煩わしいほどの大雨だった。
人の往来を目の前にして、俺は傘を差しながら、某大学の正門前で立ち尽くしていた。
降り注ぐ雨粒たちが傘を叩き、規則正しい音を奏でている。雨に濡れた地面から漂う独特な匂いが鼻をつき、湿った空気が自分の服を、肌をべたつかせた。
学生たちを尻目に、腕時計で時刻をちらと確認すると、時計の針は六時を指していた。
雨雲に覆われた空。そのせいで判別しづらいが、辺りは少しずつ暗くなり始めている。大学から出てくる学生たちも、時間が経つにつれて数少なくなってきた。
流石に遅いな……。もう帰ってしまったのだろうか。
そんな風なことを考えながら、俺は大学から出てくる学生たちに目を向けた。
じろじろと一人ひとりの顔を確かめるように視線を巡らせていると、学生たちから不審そうな目を向けられていることに気が付いた。
…やっぱり車の中で待っていればよかったかな。
最初は車に乗って待つことも考えていたのだが、車内からでは傘に遮られて顔が見えないため、彼女を見つけられない可能性があると踏んで正門前で待つことに決めたのだが。
どうやら悪目立ちしているようなので、俺の選択は間違いだったと反省した。
部外者の男が大学の前に一人で立ち、出てくる学生たちを品定めでもするように眺めているのだ。誰だって不審に思う、俺も思う。
「……あれは」
通報される前に帰ろうかと思っていたところ、前方から歩いてくる小さな傘が目に止まり、不意に声を漏らす。
周囲のものと比べても明らかに小さく、一際目立っている傘。持ち主の姿は確認できないが、その傘は誰かを探すようにきょろきょろと落ち着きなく動いていた。
ようやく待ち人が現れたらしいと、傘のサイズとその動きで察しがついた。
「……愛里寿」
俺は彼女に歩み寄り、声をかけた。
すると小さな傘がぴょんと跳ね、持ち主が顔を上げた。そこにいたのはゴスロリ風の服に身を包んだ少女だった。
小動物を思わせる愛くるしいご尊顔、その大きな瞳が、驚愕といった風に俺を見つめている。
「お兄様」
「よお。久しぶりだな。……その……元気してるか?」
予想していなかった人物との再会に、愛里寿は驚きを隠せない様子だった。彼女の小さな口が、数ミリ程度の差に過ぎないが、ポカンと空いている。
「…お久しぶりです、お兄様」
しかしすぐさま表情を引き締めると、つり目がちな瞳をさらに鋭くし、彼女は背筋をピンと伸ばした。そして育ちの良さを感じ取れるほどに、丁寧に頭を下げて見せた。
「あー……そんな畏まらなくても、まあいいか」
年の離れた妹の堅苦しい振る舞いに、なんだか気恥ずかしくなって、俺は頭をかきむしった。
「お手伝いさん達が野暮用で来られなくてな。俺が、まあ、雨もひどいし、車で迎えに来たわけだが…」
「そうだったのですね。ありがとうございます」
またも義理堅く頭を下げる愛里寿。
だから、そんな畏まらなくてもいいと言っているのに。
「じゃ、じゃあ行くか。濡れるから。車に」
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雨の中、車を走らせる。
雨粒がフロントガラスにひたすら降り注ぎ、左右に動くワイパーがそれらを必死に振り払う。
濡れたアスファルトには街灯や信号機の光が反射しており、車が通り過ぎるたび、タイヤが路面の水を跳ね上げた。
いつの間にか雨空は夕暮れの色を失っている。車のオートライトが周囲の暗さを感知し、ヘッドライトを点灯させる。対向車も次々とライトを灯し始め、水たまりの道路に白や黄色の光が乱反射していた。
ハンドルを握る手に力を込め、目を凝らして前方を見据えた。
「…ひどい雨だな」
「はい」
「…あ、愛里寿…。そうだ。寒くないか?」
俺は片手でハンドルを握ったまま、もう片方の手を伸ばしてエアコンのスイッチを入れようとする。
「寒くはありません」
と瞬時に返されたので、スイッチを押す寸前で止めた。
隣に目を向けると、愛里寿は首をふるふると横に振っていた。
「そ、そうか……。そうだよなー。別に寒くないよなー……はは」
渇ききった笑い声を漏らしながら、わざとらしく言葉を重ねていく。
「ははっ……」
そこで会話が途切れた。
愛里寿も俺も、互いに口を開こうとせず、沈黙が車内に流れ出した。
エンジンの低い唸りと、窓を打つ雨音だけが耳に届く。
信号が赤に変わり、前方の車のブレーキランプも同じように赤へと変化したので、車をゆっくり止めた。信号を待っている間、雨音を伴奏に、俺は横目で助手席を窺う。
助手席にいる愛里寿はシートベルトをきちんと締め、小さな身体を背もたれに預けることもなく、背筋をぴんと伸ばして座っていた。膝の上には両手を置き、行儀のいい姿勢を保っていた。
年相応の小さな身体には愛玩動物のような愛らしさがあるけれど、どこか妙な隙のなさもあって。まるでこちらまで背筋を伸ばしたくなるような、気品というよりは威圧感のような、そんな風格を愛里寿は纏っていた。
……こういうところは、どこか母さんに似ている。
そんなことを思いながら愛里寿を見つめていると、彼女が不意に右手を動かし、前方を指差した。
つられて視線を向けると、信号はすでに青に変わっていた。信号に気付いたと同じくらいに、背後からプップーとクラクションが鳴らされる。
「おっと……」
俺は急いでアクセルを踏み込み、車を走らせた。
ずっと愛里寿を見ていたから、信号が変わっていたことに何も気付かなかった。運転中は運転に集中しないといけないというのに。
でもふと考えたのだ。
世の兄弟姉妹というものはどういったものなのだろうかと。
友達の姉弟は、弟をパシリに使って、弟は弟で姉のことをうざいだの面倒くさいだのとよく愚痴っている。本人たちに言わせれば、姉弟なんて邪魔で鬱陶しいだけらしいが、悪口の声にはどこか明るさがあって、本気で嫌っているようには聞こえなかった。
別の友達は兄弟で、互いにそれほど関心がないようだった。わざわざ一緒に遊びに行くこともないし、積極的に話しかけることもない。それでも兄と弟であることは互いに認識して、会話こそ少ないものの、必要なときには自然と言葉を交わくらいの仲だという。
他の友達にはかなり仲のいい姉妹もいたっけか。休日には二人でよくショッピングに出かけ、服を選んだり、食事をしたり。そんな話を聞いていて、姉妹というよりもむしろ、気の合う親友同士みたいな姉妹だと微笑ましくなったな。
兄弟姉妹と一口にいっても、その関係は人それぞれだ。千差万別、十人十色。
だから俺と愛里寿だって特段変わっている関係ということはないだろう。たぶん。きっと。
「……ぁ」
不意に、助手席の愛里寿が小さく声を漏らした。
「……ど、どうした?」
再び赤信号に差しかかり、車を停める。今度は青信号を見逃さないよう注意しながら、俺は愛里寿へと顔を向けた。
「いえ」
愛里寿は携帯を片手に、画面を見つめていた。俺の問いに短く答えると、携帯を閉じる。
何が書いてあったのだろう。深く詮索するようなことでもないが、少しだけ気になった。
戦車道に関する連絡でも来たのだろうか。それとも友人からのメッセージか。はたまた、ただのニュースやメールが来ただけか。
愛里寿の表情からして、厄介なものでもなさそうだが。
そんなことを考えながら愛里寿を見ていたら、その携帯に付いたストラップが目に留まった。
灰色の熊のようなぬいぐるみだった。なぜか全身に包帯がぐるぐると巻かれていて、どこか、いやかなり奇抜な見た目をしている。
「それ」
「え?」
俺がストラップを指差すと、愛里寿はもう一度携帯に視線を向けた。指先を追うようにして、俺がストラップに注目しているのだと気付いた。
「…なにかのキャラクターか?」
「……うん。ボコ」
「ボコ?」
という名前のキャラクターなのだろうか。
「くまモンとか…ひこにゃんみたいなものか?」
「それはゆるキャラ。…この子は違う」
「違うのか」
「ボコはボコだから」
そう呟くと、愛里寿はボコのストラップを見た。口元を上げて、まるで大切な宝物でも眺めるように、愛おしそうに見つめている。
そうか。愛里寿はこのキャラクターが好きなんだな。
なるほど…な。
「じゃあ、愛里寿は――」
そのとき、またしても後ろの車からプップーとクラクションが鳴らされた。
バッと前を向くと、しまった、また愛里寿に気を取られていて、信号が青に変わっていることに気付かなかった。
なんて迷惑な運転をしているんだと、後続車の運転手に心の中で深々と土下座しながら、俺はアクセルを踏みしめた。
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「すっかり雨も上がったな」
屋敷の前に車を停め、窓から手を伸ばしてみる。指先に雨粒が当たらない。雨雲が晴れたわけではないが、少なくとも今は雨に悪さをさせられる心配はなかった。
「はい」
愛里寿はシートベルトを外し、空模様に目を向けながら、ゆっくりと助手席を降りた。
ようやく屋敷まで帰ってこられた。愛里寿を無事に送り届けることができた。
これで今日の俺の役目は終わりだと思うと、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだのか、俺は解放感のようなものを感じながら、軽く伸びをした。
「お兄様、今日はありがとうございました」
愛里寿が俺の目の前に来て、最後まで変わらず深々と頭を下げた。
「い、いや、そんな。車で迎えに来ただけだし」
「いえ。本当に助かりました。では、私はこれで失礼します」
そう言って、愛里寿は屋敷へと戻っていった。玄関の扉を閉める直前、彼女はもう一度こちらを振り返り、深々と頭を下げた。
……最後まで畏まったままだったな。
俺は小さく息を吐き、閉じられた扉をしばらく眺めていた。
ガルパン久しぶりに見ると面白すぎて困る