登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
三年生への進級を間近に控えた、冬の終わりの放課後。
進路指導室から手渡された厚みのある「進路希望調査票」を手に、桐生透は溜息とともに額を押さえていた。
場所はいつもの図書室の奥、放課後の陽光が斜めに差し込む閲覧スペース。
テーブルを挟んで向かい側には、同じく真剣な面持ちで書類を眺める神崎凛、そして図書委員の当番として文房具を整理していた本橋杏奈の姿があった。
そこに、部活のロードワークを終えたばかりの南部明が、汗を拭いながらノータイムで乱入してきたことで、真面目な進路相談の空気は一瞬で崩壊の危機に瀕していた。
「――でさ! 俺、決めたんだよね!」
明は爽やかな笑顔で白い歯を覗かせ、体操服の胸をどんと叩いた。
その第一志望欄には、太い黒マジックで大胆不敵な文字が躍っている。
『第一志望:JAXA(宇宙飛行士)』
「……は?」
透の三白眼が、普段の三割増しで冷ややかに細められた。
隣でポニーテールを揺らしていた凛も、あまりの突拍子のなさに静かにペンを落とし、パチクリと開いた瞳で明を見つめている。
「なんだよ、その顔! 似合わないって言いたいわけ!?」
明は屈託なく笑いながら、椅子の背もたれに深く体重をかけた。
「いやさ、サッカーで鍛えた体力には自信あるし、グラウンドから夜空見上げてたらさ、『あー、俺のステージは地球だけじゃ収まりきらないかもな』って降ってきたわけよ!
宇宙から地球を見下ろしながらサポーターに手を振るサッカー選手兼宇宙飛行士! めちゃくちゃ夢があるだろ! 杏奈もそう思うよな!?」
突然振られた彼女の本橋杏奈は、手に持っていた図書スタンプをピタッと止め、困ったような、けれどどこか愛おしそうな苦笑いを浮かべた。
「ええと……明くんの体力が凄まじいのは知ってますし、夢が大きいのは素敵だと思います。
……ただ、JAXAの応募要項って、理系の大学を出て実務経験を何年も積んだ上で、英語もペラペラじゃないと厳しかった気が……」
「大丈夫大丈夫! 英語なんて『パス!』と『シュート!』が通じればなんとかなるって!」
「なるわけないでしょうがバカ」
凛が即座に氷のようなツッコミを叩き込んだ。
エルフの女王としての気品をかなぐり捨て、完全に苦労人の顔になっている。
「あんたの先月の英語のテスト、何点だったか忘れたの?
『I am a boy.』の和訳で『俺はボイだ!』って書いて部分点すら貰えなかった男が、宇宙空間で地上管制塔と英語で緊急交信できるわけないでしょ!
途中で酸素バルブの操作間違えて宇宙の塵になるのが目に見えてるわよ!」
「厳しいな神崎! 俺の無限の可能性を最初から否定するなよ~!」
ケラケラと笑う明を見つめながら、透は胸の奥で複雑な胃の痛みを覚えていた。
千年の修羅場を潜り抜けてきた元・ハーフリングのリーダーとしての冷徹なリスク計算、そして「二つの世界のバグ」を日常的に体感している者のリアルな感覚が、思考の裏側で高速回転する。
透は十徳ナイフをポケットの奥でカチリと鳴らし、心の底からの呆れと、どこか生々しい実感を込めて吐き捨てた。
「……あのさ、南部」
「ん? なんだよ桐生、お前も俺の宇宙への旅立ちを応援してくれるのか?」
「お前が今から勉強して、正規のルートでJAXAの厳しい選考を突破して宇宙飛行士目指すより――」
透は指先で明の額をペンでチョンと突いた。
「――お前が明日、登校途中に宇宙文明世界へ『神隠し』されて、向こうの超テクノロジーで脳みそと肉体を『美少女エースパイロット』に改変されるのを祈った方が、まだ可能性として現実的だろ」
「説得力のベクトルが不穏すぎるだろ!!」
明が思わず椅子ごとガタッと身を乗り出して叫んだ。
「なんだよその『神隠しされて改変される』って具体的な例え! なんで急にSFファンタジーみたいな事故前提の話になってんだよ!
ていうか美少女ってなんだよ美少女って!」
「……ふっ、否定しきれないのがこの世界の恐ろしいところね」
凛が遠い目をしながら小さく呟いた。
「実際、サイバーパンクな世界でロボット兵器になって帰ってきたガキ大将もいれば、スチームパンクの世界からオートマタになって帰ってきた幼稚園児もいるんだから……。
あんたが明日あたり、光速船の操縦桿を握らされてても何の不思議もないわ」
「神崎まで何言ってるの!? 俺はただ普通にJAXAに行きたいって言っただけなのに、なんで二人して俺を異世界に飛ばそうとしてるの!?」
頭を抱えてパニックになる明の横で、杏奈はクスクスと楽しそうに笑いを漏らしていた。
髪型をハーフアップに整えた知的な彼女は、手帳のページをめくりながら優しく助言を口にする。
「でも、明くん。桐生さんたちの独特な(?)アドバイスはともかく、スポーツ科学や健康運動学が学べる大学を目指すのはどうですか?
サッカーの指導者やトレーナーの道も開けますし、将来的に『宇宙飛行士の運動プログラム開発』に関われる可能性だってゼロじゃないですよ」
「お……おおおっ!? 杏奈、天才か!?」
明の顔が一瞬でパッと華やいだ。
「それだ! 宇宙飛行士のトレーナー! なんか響きがめちゃくちゃカッコいい! よーし、俺、第一志望そこにするわ!」
あっさりと進路希望を書き直す明。
その単純すぎる素直さに、透と凛は顔を見合わせ、深く、深~く溜息をついた。
「……まったく。あいつのあの能天気さだけは、どんな異世界に落ちても死ななさそうね」
凛が肩をすくめる。
「ああ。もし本当に宇宙船のパイロットに改変されて帰ってきたら、真っ先に湊に操縦マニュアルをパッキングしてもらって、私が副操縦士として横で胃を痛める羽目になるんだろうな……」
透はブレザーのポケットの中で鍵束を鳴らし、自分の「現実的な進路希望調査票」――地方の文系大学、あるいは公務員試験といった、どこまでも地に足のついた現実の選択肢を見つめた。
自分たちがどれほど壮絶な過去を抱えていようと、明日どんな異世界のバグが降りかかろうと。
進路に悩み、恋人に励まされ、友達とバカなことを言い合って笑う「今この瞬間の高校生活」だけは、何物にも代えがたい本物の日常だった。
「ほら、南部。決まったならさっさと書いて提出しに行くぞ。担任が首を長くして待ってる」
「おう! 待ってろよ未来の俺の宇宙トレーナー人生!」
夕陽が沈む図書室に、賑やかな笑い声が響き渡る。
元・最強冒険者たちと、眩しい現実を生きる高校生たちの青春は、どこまでも賑やかに、そして少しだけ不穏な予感を孕みながら、明日へと続いていくのだった。