Blue Archive fo MetroExodus 作:宇迦之たま猫
プロローグ
レッドウィンター連邦学園に入学してから、一年が経った。
僕も晴れて二年生だ。去年より少し背が伸びて、制服を新調し、相変わらず白いダッフルコートを着て登校している。成績はまずまず。射撃の実技は申し分ないけれど、数学については今もノドカのお世話になっていた。
幸い、今年は追試を受けずに済んだ。ノドカには足を向けて寝られない。
この一年で色々なことがあった。レッドウィンターのクーデターに巻き込まれたり、学区外へ食べ歩きに出かけたり、チェリノに懐かれて事務局へ頻繁に呼び出されるようになったり。特にクーデターの件は、今思い出しても少々やりすぎだったと思う。
たった二つのプリンが原因で、学園の武装勢力をまとめて叩きのめしたのだから。
おかげで僕は『暗闇のアルチョム』などという物騒な名前で呼ばれるようになった。前世でスパルタンオーダーに所属していた頃のコードネーム、アルチョム・ダークと似ているのが何とも不思議だ。
もっとも、この二つ名には思わぬ利点もあった。
最近はクーデターが起きても、僕が通りかかると双方が自主的に停戦してくれるのだ。以前、革命派と保安委員会が睨み合っている通りを歩いていたら、揃って道を譲られたことがある。おまけに革命派の指揮官から「お荷物をお持ちしましょうか」とまで聞かれた。
そこまで怖がらなくてもいいと思う。
まあ、おかげで買い物は随分と楽になった。最近ではチェリノに頼まれたお菓子を運ぶ時も、特に心配せずに済んでいる。
そうやって、騒がしくも平和な毎日を送っていた。
けれど、その日は少し事情が違った。
朝から学園の空気が妙に落ち着かなかったのだ。
普段なら校内放送でチェリノの演説が流れたり、どこかで革命派の抗議活動が始まったりするのだけれど、今日はそれがない。廊下を行き交う生徒たちも、スマートフォンを片手に何やら話し込んでいた。
「ねえ、聞いた? 連邦生徒会長が行方不明なんだって」
「本当なの? さっきニュースで見たけど……」
「それだけじゃないよ。各学区で行政システムが止まってるらしい」
……連邦生徒会長?
廊下を歩きながら、僕は眉を寄せた。
キヴォトス全体を統括する連邦生徒会。その頂点に立つ人物が姿を消したというのなら、確かに大事件だろう。
しかし、そんな重要人物が突然いなくなるものなのだろうか。
考え事をしていると、スマートフォンが震えた。
画面にはトモエの名前が表示されている。
『アルチョムさん、おはようございます。突然で申し訳ありませんが、至急レッドウィンター事務局までお越しいただけますか? チェリノ会長がお呼びです』
……嫌な予感がする。
何しろチェリノに呼び出される時は、大抵ろくでもないことが起こる。
前回は会長の帽子がなくなったので一緒に探してほしいという話だった。結局、帽子はチェリノ自身が座っていた椅子の下から見つかった。
その前は事務局の冷蔵庫に保管していたプリンがなくなったという話だった。犯人はチェリノ本人だった。
さらにその前は、チェリノの肖像画に落書きがされていたので犯人を捕まえてほしいという話だった。
……あれはマリナの仕業だったかな。
いずれにせよ、今日は何だろう。
僕は少し考え、それからトモエへ返信した。
『わかった。今から行くよ』
◇
「アルチョム! よく来たのだ!」
事務局の扉を開けると、チェリノが勢いよく駆け寄ってきた。
いつものように立派な帽子を被り、胸を張っている。後ろにはトモエが控えていたけれど、その表情は普段より少し硬かった。
「おはよう、チェリノ。トモエも」
「おはようございます、アルチョムさん。急なお呼び出しにもかかわらず、お越しいただきありがとうございます」
「構わないよ。それで、何かあったの?」
「うむ! 大事件なのだ!」
チェリノは机の上に置かれた新聞を指差した。
大きな見出しが目に飛び込んでくる。
『連邦生徒会長、消息不明。各自治区で混乱拡大』
「……やっぱり、その話か」
「そうなのだ! 連邦生徒会長がいなくなったせいで、キヴォトス中が大騒ぎになっておる! おいらのレッドウィンターにまで余計な問題が飛び火したら困るのだ!」
何だかいつもと立場が逆だ。
普段は自分たちで騒動を起こしている側なのに、今度は他の学区からの混乱を心配しているらしい。
「実際、既にいくつかの影響が出ています」
トモエが資料を差し出した。
「連邦生徒会が管理する一部の行政システムで障害が発生し、自治区間の手続きにも遅延が出始めています。物流についても、今後は影響が大きくなる可能性がありますね」
「物流……」
それは困る。
学区外から取り寄せている部品や材料もあるし、何より食料品の供給が滞るのは歓迎できない。
僕が思わず顔をしかめると、チェリノが力強く頷いた。
「わかるぞ、アルチョム! おいらも同じ気持ちなのだ!」
「そう?」
「うむ! このままでは輸入のお菓子が届かなくなるかもしれん! そんなことは断じて許されないのだ!」
……やっぱり、そこか。
「というわけで、アルチョム! お前に重要な任務を与えるのだ!」
「任務?」
「DU地区の連邦生徒会へ行って、今の状況を調べてくるのだ!」
僕はチェリノを見た。
チェリノも僕を見た。
「……僕が?」
「うむ!」
「トモエじゃなくて?」
「トモエにはおいらの補佐という重要な仕事があるのだ!」
「マリナは?」
「あいつはこの混乱に乗じてクーデターを企てないよう、しっかり監視しておかねばならん!」
なるほど。
確かに、マリナならやりかねない。
しかし、だからといって僕を選ぶ理由は何だろう。僕は生徒会の役員でもなければ、政治に詳しいわけでもない。
「僕はただの生徒だよ。連邦生徒会に行っても、できることなんて少ないと思うけど」
「何を言っておる! お前はレッドウィンター最強の生徒なのだぞ!」
またそれか。
「それに、おいらの友達なのだ!」
チェリノは当然のように付け加えた。
僕は少し驚いて彼女を見た。
「アルチョムなら、向こうで何か起こっても大丈夫なのだ。それに、偉そうな連中においらの言葉をしっかり伝えてくれるだろう?」
「……まあ、伝えるだけなら」
「うむ! それでよい!」
チェリノは満足そうに頷いた。
トモエが横から補足する。
「正式な外交交渉は事務局が担当しますので、アルチョムさんには現地の情報確認と、私たちからの書簡を届けていただければ十分です。連邦生徒会側には事前に連絡しておきます」
「なるほど。それなら何とかなりそうだね」
「それと、もう一つ」
トモエが少し声を落とした。
「今回の連邦生徒会長失踪について、何か不審な点があれば報告してください。もちろん、危険を冒してまで調べる必要はありません」
「わかった」
僕は書類を受け取り、内容を確認した。
難しい政治用語が並んでいる。全部理解できたとは言い難いけれど、少なくとも僕に求められていることはわかった。
状況を確認し、必要な情報を持ち帰る。
それだけだ。
「では、頼んだぞ! アルチョム!」
「うん。行ってくるよ」
「それと!」
チェリノが僕の袖を引っ張った。
「帰りに何か美味しいものを買ってくるのだ!」
……予想していた。
「お土産なら、時間があればね」
「うむ! 期待しておるぞ!」
トモエはそんな僕たちを見て、くすりと笑っていた。
こうして僕は、レッドウィンター連邦学園からDU地区へ向かうことになった。
まさか、その先で僕の新しい人生を大きく変える出会いが待っているとは、この時はまだ思ってもいなかった。
◇
DU地区は、レッドウィンターとは随分と違う場所だった。
列車を降りて駅舎から出ると、まず建物の高さに驚かされた。どこを見ても高層ビルが立ち並び、頭上には道路や鉄道が幾重にも交差している。巨大な広告スクリーンには商品の宣伝が映し出され、通りには数え切れないほどの車と人が行き交っていた。
以前訪れたゲヘナやトリニティも立派な街だったけれど、ここはまた別の意味で凄い。何しろ、街そのものが巨大な機械のように見える。
しかし、どうやら調子はあまり良くないらしい。
交差点では信号機が点滅を繰り返し、警察官らしい生徒たちが交通整理に追われている。駅前の行政窓口には長い行列ができていたし、ニュースを流す大型スクリーンには連邦生徒会長の失踪に関する報道が繰り返し表示されていた。
通り過ぎた二人組の生徒が、昨日から銀行の手続きができないと不満を漏らしていた。その隣では、宅配便の配達員らしいロボットが端末を叩きながら困り果てている。
ここまで来ると、流石に笑い事ではない。
昔、モスクワの地下鉄でも一つの駅が機能しなくなっただけで周辺の生活が大きく変わることがあった。物資の流通や人の移動を支える仕組みは、普段は意識されなくても、それが止まった瞬間に重要さを思い知らされる。
幸い、こちらではまだ食料が普通に売られているし、列車も動いていた。
ただ、これがいつまで続くかはわからない。
「……チェリノの心配も、あながち間違いじゃないのか」
もっとも、彼女が心配していたのはお菓子の輸入だったけれど。
僕はスマートフォンで地図を開き、目的地への経路を確認した。目指す連邦生徒会の本部は、巨大な建造物であるサンクトゥムタワーの近くにあるらしい。
遠くに目を向ければ、街並みの向こうに一際高い塔がそびえ立っている。
なるほど、あれか。
あれほど大きいなら、道に迷う心配もなさそうだ。
……そう考えてから三十分後、僕は見事に道に迷った。
「……どうしてこうなったんだろう」
立派な建物が多すぎる。
しかも、歩行者用の通路が地上にも地下にも存在し、時には建物の中を通り抜けなければ目的地に辿り着けない。地下鉄のトンネルなら地図と方角さえわかれば大抵どうにかなったけれど、これは少々勝手が違う。
仕方なく近くの案内所で道を聞き、ようやく目的地へ辿り着いた頃には、予定より随分と時間が経っていた。
トモエには少し遅れると連絡しておこう。
◇
連邦生徒会の建物は、想像していた通り立派だった。
広々としたロビーには磨き上げられた床が広がり、壁には大きな案内板が掲げられている。受付には制服を着た職員が何人もいたけれど、全員が忙しそうに端末を操作していた。
僕は受付でレッドウィンターからの書簡を見せた。
「あの、レッドウィンター連邦学園から来たアルチョムです。事前に連絡が入っていると思うんだけど」
「レッドウィンター……ああ、チェリノ会長からの使者の方ですね。少々お待ちください」
職員の生徒は端末を操作し、僕の名前を確認した。
その途端、何故か彼女の手が止まった。
「……アルチョム・アレクセエヴィチ・チョルヌィさん?」
「うん。僕だけど」
「…………」
彼女は端末と僕の顔を交互に見た。
「……あの、失礼ですが」
「何かな?」
「レッドウィンターの『暗闇のアルチョム』というのは、もしかして……」
「……そう呼ばれてるらしいね」
「ひっ」
……今、悲鳴が聞こえなかっただろうか。
受付の生徒は慌てて姿勢を正すと、妙に丁寧な口調で案内を始めた。
「れ、連邦生徒会の七神リン首席行政官に面会をご希望ですね! 現在は非常にお忙しい状況ですので、こちらのレセプションルームでお待ちいただけますでしょうか!」
「ありがとう」
「と、とんでもございません!」
そんなに緊張しなくてもいいのに。
……どうやら、あの二つ名は学区外にまで広まっているらしい。
あまり嬉しくない話だった。
案内されたレセプションルームには、既に何人かの生徒が集まっていた。
最初に目に入ったのは、青い髪をした少女だった。ミレニアムの校章が付いた制服を着て、端末に表示された数字を睨みつけている。その表情は随分と険しく、何やら小声で計算を続けていた。
近くには、長い黒髪と大きな黒い翼を持つ少女がいた。背が高く、手にした銃も大きい。身のこなしからして、かなり鍛えられているのがわかる。
さらに、銀色の長い髪を持つ少女と、眼鏡を掛けた赤みがかった髪の少女が、廊下の向こうを警戒するように眺めていた。
どの子も武装している。
……これが普通の光景なのだから、キヴォトスという世界は面白い。
「あの、すみません」
僕が声を掛けると、青い髪の少女が顔を上げた。
「はい? 何かご用ですか?」
「レッドウィンターから来たんだけど、ここで待つように言われたんだ。空いてる席に座ってもいいかな?」
「ああ、他の学園の方でしたか。どうぞ、席は空いてますよ」
「ありがとう」
近くの椅子へ腰を下ろすと、彼女は再び端末へ目を落とした。
画面には数字とグラフが並び、その一部が赤く表示されている。
「……まったく、冗談じゃないわ。これだけの損失を誰が補填すると思ってるのよ……」
随分と大変そうだ。
「何かあったの?」
「何かあった、なんてものじゃありません! 行政システムの不具合でミレニアムの設備管理にまで影響が出てるんです! この前なんか風力発電所の運用まで止まってしまって……!」
彼女はそこまで一気に喋り、途中で我に返った。
「あっ、ごめんなさい。初対面の方に愚痴なんて」
「いや、気にしないで。困ってるのはよくわかったよ」
「……ありがとうございます。私は早瀬ユウカ。ミレニアムサイエンススクールの生徒会、セミナーで会計を担当しています」
「アルチョム。レッドウィンターの二年生だよ」
「二年生? じゃあ同い年ですね」
彼女は少し表情を和らげた。
「レッドウィンターも大変なんでしょうね。あそこは寒冷地ですし、物流が止まったら相当な影響が出るんじゃないですか?」
「そうだね。食料も燃料も必要だから。でも、僕がここへ来た一番の理由は、会長が輸入のお菓子を心配しているからなんだ」
「……お菓子?」
「うん」
ユウカは何とも言えない顔になった。
「……レッドウィンターって、いつもそんな感じなんですか?」
「大体そんな感じだよ」
「大変ですね……」
心底同情された。
否定できないのが悲しい。
「レッドウィンターといえば、頻繁にクーデターが起きることで有名ですね」
今度は黒い翼の少女が話しかけてきた。
「私は羽川ハスミ。トリニティ総合学園の正義実現委員会に所属しています」
「よろしく、ハスミ」
「こちらこそ。失礼ですが、お名前をもう一度伺っても?」
「アルチョムだよ。アルチョム・アレクセエヴィチ・チョルヌィ」
「……チョルヌィ?」
ハスミが僅かに眉を動かした。
「もしかして、あの『暗闇のアルチョム』ですか?」
「……やっぱり知ってるんだ」
「ええ。レッドウィンターの保安委員会と革命派が、たった一人の生徒に制圧されたという報告を目にしたことがあります。まさか、あなたがその当人だったとは」
ユウカが勢いよく顔を上げた。
「ちょっと待ってください! あの事件って本当だったんですか!?」
「残念ながら」
「残念ながら!?」
ハスミは少し興味深そうに僕を眺めた。
「双方の指揮系統を同時に崩壊させたそうですね。詳しい戦闘記録が残っていなかったので、正直なところ誇張された噂かと思っていました」
「……色々と運がよかったんだよ」
「運だけでできることではないと思いますが」
そう言って、ハスミは小さく微笑んだ。
ユウカは僕を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……あれ、確か原因がプリンだったとか」
「うん」
「本当にプリンだったんですか!?」
「二つとも潰れたんだ」
「……二つ」
ユウカは頭を抱えた。
「駄目だわ。レッドウィンターのことは、私の計算では理解できそうにない……」
……どうして僕までレッドウィンターのおかしな部分として扱われているのだろう。
少しだけ心外だった。
「失礼。アルチョムさん、でしたか」
眼鏡を掛けた少女が声を掛けてきた。
「私は火宮チナツ。ゲヘナ学園の風紀委員会に所属しています」
「よろしく、チナツ」
「こちらこそ。ところで、先程から少し気になっていたのですが、左手に怪我でも?」
「え?」
「手の甲に、古い傷跡が見えます」
僕は自分の手を見た。
確かに、小さな傷跡が残っている。去年、銃の整備中に部品で切ったものだ。大した傷ではなかったので、すっかり忘れていた。
「ああ、これか。工具で切っただけだよ」
「そうでしたか。傷は塞がっているようですが、作業をする際は十分に気を付けてください」
「ありがとう」
チナツは小さく頷いた。
真面目で、面倒見のいい子らしい。風紀委員会と聞くと何だか厳しい印象があったけれど、彼女は随分と親切だった。
「守月スズミです。トリニティの自警団として活動しています」
銀髪の少女が静かに名乗った。
「最近は各地で治安が悪化しています。レッドウィンターでも同じようなことが起こっていますか?」
「うーん……」
僕は少し考えた。
「普段からクーデターが起きてるから、何がいつもと違うのかわからないかな」
「…………」
スズミは無言になった。
それから、困ったように頷いた。
「……そういう問題もあるのですね」
「あるんだよ」
何とも妙な会話になってしまった。
しかし、思いがけず知り合いが増えたのは嬉しいことだった。皆それぞれ違う学園に所属しているけれど、連邦生徒会の対応に不満を抱いているという点では共通しているらしい。
聞けば、彼女たちも行政の混乱について説明を求めるため、ここへやって来たのだという。
ミレニアムの設備問題、トリニティの治安悪化、ゲヘナの矯正局に関する問題。どれも深刻そうだった。
僕は鞄からトモエに預かった書簡を取り出した。
……お菓子のことしか考えていないように見えたチェリノだけれど、こうして比べると、ちゃんと他の学園と同じ問題を心配していたらしい。
少し見直した。
◇
「ちょっと、いつまで待たせるつもりなのよ!」
ユウカがとうとう立ち上がった。
僕たちが到着してから随分と時間が経っている。職員は何度か顔を見せたものの、肝心の責任者は一向に現れなかった。
「お気持ちはわかりますが、ユウカさん。落ち着いてください」
「落ち着いていられますか! こっちはわざわざ時間を作って来てるんですよ!」
「実際、連邦生徒会側にも対応が必要な案件が山積しているのでしょう。とはいえ、これ以上待つのも問題ですね」
ハスミが腕を組み、チナツが時計を確認する。
スズミは窓の外を眺めながら、周辺の治安状況に関するニュースを確認していた。
僕はといえば、購買で買ったパンを食べていた。
昼食を取る暇がなかったのだ。
「……アルチョムさん」
「ん?」
「こんな状況で、よくそんなに落ち着いていられますね……」
ユウカが呆れたように僕を見る。
「お腹が空いてたからね。ユウカも食べる?」
「結構です!」
即答された。
どうやら彼女は随分と真面目な性格らしい。
僕は残りのパンを食べ終え、包装紙を畳んだ。
その時、レセプションルームの扉が開いた。
「……皆さん、随分とお待たせしてしまいましたね」
現れたのは、長い黒髪に眼鏡を掛けた、背の高い少女だった。落ち着いた物腰だけれど、その顔には疲労の色が濃い。
そして、彼女の隣にはもう一人。
見慣れない服装をした大人が立っていた。
……大人?
僕は思わず目を留めた。
キヴォトスで生まれ育って十六年。もちろん大人を見たことがないわけじゃない。柴関ラーメンの大将のような獣人もいれば、ロボットの店員だっている。
けれど、目の前にいる人物は違った。
人間の大人だ。
そして、頭上にはヘイローがない。
僕はしばらく、その人を眺めていた。
前世の記憶が、ふと頭をよぎる。
モスクワの地下鉄で暮らしていた人々。オーロラ号の仲間たち。そして、アンナ。
あの世界では当たり前だった姿が、今では随分と珍しく感じられる。
不思議なものだ。
「七神リン首席行政官ですね!」
ユウカが勢いよく立ち上がった。
「ようやく会えたわ! 今の状況について説明してください!」
どうやら、こちらが連邦生徒会の責任者らしい。
リンと呼ばれた少女は、ユウカを見て小さくため息をついた。
「早瀬ユウカさん、でしたね。皆さんがお越しになった理由は承知しています」
「だったら話が早いわ。連邦生徒会長はどこにいるの? 各学区がこれほど混乱しているのに、どうして何の説明もないんですか!」
「こちらとしても、できる限りの対応を続けています」
「その結果がこれなの!?」
ユウカの声が一段と大きくなる。
ハスミが一歩前へ出た。
「首席行政官。私からもお尋ねします。各地で治安が悪化し、正義実現委員会だけでは対応が追いつかない状況です。連邦生徒会として、今後どのような対応を取られるおつもりでしょうか」
「ゲヘナでも問題が発生しています。連邦矯正局から脱走者が出たという情報について、確認をお願いしたいのですが」
「トリニティの市街地でも不良による襲撃が増えています。これ以上の放置は危険です」
チナツとスズミも続いた。
リンは一つ一つの言葉を黙って聞いていたけれど、途中でこめかみを押さえた。
……大変そうだ。
少なくとも、僕ならこの状況で彼女の立場にはなりたくない。
「レッドウィンターからも書簡を預かってるんだ。あとで確認してもらえると助かるよ」
僕が書類を差し出すと、リンは少し驚いた顔をした。
「……レッドウィンターの方もいらっしゃったのですね」
「うん。アルチョムというんだ。チェリノから頼まれて来たよ」
「アルチョム……」
リンは僕の顔を見てから、受け取った書類へ目を落とした。
「なるほど。あなたが……」
「?」
「いえ、何でもありません。書簡は確かに受け取りました」
……また何か知っているような反応だ。
どうやら本当に、あのプリン事件は学区外にまで知れ渡っているらしい。
少々複雑な気分だった。
「さて、皆さん。まず最初にお伝えしなければならないことがあります」
リンは姿勢を正した。
「連邦生徒会長ですが、現在、行方がわからなくなっています」
室内が静まり返った。
「……え?」
ユウカが間の抜けた声を漏らした。
「行方がわからないって……失踪したってこと?」
「はい」
「そんな……!」
チナツが息を呑み、ハスミが難しい顔になった。スズミも目を見開いている。
僕は黙ってリンを見つめた。
既に噂は聞いていたけれど、こうして直接認められると事態の重大さがよくわかる。
キヴォトスという巨大な都市の頂点に立つ人物が、何の前触れもなく消えてしまった。
しかも、代わりに指揮を執る人物まで十分な権限を持っていないという。
「現在、サンクトゥムタワーの行政制御権を正常に使用できない状態です。会長の不在によって、各地のシステムにも影響が出ています」
「……つまり、今の連邦生徒会には状況を収拾する力がないということですか?」
ハスミの問いに、リンは苦い表情を浮かべた。
「少なくとも、従来の方法では難しい状況です」
何とも厄介な話だった。
指揮官が行方不明になった上に、残された人間が重要な設備を動かせない。そんなことになれば、どれほど立派な組織でも混乱するだろう。
もっとも、レッドウィンターの場合は指揮官が失脚しても翌日には戻ってきたりするけれど。
……いや、あれは比べるべきではないな。
「ただし、打開策が全くないわけではありません」
リンはそう告げると、隣に立つ大人へ視線を向けた。
「こちらの方を紹介します。連邦生徒会長が特別に指名した、連邦捜査部シャーレの顧問となる先生です」
「……先生?」
僕は思わず聞き返した。
その言葉には覚えがある。
僕たちの学園にも教師はいる。けれど、目の前の人はどこか違う。そもそも、キヴォトスの外から来た人物だというのなら、普通の教師とは事情が異なるはずだ。
先生と呼ばれた大人は、集まった僕たちを見回してから穏やかに微笑んだ。
「初めまして。今日からキヴォトスで先生として働くことになったんだ。よろしくね」
随分と気さくな挨拶だった。
ユウカは少し戸惑った様子で自己紹介を始めたけれど、途中でリンに話を遮られて抗議している。ハスミとチナツは礼儀正しく挨拶し、スズミも静かに頭を下げた。
僕も立ち上がった。
「アルチョムだよ。レッドウィンターの二年生。よろしく、先生」
「よろしく、アルチョム。珍しい名前だね」
「そうかな?」
「うん。出身はレッドウィンターなの?」
「……まあ、そういうことになるかな」
今世では、間違いなくそうだ。
先生は僕の答えに少し不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は追及しなかった。
「それにしても、みんな銃を持っているんだね」
「先生は持ってないの?」
「うん。持ってないよ」
「……そっか」
僕は先生の頭上を見た。
やっぱりヘイローがない。
この人は、僕たちとは違う。
キヴォトスの生徒なら銃弾を受けても簡単には死なないけれど、先生の場合はそうはいかないのだろう。少なくとも、僕が前世で知っていた人間の身体と同じなら、銃弾一発で命を落としかねない。
「先生」
「何?」
「ここでは銃を持った相手に近付かない方がいいよ。僕たちとは違うんだから」
先生は一瞬驚いたように目を丸くした。
それから、少し嬉しそうに笑った。
「ありがとう。心配してくれるんだね」
「……別に。怪我をしてほしくないだけだよ」
「うん。気を付けるよ」
その返事を聞いて、僕は小さく頷いた。
何となく、この人とは上手くやっていけそうな気がした。
◇
「連邦捜査部、シャーレ……」
リンの説明を聞きながら、僕は聞き慣れない組織の名前を頭の中で繰り返していた。
連邦生徒会長が設立した、特別な権限を持つ組織。
特定の学園には属さず、必要に応じて各自治区へ介入することも可能らしい。各校から生徒を迎え入れることもできるというのだから、随分と自由度が高い。
……そんな組織を、一人の先生に任せるのか。
なかなか思い切ったことをする。
「それで、先生をシャーレの部室へ案内する必要があるのですが……」
リンが端末を操作した。
そこへ突然、別の職員から連絡が入った。
通信機の向こうから聞こえてくるのは、随分と呑気な声だった。
『リン先輩? どうしたの?』
「モモカ。シャーレの部室へ向かうための移動手段を確保したいのですが、現在の状況を確認してもらえますか?」
『シャーレ? ああ、外郭地区のあそこね。今、かなり大変なことになってるよ』
「……大変?」
『矯正局から逃げ出した生徒が、周辺の不良たちを集めて暴れてるみたい。戦車まで出てるんだって』
リンの表情が固まった。
ユウカも固まった。
僕は天井を見上げた。
……戦車か。
また戦車なのか。
キヴォトスの生徒たちは、どうしてこうも簡単に戦車を持ち出すのだろう。
『それで、何か用事だった?』
「……いえ。状況は把握しました」
『あ、そう? それじゃね。お昼ご飯が届いたから!』
通信が切れた。
リンはしばらく無言で端末を見つめていた。
心なしか、彼女の周囲の空気が冷え込んだ気がした。
「……リン、大丈夫?」
思わず声を掛けると、リンはゆっくり顔を上げた。
「ええ。大丈夫です。少し頭が痛くなっただけですので」
……大丈夫ではなさそうだ。
「それで、どうするんですか?」
ユウカが尋ねた。
「先生をシャーレまで連れていくんでしょう? でも、そんな場所に普通に入れるわけが……」
「はい。ですので、皆さんのお力をお借りします」
「……はい?」
ユウカが瞬きをした。
ハスミが眉を上げ、チナツが静かに息を吐いた。スズミは早くも銃の状態を確認している。
「ちょうど各学園から、頼もしい方々がお越しになっていますので」
「ちょ、ちょっと待って! 私たちは抗議に来たんですけど!?」
「キヴォトスの混乱を解決するためには、サンクトゥムタワーの制御権を回復する必要があります。そのためにも先生をシャーレへお連れしなければなりません」
「それはわかるけど、どうして私たちが!」
ユウカは頭を抱えた。
確かに気持ちはわかる。
行政の問題について説明を求めに来たら、突然戦車が出てくるような場所へ行けと言われたのだから。
……僕も同じだけれど。
「アルチョムさん」
リンがこちらへ顔を向けた。
「あなたにも、よろしければ協力をお願いしたいのですが」
「……僕も?」
「はい。レッドウィンターから正式に派遣されていることは承知していますので、無理にとは申しません。ただ、あなたの戦闘経験は大変心強いものです」
どうやら戦力として期待されているらしい。
僕は少し考えた。
確かに、本来の任務は情報収集と書簡の配達だ。戦闘への参加を命じられたわけではないし、ここで帰っても責められることはないだろう。
しかし、シャーレの周辺では不良たちが暴れていて、戦車まで持ち出しているという。
しかも、これからそこへ向かうのは、ヘイローのない大人だ。
「……先生も、一緒に行くんだよね?」
「うん。そうみたいだね」
先生は苦笑した。
随分と落ち着いている。
いや、落ち着いているというより、まだ自分がどんな場所へ向かうのか実感が湧いていないのかもしれない。
「……わかった。僕も行くよ」
「よろしいのですか?」
「うん。ここまで来たんだし、最後まで付き合うよ。それに先生を一人で行かせるわけにもいかないからね」
リンは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
「ただ、一つお願いがあるんだけど」
「何でしょう?」
「帰りの交通費は出してもらえるかな?」
リンが瞬きをした。
隣でユウカが噴き出した。
「……ふふっ! そこを気にするんですか!?」
「だって、帰れなくなったら困るから」
「大丈夫です。必要な経費はこちらで負担します」
「それならよかった」
僕は安心して頷いた。
何しろ、帰りにチェリノへのお土産も買わなければならないのだ。
……予想外の戦闘で余計な出費が増えるのは避けたい。
◇
出発までの短い時間、僕たちは装備の確認を行った。
ユウカは自分の端末に地図を表示し、移動経路を調べている。ハスミは長大なライフルを点検し、スズミは予備弾倉を確認していた。チナツは医療用品の入った鞄を肩に掛け直し、必要な物が揃っているか確かめている。
僕も《オーロラオーダー》を取り出し、銃の状態を確認した。
「……それ、AK-47ですか?」
ユウカが興味深そうに尋ねてきた。
「うん。僕の愛銃だよ」
「随分と古い形式ですね。ミレニアムだったら、もっと新しい銃も作れると思いますけど」
「そうだろうね。でも、僕はこれが好きなんだ」
手に馴染む木製の部品。何度も分解しては組み立て直した機関部。使い込まれた金属の感触。
この世界で作り直した銃ではあるけれど、僕にとっては昔から変わらない相棒だ。
ユウカは少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は何も言わなかった。
「アルチョムさんは、実戦経験が豊富なのですね」
ハスミが声を掛けてきた。
「レッドウィンターでの件以外にも、何か経験が?」
「……まあ、色々とね」
「そうですか。では、戦闘時は頼りにさせていただきます」
「できるだけ頑張るよ」
僕は肩をすくめた。
以前なら、実戦経験という言葉に胸を張ることなどできなかった。
戦闘の経験が豊富だということは、それだけ多くの危険に遭遇してきたということでもある。生き残れたのは運がよかったからだし、僕一人の力で切り抜けてきたわけでもない。
けれど、今は少し違う。
この経験が誰かの役に立つのなら、それは悪いことではないと思う。
「アルチョム」
不意に先生が声を掛けてきた。
「何?」
「さっきはありがとう。危険なのに、一緒に来てくれて」
「……別に、大したことじゃないよ」
「でも、助かるよ」
先生は穏やかに微笑んだ。
僕は少し返事に困ってしまった。
この人は、不思議な人だ。
今日初めて会ったばかりなのに、妙に話しやすい。大人らしい威厳を振りかざすわけでもなければ、僕たちを子供扱いしている様子もない。
それでいて、どこか安心できる。
……そういえば、こんな大人が近くにいるのは随分と久しぶりだ。
「先生」
「うん?」
「一つ、覚えておいてほしいことがあるんだ」
「何かな?」
「僕たちは銃で撃たれても、そう簡単には死なない。でも先生は違う。だから、危ないと思ったら僕たちの後ろにいてほしい」
先生は真剣な顔で僕の言葉を聞いていた。
「わかった。気を付けるよ」
「うん。それならいいんだ」
僕は頷いた。
もっとも、戦場に出れば何が起こるかわからない。計画通りに進むことなど滅多にないし、どれほど注意していても不意の危険は訪れる。
だからこそ、できるだけ準備しておく必要がある。
僕は予備弾倉を確認し、背中にティハールを背負った。
「……よし」
準備はできた。
先生が僕の銃を見て、少し驚いたように尋ねてきた。
「二丁も持っていくの?」
「うん。こっちは静かに撃てるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「ただ、空気を溜めるのに手間が掛かるから、急いでる時はあまり向いてないかな」
「なるほど。使い分けが大事なんだね」
「そういうこと」
僕は笑って答えた。
……何だか、トカレフに銃の説明をしていた頃を思い出す。
あの人も、僕が新しい銃を持ってくると興味深そうに眺めていた。もっとも、あちらはすぐに分解しようとするので、油断できなかったけれど。
「皆さん、準備はよろしいですか?」
リンの声が響いた。
どうやら移動の手配が整ったらしい。
ユウカが端末を閉じ、ハスミとスズミが銃を肩に掛ける。チナツも医療鞄を持ち上げた。
先生は僕たちを見回し、静かに頷いた。
「それじゃあ、行こうか」
その一言で、僕たちは歩き始めた。
連邦生徒会の建物を出ると、DUの空には相変わらず青空が広がっていた。
遠くには高層ビルが立ち並び、街を行き交う車の音が聞こえる。
その向こうに、これから向かう外郭地区がある。
何でも、連邦生徒会に恨みを抱いた脱走者が周辺の不良たちを集めて暴れているという。
……何とも物騒な話だ。
僕は隣を歩く先生を見た。
少なくとも、この人を無事に送り届けなければならない。
それが済めば、レッドウィンターへ帰ろう。チェリノへのお土産も忘れてはいけないし、トモエには報告書を提出する必要がある。
帰りの列車では、何か美味しいものでも食べたいところだ。
そんなことを考えていた時、ユウカが僕へ話しかけてきた。
「ところで、アルチョムさん」
「何?」
「あなた、本当にレッドウィンターで数百人を相手に戦ったんですよね?」
「……うん」
「だったら、今回も相当頼りになりそうですね」
「そうだといいけど」
「ちなみに、あの事件って本当にプリンが原因だったんですか?」
……またその話か。
「うん。チェリノとトモエに買ったプリンを潰されたんだ」
「…………」
ユウカはしばらく黙っていた。
それから、先生の方へ顔を向けた。
「先生」
「何?」
「この人、凄く強いらしいんですけど……ちょっと変わってます」
「えっ、そうなの?」
「そうなんです!」
……失礼な。
僕はただ、友達に美味しいプリンを食べてもらいたかっただけなのに。
先生が楽しそうに笑った。
「でも、友達のために怒れるのは悪いことじゃないと思うよ」
「いや、怒った結果が数百人の単独制圧なんですよ!?」
「……それは凄いね」
「先生まで!?」
ユウカが頭を抱えた。
ハスミは小さく笑い、チナツは苦笑しながら首を振った。スズミだけは真面目な顔で僕を見つめ、何かを考えているようだった。
僕は少し肩をすくめる。
まあ、何にせよ。
これからしばらくは、退屈しないで済みそうだ。
僕たちはそうして、シャーレの部室へ向かった。
この時の僕は、まだ知らなかった。
今日出会った先生という大人が、やがてキヴォトスのあちこちで起こる事件に関わり、数え切れないほど多くの生徒たちと出会うことになるということを。
そして、その中に僕自身も含まれているということを。
……もっとも、そんな未来のことを考える余裕はすぐになくなった。
何しろ、外郭地区に到着して最初に僕たちを出迎えたのは、銃声と爆発音、それから道路を塞ぐように配置された戦車だったのだから。
「……あのさ、先生」
「何、アルチョム?」
「キヴォトスに来て早々、こんなことに巻き込まれて大変だね」
「……本当だね」
先生は少し困ったように笑った。
僕も笑った。
……さて。
久しぶりに、少し忙しくなりそうだ。