Blue Archive fo MetroExodus 作:宇迦之たま猫
画面の中でソーセージが裂けた。焼き目のついた皮から肉汁があふれ、持ち上げられたひと切れをカメラが追いかける。僕は動画が終わる前に乗り換え案内を開いていた。あとから考えると順番が逆だった、先に財布を確かめるべきだった。
「ソーセージのためにゲヘナまで行くの?」
寮の談話室で顔を合わせた隣の席の子が、僕の端末と出かける支度を交互に見た。そうだと答えながら白いダッフルコートのボタンを留めると、そんなに好きだったっけと首を傾げられる。
「今すごく好きになった」
「まだ食べてないでしょ」
「だから行ってくる」
最後にもう一度動画を見たのがよくなかった。朝食から一時間もたっていないのにお腹が鳴った。彼女に笑われながら寮を出て、停留所まで少し早足で歩く。今日の予定は気楽なものだ。ゲヘナへ行って昼ご飯を食べて帰ってくる。できればお土産も買いたい。
乗り換えの待ち時間にも店の写真を眺めていたせいで、到着する頃にはメニューをほぼ覚えてしまった。問題は写真の隅に写っていたアップルパイまで気になり始めたことだった。帰りの運賃だけは先に分けておこう。空腹の僕はあまり信用できない。
目当ての定食屋は大通りから一本入ったところにあった。扉を開けると鉄板で脂がはぜる音がして、胡椒と炒めた玉ねぎの匂いに迎えられる。これだけで乗り換え二回の面倒は帳消しになった。
「いらっしゃい。お一人?」
「はい。ヴルストプレートをお願いします」
「早いねえ。席に着いてからでも逃げやしないよ」
丸い胴にエプロンを巻いたロボットの店主に笑われた。自分でも少し早かったと思う。窓際の長テーブルへ通されてコートを脱ぐと、店主は言われる前から水を置き、厨房へ戻りながら注文を通してくれた。
やがて運ばれてきた皿には太いソーセージが三本並んでいた。二本は艶のある焼き色がついていて、もう一本はふっくら白い。脇には皮つきのじゃがいもとザワークラウト、それから粒マスタードがこんもり添えられている。パンの籠までついてきたので思わず姿勢がよくなった。
まず焼けた方を切ってみる。皮が弾けた途端に香ばしい湯気が立った。ひと口頬張ると粗く挽いた肉の歯応えがあって、噛むほどに脂の甘さと胡椒の香りが広がる。これは急いで飲み込んだらもったいない。そう思ったのに次のひと口を切る手はもう動いていた。
じゃがいもの端はかりっとしていて中はほくほくだった。肉汁のたまったところへ少し浸すと、たぶんそれだけでパンが一つ食べられる。そこで酸っぱいキャベツを挟んでみたら口がさっぱりして、またソーセージへ戻りたくなった。よくできている。皿の上をぐるぐる回ってしまう。
「ずいぶん幸せそうに召し上がりますのね」
声をかけられた時には、パンで皿の肉汁を拭っていた。顔を上げると白い髪の少女が微笑んでいる。その後ろにも三人いて、僕と皿をそれぞれ気になる割合で眺めていた。
「相席をお願いしてもよろしいかしら。ほかは埋まってしまったようで」
「ああ、どうぞ。荷物をどけるね」
「ありがとうございます。……あら。レッドウィンターの方?」
椅子から持ち上げたコートを見て尋ねられたので頷く。アルチョムと名乗ると、彼女も黒舘ハルナと名乗り返してくれた。ゲヘナの美食研究会で活動しているそうだ。今日の僕とはとても話が合いそうな部活だった。
「私もヴルストプレートを。パンは追加で五籠お願いします」
隣へ座った鰐渕アカリの注文を聞いて、僕はさりげなく自分の籠を見た。まだ半分以上ある。一人前の分量を間違えて出されたのかと思ったけれど、店主は普通に返事をしていたので合っているらしい。
「あたしもそれ! あの白いのが入ったやつ!」
赤い髪の小柄な子が手を上げた。赤司ジュンコという名前だと紹介された直後、店主が申し訳なさそうに頭を傾ける。
「白ソーセージは今ので最後なんだよ。代わりに焼く方を一本増やしてもいいかい?」
「今のって……」
視線が僕の皿へ落ちた。ちょうど白いソーセージの最後のひと切れを口へ入れたところだったので、僕は噛むのを少し遅くした。遅くしたところで戻せるわけでもない。ジュンコがしょんぼりとメニューを閉じた。
「じゃあそれで。食べてみたかったのになあ」
「ごめん。もう少し早く会っていれば」
「あなたが謝ることじゃないでしょ。……おいしかった?」
正直に頷いたら余計に悲しそうな顔になった。かといって今さら首を振るのもひどい。僕は水を飲んで間を持たせた。おいしい昼ご飯の最中にこんなに申し訳なくなるとは思わなかった。
最後の一人は獅子堂イズミといった。運ばれてきた皿を前にぱっと顔を輝かせたところまでは僕と同じだったのだが、彼女はすぐに鞄から小さな容器を取り出した。チョコレートソースの瓶も出てきた。食後の何かが別にあるのだろうと眺めていたら、彼女は瓶をソーセージの上へ持っていった。
「……それにかけるの?」
「うん! おいしいよ!」
止める間もなく茶色い線が焼きたての皮を往復した。続いてホイップクリームがのり、赤い苺ジャムが添えられる。ここまでなら何とかお菓子だと思い込めたかもしれない。けれど最後の容器から塩辛が出てきたところで、僕の頭はついていくのをやめた。
イズミは嬉しそうにフォークを持った。僕は自分の皿を少し手前へ引いた。別に何かが飛んでくるわけではないのに手が動いてしまった。
「その最後のは必要だった?」
「塩辛? これがあると甘いのもしょっぱいのも楽しめるんだよ」
「交互に食べるのは?」
「一緒に食べたらもっと楽しいでしょ?」
そうかな。かなり違う気がする。僕の顔を見ていたジュンコが深く頷いたので、少なくとも僕だけの悩みではないらしい。
前の世界では食べられるものを選べないことも多かった。見た目のよくない食事には慣れているし、味より腹に入ることを優先した日もある。けれど目の前のこれは選び抜いた結果だった。材料はどれも食べ物なのに、どうして並べるとこんなに心細くなるんだろう。
「アルチョムちゃんもひと口食べる?」
「僕は今のでお腹がいっぱいになったから」
「さっきと顔が全然違うんだけど」
ジュンコに小声で指摘された。そこは見逃してほしかった。助けを求めて見つめたら彼女は口元を押さえ、僕の方を向かないようにして肩を震わせた。
「苦手なら無理しなくていいよ。じゃあこれは全部もらうね!」
イズミは少しも気を悪くせずに頬張った。それから本当に幸せそうな顔をした。嘘であってほしかった気もするが、そんな顔で食べている相手に言えることは何もない。僕は気持ちを落ち着かせるためにじゃがいもを食べた。塩と胡椒だけの味がずいぶん頼もしかった。
「イズミさんのお好みは独特ですから。私はこちらの焼き加減が気に入りましたわ」
ハルナは切り口を眺めてからゆっくり口へ運んだ。先ほどから食べる量は少ないのに一切れごとに楽しんでいるのが分かる。僕が肉汁をパンで拾っていたのと、たぶん大事にしていることはそう変わらない。
「アカリさん。次のおかわりは私の分もお願いします」
「はい。ソーセージだけでいいですか?」
「ええ。半分いただければ」
「残りは私が」
穏やかな会話の間にも空の皿が一枚増えた。アカリの前ではパンの籠がもう二つ重なっている。さっき追加が届いたばかりだったはずだ。イズミから目を離せるようになったと思ったら、今度はこっちが気になってきた。
「アカリは朝ご飯を食べてないの?」
「食べましたよ?」
「そうなんだ」
「朝はパンを少し。八個くらいでしたか」
聞き間違えたのかと思って顔を見ると微笑まれた。数え方はたぶん僕と同じだ。けれど『少し』のあたりに大きな食い違いがある。僕は自分の籠からパンをもう一切れ取り、この人と食費の話だけはしないでおこうと思った。
その頃ようやくジュンコの皿も届いた。焼き直した分だけ少し時間がかかったらしい。彼女はぱっと背筋を伸ばし、パンより先にナイフとフォークを手に取った。
「やっと来た! 見てなさいよ。あたしもちゃんと味わって――」
言い終わる前にフォークが手から滑り落ちた。椅子の脚へ当たって跳ねたそれをジュンコが追いかける。僕も足を引いて場所を空けたが、フォークはもう一つ先まで転がっていた。
「……何でそこまで行くのよ」
「替えをもらおう。手は洗える?」
「うん。すぐ戻るから」
彼女がフォークを拾って洗面所へ向かったところで、店主が空いた皿を下げに来た。アカリの前にはちょっとした山ができている。手際よく重ねていく様子を眺めながら場所を空けていたら、その山の下へ見覚えのある皿が吸い込まれた。
「あっ。それはまだ――」
遅かった。ジュンコの手つかずの昼ご飯へ、食べ終えた皿が三枚載った。ソースのついた裏底がじゃがいもにしっかり押しつけられ、僕は伸ばしかけた手を宙で止めた。
戻ってきたジュンコも止まった。洗ったばかりの手から水が一滴落ちた。
「……あたしの」
「申し訳ない! こちらも空いたものだとばかり!」
「まだ食べてないの! さっき来たところなの!」
店主は何度も頭を下げ、すぐに作り直すと言って厨房へ戻っていった。ジュンコは新しいフォークを握ったまま椅子へ座る。隣でお腹が鳴ったので僕まで姿勢が悪くなった。目の前で他人の食事がこれほど遠ざかっていくのを初めて見た。
「ジュンコさん。こちらを少し召し上がって」
ハルナが皿を寄せた。同じ時にアカリもパンの籠を持ち上げ、イズミが例のひと切れを差し出す。ジュンコは最後の一つだけそっと押し戻した。
「ありがとう。でも今は普通のものが食べたい……」
「普通のもあるよ!」
「そのフォークについてるクリームがもう駄目なのよ」
気の毒だと思っていたのに少し笑ってしまった。ジュンコに睨まれて口を閉じる。ただその顔にも今にも泣き出しそうな感じが混じっていたので、僕は残していたソーセージを見下ろした。最後に食べようと思っていた一切れだ。僕の皿にはちゃんと最後まで残っている。それが急に不公平な気がしてきた。
パンを開いてそこへ肉を挟み、酸っぱいキャベツとマスタードを少し足す。ジュンコの手前へ差し出すと彼女は目を丸くした。
「はい。これなら冷める前に食べられるよ」
「でもそれ、あなたの分」
「僕はもうだいぶ食べたから。あとで感想を教えて」
少し迷ってから小さな手が伸びてきた。受け取ったパンを両手で包み、ジュンコが口を開く。その時ちょうどテーブルを挟んだ向こうからイズミの声がした。
「あっ。サンドイッチにするのもおいしそう! ジャム――」
「ジュンコはそのままで大丈夫」
自分でも驚くくらい早く返事が出た。イズミは瓶を持ち上げる途中で止まり、そっかと笑って自分のパンへ向き直る。僕は何もかけていない両手をジュンコに見せた。ほら。今のうちだ。
今度こそ彼女は食べた。少し大きすぎるくらいのひと口だった。頬が膨らんで、強張っていた眉がゆるむ。次に僕を見た時の目があまりに嬉しそうだったので、何も訊かずに水のグラスを寄せておいた。
「……おいしい」
飲み込んでからこぼれた声はずいぶん小さかった。ジュンコはもう一度パンを見て、今度はゆっくり齧った。ちゃんと噛めたことが嬉しいみたいに頷いている。僕は残りのじゃがいもへ手を伸ばしながら、口元がゆるむのを止められなかった。
「……いつもこんな感じなの?」
「今日はまだ食べられたからいい方よ」
「そっか」
返事をしたあとで彼女の言葉を考え直してしまった。それでいい方なら悪い方は聞かないでおこう。せっかく機嫌よく食べているのだから、話すために口を止めさせるのも気の毒だった。
ところが安心した途端に、ジュンコの肘が水のグラスへ当たった。彼女はパンを持ち上げて守り、僕はグラスを押さえる。少しだけこぼれた水をハルナが紙ナプキンで受け止めた。三人で無言のまま手元を確かめてから、ジュンコが深く息を吐く。
「もう座って食べてるだけなんだけど!」
アカリが横で笑いかけて、慌てて口元を隠した。その指の間から僕と目が合う。たぶん今のは笑ってしまったらいけないところだった。二人ともジュンコを見られなくなった。
作り直したプレートが届いたのは、それから少ししてのことだった。店主が何度も謝りながら皿を置き、お詫びだという小さなアップルパイまで添えてくれる。ジュンコはパイを見てから僕を見た。僕もパイを見ていたから仕方ない。
「半分あげる」
「えっ。いいの?」
「さっきのパンのお礼。ここのはおいしいのよ」
断るつもりで開きかけた口が、その一言で閉じた。店へ来る前から気になっていたパイが目の前にある。ジュンコは僕の皿へ半分を分けると、残った方を自分のプレートのずっと奥へ置いた。
「これはあと。絶対あとで食べるんだからね」
「誰も取らないよ」
「お皿ごと下げられることもあるの!」
そうだった。僕は素直に頷いた。店主が厨房の奥からもうしないよと声をかけ、ハルナがとうとう声を立てて笑った。ジュンコも少し口を尖らせたあと、ようやくナイフを使い始めた。
それからしばらく僕たちは普通に食事をした。アカリがまたおかわりを頼んだことと、イズミのパンから甘いイカの匂いがしたことを除けば、とても穏やかな時間だった。ジュンコもソーセージを食べている間だけは静かで、皿に手を伸ばす誰かがいないか時々目だけを動かしていた。
アップルパイは皮の端までさくさくしていた。煮たりんごには少し酸味が残っていて、バターの匂いが食べ終えたあとも口に残る。僕は最後の欠片をフォークへ載せ、向かいのジュンコを確かめた。彼女も自分の分をちゃんと口へ入れたところだった。
「どう?」
「次は最初から頼もうと思う」
「でしょ!」
今日いちばん得意げな顔をされて僕も笑った。食べ物の話でそんな顔ができる子が、さっきまで皿を前にして空腹でいたのだ。次に一緒に来たらまずフォークの予備を渡しておこうと思う。
店を出る前にハルナがほかのお勧めも教えてくれた。煮込みのおいしい食堂や焼きたてのパンが買える店があるらしい。赤いノートの後ろの頁へ書き留めていると、横からイズミが覗き込んできた。
「今度は私のお勧めにも行こうよ!」
笑顔はとても魅力的だった。けれど僕の頭にはクリームをかぶった塩辛が浮かんでいた。どう返そうか迷っていると、ジュンコが僕のノートを指さす。
「先にあたしがメニュー見るから」
「……それなら」
「何でそんなにほっとした顔するの?」
君がいてよかったと思ったからだよ。口には出さなかったけれど、たぶん顔には出ていた。ジュンコは呆れたように笑ってから、自分も連絡先を交換すると端末を出した。
帰りの停留所へ向かっている途中で、さっそくメッセージが届いた。次はいつ来るのかというジュンコの問いの下に、今度は白ソーセージが食べたいと書き添えてある。僕は時刻表を見ながら返信した。
『次は開店してすぐに行こう』
送信してから少し考えた。店にはまた行きたいし、彼女も来るなら顔を合わせて食べたい。もう一行書き足す。
『席は隣に取っておくよ』
すぐに届いた喜んでいる顔のスタンプを見て端末をしまった。ひと口食べるまで見届けたくなる相手は初めてだった。今度こそ白いのを食べられるといい。僕の分も頼んでおいて、何かあったら皿を交換できるようにしておこう。
後日、美食研究会がキヴォトス全域で公式指名手配されているテロリストグループだと知って世界は広いと思った僕だった。
───オーロラ号での食事を作ってくれていたイディオットが彼女達の所業を知ったら、きっと怒るだろうな…