登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
午後のやわらかな日差しが、駅前の広場やコンクリートの歩道を黄金色に染め上げていく。
週末のショッピングモールへと続くペデストリアンデッキの上で、日向蓮は何度も自分のスカートの裾を引っ張り、落ち着かない様子で足元を見つめていた。
「……ううっ。なんで私、こんな格好で街を歩いてるんだろ……」
蓮の現在の外見は、きっちりとした制服に身を包んだ、あるいは年相応にカジュアルなトレンド服を着こなす、すらりとした手足を持つ中学三年生の少女だった。
銀白色の長髪の名残をとどめた美しい髪が、風にさらさらと揺れている。
しかし、その内部で思考している魂は、まぎれもなく「昔は近所の公園で泥だらけになって遊んでいた元・男子小学生」のそれであった。
「お待たせ~、蓮ちゃん! ごめんごめん、ちょっと途中の自販機でジュース買ってたんだよ~」
のんびりとした、けれど聞き慣れた間の抜けた声が降ってきた。
顔を上げると、少し伸びかけた柔らかいくせ毛を揺らしながら、大柄な体格の少年がのほほんとした笑みを浮かべて歩いてくる。
中学三年生になった綾部茂その人だった。
骨格がしっかりとしたその体躯は、小学生時代から変わらないおおらかさと、少し大人びた頼もしさを同時に漂わせている。
服装も、動きやすさを重視したスウェットパーカにスニーカーという、昔から変わらないマイペースなスタイルだ。
「もう、茂遅いよ! 待たせるなんて珍しいじゃない!」
蓮は反射的に、かつての悪ガキ仲間に向けるような勝気な口調で文句を言った。
しかし、その声のトーンや、頬をふくらませる仕草の端々には、元・男子の粗野さではなく、年頃の美少女特有の艶やかさと、隠しきれない照れくささが混ざり合っている。
「あはは、ごめんごめん。あそこのガチャガチャのコーナーで、変なカエルのフィギュア見つけちゃってさ、つい夢中になっちゃったんだよ~」
茂はまったく悪びれた様子もなく、むしろ「何でそんなに怒ってるの?」と言わばかりに首を傾げた。
その底抜けに明るく、一切の邪念を感じさせないマイペースな笑顔を見せられると、蓮はいつも調子を狂わされてしまう。
「……別に、怒ってないから。ほら、行くよ! 今日は茂が『パンケーキの美味しい店があるから行こう』って誘ってきたんだからね!」
「そうそう、ボクの奢りだから安心して食べていいよ~」
二人は並んで駅前の大通りを歩き始めた。
周囲の通行人、特にすれ違う男子中学生たちは、大柄な茂の隣を歩く銀髪交じりの美しい少女――蓮の姿に、思わず二度見をしてしまう。中には、ちらちらと視線を送り、赤面して目を逸らす者も少なくない。
(っ! また変に見られてる……! なんでこんな、いかにも「デートです」みたいな雰囲気になっちゃってるわけ!?
あくまでこれは、昔の悪ガキ仲間がひさしぶりに連れ立って遊びに来ただけ、ただの「親友同士の買い出し」なんだから……っ!)
蓮の脳内では、かつての『神隠し』の「揺り戻し」によって引き起こされた残酷な現実バグが激しくリフレインしていた。
――戸籍や世間の認識の上では、蓮は「産まれた時から女性であり、一度も行方不明にならずに育ったごく普通の女子中学生」ということになっている。
しかし、家族や茂をはじめとする近しい人間たちの脳内には、鮮烈な記憶が刻み込まれていた。
「長年行方不明になっていた、あのやんちゃだった少年が、ある日突然、見目麗しい聖女のような女子中学生になって戻ってきた」という、圧倒的すぎる事実のギャップが。
だからこそ、周囲の人間から見れば「元・男子が女子になって親友と歩いている」という奇妙な緊張感があるはずなのだが、目の前の茂だけは、その宇宙規模のバグとチグハグを完全に無効化する「最強の鈍感力」を持ち合わせていた。
「ねえ、蓮ちゃん。そこの雑貨屋のウィンドウにさ、なんか変な目玉のキーホルダーあるんだけど、知ってる?」
「知るわけないだろ、そんな気味の悪いもの……って、ちょっと茂! 勝手に引っ張るなよ!」
茂は当然のように、蓮の手首を自然な動作で掴み、雑貨屋の店先へと引っ張っていく。
その大きな手の温もりが肌に伝わった瞬間、蓮の心臓が「ドキンッ」と激しい音を立てて跳ね上がった。
(なっ……! なんでサラッと女の子の手首を掴むんだよこの男は……っ!? 意識してないのかよ!?
私のこの、元男子のプライドと、今の女子としての恥ずかしさが入り混じったパニック状態を少しは察しろよ……っ!)
顔を真っ赤に染め上げ、湯気を出しそうな勢いで怒る蓮を振り返り、茂はきょとんとした顔で小首をかしげる。
財布から小銭を取り出しながら、「あはは、蓮ちゃん、最近また顔が赤くなりやすいね。風邪でも引いたの?」と、何の悪気もないデリカシーのない(けれど最高に優しい)一言を投下した。
「ひ、引いてねーよ! 室内と外の寒暖差のせいっ! あと、こういう無駄遣いはやめなさいって言ってるだろ!」
「いいじゃんいいじゃん、ボクの奢りだからさ。はい、これ、お揃いね」
茂が無造作に押し付けてきたのは、先ほど話題になっていたカエルの変なキーホルダーだった。
「い、いらないってば……!」と言いかけながらも、手渡されたそれを握りしめた蓮の指先は、なぜか少しだけ嬉しそうに震えていた。
やがて二人がたどり着いたのは、路地裏にひっそりと佇む、アンティーク調のおしゃれなカフェだった。
店内に一歩足を踏み入れると、甘いバターとメープルの香ばしい匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。
窓際の落ち着いたテーブル席に向かい合わせで座ると、蓮はやっとの思いで一息つき、メニュー表を両手で持ち上げた。
「……ふう。やっと座れた……。すごい人混みだったな」
「そうだねぇ。でも、ここのパンケーキ、すっごいふわふわで美味しいらしいんだよ。ボク、甘いものには目がないからさ~」
茂はのほほんとメニューを眺めながら、注文が決まると「すみませーん、プレーンパンケーキ二つと、アイスティーね~」と店員に軽やかに告げた。
その自然体すぎる振る舞いは、相手が「かつての悪友・蓮ちゃん」であろうと、いま目の前に座っている「美少女」であろうと、一切変わることがない。
注文の品が届くまでの間、蓮はなんとなく居心地の悪さを誤魔化すように、ストローでアイスティーの氷をカチャカチャとかき混ぜていた。
「……ねえ、茂」
「んー? なあに、蓮ちゃん」
「……本当にさ、こうやって二人で出かけるのって、変な感じがしない?」
「変な感じ?」
茂は小首をかしげ、柔らかいくせ毛を揺らした。
「うん……だって、私さ、昔はさ、もっと泥だらけになってサッカーしたり、秘密基地作ったりして遊んでただろ。なのに、いまはこうして、女の子の格好して、カフェでパンケーキなんて食べてさ……。自分でも、自分がどうなっちゃったのか、時々分からなくなるんだよね」
蓮の声音から、ふと、トゲが抜けたような、小さく切ない揺らぎが零れ落ちた。
聖女としての重圧や、神話の迷宮の底で背負わされたトラウマ、そして自分のアイデンティティがぐにゃぐにゃに歪んでいくことへの恐怖。
それらは普段、小西湊の過剰な母性や、透たちの冷徹な現実主義のなかで隠蔽されているが、幼馴染である茂の前では、なぜか素直に言葉として溢れ出てしまう。
――茂の前では、どんなに神聖な聖女の仮面も、元男子としての意地も、すべて意味をなさなくなる。
彼は、そのすべてを丸ごと「昔からの友達」として、何の例外もなくフラットに肯定してくれるからだ。
茂は少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの、どこか気の抜けたような穏やかな笑顔に戻った。
「うーん、ボクは別に、何が変わったとか考えたこともないけどなぁ」
「……え?」
「だってさ、見た目がどんな風になろうが、声が高くなろうが、名前が蓮ちゃんだろうがさ――目の前にいるのは、あの公園で一緒にザリガニ捕まえて遊んだ蓮ちゃんだろ?」
茂はテーブルに肘をつき、まっすぐで曇りのない瞳で蓮を見据えた。
そのあまりにも自然で、あまりにも絶対的な信頼感に、蓮の息が止まる。
「そりゃあ最初はさ、急に行方不明になったと思ったら、数年ぶりに帰ってきた幼馴染が女子になってて、『えっ、マジ!?』ってびっくりしたし、戸惑わなかったって言ったら嘘になるよ。
でもさ、いざこうやって話してみたら、中身は昔のまんまじゃん。
人のもの勝手に取って怒られたり、負けず嫌いを発揮して変な勝負ふっかけてきたりさ。そういうの、全部変わってないよ」
茂は「あはは」と楽しそうに笑い、アイスティーを一口飲んだ。
「だからさ、ボクにとっては、男だろうが女だろうが、聖女さまだろうが何だろうが関係ないよ。
蓮ちゃんは蓮ちゃんだし、ボクにとっては世界で一番大切な、昔からの最高の親友だよ」
世界で一番大切な、最高の親友。
その言葉の響きは、甘い恋愛のセリフよりも遥かに重く、そして遥かに温かく、蓮の胸の奥底を優しく包み込んだ。
「っ……な、なに急にそんな気恥ずかしいこと言ってんだよ……! バカじゃねーの、お前は……!」
蓮は慌てて顔を背け、両手で自分の真っ赤になった頬をペタペタと押さえた。心臓がうるさいほどに鳴り響いている。
「えー、ボク、変なこと言ったぁ?」と、茂は相変わらずのマイペースぶりで首を傾げている。
ちょうどそのタイミングで、店員が香ばしいメープルの匂いをまとった巨大なふわふわパンケーキを二皿、テーブルへと運んできた。
「お待たせいたしました! プレーンパンケーキになります!」
「わあ、美味しそう! いただきまーす!」
茂は目を輝かせ、迷うことなくフォークを突き立てた。
その無邪気な様子を見ていたら、先ほどまでの胸の締め付けられるような切なさはどこかへ吹き飛び、蓮の顔にも自然と呆れ混じりの笑みが戻ってきた。
「おい、先に食べるなよ! 私の分まで取ったら許さねーぞ!」
「あはは、取らないよ、ちゃんと半分こでしょ!」
窓の外では、夕暮れの空が茜色から深い藍色へと移り変わり始めていた。
「あくまで親友同士で遊びに行っただけ」と、頭の中でどれだけ頑なに言い訳を並べ立てても、胸の奥でポカポカと灯るこの温かい熱だけは、どう言い訳しても隠しきれそうにない。
二人の影が夕日に長く伸びる帰り道、カエルのキーホルダーをカチャカチャと鳴らしながら歩く少女の足取りは、いつになく軽やかで、誇らしいものに満ちていた。