平和になった尸魂界の休日の昼の食堂にて。
昼食を共にするイヅルと恋次、そして娘の苺花。

なぜか小食な恋次をいぶかしるイヅルだが、恋次はため息とともに、愛娘の皿を指さした。

祝・ブリーチテレビアニメ完結記念。

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第1話

「おや、恋次。注文それだけでいいのかい? 少食になったね」

 

 三番隊副隊長・吉良イヅルは、運ばれてきた山菜そばの湯気越しに、丸テーブルの向かいへ視線を落とした。

 六番隊副隊長である阿散井恋次の手元にあるのは、せいぜい並盛りのざる蕎麦が一枚。普段の彼が喉を鳴らして胃袋へ叩き込む暴虐的な食事量を知る者からすれば、体調の急変すら疑いたくなる慎ましさだった。

 

「いいから見とけって」

 

 恋次は、眉間の刺青を寄せて心底げんなりとした溜息を吐き出すと、卓の端をあごでしゃくった。

 その視線の先では、彼の愛娘である苺花が、身を乗り出すようにして両手を合わせていた。 卓上に並ぶのは、器の縁から出汁がこぼれんばかりの大盛りかけそばに、海老やら薩摩芋やらが山のようにそびえ立つ天ぷらの盛り合わせ、さらにダメ押しと言わんばかりに巨大な塩むすびが二つ。小柄な身体の前で湯気をあげるそれは、もはや一人の子供が平らげるべき量ではなく、遠征帰りの十一番隊士が威勢だけで注文する類の暴力的な熱量を放っている。

 

「いただきまーす!」

「おい、苺花。こぼすなよ。天ぷらもちゃんと汁につけてから食え」

「わかってるってば父上! うわ、エビおっきい!」

 元気いっぱいに箸を割った苺花が、小さな口をめいっぱい開けて麺を啜り上げる。その無尽蔵な食欲のエンジン音を背中で聞きながら、恋次は手元のざる蕎麦から無造作にひと掴み手繰り寄せ、つゆに浸した。

 

「……あいつ、完全にルキアの遺伝子をフル回転させてやがるんだよ」

「ああ……なるほど。朽木隊長のか」

 

 イヅルは納得半分、畏怖半分といった面持ちで、前髪の隙間から眼前の光景を見つめた。 貴族としての優雅な佇まいの裏で、驚異的な代謝と胃袋の許容量を誇る朽木家の血統――それを如実に受け継いだ幼な子は、すでに天ぷらの衣を軽快に噛み砕き、香ばしい音を店内に響かせている。

 

「最初から俺の分までガッツリ頼むとよ、結局あいつが食い切れなかった残りを全部引き受ける羽目になるんだ。親父の胃袋はゴミ箱じゃねえっつーのによ、残すのも勿体ねえし……」

「でも恋次、嬉しそうに見えるよ」

「どこがだ! 財布の減り具合見てみろ、給金日直前なら確実に討ち死にしてるぞ」

 

 悪態をつきながらも、恋次の視線はせわしなく動き、苺花が取り落としそうになったおにぎりを素早く小皿で受け止めていた。粗雑に見えて指先の動きはどこまでも過保護で、その口元の緩みはどれだけ渋面を作っても隠しきれていない。

 

「父上ー、このおむすび、おかか入ってる! おいしい!」

「おう、よく噛んで食えよ。喉詰まらせたら笑いもんになんねえからな」

「むー、子ども扱いしないでよ!」

 

 頬をリスのように膨らませて抗議する娘に、恋次は「子どもだろうが」と苦笑しながら湯呑みを差し出す。 イヅルは静かに蕎麦を口へと運び、どこか毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。

 

「……賑やかでいいね、君のところは」

「賑やかすぎて頭が痛えよ。ほら見ろ、あの天ぷらの山、もう半分消えてやがる……俺のざる蕎麦、もう一枚追加しとくべきだったか?」

 

 唸る恋次と、満面の笑みで丼を抱え込む苺花。昼下がりの蕎麦屋の喧騒に、親子の小気味よい声が心地よく溶けていった。

 

「うーん……もういらない」

 

 ぽすん、と小気味のいい音を立てて箸が卓上に投げ出された。

 さっきまでの凄まじい勢いはどこへやら、苺花はぷくっと小さく腹を突き出し、満足げに両腕を椅子の背もたれへ預けている。

 そして、その眼前に取り残された惨状を前に、恋次は「ほら見ろ」と言わんばかりに深く額を押さえた。 テーブルの中央に鎮座しているのは、具材のほとんどを奪い去られ、つゆを吸ってぶくぶくと膨張し始めた麺が半分以上も沈む大盛り丼。その脇には、見事に身の太い部分だけを食いちぎられて無惨に放置された海老の尻尾、甘い端っこをほんの一齧りされただけでそびえ立つサツマイモ天、そして具のおかかを探すためだけに容赦なく真っ二つへ破壊し尽くされた米粒の山――。

 

「……あいつ、食い散らかし放題散らかしやがって」

「見事なまでの『最初の一口の熱量』だね」

 

イヅルがお茶を啜りながら、どこか遠い目をして呟く。

 

「熱量だけで討ち死にしてんじゃねえよ! おい苺花、おにぎり崩すだけ崩して放置とはどういう了見だコラ、米の一粒まで残すなってルキアに教わってねえのか!」

「だってぇ、お腹がいっぱいなんだもん! 残りは父上が食べてくれるんでしょ?」

 

 悪びれもせず、むしろ全幅の信頼を込めた満面の笑みで小首をかしげる愛娘。 その無垢極まりない視線に毒気を抜かれ、恋次は「ぐっ」と言葉を詰まらせて頭をガリガリと掻きむしった。最初からすべて計算づくだったのか、それとも本能で父親の胃袋をあてにしているのか、判断がつかないのが一番厄介だった。

 

「……だから並盛りにしておいたんだろう? 恋次」

「ああそうだよ! こうなるって最初から分かってたからだよチクショウ!」

 

 恋次はヤケクソ気味に腕まくりをすると、伸びて重たくなった丼と、破壊されたおにぎりの皿を手元へ引き寄せた。

 

「おい、サツマイモくらいは食えねえのか? 甘えぞこれ」

「もう口に入んない! 父上、おっきいお口でぜんぶやっつけちゃって!」

「やっつけろじゃねえんだよ、俺の胃袋はゴミ処理場じゃねえぞ……!」

 

 文句を垂れ流しながらも、恋次は崩れたおにぎりを大きな手で器用にまとめ上げ、口の中へ放り込んだ。もごもごと咀嚼し、冷めかけた茶で流し込み、次いで伸びた蕎麦を豪快に箸で掬い上げて胃袋へと収めていく。

 

「ふふ、やっぱり良い父親だね、君は」

「うるせえイヅル、茶化すな。……おい苺花、次同じことやったらルキアに言いつけて説教食らわすからな」

「えー、母上には内緒って言ったじゃん! 父上のケチー!」

「誰がケチだ! てめえの残飯処理してやってる男に言うセリフか!」

 膨れる娘と、天ぷらを丸呑みにして唸る父親。 イヅルは小さく肩を揺らして笑いながら、伸びた蕎麦を猛烈な勢いで平らげていくかつての同期の姿を、ただ穏やかに眺めていた。

 

 

「まあ、父親ってのは多かれ少なかれそういうもんだ」

 

 黒崎一護は、運ばれてきたアイスティーのストローを指先で揺らしながら、心底から実感を込めて大いに頷いた。 空座町にある落ち着いた佇まいの喫茶店。 午後を過ぎた店内の片隅、静かなジャズが流れるボックス席の向かい側で、朽木ルキアは角砂糖の入った小瓶からスプーンで一杯掬い、黒い水面へと沈めた。

 

「うむ……そういうものか」

 

 カチャリとカップに陶器の音が響く。ルキアは腕を組み、得心がいったような、それでいてどこか納得しきれていないような複雑な面持ちで眉根を寄せた。

 

「恋次め、私の前では『苺花に甘すぎると甘ったれに育つ』などと偉そうに講釈を垂れておるくせに、二人で出かけるとすぐにこれだ。頼みすぎるなとあれほど言い聞かせているというのに、結局は残飯処理を引き受けて娘にいい顔をしているだけではないのか」

「いや、いい顔ってよりは、ただの敗戦処理だろそれ。頼まれた側としちゃ断りきれねえんだよ」

 

 一護は苦笑混じりに頬杖をつくと、ふうと浅い溜息を天井へ逃がした。

 

「それに……まあ、うちんところは母親の影響で変食だからな……」

「変食?」

「ああ。変食っつーか、もはや実験料理っつーかさ」

 一護は眉間を指で揉みほぐしながら、かつて我が家の食卓を席巻した、そして今なお時折再現される凄惨な記憶を掘り起こすように頭を抱えた。

 

「一勇のやつ、井上の血をきっちり引いちまってんだよ。チーズケーキに納豆乗っけて平然と笑ってたり、プリンにからし塗って『これおいしいよ父上!』とか言ってきやがる。それを『残すな』って食わせるべきなのか、そもそも『人道的に止めに入るべき』なのかで、毎回俺の胃袋と精神が削れてんだよ」

「……な、納豆にチーズケーキだと……? それは、現世の最新の流行りか何かなのか……?」

「んなわけねえだろ! あいつらの舌が特異点なだけだ! だからよ、苺花が『天ぷら残しておにぎり崩した』って聞いて、正直ちょっと羨ましかったくらいだぜ。少なくとも人間の食い物の範疇で残してんだから、恋次の野郎はまだ平和な戦場にいるよ」

「そう言うものか……? だが、あやつの胃袋にも限界はあるだろうに」

「あいつの頑丈さ舐めんな。伸びた蕎麦と海老の尻尾くらい、あいつの霊圧なら秒で消化されるって」

 

 呆れ半分に言い捨てる一護の言葉に、ルキアはふっと肩の力を抜いた。 カップを持ち上げ、ゆっくりとコーヒーを口に含む。苦味の奥に溶けた微かな甘みを感じながら、遠い瀞霊廷で今頃また娘に振り回されているであろう赤毛の夫の顔を思い浮かべ、ルキアの唇の端に小さく笑みが滲んだ。

 

「まあ……確かに、恋次なら腹を壊すこともないか」

「だろ? 親父の役目なんてな、半分くらいは子どものワガママの後始末みたいなもんだよ」

 

 そう言ってアイスティーを喉に流し込む一護の横顔にも、かつての尖りきった死神代行の面影はなく、同じように「父親」の業を背負った男の苦い諦観が滲んでいた。

 

「ところで……それ、全部食う気か?」

 

 一護は、引き攣った笑みを口元に張り付かせたまま、テーブルの占有率が限界を突破している惨状を指差した。

 ルキアの眼前に所狭しとひしめき合っているのは、鉄板の上でジュージューと音を立てるケチャップまみれのナポリタン、分厚い角食パンの隙間から小豆とバターが雪崩を起こしている小倉トースト、鮮やかすぎる深緑のソースが不気味に絡みつく抹茶クリームパスタ、そしてダメ押しと言わんばかりに生クリームの山頂へ堂々と鎮座したプリンサンデー――。

 およそ一人の人間、いや死神が一食で摂取していいカロリーと糖分の限界値を軽々と嘲笑う、暴力的な炭水化物と甘味の包囲網だった。

 

「もちろん」

 ルキアは迷いなく銀のフォークを抜き放つ。

 

「現世の食文化の進化速度には目を見張るものがあるからな。瀞霊廷の退屈な茶菓子とは気迫が違う。どれもこれも、見逃すには惜しい逸品ばかりだ」

 

 豪語するや否や、ルキアは見事な手並みでフォークを回転させ、まずはナポリタンを一口。次いでトーストの耳をサクッと齧り、抹茶パスタの未知なるコクに小さく唸り、最後にサンデーのクリームをスプーンの先で上品に掬い取った。 その流れるような所作と真剣な眼差しは、さながら次々と襲い来る虚を薙ぎ払う隊長のそれであった。 ――が、その威風堂々たる快進撃は、わずか三分で呆気なく終焉を迎えた。 フォークがカチャリと置かれ、ルキアは深く息を吐き出すと、これ以上ないほど潔い姿勢で背筋を伸ばした。

 

「うむ。一杯だ。一護、あとを頼む」

「……は?」

 

 

  一護の口から、間抜けな濁音が漏れ出た。 卓上を見下ろせば、ナポリタンは一口分巻かれただけで全体の九割以上が赤々とした山を保ち、小倉トーストは四隅の角が一箇所欠けただけでバターが虚しく冷え固まり始め、抹茶クリームパスタに至ってはフォークを突っ込んだ跡が残るのみ。辛うじてプリンサンデーの頂上のサクランボだけが消滅していたが、肝心のプリンは無傷のままプルプルと揺れていた。

 

「『あとを頼む』じゃねえよ! おい待て、何一つ食い切ってねえじゃねえか!」

「仕方なかろう、腹が満ちてしまったのだから。無理をして体調を崩しては元も子もない」

「お前さっき恋次と苺花の話で何つった!? 『頼みすぎるなとあれほど言い聞かせている』だの『残飯処理を引き受けて娘にいい顔してる』だの、どの口が抜かしてやがったんだコラ!」

「それとこれとは話が別だ」

 

 ルキアは腕を組み、微塵も悪びれる様子もなく堂々と言い放った。

 

「苺花のは単なる我儘だが、私のは現世の文化に対する真摯な探求心と知的好奇心の結果だ。それに……」

 

 ふっと、ルキアの視線が一護の手元――すっかり氷の溶けたアイスティーへと落ちる。

 

「お前は、さっき言ったではないか。『親父の役目なんてな、半分くらいは子どものワガママの後始末みたいなもんだ』と」

「……あ?」

「幼馴染のワガママの後始末くらい、お前の広い器なら造作もないことだろう? 頼んだぞ、相棒」

 

 悪戯っぽく片目を細め、涼やかな顔で冷めたコーヒーを啜る女。 一護はわなわなと唇を震わせ、天を仰いで両手で顔を覆った。

 

「……あいつだ。恋次じゃねえ。苺花のあの最悪な食い散らかし癖、一ミリも狂わずてめえの血統じゃねえか……!」

「何か言ったか?」

「何でもねえよ! 食やいいんだろ、食やあ!」

 

 一護は乱暴にフォークを奪い取ると、冷めかけたナポリタンをヤケクソ気味に胃袋へ放り込んだ。 瀞霊廷でも現世でも、結局のところ男たちの胃袋の受難は何も変わらないのだと、甘ったるいケチャップの味を噛み締めながら、一護は心底から阿散井恋次への同情を深めていた。

 

「うむ。さすがは一護。私の見込んだ男よ」

 

 ナポリタンを凶暴な勢いで胃袋に叩き込む一護の姿に、ルキアは腕を組み、至極満足げに頷いてみせた。 その堂々たる賞賛の視線を受け流しながら、一護は山盛りの抹茶クリームパスタをフォークに巻きつけ、もはや味覚の境界線が曖昧になりつつある口内へと押し込む。

 

「……見込まれてたまるか。てめえの都合のいい残飯処理班に任命された覚えはねえぞ」

 

 モグモグと文句を咀嚼する一護を余所に、ルキアはすっと手を挙げ、厨房のカウンターへ向けて凛とした声を響かせた。

 

「マスター。すまぬ、ミルクレープとやらを頼む」

 

 ――フォークを動かしていた一護の手が、ピタリと止まった。

 

「……おい」

「何だ?」

「お前、さっき何て言った? 『腹が満ちてしまった』っつって、この炭水化物の山を俺に丸投げした直後だよな?」

「うむ。だがこれは別腹と言うやつだ」

 

 ルキアは何の衒いもなく、さも世界の絶対的な真理を説くかのように胸を張って言い放った。

 

「現世の書物で読んだことがある。甘味を前にしたとき、胃袋は自ら形を変えて新たな空き容量を作り出すのだとな。死神の霊体とてその神秘からは逃れられん。いわば人体の防衛本能のようなものだ」

「どんな都合のいい防衛本能だコラ! 嘘八百並べてんじゃねえぞ!」

 

 一護は冷え固まった小倉トーストを睨みつけ、次いで悠然と運ばれてくる幾重にも層を重ねたミルクレープの皿を見つめ、完全に白目を剥いた。 銀の小さなフォークを手に取り、満面の笑みでクレープの端を切り崩す元・相棒。その小柄な背中からは、先ほど苺花が見せていたそれと寸分違わぬ、無邪気で暴虐的な満足感がオーラとなって立ち上っている。

 

「……あいつ、絶対恋次にもこれやってやがるな」

「む? 何か言ったか一護。美味いぞ、この薄い皮が重なったやつは」

「……何でもねえよ。味わって食え、残したら今度こそ無理やり口に突っ込むからな」

「ふっ、安心しろ。これくらいは一瞬だ」

 

悪態をつきながらも、一護は溜息混じりにプリンサンデーの器を引き寄せ、溶けかけのアイスクリームをスプーンで掬った。 窓の外には、抜けるような青空と、穏やかに流れる午後の陽光。 世界を揺るがす戦いも、血生臭い因縁も、ここには何ひとつない。あるのはただ、呆れるほどに理不尽な幼馴染の食欲と、男たちの胃袋が引き受けるくだらない日常の後始末だけだった。

 

 今日も平和だ。

 




苺花がめちゃくちゃかわいいですよね

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