登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
河川敷を染めていた茜色が群青へと移り変わり、街灯がポツポツと灯り始める。
「……なぁ」
誰からともなく漏れたその一言は、夕風にさらりと溶けて消えた。
十徳ナイフをカチカチと鳴らす透の横顔。
スケッチブックを抱え直す凛の佇まい。
制服のスカートを気にしながらも前を見つめる蓮。
フードのフェルト耳を弄る麦。
華奢な拳を小さく握り締める葵。
そして、ランドセルのチェストストラップをきっちりと締め直す湊。
二つの世界の狭間に置かれた不老の肉体。
死んでも強制的にコンティニューされ、地球の肉体が潰えるその時まで約束された「生」。
そして、その先にある、神ですら窺い知れぬ未知の終着点。
だが、彼女たちは知っていた。
どれほど途方もない未来が待っていようと、今日という一日の終わりには、それぞれの家に灯る温かな明かりと、自分たちを待つ「大切な人々」がいるということを。
「……じゃあな、お前ら。また明日、学校で」
透が短く手を振ると、六人はそれぞれの通学路へと分岐する交差点で、自然と足を止めた。
1. 桐生 透 ―― 家族の食卓と、踏み出す一歩
家の玄関を開けると、出汁の優しい匂いと「おかえり、透」という母親の声が響いた。
「ただいま、お母さん」
靴を揃え、自分の部屋へ向かう。
机の上に置かれた、かつての自分の黄色い登校帽。
そして、高校の教科書。
ブレザーをハンガーに掛け、鏡の前に立つ。画面に映るのは、不老のハーフリング・クロエの面影を残しながらも、確かに現代の高校生として息をしている少女の姿だ。
(南部も、杏奈ちゃんも……みんな自分の足で『未来』に向かって歩いてる)
ポケットから取り出した十徳ナイフをデスクの引き出しに仕舞い、代わりにシャープペンシルを握り締める。
千年の修羅場をくぐり抜けた精神は、どんな難問にも折れることはない。
自分がいつかこの地球の肉体の寿命を迎えた時、その先で完全な異世界人になるのか、あるいは成仏するのかは分からない。
だが、今この瞬間に与えられた「高校生としての時間」から逃げ出すつもりは毛頭なかった。
「……よし、微分積分、やってやるか」
頼れるリーダーの顔から、少しだけ生真面目な委員長少年の顔に戻り、透はノートを開いた。
2. 神崎 凛 ―― 白紙のキャンバスに描く現在
自室のイーゼルにセットされた、新しいまっ白なキャンバス。
凛は筆を手に取り、夕暮れの窓外を見つめた。
図書室で見た、本橋杏奈の瑞々しい笑顔。
南部明と並んで歩く彼女のハーフアップの髪が、夕風になびいていたあの瞬間。
あの眩しさは、中二病のポエムにも、異世界の神話にも描かれていない、「今、ここにある最高の物語」だった。
(私は、ずっと『孤高のエルフの女王』っていう虚像に逃げていたのかもしれないわね)
凛は静かに筆を走らせ始めた。
キャンバスに浮かび上がってきたのは、もう迷宮の祭壇でも、暗闇に咲く怪しい魔導の花でもない。
夕陽を浴びて輝く街路樹と、そこを楽しそうに歩く、どこにでもいる普通の高校生たちの後ろ姿。
「……ふふ、たまにはこういう絵も、悪くないじゃない」
昔書き殴った黒歴史ノートは、今夜ゴミ箱へ投げ捨てる決意を固めて。凛は新しい「自分の物語」をキャンバスの上に描き出していく。
3. 日向 蓮 ―― 泥だらけの靴と、変わらない約束
「あはは~、蓮ちゃん遅いよ~!」
塾帰りのコンビニの前、くせ毛を跳ねさせた綾部茂が、肉まんをほお張りながら手を振っていた。
「待たせてねぇだろバカ! 勝手に食ってんじゃねぇよ!」
蓮は呆れたように笑いながら、茂の隣に並んだ。
スカートを履き、女子としての肉体になり、どれほど自分が変わってしまおうと――茂はあの頃と変わらない「あはは~」という笑顔で、自分を「蓮ちゃん」と呼んでくれる。
「ねえねえ蓮ちゃん、明日の放課後さ、久しぶりに公園の裏山行ってみない~? 秘密基地、まだ残ってるか見に行こうよ~」
「……バカかお前。中3にもなって秘密基地とか、恥ずかしくねぇのかよ」
口ではそう言いながらも、蓮の心はぽかぽかと温かかった。
異世界の聖女としての崇高な使命も、性別のバグに対する不安も、茂の能天気な優しさの前ではすべてがどうでもよく思えた。
「……まあ、付き合ってやってもいいけどな。ジュースおごれよ」
「やった~! あはは~!」
夜の街頭の下、二人の影が並んで伸びる。
どんな未来が来ようとも、この手で掴んだ「友達」との絆だけは、決して消えはしないのだから。
4. 狐塚 麦 ―― 破天荒な好奇心のその先へ
理科室から借りてきた古いラジオの基板を机に広げ、麦はハンダごてを握りしめていた。
「むむむ……ここをこう繋ぐと……」
「ねえムギちゃん! それショートしない!? 大丈夫!?」
電話の向こうで、城之内順子が叫んでいる。
「大丈夫だってば順子! 私の計算に狂いはないの!……たぶん!」
「たぶんは一番危ないよー! あはは!」
千年前の古代魔導理論と、現代の科学。
二つの知識が交差する麦の脳内は、いつもワクワクするような未知の好奇心で満ちあふれていた。
将来、自分がどんな大人になるのか。
地球の肉体が潰えた後、再びあの広大な異世界の空を飛ぶことになるのか。
そんな未来の不確定要素すら、麦にとっては「最高の実験対象」でしかない。
「順子、明日学校に行ったら、もっとすごい回路見せてあげるからね!」
「本当!? 楽しみー! 私も新しいドライバー買ってもらうんだー!」
電話越しに響く無鉄砲な笑い声。
麦の指先で、ほんの小さな青いスパークが、未来を照らすようにパチパチと弾けた。
5. 轟 葵 ―― 華奢な腕に宿る、本当の強さ
「葵ちゃん、今日も一緒に帰ってくれてありがとう」
街灯の光の下、ショートカットの毛先を揺らしながら野沢小春が微笑む。
「おう! 当たり前だろ、小春の家まで送り届けるのがあたしの役目なんだからな!」
葵は腕組みをして胸を張った。
ドワーフの重厚な筋肉も、山を割る大斧も、今の自分にはない。
スルメのように細い腕は、買い物袋を持っただけで筋肉痛を起こすポンコツぶりだ。
けれど、小春の隣を歩く葵の心には、かつて男子に怯えて不審なファイティングポーズをとっていた頃の弱気さは一切なかった。
「……小春。あたしさ、別にドワーフの怪力がなくても、小春のこと絶対守れるからな」
「えへへ、知ってるよ。葵ちゃんは、昔からずっと私のヒーローだもん」
小春の真っ直ぐな瞳に見つめられ、葵は真っ赤になってそっぽを向いた。
強さとは、肉体の筋肉量だけではない。
大好きな友達のために一歩を踏み出す、その心のタフさこそが本当の「バーサーカー」の力なのだと、葵は今、静かに噛み締めていた。
6. 小西 湊 ―― 完璧なパッキングと、甘酸っぱい追いかけっこ
「湊ちゃん! 待ってよー!」
後ろから走ってきたのは、息を切らせた丸島隆二だった。
マッシュルームカットの髪を汗で濡らし、大きなランドセルを揺らしている。
「隆二くん。走ると転びますよ。はい、ハンカチです。汗を拭きなさい」
「あ、ありがとう……って、そういうことじゃなくて!」
隆二は顔を真っ赤にして、ポロシャツの裾をギュッと握りしめた。
「あのね、湊ちゃん! 僕、もっと頼りになる班長になるから!
湊ちゃんが僕のこと『子ども扱い』できないくらい、すっごくカッコいい大人になるから! だから……その……!」
一生懸命なアプローチ。甘酸っぱい初恋の叫び。
だが、湊の伊達メガネの奥の瞳に浮かんだのは、やはりどこまでも深い「千年の母性」だった。
「ええ、期待していますよ、隆二くん。
まずは今日の宿題を完璧に終わらせて、九時前には布団に入ることですね。健やかな成長こそが、立派な大人への第一歩ですから」
「(伝わってないーーー!! でも、負けないぞーーー!!)」
頭を優しく撫でられ、茹でダコのように真っ赤になる隆二を見つめながら、湊はくすりと微笑んだ。
魂のバグ、肉体の矛盾、そして不老の宿命。
どれほど過酷で歪な運命を背負わされていようとも、この小さな街で紡がれる「人間の愛おしい営み」を守り続けること。それこそが、最強のポーターである自分が選んだ、最高の仕事だった。
二つの世界を股にかけ、不老の理を抱えたまま生きる「最強にして最悪にポンコツな女子チーム」。
彼女たちの未来がどうなるのかは、誰にも分からない。
地球の理に従って静かに眠りにつくのか。
異世界の神話として永遠に迷宮の底に君臨するのか。
あるいは、再びバグを起こして新しい青春へと飛び出していくのか。
けれど、どんな未来が待っていようと関係ない。
彼女たちには、今日を全力で笑い合い、明日を共に迎える仲間がいる。
壊れない絆と、消えない黒歴史を抱きしめて。
少女たちの、終わらない「本当の冒険」は、この眩しい日常の中で、どこまでも続いていく。