登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
放課後の冷たい空気がアスファルトを撫でるころ、桐生透の部屋には、いつも決まって奇妙な気配が満ちていた。
六畳間の畳の上には、現代の女子高生の制服、中学のセーラー服、そしてランドセルが雑然と転がっている。
だが、そこに漂う空気は、およそこの平穏な地方都市の学校に通う生徒たちのそれではない。
かつて千年の迷宮を駆け抜け、神話の深淵で世界と対峙した「最強にして最悪のポンコツたち」の密度が、狭い空間にぎっしりと凝縮されていた。
「おい、湊。そのランドセルのサイドポケットから取り出した包帯、また勝手に私の怪我用とか言って補充してないだろうな」
窓際に寄りかかり、ブレザーのボタンを一番上まで留めたまま、透――かつてのハーフリングの斥候クロエは、鋭い三白眼を細めて部屋の中央を見据えた。
その右手は、無意識のうちに制服のポケットに突っ込まれ、冷たい十徳ナイフの金属質な感触を親指で確かめている。
通学路の曲がり角ごとに「死角からの奇襲」を警戒し、不意打ちのシミュレーションを脳内で完結させてしまうこの肉体バグは、高校二年生になっても一向に直る気配がなかった。
「何を言っているのです、透さん。防災と危機管理はポーターの基本です。
昨日の登下校時、電柱の陰から飛び出してきた野良犬に対するあなたの回避機動は、斥候としての身のこなしとしては一〇〇点満点でしたが、一般女子高生のリアクションとしては完全に不審者でしたよ」
伊達メガネを親指と人差し指で押し上げながら、小西湊――元・最強ポーターのミナが、整然と仕切られたランドセルの内部を見せつける。
そこには絆創膏、消毒液、予備の文房具、そしてなぜか保存食のカロリーメイトがミリ単位の精度でパッキングされていた。
小学六年生の黄色い登校帽をきちんと被りながら中身は千年の修羅場をくぐり抜けた総務部長のような貫禄を漂わせる湊に、透は小さく舌打ちして視線を逸らす。
「うるさい。あれは反射だ。……にしても、だ」
透は床に投げ出された自分の制服のスカートを睨みつけた。
「この、魂が完全に男だったはずなのに肉体だけが女子高生に固定されてるってバグ、いつになったら慣れるんだよ。
さっきも購買でパンを買うとき、うっかり『野郎ども、道を開けろ』って言いそうになって危うく社会的に死ぬところだったぞ」
「あら、いいじゃない。可愛い女子高生の見た目で中身が荒くれ者のハーフリング盗賊なんて、ギャップ萌えってやつよ」
ふふん、と余裕の笑みを浮かべたのは、窓際のデスクで美術のスケッチブックを広げている神崎凛――エルフの狩人リリアーネの魂を持つ少女だ。
黒髪のポニーテールを揺らすその姿は、美術部員として男子生徒たちの間で密かな憧れの的となっている。
だが、その彼女が今、自分の描いた風景画をじっと見つめて青ざめていた。
「見てみなさいよ、これ。私、さっき無心で校庭の桜の木を描いてたはずなのよ。
なのに、気づいたら画面の隅に『第50階層の封印の祭壇』の幾何学模様と、生け贄を捧げる古代文字のディテールが完璧に再現されてるのよ……!
美術の顧問の先生に『神話的な重厚感があるね、君の筆致には古代の孤独が宿っている』とか真剣な顔で褒められて、私、その場で地面に埋まりたくなったわ……!」
「あははは! 凛の中二病ノートの底力が、絵画という現代アートに昇華しちゃってるじゃん!」
腹を抱えて笑い転げたのは、パーカーのフードから自作のフェルト製猫耳(本当は狐耳にしたかった)をピコピコと揺らす狐塚麦――元・多重詠唱の魔導士ムギだった。
彼女は理科室の実験器具をイジるノリで、なぜか手元のシャープペンの芯を指先の静電気で微弱にスパークさせて遊んでいる。
「笑い事じゃないわよ、麦!
あんただって、昨日の理科の授業で、教師が『電流の仕組みはこうです』って解説したとき、勢い余って『ふっ、現代の物理学ごときで古代魔導回路のエーテル流動を語るか』って大声で呟いて、理科の先生が本気で怯えてたって聞いたぞ!」
「だって! 先生の教え方がなんだか物足りなかったんだもん! 昔の私はね、指先ひとつで雷を落としてゴーレムを焼き払っていたんだよ?
それが『豆電球が光りました』とか言われても、リアクションに困るじゃん!」
「困るのはこっちだ……!」
頭を抱えてうずくまる蓮――聖職者レンの魂を持つ中学三年生の少女(元男子)は、自分の純白のパーカーの裾を引っ張りながら、真っ赤な顔でブルブルと震えていた。
「私なんて今日、下駄箱の前で後輩の男子から『あの……これ、読んでください……!』ってラブレター渡されかけて、パニックになって反射的に『汝の罪を悔い改めよ……!』って聖職者のトーンで拒絶しちゃって、相手の子が泣きながら逃げていったんだぞ……!
どうして私の青春はこうも修羅場しか用意されてないんだよ……!」
「元男子の聖女様、フェーズが違うわよフェーズが」
腕組みをしながら冷ややかにツッコミを入れるのは、陸上部のジャージを着崩した轟葵――ドワーフの重戦士ドラガの魂を宿す中学一年生だ。彼女は自分の華奢で細い腕をじっと見つめ、絶望的な表情を浮かべていた。
「あたしなんて肉体のバグのせいで深刻な絶望を抱えてるんだぞ。
今日の部活でさ、先輩から『葵ちゃん、そこのマット運ぶの手伝って』って言われて、いつものノリで片手でヒョイと持ち上げようとしたら、今のこのスルメみたいな細い腕じゃ全くびくともしなくて、そのまま勢いよくひっくり返って派手に転んだんだ……!
ドワーフの怪力はどこに行ったんだよ! あんなの、ただの運動不足のポンコツ中学生じゃねぇか!」
「葵、そんなに落ち込むなよ。お前には小春ちゃんがいるだろ。
ほら、髪を切ったばかりの可愛い幼馴染を全力で守るっていう大義名分が残ってるじゃないか」
「それはそうだけどさぁ……!」
それぞれが抱える「異世界の記憶と黒歴史」と「今の肉体の不一致」。
あまりにもカオスで、あまりにも噛み合わない日常のズレをぶつけ合うこの時間こそが、彼女たちにとっての唯一の安らぎだった。
千年の旅路の果てに得たものは、世界を救ったという英雄の称号でも、不老不死の神としての尊厳でもない。
あるのは、どうしようもなくダサい地球時代の黒歴史と、男だったりドワーフだったりするバグだらけの肉体を抱えながら、それでも同じ教室の窓辺でくだらないことで笑い合える、このどうしようもない腐れ縁の絆だけだ。
「……ま、いいさ」
透は小さく息を吐き出すと、ブレザーのボタンをパチンと留め直し、ポケットの十徳ナイフの感触を確かめた。
その三白眼には、相変わらずの苦労性と、それ以上に強い光が宿っている。
「どんなに体が女だろうが、黒歴史が教科書並みに厚かろうが、明日も私たちはこの退屈で平和な世界を生き抜かなきゃいけないんだ。
……おい、お前ら。今日の買い出しは麦の家だっけか? 特売の肉があるなら、さっさと行くぞ」
「おっ、肉か! じゃあ私、全速力で走るから、ついてこれるものならついてきなさいよ!」
「ちょっと麦、置いてかないでよ!」
「あ、待ちなさい、道中で不審な動きをする人間がいないか私が先行して確認します!」
「もー、みんな勝手に行かないでってばー!」
「……まったく、手がかかるパーティですね」
ガチャガチャと音を立てるランドセルを背負い、湊が最後に部屋の戸締りを確認する。
夕暮れのチャイムが遠くの空に響き渡る中、最強にして最悪の元・冒険者パーティは、それぞれの日常と、終わらない青春の続きへと繰り出して行くのだった。