登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
その日、日向蓮が目を覚ましたのは、窓の外がどんよりとした鉛色に染まる早朝のことだった。
頭の芯が妙に重く、布団の中でまどろむ意識の底に、奇妙に鮮烈な情景がこびりついて離れない。
それは夢だった。
――大人になった自分と、あの綾部茂が、見知らぬ夕暮れの公園のベンチの横で、二人の子供を見守っている夢。
夢の中の自分は、中学生の今よりもずっと大人びていて、制服ではなく落ち着いたロングスカートに袖を通していた。
そして隣に立つ茂は、相変わらず柔らかいくせ毛を揺らしながら、「あはは~、危ないぞ~」とのほほんと声を上げていた。
その視線の先で駆け回っていたのは、蓮と茂によく似た、顔立ちの整った男女の双子だった。
女の子の方は、タレ目でどこか気の抜けたような、しかしあきらかに茂の遺伝子を色濃く受け継いだのんびり屋の顔つきで、砂場でマイペースに泥団子を作っている。
一方の男の子の方は、少しツンとした三白眼気味の涼しげな瞳をしていて、なぜか子供の頃の蓮にそっくりな顔で「こら、砂をかけんなよ!」とむすっと頬を膨らませていた。
(なんだ……あれ……)
布団の中で、蓮は心臓の音が妙に早くなっていることに気づき、ガバッと起き上がった。
冷たい朝の空気がパジャマの襟元からスッと入り込み、現実世界へと意識を引き戻す。
「夢、だよね……あんなの……」
呟いた声は、自分で思う以上に掠れていた。
中身は元男子、今は女子中学生。
異世界の聖女としての凄惨な記憶と、地球の恥ずかしい黒歴史の二重構造を抱えたまま、このバグだらけの人生を歩んでいる自分が、見知らぬ「遠い未来の家庭」の光景を夢に見るなど、滑稽極まりない話だ。
あの茂が、父親になってあんな風にのほほんと子供と遊んでいる姿なんて、どう想像したってギャグにしか見えない。
自分だって、未来で「母親」のような立場に収まっている姿など、これっぽっちも想像がつかなかった。
なのに、胸の奥が妙にチリチリと熱く、言い知れぬ気恥ずかしさと、言語化できない切なさが波のように押し寄せてきていた。
(よりによって、なんで茂なんだよ……っ!)
顔がカッと一気に赤くなり、蓮は枕に顔をうずめてジタバタと足をバタつかせた。
あの、のほほんとした悪ガキ仲間。
登校班の帰り道でバカなことばかり言って笑い合っていたあいつと、自分が並んで子供を見守っている未来。
そんな絵空事が頭から離れないこと自体が、自分のなかの「何か」が狂い始めている証拠のようで、たまらなく気恥ずかしかった。
その日の放課後。
河川敷の土手、いつものように集まった六人のメンバーの中に、蓮の姿はどこか上の空だった。
「――というわけで、昨晩のネット上のクロール結果から見ても、他の帰還者グループの動向は依然として不透明です。
みなさん、不用意に個別の接触は避けてくださいね」
湊が伊達メガネをクイッと押し上げながら、相変わらず完璧な危機管理のレクチャーを行っている。
その横で、葵が「ふん、他の帰還者なんて知るかよ。あたしらの拳より硬いわけじゃねぇだろ」と腕を組み、麦が「でもちょっと面白そう! どんな魔法使うのか解析してみたい!」と目を輝かせ、凛が「ちょっと麦、変なフラグを立てないでよ」と呆れ顔を向ける。
透はいつも通り十徳ナイフをポケットで弄りながら、周囲の死角を入念にチェックしていた。
世界規模の不穏な影、別の異世界の帰還者たち、そして自分たちを縛る「不老不死」の理不尽なシステム。
そんな重大な話題の真っただ中にいながら、蓮の意識は全く別の場所へとトリップしていた。
視線の先、少し離れた土手の斜面で、部活帰りの男子中学生の群れが自転車を押して歩いている。
その中に、見慣れた「伸びかけの柔らかいくせ毛」の背中があった。
綾部茂だ。
あいつは仲間の一人に何か面白いことでも言われたのか、「あはは~、そうかな~?」とのほほんと間抜けな笑い声をあげている。
その横顔が、今朝見た「夢の中の、少し大人びた父親の顔」と不意に重なって見え、蓮はビクッと肩を跳ねさせた。
(やめろ! 見るな! 忘れろ! 夢だぞ、ただの脳のバグだ!!)
必死で頭を振って雑念を払い除けようとした、その時だった。
「おっ、蓮ちゃーん!」
こちらに気づいた茂が、自転車を押しながらのっそりと近づいてくる。
相変わらずのマイペースな足取りで、周りの女子たちの視線など気にせず、当然のように蓮の隣に並んだ。
「ん~? なんか今日、朝からずっと顔が赤くない? 熱でもあんの~?」
茂の大きな手が、何の悪気もなく、すらりと伸びて蓮のおでこにポンと触れようとする。
「っ、近っ! な、なんでもねぇよ! 触るなバカ!」
反射的に、蓮は茂の腕をパシッと激しく払いのけた。
勢い余ったその声は、自分でも驚くほど裏返り、いつもの威勢の良さを超えて異様なまでにトゲトゲしかった。
「うわっ、冷たっ!?」
茂は両手を上げてびっくりしたように目を丸くし、それから「あはは~、今日も蓮ちゃんは機嫌斜めだね~」と、いつものお気楽な笑顔に戻って頭をポリポリと掻いた。
「いやさ、ボクの母ちゃんがさ、昨日作ったパウンドケーキのおすそ分け持ってけって言うからさ。ほら、これ」
そう言って、茂が無造作に差し出してきたのは、手頃なサイズに切り分けられたパウンドケーキの包みだった。
「……は?」
蓮は動きを止めた。
目の前にある、少し不恰好だけど温かいそれ。
そして、今朝の夢の中で、あの「蓮にそっくりな男の子の双子」が、父親である茂の背中に隠れながら「お母さん、それ食べる!」とねだっていた光景が、突然脳裏のスクリーンにフラッシュバックした。
(お、お母さん……っ!? 私が、あいつの……っ!!)
「どうしたの~? いらないならボクが食べちゃうけど~」
「い、いるわよ!! もらうわよ!!」
慌ててひったくるように包みを奪い取り、蓮は顔をトマトのように真っ赤に染め上げた。
心臓がうるさいほどにバクバクと鳴っている。
「なんだよ、急に大声出して……。やっぱり熱あるんじゃないの~?」
心配そうに顔を覗き込んできて、さらに頭をぽんと撫でようとする茂。
「さ、触るなって言ってんだろバカ! 帰れ! 一人で帰れ!」
「え~? 一緒に帰ろうよ~、あはは~」
真っ赤な顔で怒鳴り散らす蓮と、のほほんとそれに笑い返す茂。
その様子を、少し離れたところから透たちが「ん? なんかあいつら、またイチャついてるのか?」「青春ねえ」「微笑ましいですね」という生温かい目で見守っていることになど、この時の蓮は恥ずかしさのあまり微塵も気づいていなかった。
二つの世界の理に翻弄され、不老不死の体に怯えながらも、彼女たちの「今」は、こんなにもどうしようもなく、眩しくて日常的な熱を帯びて流れていく。
未来のことは、まだ誰にもわからない。
だけど、今この手にあるパウンドケーキの甘さと、隣を歩く馬鹿みたいに呑気な幼馴染の笑い声だけは、紛れもなく本物だった。