Blue Archive fo MetroExodus 作:宇迦之たま猫
銃声というものは、どこの世界でも変わらない。
火薬が炸裂する音。建物に弾丸が当たって砕ける音。誰かの怒鳴り声と、慌ただしく走り回る足音。もっとも、僕が昔いた世界と比べると、キヴォトスの銃撃戦は随分と賑やかだ。何しろ、撃たれた側が元気よく文句を言い返してくるのだから。
「なんで私たちが、こんなところで戦わなきゃいけないのよぉっ!!」
その声の主、早瀬ユウカは、道路脇のコンクリート製の花壇に身を隠しながら盛大に抗議していた。
気持ちはわからなくもない。
彼女はミレニアムサイエンススクールの生徒会にあたる組織、セミナーの会計担当だ。連邦生徒会へ行政の混乱について抗議しに来たはずなのに、何故か銃弾の飛び交う戦場で不良たちと撃ち合う羽目になっている。
僕だって事情は似たようなものだった。
レッドウィンターから連邦生徒会へ書簡を届け、現地の状況を確認する。それが本来の任務である。まさか、先生という大人を護衛しながら武装した不良の集団と戦うことになるとは思わなかった。
まあ、レッドウィンターでは買い物の帰りにクーデターへ巻き込まれることもある。これくらいで驚いていたら、あの学園では暮らしていけない。
「連邦生徒会の説明によれば、サンクトゥムタワーの制御権を回復させるためにも、シャーレの建物を取り戻す必要があるそうです」
チナツが冷静に答えた。
「それは聞いたわよ! でも私はセミナーの会計なの! こういうのは、もっと適任の人がいるでしょう!?」
「確かに、会計担当者を銃撃戦へ投入するというのは、少々変わった人員配置ですね」
「でしょう!? アルチョムさんもそう思うわよね!」
「うん。でも、レッドウィンターなら会計担当者も普通に戦ってると思う」
「だから、あなたの学園を基準にしないでってば!」
……それもそうか。
僕が素直に頷いた、その時だった。
道路の向こうから不良たちが一斉に射撃を始めた。慌てて身を伏せようとしたユウカだったけれど、ほんの一瞬だけ動きが遅れる。
乾いた破裂音。
弾丸が、彼女の額に直撃した。
「いったぁぁぁっ!?」
ユウカが頭を押さえて飛び退いた。
反射的に《オーロラオーダー》を構えかけた僕の目の前で、彼女は涙目になりながら怒鳴った。
「ちょっとぉっ! 何を撃ってるのよ、あいつら! JHP弾じゃない! こんなもの使っていいと思ってるの!?」
「ユウカ、伏せてください。それに、ホローポイント弾そのものが禁止されているわけではありません」
ハスミが彼女を遮蔽物の陰へ引き戻しながら訂正する。
「そんなこと知らないわよ! ミレニアムではこれから禁止にするんだから! おでこに傷が残ったらどうしてくれるのよ!」
ユウカはそう叫びながら、痛む額をさすっていた。
僕は思わず彼女の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫? 血は出てない?」
「出てないけど、ものすごく痛いのよ!?」
「そっか。よかった」
「よくないわよ!」
怒られてしまった。
でも、本当に安心したのだ。前世の人間なら、頭にホローポイント弾を受けて文句を言っていられるはずがない。こちらの世界の生徒は頑丈だとわかっているけれど、こうして目の当たりにすると、やはり少し驚いてしまう。
チナツがユウカの額を確かめ、念のため小さな医療用品を取り出した。彼女はぶつぶつ文句を言いながらも素直に診察を受けている。どうやら深刻な怪我ではなさそうだ。
しかし、あの弾丸が先生に当たったら話は別だった。
「先生、もう少し下がっていて」
僕は先生の肩を軽く押し、花壇の陰へ促した。
「ありがとう、アルチョム。でも、みんなは大丈夫?」
「うん。僕たちはそう簡単には死なないから。ただ、先生は違うでしょ?」
「……そうだね」
先生は銃撃の続く道路を眺めた。
ハスミもこちらへ振り返り、真剣な表情で頷く。
「先生の安全が第一です。私たちと違い、先生にとって銃弾は命に関わります。どうか無理はなさらないでください」
「はい。先生は安全なところで待機してください」
チナツが続け、スズミも頷いた。
ユウカはまだ額を押さえていたけれど、先生へ向かって人差し指を立てた。
「いいですか、先生! 絶対に前へ出てきちゃ駄目ですからね!」
「わかった。でも、みんなの指揮は私に任せてくれるかな?」
「……え?」
ユウカが目を丸くした。
ハスミとチナツも少し驚いた様子だった。
確かに、先生は銃を持っていない。僕たちほど頑丈でもないし、キヴォトスの戦い方についても知らないことが多いだろう。
けれど、戦うことと指揮することは別だ。
僕はミラー大佐を思い出した。
厳格で、頑固で、時々ひどく無茶な命令を出す人だったけれど、戦場で彼の指示に助けられたことは一度や二度ではない。自分が撃つよりも、仲間がどう動くべきか考える。それもまた、立派な戦い方なのだ。
「僕は賛成だよ」
僕が言うと、先生がこちらを見た。
「せっかくだし、お願いしてみよう。先生がどんな指揮をするのか、少し興味があるんだ」
「……あなたって、こんな状況でも随分と余裕があるのね」
ユウカに呆れられた。
そんなつもりはないのだけれど。
「わかりました。先生の指揮に従いましょう」
ハスミがそう告げたことで、話は決まった。
チナツは医療支援、スズミは周辺の敵への対処、ハスミは長射程からの援護射撃。ユウカは防御力を活かして前に出る役目だ。僕は現地の状況を確認しながら、必要に応じて前衛と後衛の隙間を埋めることになった。
先生は全員の武装と立ち位置を確かめ、最初の指示を出した。
なるほど。
少なくとも、何も考えずに突撃させるつもりはないらしい。
◇
戦闘が始まって十分ほど経った頃、僕は少し驚いていた。
先生の指揮が、思っていた以上に上手かったのだ。
「ユウカ、左側から三人来るよ。少しだけ前へ出てもらえる?」
「わかったわ! ここは任せて!」
「ハスミは右の二階をお願い。スズミはユウカの後ろを守って。アルチョム、向こうの通路を確認してくれる?」
「了解」
僕は短く返事をして、建物の角から顔を出した。
前方には、放置された乗用車が何台も並んでいる。道路の左右は店舗になっており、その間を結ぶ細い路地がいくつかあった。不良たちはそこから飛び出して射撃を繰り返しているらしい。
僕はティハールを背中から下ろした。
前世でトカレフが作ってくれた空気圧式の銃を、この世界でミノリに手伝ってもらって再現したものだ。火薬を使わず、金属球を圧縮空気で撃ち出すため、発射音がとても小さい。
路地の奥で、一人の不良が仲間へ合図を送っていた。
その手元を狙って引き金を絞る。
小さな発射音と共に、彼女が持っていた通信機が弾け飛んだ。
「うわっ!? 何!?」
慌てた不良たちが周囲を見回す。その隙に僕は位置を変え、今度は別の角度から足元へ金属球を撃ち込んだ。
不良たちが悲鳴を上げて散らばる。
「先生、左の路地は空いたよ」
「ありがとう。スズミ、あそこを通れる?」
「はい。問題ありません」
スズミはすぐに行動を開始した。
閃光弾が路地の向こうへ投げ込まれ、白い光が周囲を照らす。視界を奪われた不良たちはまともに抵抗できず、ハスミの援護射撃も加わって、ほどなく戦闘不能になった。
……実に手際がいい。
しかも、それぞれが勝手に動いているわけではなかった。
先生の指揮によって、ユウカが敵の注意を引きつけ、ハスミが危険な敵を排除し、スズミが動きやすい道を作る。チナツは全員の状態を把握して、必要な相手へすぐに治療を施していた。
これだけ所属の違う生徒が集まっているのに、随分と上手く連携できている。
特に先生は、誰かが負傷するとすぐに戦線を調整していた。無理に前進させず、必要なら一度下がらせる。味方の安全を優先した指揮だ。
……ミラー大佐なら、どう評価するだろう。
少なくとも、初めて指揮を執る人間にしては上出来だと言うに違いない。
「アルチョム、どうかした?」
先生に声を掛けられた。
「いや、先生って凄いんだなと思って」
「そうかな?」
「うん。僕たちが得意なことを上手く使ってる」
先生は少し照れくさそうに笑った。
「みんなが頑張ってくれてるからだよ」
そういうところも、なかなか好感が持てた。
以前、レッドウィンターのクーデターで僕を取り囲んだ指揮官の中には、部下を無闇に突撃させて自分だけ後ろへ隠れていた者もいた。それと比べるのは失礼かもしれないけれど、先生は少なくとも生徒を使い捨てにするような人ではなさそうだ。
……まあ、チェリノも作戦会議で似たようなことをする場合があるけれど。
あちらは大体、本人が一番前へ飛び出してしまう。
それはそれで困るのだ。
「何だか、いつもより戦いやすいですね」
スズミが不思議そうに呟いた。
「ええ。先生の指示があるだけで、かなり違います」
ハスミも頷いた。
ユウカは少し悔しそうな顔をしたけれど、やがて認めるように息を吐いた。
「……まあ、確かにね。連邦生徒会長が選んだ人っていうのも、納得できるかも」
先生は苦笑していた。
どうやら本人にとっては、それほど特別なことをしているつもりはないらしい。
……面白い人だな。
◇
シャーレの建物が近付くにつれ、不良たちの抵抗は激しくなっていった。
どうやら、ここが連邦生徒会にとって重要な施設だということは知っているらしい。何人もの生徒が周囲の建物から飛び出し、道路に設置されたバリケードの陰へ隠れながら撃ってくる。
僕は遮蔽物の向こうから敵を観察していた。
正面の不良たちは、銃の扱いに慣れていない者が多いようだった。大きな銃を無理に振り回したり、仲間の射線を塞いでしまったりしている。
ただ、数が多い。
それに、先程から奇妙なことが気になっていた。
「……何だろう」
向こうの建物の屋上に、誰かが立っている。
赤い着物のような服装に、狐の面。
周囲の不良たちとは明らかに雰囲気が違っていた。
その少女は、眼下で繰り広げられている銃撃戦を眺めながら、何やら楽しそうに笑っている。
……嫌な感じだ。
前世で様々な人間と出会ってきたけれど、ああいう笑い方をする相手には近付きたくない。
何しろ、あの手の人間は自分が楽しむためなら、周囲にどれほど迷惑を掛けても気にしないことがある。
『皆さん、聞こえますか?』
突然、通信機からリンの声が聞こえた。
『今回の騒動を主導している生徒について、情報が判明しました』
僕たちは遮蔽物の陰で耳を傾ける。
『狐坂ワカモ。百鬼夜行連合学院で停学処分を受けた後、連邦矯正局から脱走した生徒です。複数の重大な事件に関与しており、非常に危険です。決して油断しないでください』
「狐坂ワカモ……」
僕は屋上の少女へ目を向けた。
ちょうど彼女がこちらを見下ろしていた。
狐の面で表情はわからない。
けれど、笑っているような気がした。
「先生、あの子が多分ワカモだと思う」
「どこ?」
「右の建物の屋上。赤い服を着た子」
先生もそちらを見た。
すると、ワカモは何かに気付いたように首を傾げた。
しかし、次の瞬間には視線を外し、ゆっくりと屋上の奥へ歩いていく。
「逃げるつもりかしら!?」
ユウカが身を乗り出した。
僕は銃を構えながら首を振った。
「追いかけない方がいいと思う。あの子だけを追うと、周りの不良に囲まれる」
「同感です」
ハスミが頷いた。
「私たちの目的は、あくまでもシャーレの奪還です。ここで首謀者を追い回す必要はありません」
チナツも賛成した。
「罠の可能性もあります。先生を危険にさらすべきではありませんね」
ユウカは少し不満そうだったけれど、やがて肩を落とした。
「……そうね。わかったわ」
僕はもう一度、屋上を見た。
既にワカモの姿は消えている。
……あの子が何を考えているのかはわからない。
しかし、あれだけ騒動を起こしておいて、簡単に引き下がるとは思えなかった。
何か別の目的があるのかもしれない。
まあ、それを考えるのは後でもいいだろう。
今は、目の前の不良たちを片付ける方が先だ。
◇
シャーレの建物の入口まで辿り着いた頃、僕たちはようやく一息つけると思っていた。
ところが、そう簡単にはいかなかった。
重いエンジン音が響いたのだ。
道路の向こうから、一両の戦車が姿を現した。
履帯が舗装路を踏みしめ、砲塔がゆっくりとこちらを向く。車体には随分と使い込まれた跡があったけれど、十分に動ける状態らしい。
「……戦車ね」
僕は思わず呟いた。
「戦車です! 気を付けてください!」
チナツが声を上げる。
ハスミは車両を確認すると、少し驚いたように眉を上げた。
「クルセイダーⅠ型……! トリニティでも正式に採用されている戦車と同じ形式です」
「何でそんなものが不良の手に渡ってるのよ!?」
ユウカが叫んだ。
「どうせPMCあたりから流れてきた中古品でしょ! 不法に取引されたものなら、壊しちゃっても問題ないわよね!」
……随分と威勢がいい。
さっきまで撃たれて怒っていたとは思えない。
もっとも、僕も戦車を相手にするのは久しぶりだった。
メトロの世界では、装甲車両を見つけたら普通は避けることが多かった。生身の人間が戦車に正面から挑むのは、あまり賢い選択ではない。
けれど、今は事情が違う。
僕たちには、信じられないほど頑丈な身体がある。
それに、頼もしい仲間もいる。
……何より、指揮官がいるのだから。
「先生、どうする?」
僕が尋ねると、先生は戦車を見つめながら考え込んだ。
「まず、みんなが砲撃を受けないようにしよう。戦車の周りにいる不良も危険だから、先にそっちを抑えたい」
「うん。いいと思う」
「アルチョム、戦車と戦ったことはある?」
「あるよ。ただ、あまり好きじゃないけどね」
「そっか。何か気付いたら教えて」
「わかった」
先生は頷き、すぐに全員へ指示を出した。
まずユウカが前方の敵を引きつけ、ハスミとスズミが周囲の不良たちを制圧する。チナツは後方から支援し、僕は戦車の周囲にいる敵を妨害する役目だ。
僕は《オーロラオーダー》を構えた。
戦車の装甲を撃っても大した意味はない。
けれど、車体の外側に取り付けられた装備や、周囲の歩兵なら話は別だった。
「先生、右側に三人。戦車の後ろに隠れてる」
「了解。スズミ、そっちをお願い。アルチョムは援護して」
「了解しました!」
スズミが素早く移動した。
僕は戦車の横から顔を出した不良へ銃弾を撃ち込み、彼女が慌てて引っ込んだところで別の敵へ照準を移す。
ハスミの大口径ライフルが轟音を上げた。
物陰に隠れていた不良が吹き飛ばされ、周囲の敵が一斉に逃げ出す。
……凄い威力だ。
あの銃、ちょっと羨ましいな。
しかし、感心している余裕はなかった。
戦車の砲塔が動き始めたのだ。
「先生、砲撃が来る!」
「全員、遮蔽物へ!」
僕は近くの壁へ身を伏せた。
次の瞬間、凄まじい爆発音が響いた。
舗装路が砕け、破片が飛び散る。土煙が舞い上がり、周囲の視界が一瞬で悪くなった。
「うわっ!? ちょっと! 私のすぐ近くじゃない!」
ユウカの声が聞こえる。
「ユウカ、怪我は?」
「平気よ! でも、あの戦車は絶対に許さないんだから!」
……元気そうで何よりだ。
僕は姿勢を低くしたまま移動し、再び戦車の様子を確かめた。
砲撃の直後は、次弾を撃つまでに少し時間がある。
今なら動ける。
「先生、戦車の右側が空いた。あそこからなら近付けるよ」
「ありがとう。みんな、次の砲撃に気を付けながら進もう!」
ユウカが前進する。
彼女の周囲に展開された防御用の盾が、飛んでくる銃弾を受け止めた。その間にスズミが残った不良たちを抑え、ハスミが戦車へ向けて射撃を始める。
僕もティハールを構えた。
狙うのは車体ではなく、砲塔に取り付けられた外部装備だ。
圧縮空気で撃ち出された金属球が、観測用の装置に命中する。
小さな火花。
戦車が一瞬、動きを止めた。
「……よし」
僕はすぐに後退した。
あれだけで戦車を倒せるとは思わない。ただ、少しでも相手の視界を妨害できれば十分だった。
その隙を見逃さず、先生が次の指示を出す。
「ハスミ、今だよ!」
「承知しました!」
凄まじい銃声。
ハスミのライフルが火を噴き、車体が大きく揺れた。
続けてユウカとスズミが射撃を集中させる。
砲塔が動き、反撃しようとする戦車。
しかし、先生は既に全員を次の遮蔽物へ移動させていた。
砲撃は誰もいない道路へ着弾し、土煙だけを派手に巻き上げる。
その後も僕たちは先生の指揮に従い、少しずつ戦車へ損傷を与えていった。さすがに頑丈な車両だったけれど、キヴォトスの生徒が持つ武器の威力も馬鹿にはできない。
やがて、戦車の足回りから大きな音が響いた。
車体が不自然に傾き、履帯の動きが止まる。
そのままエンジンが悲鳴のような音を上げた。
「……止まった?」
僕は慎重に様子を窺った。
しばらくすると、車内から白い布が突き出された。
「降参! もう撃たないでぇっ!」
……どうやら終わったらしい。
「やったぁぁぁっ!!」
ユウカが嬉しそうに両手を上げた。
「やっと終わった! これでようやくシャーレに入れるわ!」
「お疲れ様です、ユウカさん」
チナツが微笑んだ。
ハスミも銃を下ろし、スズミは周辺に敵が残っていないか確認している。
僕は先生の方へ歩いていった。
「先生、お疲れ様」
「アルチョムも、お疲れ様。怪我はない?」
「うん。少し疲れたけどね」
「そっか。よかった」
先生は安心したように笑った。
僕はその顔を眺めながら、少し考えた。
この人は、なかなか優秀な指揮官だ。
けれど、それ以上に気になったことがある。
先生は、戦闘の最中でもずっと僕たちの安全を気に掛けていた。
無理な突撃を命じることもなければ、誰かを見捨てることもない。
自分が危険な場所にいるというのに、他人の怪我を心配している。
……何だか、昔の仲間たちを思い出してしまう。
少なくとも、僕はこの人を嫌いにはなれそうになかった。
◇
シャーレの建物は、外から見た時よりもずっと大きかった。
立派なロビーに広い廊下。壁には案内板が設置され、各階には様々な施設が用意されているらしい。
何でも、ここを一つの部活が使うというのだから驚きだ。
「……これ、維持費だけでも相当な額になるんじゃない?」
ユウカが天井を見上げながら呟いた。
「電気代、水道代、設備の保守費用……。しかも、外郭地区だから輸送費も掛かるだろうし……」
「ユウカ、もう仕事に戻ってるの?」
「仕方ないでしょ! 会計をしてると、こういうのが気になるのよ!」
どうやら、彼女にとって数字というものは非常に重要らしい。
僕は少し感心した。
ノドカも数学が得意だけれど、ユウカのそれはまた別の方向に凄い気がする。もしレッドウィンターへ来てもらえたら、事務局の予算管理を任せられるかもしれない。
……いや。
あそこへ連れて行ったら、数日で胃を痛めそうだ。
何しろチェリノは、時々とんでもないものを購入しようとするのだから。
「先生」
ハスミが声を掛けた。
「建物の安全確認は概ね完了しました。地下へ向かわれるのでしたら、ここから先はお気を付けください」
「ありがとう。みんなもお疲れ様」
その時、通信機からリンの声が聞こえた。
『皆さん、シャーレの建物の奪還を確認しました。ご協力に感謝します。先生、私も間もなく到着しますので、地下でお会いしましょう』
僕は少し首を傾げた。
地下?
確か、連邦生徒会長が残した重要なものが保管されているという話だった。
気になって階段の方へ目を向けると、入口には厳重な扉が設置されていた。
その横には、関係者以外の立ち入りを禁止する表示がある。
「ここから先は機密区画なのか」
「そうみたいですね」
チナツが頷いた。
「連邦生徒会長が残した物があるとのことですから、当然でしょう。私たちはここで待機していましょう」
「うん。そうだね」
僕は特に異論もなく頷いた。
考えてみれば、レッドウィンターにも立ち入りが制限されている施設はいくつかある。工務部の危険な実験室や、事務局の機密文書保管室などだ。
……もっとも、チェリノの秘密のお菓子保管庫まで厳重に警備されているのは少々疑問だけれど。
「じゃあ、行ってくるね」
先生が階段の方へ向かった。
「先生、気を付けて」
「うん。ありがとう、アルチョム」
僕たちは先生を見送った。
地下へ向かうのは先生だけだ。リンが到着すれば、二人で重要な用事を済ませることになるのだろう。
僕たちがわざわざ付いていく必要はない。
「……さて」
ユウカが大きく息を吐いた。
「ようやく終わったわね。もう帰ってもいいかしら?」
「先生が無事に戻られるまでは、もう少し待った方がよろしいのでは?」
ハスミの言葉に、ユウカは肩を落とした。
「そうよねぇ……」
僕は近くの椅子へ腰を下ろした。
ここまで随分と歩き回ったし、戦闘も続いていた。流石に少し疲れている。
鞄から水筒を取り出し、一口飲む。
……ああ、美味しい。
前世では、清潔な水を好きな時に飲めるというだけでも大変な贅沢だった。
こちらでは水道の蛇口を捻れば水が出る。
今でも時々、不思議な気分になる。
「アルチョムさん」
隣に座ったユウカが声を掛けてきた。
「何?」
「あなたの戦い方って、随分と変わってるわね」
「そうかな?」
「ええ。普通、あんなに簡単に敵の背後へ回り込んだり、位置を変えながら正確に狙撃したりできないわよ。レッドウィンターでは、そういう訓練をしてるの?」
「……まあ、昔から色々とやってたからね」
「昔からって……あなた、まだ二年生でしょう?」
「うん」
ユウカは何とも言えない顔になった。
……そういえば、僕はまだ十六歳だった。
時々忘れそうになる。
「レッドウィンターって、やっぱり凄い学園なのね……」
「いや、僕はちょっと特殊だと思うよ」
「それは見ればわかるわよ!」
即答された。
どうやら、少し変わった人間だと思われてしまったらしい。
……まあ、間違ってはいないか。
その後、ユウカは戦闘で使用した弾薬や装備の消耗について計算し始めた。
僕も少し興味が湧いて、彼女の端末を覗き込む。
しかし、画面に表示された数字を見た瞬間、そっと視線を外した。
……これはノドカに任せよう。
僕には少々難しい。
◇
先生が地下へ向かってから、しばらく時間が経った。
その間、僕たちは建物のロビーで待機していた。
スズミは周囲の警戒を続け、ハスミは連絡を受けながら正義実現委員会への報告内容を整理している。チナツは負傷者の確認をしていた。
ユウカは、相変わらず数字と睨めっこしていた。
……本当に真面目な子だ。
僕は暇潰しにスマートフォンを取り出し、チェリノへのお土産を探していた。
せっかくDUまで来たのだから、何か珍しいものを買って帰りたい。
調べてみると、駅の近くに評判のいい洋菓子店があるらしい。
写真に映った焼き菓子は、なかなか美味しそうだった。
……よし。
帰りに寄ってみよう。
そんなことを考えていた時、建物の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
何人かの職員が走り回っている。
「……何かあったのかな?」
僕が呟くと、ハスミが通信機を確認した。
「どうやら、先程の騒動を起こしたワカモの姿が、周辺で確認されたようですね」
「……ワカモ?」
「はい。ただ、既に逃走したとのことです」
僕は少し考えた。
あの狐の面を被った少女。
随分と危険な雰囲気だったけれど、最後まで何を考えているのかわからなかった。
建物を破壊するつもりだったのなら、どうして途中で逃げ出したのだろう。
……何か予定が狂ったのかもしれない。
まあ、僕にはわからないことだ。
「捕まえに行かなくてもいいの?」
ユウカが尋ねた。
「連邦生徒会の方で対応するそうです。私たちはシャーレの護衛を優先しましょう」
「……そうね」
僕も頷いた。
いくら危険な生徒だからといって、闇雲に追いかけるのは賢くない。
特に、こちらには守るべき人がいる。
……先生、まだ戻ってこないのかな。
少し気になったけれど、地下の様子を見に行くわけにもいかない。
僕は水筒を閉じ、もう一度スマートフォンへ目を落とした。
すると、その時だった。
廊下の向こうから、職員たちの歓声が聞こえてきた。
「……復旧した!?」
「本当ですか!? サンクトゥムタワーの認証が……!」
「行政システムへの接続が戻っています!」
僕たちは一斉に顔を上げた。
ユウカが勢いよく立ち上がる。
「えっ!? ちょっと待って! 復旧したの!?」
彼女は慌てて端末を操作し始めた。
何やら画面に表示された数値を確認しているらしい。
しばらくして、その顔がぱっと明るくなった。
「……本当だわ! ミレニアム側のシステムも、順番に正常化し始めてる!」
「ということは……」
チナツが呟いた。
「先生が、成功されたのでしょうか?」
「おそらく、そうですね」
ハスミは静かに頷いた。
僕は地下へ続く廊下へ目を向けた。
……どうやら、先生は無事に仕事を終えたらしい。
何をしたのかはわからないけれど、これだけ大きな問題を解決したというのだから大したものだ。
先生は、やっぱり凄い人なのかもしれない。
◇
それから少しして、先生がリンと共に戻ってきた。
先生の手には、見慣れないタブレット端末が握られていた。
ただ、僕たちが知っているのは、それが地下から持ち出されたものだということだけだ。
どんな仕組みなのか、何のために作られたのか。
そんなことは、僕にはわからない。
「先生!」
ユウカが駆け寄った。
「サンクトゥムタワーの制御権が回復したって、本当ですか!?」
「うん。無事に戻せたみたいだよ」
「……すごい!」
ユウカは心底驚いたようだった。
ハスミとチナツも安堵の表情を浮かべている。
スズミは小さく息を吐いた。
リンも、ようやく肩の力を抜いたように見えた。
「先生、本当にありがとうございました。これで連邦生徒会は、失われていた行政機能を取り戻すことができます」
「よかった。これでみんなも安心できるね」
「ええ。まだ解決しなければならない問題は山積していますが、少なくとも最悪の状況は避けられました」
……よかった。
僕も安心した。
これでレッドウィンターへの物流が止まる心配も、少しは減るだろう。
何より、チェリノにいい報告ができそうだ。
「アルチョムさん」
リンが僕へ声を掛けてきた。
「今回はご協力ありがとうございました。レッドウィンター連邦学園からの書簡についても、正式に回答を用意させていただきます」
「うん。ありがとう」
「チェリノ会長にも、よろしくお伝えください」
「わかった」
僕は頷いた。
これで本来の任務も無事に終わった。
……それにしても、随分と大掛かりなお使いになってしまったな。
普通、書類を届けに来た先で戦車と戦うことになるだろうか。
まあ、レッドウィンターならあり得るか。
……いや、やっぱりおかしい気がする。
「さて、先生。最後にシャーレの施設をご案内します」
リンがそう告げた。
先生は頷き、彼女の後について歩き始めた。
僕たちも、少し離れてその後ろを歩く。
案内されたのは、大きなロビーと、先生がこれから仕事をする部室だった。
広い室内には机や棚が並び、窓からはDUの街並みが見渡せる。
……随分と立派な場所だ。
けれど、最も目を引いたのは机の上だった。
そこには、大量の書類が積み上げられていた。
「……先生」
「何?」
「あれ、全部仕事?」
「……そうみたいだね」
僕たちはしばらく書類の山を見つめた。
……これは大変そうだ。
少なくとも、チェリノの机よりは多い。
いや。
あの子の場合、そもそも書類を机の上へ積んでおくと、トモエがすぐに片付けてしまうのだ。
比較するのは間違っているかもしれない。
「シャーレには、様々な学園から相談や依頼が寄せられることになるでしょう」
リンが説明を始めた。
「ただし、それらを全て引き受ける義務はありません。どのような活動を行うかは、先生ご自身で決めていただいて構いません」
「……なるほど」
先生は書類へ目を落とした。
僕も何気なく、一番上にあったものを覗いてみた。
学園の設備修理に関する相談。
別の書類には、部活動の支援要請。
その隣には、学習に問題を抱えた生徒への特別授業について書かれている。
……随分と幅広い仕事をするらしい。
先生一人では、なかなか大変だろう。
「先生、忙しくなりそうだね」
「そうだね。でも、できることからやっていこうと思うよ」
「……そっか」
僕は少し笑った。
この人らしい答えだと思った。
何でもないことのように、そう言える。
けれど、それを実際に続けていくのは簡単ではない。
昔の僕も、困っている人を見かけると放っておけないことが多かった。アンナには何度も心配を掛けたし、ミラー大佐から叱られたこともある。
それでも、誰かを助けられた時は嬉しかった。
……先生も、そうなのかもしれない。
◇
全てが終わった後、僕たちはそれぞれの学園へ戻ることになった。
ユウカはミレニアムへ、ハスミとスズミはトリニティへ、チナツはゲヘナへ帰るらしい。
「もう、今日は本当に疲れたわ……」
ユウカは額をさすりながらため息を吐いた。
どうやら、まだ少し痛むらしい。
「ユウカ、大丈夫?」
「大丈夫よ。ちょっと痛いだけだから」
「そっか。傷が残らないといいね」
「本当よ! あんな弾を使うなんて、信じられない!」
ユウカは再び怒り始めた。
どうやら、よほど腹に据えかねているらしい。
「ミレニアムに帰ったら、絶対にJHP弾の使用について調べてやるんだから!」
「……頑張ってね」
僕は苦笑した。
彼女なら、本当に何か規則を作ってしまいそうだ。
「アルチョムさん」
ハスミが声を掛けてきた。
「今回の戦闘では、大変お世話になりました。あなたの支援のおかげで、随分と戦いやすかったです」
「いや、僕もハスミたちに助けられたよ」
「ふふ。そう言っていただけると嬉しいですね」
彼女は小さく微笑んだ。
「もしトリニティへいらっしゃることがあれば、ぜひご連絡ください」
「うん。ありがとう」
スズミも静かに頭を下げた。
「私も、また一緒に戦える機会があれば嬉しいです」
「こちらこそ、よろしく」
チナツは最後に僕の方へ顔を向けた。
「アルチョムさんも、怪我にはお気を付けください。どれほど頑丈でも、無理をすれば身体には負担が掛かりますから」
「うん。気を付けるよ」
……随分と面倒見のいい子だ。
ゲヘナの風紀委員会というのは、なかなか頼もしい組織らしい。
もっとも、彼女たちが普段どんな仕事をしているのかは知らない。
今度ゲヘナに行く機会があれば、少し聞いてみようかな。
「みんな、今日はありがとう」
先生が僕たちへ頭を下げた。
「みんなのおかげで、無事にシャーレを取り戻せたよ」
「いえ。私たちも先生のおかげで、随分と助かりました」
ハスミが答えた。
「これからお忙しくなるかと思いますが、どうかお身体にお気を付けください」
「先生、ミレニアムに来ることがあったら連絡してくださいね!」
ユウカが元気よく言った。
「ゲヘナへいらっしゃる際も、ぜひご連絡ください」
チナツも続く。
スズミは小さく会釈した。
皆、それぞれ先生との再会を約束している。
僕はそんな様子を眺めながら、少し考えた。
この人は、きっとこれから色々な生徒たちと出会うのだろう。
そして、僕もその一人になった。
「先生」
「何、アルチョム?」
「僕も、また何かあったら手伝うよ」
「本当?」
「うん。ただ、普段は学校があるから、いつでも来られるわけじゃないけどね」
「それでも嬉しいよ。ありがとう」
先生は穏やかに笑った。
僕も笑う。
何だか、不思議な気分だった。
「それじゃあ、先生。僕もそろそろ帰るね」
「うん。気を付けて帰ってね」
「先生も、無理しないで」
僕たちは連絡先を交換した。
スマートフォンの画面に、先生の名前が追加される。
……また一人、知り合いが増えた。
それが、何だか嬉しかった。
◇
DUの駅へ向かう途中、僕は小さな洋菓子店へ立ち寄った。
評判通りの立派な店で、ショーケースには色とりどりのお菓子が並んでいる。
……これは、なかなか美味しそうだ。
僕はしばらく悩んだ末、焼き菓子の詰め合わせを購入した。
チェリノとトモエ、それからノドカとシグレの分もある。
もちろん、自分の分も忘れていない。
以前、食べ物を買って帰る途中に騒動へ巻き込まれたことがあったけれど、今日はもう戦闘も終わっている。
流石に、これ以上何か起こることはないだろう。
……多分。
紙袋を受け取り、店を出る。
空は既に夕焼けに染まり始めていた。
高層ビルの隙間から差し込む夕日が、道路を橙色に照らしている。
僕は少し立ち止まり、空を見上げた。
……いい天気だ。
前世では、こんな景色を当たり前に見ることはできなかった。
モスクワの地下鉄で暮らしていた頃、地上は危険な場所だった。
放射能に汚染された大地。
ミュータントが徘徊する廃墟。
ガスマスクを付けなければ、まともに息をすることさえできない場所。
けれど、今は違う。
こうして空を見上げ、綺麗な夕焼けを眺めることができる。
……本当に、不思議なものだ。
そんなことを考えていた時、スマートフォンが震えた。
画面にはチェリノの名前が表示されていた。
『アルチョム! 任務は終わったのか!?』
僕は少し笑った。
『うん。無事に終わったよ。サンクトゥムタワーの問題も解決した』
『うむ! 流石はおいらが見込んだ同志なのだ!』
続けて、もう一通。
『ところで、お土産は買ったのか?』
……やっぱり。
『うん。美味しそうな焼き菓子を買ったよ』
『やったのだ! おいらは楽しみに待っているぞ!』
僕は思わず笑ってしまった。
……本当に、変わらない。
どんな大事件が起こっても、チェリノはチェリノだった。
それが何だか、少し嬉しい。
続いてトモエからもメッセージが届いた。
『アルチョムさん、お疲れ様でした。連邦生徒会から報告を受けています。今回も随分とご活躍されたそうですね』
『そんなことないよ。先生と皆のおかげだよ』
『ふふ、謙虚ですね。どうぞお気を付けてお帰りください。会長と一緒にお待ちしています』
僕は返信を送り、スマートフォンをしまった。
……さて。
帰ったら、まずはチェリノにお土産を渡そう。
それから、ノドカとシグレにも今日の話をしようか。
きっとノドカは驚くだろう。
シグレは……多分、笑うと思う。
何しろ、レッドウィンターから書類を届けに行っただけなのに、何故か戦車と戦うことになったのだから。
……我ながら、妙な一日だった。
けれど。
悪くない一日だったと思う。
先生という、少し変わった大人に出会えたのだから。
……また、会えるといいな。
そんなことを考えながら、僕は駅へ向かって歩き始めた。
夕日に照らされたDUの街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
僕の新しい人生は、まだまだ続いていく。
そして、今日出会った先生との縁も、きっとこれから続いていくのだろう。
……何だか、少し楽しみになってきた。