がり込んだ。
「人が乗った!? 試合中に!?」
こはるが、目を丸くする。
IV号は再び走り出し、谷にかかる吊り橋へ向かった。けれど、慣れない華の操縦では、細い橋の上でうまく車体をまっすぐ保てない。ぐらぐらと揺れる橋の上で、IV号の動きが止まりかける。
「伊里奈、橋の向こう!」
千紗が指をさした。吊り橋の反対側から、38(t)とM3が近づいてくる。後ろからは、八九式と三突。
挟み撃ちだ。
「……助けなくていいの?」
こはるが、操縦席から不安げに振り返った。
「今は、動きません」
伊里奈は、双眼鏡から目を離さずに答えた。
「この試合は、全員が敵です。それに……あの戦車は、ここでは負けません」
砲声が響いた。三突の砲弾がIV号に命中し、車体が大きく揺れる。白旗は上がらない。けれど、IV号は橋の上で、ぴたりと止まってしまった。
操縦手の華が、気を失ったのだ。
数秒の静寂。
そして、IV号が再び動き出した。
さっきまでの、おぼつかない動きではない。揺れる吊り橋の上で、車体は少しもぶれずにまっすぐ進み、鮮やかに橋を渡りきっていく。
冷泉麻子の操縦だ。
画面の向こうで何度も驚かされた動きを目の前で見て、伊里奈の背筋がぞくりとした。
「すごい……急に、上手くなった」
すみれが、思わず呟く。
そこからは、早かった。
IV号は、追ってきた敵を一輌ずつ迎え撃った。三突と撃ち合い、白旗。八九式と撃ち合い、白旗。38(t)と撃ち合い、白旗。まるで西部劇の決闘のような、一対一の撃ち合いが三度続いた。
残ったM3は、慌てて逃げようと向きを変える。その瞬間、無理な旋回に耐えきれず、履帯がばちんと外れた。走行不能。白旗。
「……全部、やっつけちゃった」
こはるが、呆然と言う。
「はい。残っているのは、私たちとIV号だけです」
伊里奈は、双眼鏡を下ろした。
ここまでは、画面で観たとおりだ。けれど、ここから先は違う。原作に、この続きはない。
ここから先は、一騎打ちだ。
4/
森の中の、小さく開けた場所。伊里奈は、そこにT-34を止めさせた。
「ここで待ちます。IV号は、必ずここに来ます」
「どうしてわかるの?」
「……最後の一輌を、探しに来るからです」
あの人なら、必ず来る。逃げ場のない一輌を、遠くからこそこそ狙ったりはしない。正面から向き合いにくる。それが、西住みほという人だ。
「……来た」
千紗が、小さく言った。木々の向こうに、IV号が姿を現す。距離は、およそ百五十メートル。車体を斜めに構えて、ゆっくりと近づいてくる。
読まれている。ここで待ち伏せていることも。
「こはる、まだ動かないで。すみれ、振動は?」
「今のところ、大丈夫」
伊里奈は、照準器を覗いた。
IV号の車体が揺れた。撃ってくる――そう思った瞬間、車体が急に向きを変えた。
フェイントだ。わかっていた。画面で何度も観た動きだ。撃つ素振りを見せて、相手が反応した一瞬の隙に、別の方向へ回り込む。
なら、こう。
伊里奈は、砲塔をわずかに右へ振った。回り込む先を、先に押さえる。
「こはる、右へ! 合図したら、すぐに!」
「わかった!」
「千紗、IV号の砲塔は?」
「まだ、こっちを向いてない!」
今だ。
「こはる、右旋回!」
――車体が、動かなかった。
一瞬だけ。本当に、ほんの一瞬だけ。こはるが操縦桿を倒したのに、車体の反応が遅れた。
「右に、曲がらない!」
こはるの悲鳴が、車内に響く。
「操作を急がないで! いったん前進を止めて!」
すぐに指示を切り替える。けれど旋回の反応は、さっきよりもさらに鈍くなっていた。
昨日、すみれが記録していた右側の揺れ。小さな違和感として、見逃してしまっていた。
「伊里奈、右側に負荷がかかってる!」
「わかりました。こはる、前進しながら向きを変えて!」
「や、やってみる!」
T-34が、じりじりと動き出す。けれど、その一瞬の遅れが決定的だった。
照準器の向こうで、IV号はすでに位置を変えていた。その砲口が、まっすぐこちらを向いている。
読めていたのに。画面で観た動きを、ちゃんと読めていたのに。
読めることと、戦えることは、別だった。
5/
「みぽりん、まだ一輌残ってる! あの赤い星の!」
車長席から外を覗いた沙織が、叫んだ。
IV号の車内は、ひどい有様だった。気を失った華が座席の隅に寝かされ、操縦席には、さっき拾ったばかりの麻子が眠そうな顔で座っている。くじ引きで決めた役割は、もうとっくにめちゃくちゃだった。
装填手の席から、西住みほは森のほうに目を凝らした。
T-34。試合が始まってから、一度も姿を見せなかった戦車だ。
ずっと、どこかで見ていたのだろう。全員が潰し合うのを、隠れて待っていた。最後の一輌になるまで。
経験のない人の動きではない、とみほは思った。
「森の中です。たぶん、待ち伏せしてます。冷泉さん、正面から近づいてください。ゆっくりで大丈夫です」
「わかった」
IV号が、森の中の開けた場所へ進む。思ったとおり、T-34が木々の陰に構えていた。
みほは、いつものように撃つ素振りを見せてから、回り込もうとした。
けれど、T-34の砲塔は、みほが回り込むより先に、右へ向きを変えようとしていた。
読まれている。
背筋が、すっと冷えた。黒森峰でも、ここまで先回りされたことはほとんどない。
次の瞬間、T-34の車体がわずかに揺らいだ。曲がろうとして、曲がりきれない。ほんの一瞬の、けれど確かな遅れ。
「冷泉さん、左に回り込んでください!」
麻子の操縦で、IV号が滑るように回り込む。照準器の中で、T-34の側面ががら空きになった。
「……秋山さん、撃ってください」
砲声が、森に響いた。
T-34の車体が大きく揺れ、白旗がぱたりと上がる。
『そこまで! 試合終了よ!』
無線から蝶野の声が聞こえて、車内に歓声が弾けた。沙織が叫び、優花里が拳を突き上げる。
けれど、みほは白旗を上げたT-34から、しばらく目を離せなかった。
あの人は、どこで戦車道を学んだのだろう。
6/
T-34の車内に、しばらく沈黙が落ちた。
「……負けちゃったね」
千紗が、小さく呟く。こはるは操縦桿を握ったまま、動かなかった。
「……ごめん。私が、もっと早く曲げられたら」
「違います」
伊里奈は、はっきりと言った。
「こはるのせいじゃありません。右側の機構が、まだ完全じゃなかったんです。私たちが、見逃していた」
すみれから記録帳を受け取る。右側の振動。負荷がかかったときの、反応の遅れ。短い走行では表に出なかった症状が、戦闘中の旋回で、はっきりと現れた。
動かせるようにすることと、戦えるようにすることは、違ったのだ。
「……悔しい」
すみれが、記録帳を握りしめて言った。
「でも、悪くなかったと思う」
「……はい」
伊里奈は、小さく微笑んだ。
悔しかった。本当に、悔しかった。
画面の向こうでは、負ける側の気持ちなんて考えたこともなかった。今は、胸がじんじんと痛い。
原作は、変えられない。大洗の最初の模擬戦は、IV号が最後まで残る。結果は、予定どおりだった。
それでも、悔しいと思えることが、ほんの少しだけ嬉しかった。
戦車から降りると、IV号から出てきたみほが、まっすぐこちらへ歩いてきた。その後ろでは、目を覚ました華が沙織に支えられ、優花里がはしゃぎ、麻子が眠そうにあくびをしている。
「雪村さん、お疲れさまでした。最後、すごく緊張しました」
「こちらこそ。見事な動きでした」
本心だった。みほは、少しだけ首をかしげた。
「あの……最後、私たちの動きを読んでいませんでしたか? 撃つ前に動いて、その隙に回り込む。雪村さん、私たちより先に、右へ砲塔を向けようとしていましたよね」
心臓が跳ねた。
「それに、試合のあいだ、ずっと隠れていましたよね。まるで、最後に私たちが残るって、最初からわかっていたみたいで」
言えるはずがない。画面で観たから、なんて。
「……車長として、ほかの車長の癖が気になるんです。それに、西住さんたちが一番強そうでしたから」
言葉を選びながら、そう答える。みほは目を瞬かせて、それからふっと笑った。
「癖、ですか。……そんなふうに言われたの、初めてです」
「……あの」
不意に、別の声がした。小柄な少女が、のそりと現れる。長い黒髪を揺らして、眠そうな目をこちらに向けた。
冷泉麻子だった。
「……右」
「え?」
「右の履帯、遅れてた。操舵の反応が鈍い。動き出す前に、ひと呼吸ある。直したほうがいい」
伊里奈は、目を見開いた。
「……見ていたんですか」
「見た。気になった」
「ありがとうございます。助かります」
「……別に」
麻子は、ふいと視線を逸らした。みほが、くすりと笑う。
「冷泉さん、機械のことになると細かいんですね」
「……うるさい」
画面で観た、あの二人だった。伊里奈は、小さく笑った。
7/
夕方の倉庫。T-34の車体の右側には、さっきの戦闘でついた小さな傷が残っていた。
「右側の旋回機構。症状は、負荷がかかったときの反応遅れ。始動時の振動も、関係があるかもしれない」
すみれが、記録帳を読み上げる。
「私たちだけで、見つけられるかな」
「難しいかもしれません」
千紗の問いに、伊里奈は正直に答えた。
「外から見ただけではわからない部分が、まだ残っています。無理に手を入れて、別の場所まで壊したくありません」
「じゃあ、誰かに見てもらう?」
こはるが、顔を上げる。
「……はい。自動車部の方に、お願いしてみようと思います。戦車の整備なら、あの人たちが一番詳しいはずですから」
画面の向こうで、大洗の戦車を何度も蘇らせてきた人たち。彼女たちなら、きっと。
「今日の記録、まとめておくわ」
「私も、操縦してて感じたことを書く!」
「周りの状況は、私が整理しておくね」
三人の顔を順番に見て、伊里奈は頷いた。
「……ありがとう。次は、勝ちましょう」
「うん!」
夕日が倉庫の壁を橙色に染め、T-34の装甲に、赤い星が淡く映っていた。
変えられなくても、悔しいと思えた。仲間と一緒に、悔しがれた。
今日は、それだけで十分だと思った。
伊里奈は砲塔に、そっと手を置いた。
「また、動こうね」
誰に聞かせるでもない、小さな声だった。