登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
放課後の冷たい空気が校舎の窓ガラスを震わせる頃、桐生透の部屋には、いつものように六人の「元・最強冒険者パーティ」が集結していた。
畳の上には、現代の制服やランドセル、そして所々に散らばった罠解除用のツールや魔導の残り香が入り混じり、相変わらずカオスな空間を形作っている。
だが、この日の空気は、いつもとは決定的に違っていた。
笑い声はなく、代わりに鉛のように重い沈黙が、六畳間の隅々まで重苦しく澱んでいる。
きっかけは、轟葵が持ち帰った一つの「記憶」だった。
「……小春が、言ってたんだ」
葵は自分の華奢な両腕を膝の上でぎゅっと抱え込み、苦渋に満ちた表情で仲間たちを見回した。
その三白眼には、動揺の色が濃く滲んでいる。
「あたしたちが――あの、神話の迷宮に引きずり込まれるみたいにして消えた、あの日のことだ。
小春と一緒に帰ろうとしたとき、あいつがぽつりと言ったんだよ。
『あのとき、葵ちゃんたちの登校班が行方不明になったのと同じ日、私たちをいつもいじめていたあのガキ大将たちも、全員忽然と姿を消したんだよ』って……」
「――なんだって?」
透の目が鋭く細められた。ポケットの中で、十徳ナイフを握り締める指に自然と力がこもる。
斥候としての研ぎ澄まされた警戒本能が、背筋に冷たいものを走らせた。
「ガキ大将とその取り巻き……つまり、いつも葵や小春にちょっかいを出していた連中か?」
「ああ」
葵は歯噛みしながら頷いた。
「あいつらは、あたしらが消えたあの瞬間に、同じように学校の裏山周辺からいなくなった。
……今まで、あたしらは自分たちだけが不条理な神隠しに遭ったんだと思ってた。けど、そうじゃなかったんだ。
あのガキ大将のグループも、同じようにどこかの異世界へ引っ張られていたとしたら……?」
部屋の空気が、さらに一段階冷え込んだ。
もし、彼らもまた同じ迷宮に落とされていたとしたら――。
千年間、血みどろの戦いを潜り抜け、魔獣を屠り、過酷な深層を生き抜いたのは、果たして自分たち六人だけだったのだろうか。
それとも、あのガキ大将の連中は別の階層で、あるいは同じ地獄の片隅で、別の結末を迎えていたのか。
想像するだけで、胃の腑が締め付けられるような悪寒が走る。
だが、衝撃の種明かしはそれだけでは終わらなかった。
「……奥の深い話ですね。ですが、事態は私たちの想像以上に、もっと広範囲で狂い始めているようです」
静まり返った部屋のなかで、小西湊が伊達メガネのブリッジを親指で押し上げ、冷静沈着な、しかしどこか冷ややかな声音で口を開いた。
湊は手元のノートパソコンをカチャカチャと叩き、ネット上の非公開フォーラムや都市伝説掲示板のログを全員に見せつけるように画面を向けた。
「私がネット上の裏社会フォーラム、および各国の治安情報データベースのキャッシュを独自にクロールして解析した結果……驚くべきデータが浮上しました。
私たちが消失した『あの日の前後』、日本国内だけでも、いわゆる『突然の失踪、のち無事に(あるいは別の姿で)発見された、あるいは未だ行方不明の児童・生徒グループ』が、他にも複数存在しています」
「複数……ですって?」
凛が息を呑んだ。
画面を食い入るように見つめる。
「私たちだけじゃなかったっていうの? 神隠しに遭った人間が、他にもいるってこと?」
「はい。しかも、それだけではありません」
湊の表情がさらに引き締まる。
「さらに深刻なのは、『明らかにあの迷宮とは異なる、別の異世界』からの帰還者と思われる複数の人物の噂、あるいはリーク情報が、ネットの海に断片的に流出し始めている点です」
「――別の、異世界……?」
麦(ムギ)が持っていた半田ごてをポトリと畳の上に落とした。銀色の狐耳と尻尾が、恐怖と驚愕でピタリと硬直している。
「ええ。ある者は『剣と魔法の王都』から戻ったと主張し、ある者は『機械仕掛けの空中都市』で数十年を過ごしたと語り、またある者は『無限の砂漠と魔導要塞』の記憶を抱えたまま現代社会へ放り出されたという。
……彼らの肉体や精神には、私たちと同様の『異世界の理』が定着しており、中には一般人には到底不可能な特殊能力の片鱗を隠しきれず、ネット上で『現代の超能力者』として一部の物好きたちの間でバズっているケースも確認されています」
湊の分析を聞きながら、蓮は自分の純白のシスターローブの裾を震える手で掴んだ。
「ちょっと待てよ……それってさ、私たちみたいに『異世界に迷い込んで、冒険者としての肉体と記憶を植え付けられて戻ってきた奴ら』が、日本中、いや、世界中にゴロゴロいるってことか……?」
「確率論として、十分にあり得ます」
湊は淡々と頷いた。
「地球という一つの惑星が、ある一定の時期を境に、複数の異なる異世界との間で『位相の重なり』を起こした。
いわば、世界の壁が薄くなり、無作為に人間の子供たちを『異世界のパーツ』として吸い上げては、不要になったら元の日常へ吐き戻すような、大規模なシステムエラーが稼働していたと考えるのが妥当でしょう」
部屋の中に、重苦しい沈黙が再び落ちた。
自分たち六人は、偶然、神話の迷宮の底に落とされ、奇跡的に生き残り、二つの世界の理を股にかける不老の「ポンコツ女子チーム」として帰ってきた。
それは自分たちだけの特別な宿命だと思っていた。
自分たちの精神のバグも、肉体の矛盾も、すべてはあの千年の旅路の果ての「自分たちだけの十字架」なのだと、どこかで覚悟していた。
だが――もし、世界中で同じような「異世界の帰還者たち」が密かに息を潜めているとしたら?
もし、あのガキ大将のグループもまた、どこかで別の力を手に入れ、この平和な現代社会の裏側で息を潜めているとしたら?
「……めんどくせぇな」
沈黙を破ったのは、透だった。
彼女は自分の三白眼を鋭く光らせ、ポケットから取り出した十徳ナイフをカチリと音を立てて開閉させた。
その表情には、恐怖ではなく、かつて斥候として無数の罠を潜り抜けてきた男の、冷徹で不敵な覚悟が宿っていた。
「リーダー、どうする気よ?」
凛が少し不安そうに問いかける。
「どうするも何もねぇよ」
透は冷ややかに鼻を鳴らした。
「私たちがどんなルーツを持っていようと、明日も私たちはこの街で学校に行かなきゃいけない。テストもあれば、提出物もある。……だがな」
透は立ち上がり、全員を見据えた。
「もし、その『他の帰還者』や、あのガキ大将の連中が、この平穏な日常のバランスをぶっ壊そうと企んでるなら話は別だ。
……私たちの平穏な学校生活と、買い食いの時間を邪魔する奴らは、それがどんな異世界の覇王だろうが、あのガキ大将だろうが容赦しない。叩き潰すまでだ」
その力強い言葉に、凛はふっと美しく微笑み、麦はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、蓮は拳を握りしめ、葵は豪快に腕を鳴らし、湊は手帳をパチンと閉じた。
二つの世界の理が交錯し、世界規模の異変の足音が静かに響き始める中、最強で最悪のポンコツたちは、新たな不穏の影に向かって、それぞれの覚悟を胸に静かに牙を研ぎ澄ませるのだった。