第1章:羽ばたきと妨げる壁   作:中川晋三

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※2次創作のキャラは公式とは無関係です。


第1章:羽ばたきと妨げる壁

小学3年生の夏。

札幌市体育館の天井近くを鋭く切り裂くシャトルと、選手の激しい足音が響き渡る。体育館で開催された、トップアスリートたちのバドミントンエキシビションマッチ。観客席の最前列で、橋上ゆうきはその光景に釘付けになっていた。

 

わあ、すっごい……!

目の前で繰り広げられる人間離れしたスマッシュスピード、そしてコートを縦横無尽に駆け抜ける躍動感。胸の奥が熱くなり、どうしようもないほどの憧れが、小さな体の中に波のように押し寄せてきた。試合が終わるやいなや、ゆうきは隣に座っていた母親の服の袖をギュッと引っ張った。

「母さん…俺、やりたい」

その真剣なまなざしと、わずかに震える声を聞いて、母親の橋上かすみはふわりと優しく微笑んだ。

かすみは、いつも穏やかで、まるで包み込むような温かい空気をまとっている母親だった。おっとりとした口調ながらも、子供の気持

ちを一番に尊重してくれる人柄だ。

 

「ふふっ、ゆうき、そんなに目を輝かせて。そんなにバドミントンが気に入ったのね?」 かすみは優しく微笑みながら、ゆうきの頭をそっと撫でた。上品に結ばれた髪と、おっとりとした物腰は、どこか温もりを感じさせる。

 

「うん! あのお兄さんたちみたいになりたいんだ! スマッシュ、すっごくかっこよかった!」 「まあ……。ゆうきがそんなに熱心に何かをやりたいって言うなんて、母さん、なんだかとても嬉しいわ。何事も挑戦してみることは素敵なことだものね」

かすみはワンピースのポケットから小さなハンカチを取り出すと、興奮して少し汗ばんだゆうきの額を優しく拭った。

 

「じゃあ、さっそく帰り道に、近くのバドミントン教室のチラシをもらいに行きましょうか。道具を揃えたりしなくちゃね」

 

「ほんとう!? やったあ!」 ゆうきは嬉しさのあまり、その場で飛び跳ねた。

 

それから1週間後、ゆうきは厚別西体育館のバドミントン教室に入った。

体育館の扉を開けると、むわっとした熱気と、床のワックスの匂いが顔にぶつかってきた。

キュッ、キュッとシューズが床を擦る音に混じって、パンッ、パンッと乾いた音が響く。ゆうきと同じくらいの子どもたちが、シャトルを一度も落とさずに打ち合っていた。

 

すごい……みんな、ちゃんと続いてる

 

すると、そこに人当たりの良く、穏やかな笑顔をした40代ぐらいの男性が来て、ゆうきを他己紹介した。

 

「今日から入る橋上ゆうきくんだ。みんな、よろしくな!」

 

コーチの佐藤先生に背中を押され、ゆうきは小さく頭を下げた。

顔を上げたとき、ラリーをしていた男の子のひとりと目が合う。その子はちらりとゆうきの真新しいラケットを見ると、つまらなそうに視線をそらした。同じ学校の郷田すねよしと石原明博(あけひろ)だった。

 

憧れのプロ選手のようにかっこよくシャトルを打ちたい――そんな胸の高鳴りを抱いて門を叩いたゆうきだったが、現実は甘くなかった。

最初の練習は、ひたすら素振りと、ラケットの握り方の確認だった。テレビで見たあの華やかなスマッシュは、どこにもない。それでも、ゆうきは「これも強くなるため」と自分に言い聞かせ、必死にラケットを振った。

 

しかし、いざシャトルを打つ段になると、ゆうきは下手だった。

ラケットの芯にシャトルが当たらず、空振りをしたり、ポトリと真下に落としたりしてしまう。

入って3ヶ月、同じ時期に入った子が初めてラリーを10回続けた日も、ゆうきはまだ空振りをしていた。

基本のフォームも定まらず、コーチの佐藤先生につきっきりで教えてもらうのが毎回の練習になっていた

 

「ゆうきくん、そこはもっと肘を高く上げて。ラケットのヘッドを走らせるんだよ。こうやって……」

 

「はいっ! こうですか、佐藤先生……っ!」

 

「そう、惜しい! もう一度、ゆっくりフォームを確認しながら素振りをしてみよう」

 

毎日、練習が終わったあともコートの隅でマンツーマンの特訓が続く。悔し涙をこらえながら必死に食らいつくゆうきの姿は、誰よりも健気で、真剣そのものだった。

 

しかし…そんなゆうきを快く思わない奴がいた。

ゆうきと同じ学校の郷田すねよしと石原明博だった。

休憩中、ドリンクを飲みながら、郷田と石原は冷ややかな視線をコートの隅へと向けていた。

 

「おい、見ろよあれ。毎回毎回、あんなに下手くそなのにコーチを独り占めしてさ」

郷田が面白くなさそうに鼻で笑う。隣で石原も呆れたように肩をすくめた。

 

「本当だよな。ラリーもできないのに先生に教えてばっかりでずるいよな。あんなに教えてもらっても全然うまくならないし、才能ないんだから辞めちまえよな」

 

「だな。見てるこっちがイライラするぜ。おい、ゆうき!」郷田はわざわざ大きな声を出しながら、ゆうきたちのほうへ近づいていった。

 

「おい、ゆうき。いつまでそんな足引っ張ってんだよ。コーチも、お前につきっきりで大変だな。なあ?」

突然話しかけられ、ゆうきはハッとして手を止めた。佐藤先生も表情を引き締めて二人を見る。

 

「すねよし君、明博君。ゆうきくんも一生懸命がんばっているんだから……」

 

「先生、こいつ教えてもらってばっかりでずるいっすよ。何ヶ月やっててもド下手じゃ、時間とコートの無駄っスよ」

石原が腕を組み、冷たい笑みを浮かべる。ゆうきは悔しさで唇を噛みしめ、握りしめたラケットのグリップがギュッと音を立てそうになった。

 

くっ……! 言い返したい……! でも、実際に俺はまだ全然うまく打てない……!

 

ゆうきは郷田と石原の背中をにらみつけた。

 

――絶対に、見返してやる!俺が強くなったら、きっと郷田君や石原君だって認めてくれる!

 

それからも、ゆうきは思うように上達しない、歯がゆい日々を過ごしていた。

毎日必死に素振りを繰り返し、フォームを意識してみても、コートに立つとシャトルはあらぬ方向へ飛んでいってしまう。焦れば焦るほど体に力が入り、空振りばかりが増えていく。そんな努力をあざ笑うかのように、同級生の郷田すねよしや石原明博たちによる嫌がらせは、次第にエスカレートしていった。

 

ある日の練習

 

「よし、それじゃあ最初はペアを組んで10分間の基礎打ちからスタート!」

佐藤先生の威勢のいい声が体育館に響き渡ると、他の子供たちは手慣れた様子で二人一組を作り、コートへと散っていった。

ゆうきもは迷わず、郷田たちのほうへ駆け寄った。

 

強くなるにはうまい人たちと練習しなきゃ、よし!

 

「あの……郷田くん、石原くん。俺と基礎打ち、やってくれない……?僕、上手くなりたいんだ、お願い。」小さな声で恐る恐る尋ねるゆうきに対し、郷田はあからさまに嫌そうな顔を決め込んだ。

そして、他の団員にも聞こえるような大きな声で、冷たく言い放った。

 

「はあ? 嫌だね。お前と基礎打ちしていると、練習になんねぇんだよ」

 

「え……」

 

「お前さ、打ちやすいロブすらまともに返せないじゃん。シャトル拾いにばっかり時間とられて、こっちの練習時間が減るんだよ。マジで邪魔。あっち行ってろよ」

隣にいた石原も鼻で笑いながら同意する。「そうそう。下手の相手すんのはボランティアじゃねえんだからさ。自分と同じレベルのヤツ探せば? あ、ここにはお前より下手なやつなんて一人もいなかったっけ! ギャハハ!」

 

「そんな……」

 

二人の言葉は、針のようにゆうきの心に突き刺さった。周りの子供たちも関わりたくないのか、視線をそらして見て見ぬふりをしている。気がつけば、広々とした体育館の中で、ゆうきだけがラケットを握りしめたままぽつんと取り残されていた。拳を強く握りしめ、溢れそうになる悔し涙を必死にこらえるゆうき。

 

そこへ、コートの様子を見回していた佐藤先生が歩み寄ってきた。「ゆうきくん、どうした? ……そっか」先生は周囲の空気とゆうきの表情からすべてを察したように、優しくその肩に手を置いた。

 

「よし! じゃあゆうきくん、今日は先生とじっくり基礎打ちをやろうか! 先生を独り占めできるなんて特別だぞ?」

 

「佐藤先生……」

 

「周りの声なんて気にしなくていい。自分のペースで、一つずつできるようになればいいんだ。さあ、コートに入りなさい!」

 

「……はいっ!」

 

先生のあたたかい言葉に支えられ、ゆうきは涙をぬぐうと、再びコートへと駆け出した。

冷たい拒絶に傷つきながらも、バドミントンが好きな気持ちだけは絶対に捨てないと心に誓いながら、ゆうきは先生が打ち出すシャトルを夢中で追いかけ続けた。

 

コートの隅で、佐藤先生と熱心に打ち合いを続けるゆうきの姿。その様子を、体育館の反対側から忌々しそうに見つめるふたつの視線があった。

 

「チッ、なんだよあれ……? なんであいつのために先生がつきっきりになるんだよ?」

郷田が舌打ちをしながら、ラケットのフレームを地面に叩きつけるようにして不満をぶちまけた。

 

「それな……面白くねえよな。俺たちには『自分で考えろ』とか言うくせに、あんな下手にばっかり時間使いやがってさ」 石原も腕を組み、冷ややかな目で吐き捨てる。真面目に練習するゆうきの存在そのものが、二人にとっては不快でたまらなかった。

そして、その歪んだ苛立ちは、ついに陰湿な「嫌がらせ」となって実行に移されることになる——。

 

数日後、練習を終えたゆうきは、着替えと片付けのためにロッカールームへ向かった。

バッグのチャックを開けた瞬間、ゆうきの手が止まった。

――においが、おかしい。

ラケットを取り出す。フレームがぐにゃりと曲がっていた。ガットは何本も切れて、だらりと垂れ下がっている。

 

え……なんで……

 

母が「がんばってね」と笑って買ってくれたラケット。

ユニフォームには、黒い泥と油がべったりと塗りつけられていた。

そのとき、ロッカーの向こうで、ぱたぱたと走り去る足音がした。笑い声が、遠ざかっていく。

誰なのか、見なくても分かった。

ゆうきは、曲がったラケットをそっと胸に抱いた。涙が一粒、泥だらけのユニフォームに落ちた。

 

……辞めない。絶対、辞めないぞ

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