Blue Archive fo MetroExodus 作:宇迦之たま猫
百夜堂の暖簾をくぐったら、金髪の女の子が腰を落として片手を差し出した。ずいぶん丁寧な出迎えだと思って立ち止まると、よく通る声が店じゅうに響いた。
「お控えなすって! 姓は朝比奈、名はフィーナ。この百夜堂でお世話になっておりマス!」
「どうも。アルチョムです」
「フィーナ。お客様に仁義を切らない」
奥から飛んできた声に彼女が振り返る。その向こうでは小柄な子がお盆を抱え、僕と目が合うなりにこっと笑った。
「いらっしゃいませ〜。百夜堂の看板娘、シズコです! お好きなお席へどうぞぉ」
「委員長、名乗りはご挨拶の基本デス!」
「挨拶のあとに注文も聞いてね」
フィーナは張り切って僕を窓際へ案内した。空いていた席へ腰を下ろすと、少し遅れて注文用の紙が差し出される。僕もついさっき名乗り終えたばかりなのに、何だか馴染みの客みたいな気分だった。
百鬼夜行へ来たのは初めてだ。駅を出てからも木の看板や色のついた暖簾が珍しく、あちこちで足を止めていた。川沿いまで行くつもりだったけれど、店先で団子を焼いている匂いにあっさり負けた。今日の散歩はここで一休みになる。
「みたらし団子と、お茶のセットを」
「ハイ! みたらし一皿、お茶を添えて!」
フィーナが厨房へ声をかけると、卓袱台いっぱいに紙を広げていた子が慌てて束を抱えた。細長く折られた地図に写真入りの小冊子、何枚もの切符らしい紙までこぼれかけている。店の奥へ引っ込む途中で僕の席の横を通り、一枚だけ置いていった。
「あの、よかったらどうぞ。商店街の案内です」
「ありがとう。ちょうど歩いてみたかったんだ」
「でしたら川沿いの方にもぜひ。今はお店が少ないんですけど、お祭りの日にはあそこが全部屋台で埋まるんです。石段を下りて左側の――」
「ウミカ。お客様がまだコートを脱いでない」
「はっ。す、すみません! 私、里浜ウミカといいます。ごゆっくりどうぞ!」
ぺこりと頭を下げて、ウミカは紙の束ごと引き返した。僕が袖から腕を抜く間にも彼女の視線は何度か案内図へ戻っていた。川沿いに何が並ぶのか、ずいぶん話したそうだった。
ほどなくシズコがお盆を運んできた。艶のあるたれをまとった団子と湯呑みが並ぶ。さっきまで通りに漂っていた匂いが、今度はすぐ目の前からした。
団子の表面には薄い焼き目がついていた。ひとつ齧ると柔らかく歯が沈み、あとから生地の弾力がついてくる。ソイソースの香ばしさに甘いたれが絡んで、串を置く前にもう一つ食べてしまった。口の端についた分まで惜しくなる味だった。
お茶を飲むと舌に残った甘さがすっと引いた。湯呑みから上がる香りは青く、ひと口飲み込んだあとにはほのかな渋みがある。そこで団子を食べるとさっきより甘く感じるのだから困った。皿も湯呑みも交互に減っていく。
「気に入っていただけたようですねぇ」
「餡の団子も一本お願いします」
「はぁい。少々お待ちください!」
シズコはお盆を胸の前へ戻し、軽い足取りで厨房へ向かった。その途中で別の席の注文を拾い、返ってきたお釣りを数え、フィーナへ持ち帰りの箱を頼む。足取りはそのままなのに仕事だけが次々に片付いていった。
窓の外では買い物袋を提げた人が行き交っていた。店先の赤い傘が風に揺れる。今日は授業もないし、寮へ急いで戻る用事もない。僕は串についたたれを団子の最後の一つへ寄せてから食べた。シズコが戻ってくるまで、この甘さをゆっくり残しておきたかった。
「レッドウィンターからお越しなんですね。百鬼夜行は観光ですかぁ?」
「食べ歩きのつもりで来たんだ。この間はゲヘナでソーセージを食べて、今日はお茶と団子」
「まあ! それなら百夜堂へ来て大正解です。ほかにも自慢の甘味がたくさんありますから、メニューもぜひ――」
「食べ歩き、ですか?」
背後で紙の擦れる音がした。ウミカが戻ってきていた。手にはさっきより薄い冊子が二冊と、折り畳まれた地図がある。僕の返事より早く空いた卓へそれを広げ、ぐっと身を乗り出した。
「それならお祭りの日にも来ていただきたいです! 普段は食べられないものもありますし、同じお団子でも屋台によって違っていて、焼き方とかたれの種類とか、それから串に刺さずに小さなお椀で出すところも――」
「ウミカ、お茶」
「あっ。ありがとうございます、社長」
シズコが湯呑みを置くと、ウミカは一度口をつけた。ようやく息を継いだらしい。僕は自分の地図を横へずらして、彼女の冊子が置ける場所を空けた。
写真には灯りの連なる夜店が写っていた。昼間の通りよりずっと狭く見えるのは、軒先まで屋台と人で埋まっているからだ。屋根の上には大きな飾りがあり、手前では紙袋を抱えた子が何かを頬張っていた。僕の目がそちらへ行くたびに、ウミカがすかさず該当の頁を開く。
「これは焼き餅です。こっちは揚げたお菓子で、揚げたてだと中がとろっとするんです。それからこちらは去年出ていた屋台なんですけど――」
「ウミカ、お客様のお団子まで食べ歩きを始めマシタ」
フィーナが笑いながら皿を差し入れた。紙の束に押されて端へ寄っていたみたらしの皿が、餡団子と一緒に僕の前へ戻ってくる。ウミカは真っ赤になって冊子を抱え直した。
「またやってしまいました……」
「この頁はそのままにしてもらっていい? 食べながら見たい」
ウミカの手が止まった。開かれた頁には大きく湯気を上げる屋台の写真がある。彼女は両手で冊子をそっと置き直すと、今度は皿にぶつからない位置へ収めた。
餡団子はみたらしよりひと回り大きく見えた。小豆の皮が少し残った餡を薄く歯で押し、団子と一緒に噛む。甘さはしっかりあるのに豆の匂いも消えていない。しばらくこちらに集中していたら、隣からフィーナの声がした。
「旅のお供にもいいデスね。団子を片手に街道を行く。渡世人の気分デス!」
「街道へ出る前に食べ終わりそうだよ」
「道中に茶店があれば、また寄ればいいのデス!」
「それだと次の街に着かないな」
「いい旅デス!」
言い切られてしまった。たしかに今の僕には悪くなさそうだった。団子を食べ終えたら歩き、歩き疲れたらまた何か食べる。今日はそのくらいの予定で十分だ。
フィーナは僕の地図の川沿いを指で辿った。商店街を抜けた先に石橋があり、そこから少し上流へ歩くと水辺へ下りられるらしい。ウミカがその横へ別の道を示し、僕の散歩は次第に賑やかなものになっていった。
「こっちにはお煎餅のお店があるんです。焼いているところが見られる日もあって、その先の路地には飴を――」
「それからこの橋の近くデス! 景色がとても綺麗で、ここを歩くと映画の主人公みたいになれマス!」
「映画だとここで何が起きるの?」
「背中から呼び止められマス」
「普通に渡らせてほしい」
シズコがカウンターの奥で噴き出した。ウミカは笑いながら地図の端に小さく『橋』と書く。フィーナはその横へ立派な矢印を描き、僕の筆記具を返してくれた。
この二人に任せると甘味処と決闘の場所が同じ地図に載りそうだった。石橋の先に何があるかは歩いてみれば分かる。僕はまず煎餅の店に丸をつけた。焼きたてが買えたら寮で食べよう。
「それでしたら、帰りはこちらを通るといいですよ」
シズコもお盆を置いて加わった。細い指が川沿いの道から一本の路地へ入り、ぐるりと商店街へ戻ってくる。行きとは別の店を眺めながら歩ける道だという。
「最後に百夜堂へ戻って、お茶を飲んで、お土産を受け取って。その方がお団子もできたてをお渡しできますから」
「いつの間にかお土産まで決まってる」
「今日はお持ち帰り用に少ない本数からでもご用意できますよぉ」
シズコの指は地図の百夜堂から動かなかった。僕もメニューの持ち帰り欄を見てしまった。さっき食べたみたらしと餡、それからまだ食べていないきな粉の写真が並んでいる。
「……三種類とも入れてもらえる?」
「もちろんです!」
注文票を抜き取る手が早かった。ウミカは地図へ『お土産受け取り』と書き添え、フィーナがその下へ大きな丸をつけた。散歩の終点はすっかり決まってしまった。
ほかの客が入ってきたのでシズコとフィーナが席を離れた。ウミカも広げた冊子を片付けに戻り、僕の前にはお茶と団子と書き込みの増えた地図が残る。茶店でひと休みするだけのつもりが、立派な旅程ができていた。
僕は残ったお茶を飲み、窓の向こうの通りを眺めた。さっきより人が増えている。暖簾を押して入ってくる客にフィーナが席を勧め、シズコが注文を取り、ウミカは迷わず必要な皿を出していた。三人とも話していた時とは違う速さで動いている。ここに座ったままもう一杯頼むのも魅力的だったけれど、地図の石橋も見てみたかった。
会計の時にシズコから小さなカードを渡された。百夜堂の文字と団子の絵があり、端にはスタンプが一つ押されている。僕が財布へ入れると、彼女はもう一度にっこりした。
「帰りもお待ちしてますね。アルチョムさん」
「うん。行ってくる」
「お気をつけて! 道中、ご武運を!」
「フィーナ、お客様は散歩に行くの」
*
石橋では誰にも呼び止められなかった。欄干にもたれて川を眺め、小さな舟が通るのを見送り、煎餅屋の前では焼き上がるまで待った。たれをつけると網の上から煙が上がる。その匂いを嗅いでいるうちに一枚だけのつもりが三枚になり、紙袋は百夜堂へ戻る前から少し軽くなった。
ウミカが教えてくれた路地には昔ながらの小さな店が並んでいた。飴屋の窓に寄り道して、店先の玩具を眺めて、赤い傘の見える通りへ出る。地図を開かなくても、最後は団子を焼く匂いで分かった。
「おかえりなさいませ〜!」
シズコの声に迎えられて暖簾をくぐる。さっきの席は空いていた。僕が煎餅の袋を卓へ置くと、フィーナがすぐに気づいて近づいてくる。
「無事のご帰還デスね!」
「橋も何事もなく渡れたよ」
「それは何よりデス!」
ウミカが紙袋から顔を覗かせた煎餅を見つけ、自分の勧めた店のものだと嬉しそうに笑った。僕が焼きたての話をすると、今度は海苔巻きの方も食べてみてくださいと勧めてくれた。
僕はコートを脱いでまた同じ席へ座った。窓辺の光はさっきより低く、卓の端を長く照らしていた。
「みたらしをもう一本。それから、お茶も」
「今度はほうじ茶をご用意しますねぇ。お持ち帰りの分は包んでありますから、ごゆっくりどうぞ」
厨房からはフィーナがウミカへ次のお祭りの話を振る声がした。やがて湯呑みと団子が届き、焼いたたれの匂いにほうじ茶の香ばしさが重なる。
お茶をひと口飲んでから団子を齧った。歩いてきたぶんだけたれがまた甘く、湯呑みの温かさが指に馴染んだ。僕は膝に置いた地図を畳み、百夜堂のスタンプカードと一緒に財布へしまった。
───陽気で女好きのアリョーシャが彼女達の事を気に入りそうだな…