大洗にT-34がいたら(旧題眠れる鉄騎と、春の大洗) 作:ouka23
1/
第63回戦車道全国高校生大会。その組み合わせ抽選会の会場は、各校の制服で埋め尽くされていた。
黒森峰の黒いパンツァージャケット。各校の、色とりどりの制服。そして会場の奥には、濃い緑の上着に赤い詰襟の、見覚えのある制服も。
プラウダだ。
伊里奈は、反射的に顔を伏せた。誰が来ているのか、確かめる勇気はなかった。
それでも、胸の鼓動はなかなか落ち着かなかった。
「……雪村、どうした。顔色が悪いぞ」
隣の桃が、怪訝そうに覗き込んでくる。
「……人が多くて、少し酔っただけです」
嘘ではない。全部でもないけれど。
壇上で、大洗の名前が呼ばれた。みほが、ぎこちない足取りで前に出る。箱の中から引き抜いた札には、「8」と書かれていた。
隣の「7」の席には、すでに名前が入っている。
サンダース大学付属高校。
会場のあちこちから、ざわめきが上がった。優勝候補の一角。全国でいちばん多くの戦車を持つ、とびきり裕福な学校。
「いきなりサンダースですか……!」
優花里が、頭を抱えている。
伊里奈は、壇上のみほを見つめていた。札を握りしめたまま、少しだけ青い顔で立ち尽くしている。
知っている。この組み合わせも。このあと、何が起きるのかも。
2/
「せっかくだから、みんなでお茶していこうよ!」
抽選会の帰り道、沙織が元気よく手を上げた。
「この近くに、戦車喫茶があるんだって。ブザーが砲声になってるんだよ、砲声!」
「それはぜひ行かねばなりません!」
優花里が、一瞬で復活した。華が穏やかに微笑み、麻子が「……ケーキがあるなら」と小さく頷く。
「雪村さんも、一緒にどうですか?」
みほが、少し遠慮がちに振り返った。
伊里奈は、一瞬だけ言葉に詰まった。
戦車喫茶ルクレール。画面の向こうで観たとき、いつか行ってみたいと本気で思った店だ。ブザーの砲声も、ケーキを運んでくる小さな戦車も、全部知っている。
そして、そこに誰がやってくるのかも。
黒森峰の隊長と、副隊長。去年の決勝で、あの雨の中にいた人たち。
自分の顔を、誰かが覚えているかもしれない。そう思っただけで、足がすくんだ。
「……すみません。今日は、先に帰ります。倉庫で、こはるたちが待っているので」
「そうですか……」
みほは少しだけ残念そうに笑って、「また今度、一緒に行きましょう」と手を振った。
伊里奈は、五人の背中を見送った。それから、駅とは反対の方角へ、ゆっくりと歩き出した。
――帰る、と言ったのに。
気づけば、喫茶店の向かいの通りに立っていた。大きな窓ガラスの向こうで、五人が席についている。小さな戦車の模型が、テーブルにケーキを運んでいく。優花里が身を乗り出し、沙織が笑い、みほが、少しだけ楽しそうにしている。
そこへ、黒いジャケットの二人が入っていった。
短い髪の、凛とした少女。その半歩後ろに、銀色の髪の少女。
西住まほと、逸見エリカ。
声は、窓越しには聞こえない。ただ、みほの肩がびくりと跳ね、ゆっくりとうつむいていくのが見えた。エリカが何かを言い、沙織が立ち上がりかけ、華がその腕をそっと押さえる。
伊里奈は、拳を握りしめた。
「まだ戦車道をやっているとは思わなかった」。彼女がそう言っていることも、エリカがあの子の家の名前を持ち出していることも、聞こえなくてもわかった。
あの雨の決勝。あの子が居場所を失ったのは、自分がいた学校との試合だ。
自分には、あの店に入る資格など、ないのかもしれない。
しばらくして、黒いジャケットの二人が店を出てきた。
伊里奈は、とっさに電柱の陰に身を寄せた。エリカは一度もこちらを見ずに、さっさと歩いていく。
けれど、まほは、一瞬だけ足を止めた。
通りの向こう。電柱の陰。そこに立つ、大洗の制服の少女に。
目が、合った。
ほんの一秒。それだけで、まほは何も言わずに、また歩き出していった。
3/
西住まほは、駅へ向かう道を歩きながら、さっきの顔を思い出していた。
「……隊長? どうかされましたか」
半歩前を歩いていたエリカが、振り返る。
「いや。……誰かを、見た気がしただけだ」
電柱の陰に立っていた、大洗の制服の少女。肩までの髪。静かな顔立ち。
どこかで、見た顔だと思った。
去年の決勝。雨が上がったあとの、試合後の挨拶。プラウダの列の中で、一人だけ、勝った者の顔をしていなかった少女がいた。泥だらけの制服のまま、まるで自分が負けたかのように、うつむいていた。
――まさか。
プラウダの生徒が、大洗の制服を着ているはずがない。他人の空似だろう。そう思うのに、あの目が、なぜか頭から離れなかった。
みほを見つめる、あの目。窓ガラスの外から、まるで守るように。
「……エリカ」
「はい」
「大洗の登録車輌を、あとで確認しておいてくれ」
エリカは、少しだけ意外そうな顔をした。それから、「はい」と短く答えた。
まほはそれ以上、何も言わなかった。ただ、妹のいる喫茶店のあたりを、一度だけ振り返った。
4/
一回戦までの日々は、あっというまに過ぎていった。
試合は、フラッグ戦。お互いに一輌ずつ、フラッグ車を決め、先に相手のフラッグ車を倒したほうが勝ち。大会の決まりで、一回戦の車輌数は十輌まで。
サンダースは、当然のように十輌を揃えてくる。大洗は、T-34を入れても六輌。
ある朝、優花里が学校を休んだ。
伊里奈は、その理由を知っていた。前の日の夕方、港に泊まったコンビニの定期便で、もじゃもじゃ頭が荷台に潜り込むのを、たまたま見ていたからだ。
止めなかった。あの子は、サンダースの制服を着て作戦会議にまで潜り込み、最後にはバレて全速力で逃げ帰ってくる。そして、選手の編成をまるごと持ち帰ってくる。
それが、あの子にとって、初めて「友達のために」した大冒険になることも。
その日の夕方、みほたちが優花里の家を訪ねたと、あとで聞いた。理髪店の二階の、戦車のグッズで埋まった部屋で、優花里は泣きそうな顔で笑っていたらしい。
「秋山さん、すごいね。一人でサンダースに乗り込んだんだって」
倉庫でこはるが感心すると、すみれが記録帳から顔を上げた。
「無茶よ。……でも、その無茶のおかげで、相手の編成がわかった」
シャーマンが主力。その中に、長い砲を積んだファイアフライが一輌。
伊里奈は、その名前を聞いて、小さく息をついた。遠くから、一発で仕留めてくる。最後に、あのIV号と、ほとんど同時に撃ち合うことになる戦車だ。
5/
それからの大洗は、少しずつ変わっていった。
みほを先に帰らせたあと、あんこうチームの四人が、こっそり居残りで練習をしている。一年生たちも、バレー部も、歴女の四人も、練習試合の患しさを忘れていなかった。
そしてある日、格納庫の前の戦車から、派手な色が消えた。
ピンクのM3も、金色の38(t)も、のぼりだらけの三突も。どれも、元の地味な色に塗り直されている。代わりに、それぞれの車体に、小さなマークが描かれていた。
あんこう。カメ。アヒル。カバ。ウサギ。
そのマークが、そのままチームの名前になるのだという。
「うちも、何か描こうよ!」
こはるが、うずうずと刷毛を握っている。
「うちには、もう赤い星があるでしょう」
「それはそれ、これはこれ! みんな動物だもん。仲間はずれは、いやだよ」
千紗とすみれが、顔を見合わせる。それから、三人そろって伊里奈を見た。
「……伊里奈ちゃんって、なんか雪っぽいよね」
「……雪っぽい?」
「うん。名前も雪村だし、白いし、寒いところが似合いそうだし。だから――」
こはるは、そのまま赤い星の横に、めきめきと何かを描き始めた。
丸い耳。太い足。白い体。
「……シロクマ、ですか」
「シロクマさんチーム! どう?」
伊里奈は、しばらく何も言えなかった。
雪と氷の国の、白い熊。何も知らないはずのこはるが、よりによってそれを選んだ。
「……いいと思います」
そう答えると、こはるは嬉しそうに、刷毛を振り上げた。
赤い星の横で、少し不格好なシロクマが、のんびりと座っていた。
6/
一回戦の当日。
試合会場に着いた大洗の面々は、そろって口を開けた。
サンダースの陣地には、戦車だけでなく、食事を作る車、シャワーの車、ヘアサロンの車まで並んでいる。まるで、小さな町がそのまま引っ越してきたかのようだった。
「……金持ちだ……」
こはるが、呆けたように呟いた。
「試合前の交流です。よろしければ、お食事でもいかが?」
出迎えたのは、二人の副隊長だった。ひとりは、笑顔の奥に、あからさまにこちらを見下した色を浮かべている。もうひとりは、背が高く、無口で、ガムを噛んでいた。
アリサと、ナオミ。
伊里奈は、ナオミのほうを、そっと見つめた。ファイアフライの砲手。この試合で、いちばん怕い相手だ。
そこへ、明るい声が飛んできた。
「Hey、オッドボール三等軍曹!」
金色の髪をなびかせて、サンダースの隊長が駆け寄ってくる。優花里が、びくりと身をすくめた。
「この前は大丈夫だった? すごい勢いで逃げてったから、心配しちゃった。またいつでも遊びにおいでよ、うちはいつでもオープンだから!」
ケイ。伊里奈は、思わず口元を緩めた。画面の向こうでも、この人は、一度も嫌な人には見えなかった。
ケイは、そのまま杏のほうへ向き直った。
「あなたが生徒会長ね! よろしく、アンジー!」
「ア、アンジー!?」
桃と柚子が、そろって目を丸くする。杏は干し芋をくわえたまま、のんびりと笑った。
「OK、OK、おケイだけに〜」
「AHAHAHA! ナイスジョーク!」
ケイがお腹を抱えて笑い出す。伊里奈は、思わず口元を押さえた。
ケイは、みほと握手を交わし、それから、後ろの伊里奈にも大きな手を差し出した。
「あなたが、もうひとりの副隊長さんね。T-34の! ダージリンから聞いてるわ、カップを割らせたって」
「……それは、たまたまです」
「Oh、謙虚でよろしい! いい試合にしましょうね!」
太陽みたいな笑顔だった。
伊里奈は、その手を握り返しながら、ちらりと空を見上げた。
この試合のどこかで、空に、ひとつの気球が浮かぶ。無線を盗み聞くための、小さな仕掛けが。
それを仕掛けるのは、この人ではない。けれど、この人のチームの中の誰かだ。
「……よろしくお願いします」
伊里奈は、いつもより少しだけ、強くその手を握った。