登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
若者たちを送り出し、再び静寂を取り戻した夜営地で、焚き火の爆ぜる音だけが響いていた。
ふと、荷車の車軸を点検していたミナの手が止まった。
彼女の片眼鏡のレンズが、揺らめくオレンジ色の光を反射して怪しく光る。ふとよぎったその思考は、パーティ全員が心の奥底で感じながらも、これまで決して口に出そうとしなかった恐怖だった。
「……ねえ」
静寂を破ったのは、ムギだった。
彼女は膝を抱え、銀色の尻尾を足元に丸め込んだまま、ぼそっと呟いた。
「私たち、これからどうなるんだろ」
誰もがその言葉の意図をすぐに理解した。
ハーフリングであるクロエ、エルフのリリアーネ、人間のレン、狐人のムギ、ドワーフのドラガ、そして人間のミナ。
彼女たちは今や、高ランク冒険者としてこの迷宮の深層を制圧し、並の魔物など寄せ付けない圧倒的な力を手に入れている。
肉体は最強に仕上がり、致命傷を受けさえしなければ、幾年月でもこの過酷な世界を生き抜けるように思えた。
しかし、それは「種族の寿命」という絶対的な理(ことわり)を無視できるという意味ではない。
「……エルフの寿命は、人間のそれとは比べ物にならないほど長いわよ」
リリアーネが、微かに震える声で言った。
彼女のプラチナブロンドの髪が、夜風に揺れて儚く光る。
「人間の数十年は、私にとっては一瞬の瞬きのようなものだわ。
……もし、私たちがこのままこの迷宮の底で何十年も生き続けたとしたら、どうなる?」
その問いに、全員の背筋が冷たく凍りついた。
人間の身体をベースに持つレンやミナ、ハーフリングのクロエの寿命が尽き、老いて死んでいくとき、エルフであるリリアーネや、何百年というスパンを生きる狐人のムギ、ドワーフのドラガは、その若く美しい姿のまま、たった一人でこの暗い迷宮に取り残されることになる。
逆に、人間の側から見ればどうだろう。
自分たちが年老い、肉体が衰え、やがて動かなくなっていくその傍らで、隣にいる仲間たちは、出会った日と変わらぬ瑞々しい美しさと狂気的なまでの若さを保ち続ける――。
「ふざけんなよ……!」
ドラガがガチャンと音を立てて立ち上がり、巨大な両手斧を地面に突き立てた。
その荒々しい声は、怒りというよりも、どうしようもない恐怖をかき消すための絶叫だった。
「あたしたちは家族みたいなもんだろ!
なのに、先に歳をとってくたばる奴がいたり、いつまでもケロッとした顔で生き残る奴がいたりなんて、そんなの真っ平だ!
……そんなの、耐えられるわけないじゃねえか……!」
ただ、知っているのは、自分たちの肉体が異世界の過酷な理によって構成されており、種族ごとに「時間の流れるスピード」が残酷なまでに違うという事実だけだった。
レンが震える手で黄金の聖印を握りしめ、俯く。
「祈っても……神様なんていないんだよ。
私たちが元いた世界にも、こんな不条理を許す神なんていなかったのに……どうして、絆ができればできるほど、こんな残酷な別れが用意されてるの……」
ムギは耳をペタッと頭に貼り付け、膝に顔をうずめた。
「やだ……私、みんなより長く生きるの嫌だ。みんなが先にいなくなっちゃったら、私、一人で何百年も何を研究すればいいの……」
ミナは無言で片眼鏡を外し、震える指でそのレンズをクロスで拭き続けた。
ポーターとして数々の荷物を整理し、計算ずくでパーティーを支えてきた彼女であっても、この「命のカウントダウンの不揃い」という計算だけは、どうあがいても帳尻を合わせることができなかった。
全員の視線が、中央に座るリーダーへと集まった。
クロエは短剣を鞘に収めると、重い沈黙の中で、ゆっくりと顔を上げた。その三白眼の瞳には、かつての少年の怯えではなく、リーダーとしての苦渋と、それでも逃げないという冷徹な覚悟が宿っていた。
「……怖いか?」
クロエの声は低く、しかし夜の闇にしっかりと響いた。
「当たり前だろ……」
誰かが呟く。
「ああ、あたしも怖いさ」
クロエは小さく息を吐き、仲間たち一人ひとりの顔を見渡した。
「いつか誰かが先に老いぼれて、動けなくなって、置いていかれるかもしれない。
逆に、残された奴が孤独にこの迷宮の底を彷徨うことになるかもしれない。……そんなの、考えただけで吐き気がする」
だが、と彼女は立ち上がり、仲間の中心へと歩み寄った。
「だからって、ここで足踏みをするのか? 『どうせいつか別れるから』って言って、今日ここでバラバラになるのか?」
誰も答えなかった。
答えられるはずがなかった。
たとえ未来にどんな残酷な別れが待っていようとも、今この瞬間、この暗い迷宮の底で互いの温もりを確かめ合える奇跡を、彼女たちは手放すことなどできなかったからだ。
「寿命が違うなら、違うなりに足並みを揃えればいい。
いつか本当に終わりの日が来るその瞬間まで……あたしたちは、このパーティーのままで、一番深い最果てまで歩き続けるんだ」
クロエのその言葉に、リリアーネがふっとかすかな笑みを漏らし、涙を拭った。
「……しょうがないわね。あなたがそう言うなら、私の長い退屈な人生のほんのひとコマくらい、あなたたちに付き合ってあげてもいいわ」
「うん……そうだよね。私たちが一緒にいる今この瞬間は、どの種族の時間軸にとっても、絶対に嘘偽りのない本物だもんね」
レンが優しく微笑み、聖なる光を小さく灯した。
「決まりだ! 先のことなんて考えてても仕方ねぇ! 今日を全力で暴れて、腹いっぱい干し肉を食うぞ!」
ドラガが豪快に笑い声をあげ、重い空気を吹き飛ばした。
「まったく、本当に手のかかる仲間たちですね。……でも、悪くありません」
ミナは静かに眼鏡をかけ直し、しっかりと荷車の綱を握り締めた。
「よーし、それなら寿命の壁を物理的にぶっ壊すような超古代魔術でも開発してやろうかしら!」
ムギがケラケラと不敵に笑った。
種族の寿命差という、絶対に避けて通れない残酷な運命。
その不安を胸の奥の澱(おり)のように抱えながらも、彼女たちは再び焚き火の周りに肩を寄せ合った。
失った過去も、いつか訪れる別れも、すべてをその歪んだ身体に背負ったまま。
最強の女冒険者パーティは、限られた時間を燃やすように、再び熱を帯びた夜の闇へと溶け込んでいくのだった。