登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
夕暮れの私立高校――桐生透や神崎凛が通う校舎の廊下は、部活動を終えた生徒たちの喧噪と、西日に焼かれたアスファルトの匂いで満ちていた。
その喧噪のただ中にあって、周囲の空気温度を数度下げるかのような、圧倒的な「静寂」を纏う少女が歩いている。
制服のブレザーはミリ単位の狂いもなく着こなされ、一糸乱れぬプリーツスカートの揺れに至るまで、軍規に縛られた兵器のような正確さを保つ。
透明感のある銀灰色の短髪。
感情の読めない、氷のように冷ややかなアイスブルーの瞳。
彼女の名は、如月澪(きさらぎ みお)。
表向きは高校3年生の現役女子高生であり、吉岡千波と同じクラスに所属する生徒だが、その内面で稼働している演算コアは、かつて数千光年の彼方で星間戦争を統括していた戦術特化型アンドロイド「V-99(ヴェガ)」のそれであった。
「……空間磁場の乱れなし。周囲の生体反応、特異な魔力残滓および機械駆動音の異常値……検出されず」
廊下の角を曲がりながら、澪は小さく唇を動かして独り言をつぶやく。
(中学校1年生のあの夜、唐突に発生した『神隠し』の裂け目に呑み込まれなければ……私は今頃、普通の日本庭園や大学受験の心配でもしながら、生暖かい青春を謳歌していたはずだ)
思考の底で、冷徹な軍事演算プログラムが過去の記憶を再生する。
星間国家と巨大コロニーの総力戦。
生身の人間では数秒でGに押しつぶされ、プラズマ砲の熱量に蒸発する地獄の戦場において、生き延びるために肉体を捨て、戦術特化型アンドロイドへと改変された少女。それがかつての彼女だった。
何百万人もの兵士の命をチェスの駒のように動かし、巨大艦隊群の軌道を脳内のスレッドで同時制御し続けた生体CPU。
その冷酷なまでに効率的な日常が覆されたのは、約1年前の「あの決戦」のことだった。
(――あの『異常な部隊』さえ現れなければ……!)
脳裏に、かつて艦隊を全滅させた悪夢のような光景が蘇る。
高次元の量子波紋を伴って戦場に降り立った、およそ軍隊の常軌を逸した「6人の女性兵士たち」。
あの怪物的な戦闘力を持つ少女たちの介入によって銀河艦隊の防衛網は一瞬で崩壊し、巻き込まれたV-99の母艦は爆発四散。
その高次元の爆風の裂け目が地球の位相と交錯し、彼女は「高校2年生の女子生徒」としてこの世界へ弾き出されたのだった。
「……澪ーっ! なにしてんの、はやく行くよー!」
突如、背後からガシリと肩を掴まれた。
振り返るとそこには、巻き髪のロングヘアを華やかに揺らし、流行の最先端をいく派手なメイクとアクセサリーで武装した、圧倒的な存在感を放つギャル――吉岡千波が立っていた。
「千波……」
「もう! またそんな難しい顔してさぁ! 卒業までにもっと笑顔の練習しよって言ったじゃん!
せっかく顔立ちはめちゃくちゃ美人なんだからさ、もったいないって!」
千波はグイッと澪の腕を引っ張り、親しげに自分のスクールバッグを押し付ける。
中学時代は同じギャルグループで、流行りの音楽やコスメの話でキャッキャと笑い合っていた仲だ。
あの『神隠し』から帰還した直後、記憶と人格のギャップに戸惑う澪を、千波は「色々大変だったみたいだけど、ウチの親友に変わりないっしょ!」と豪快に笑い飛ばして再びグループへと引きずり戻してくれた。
(……この人間の、底抜けに明るい熱量に対する耐性が、私の演算回路はいまだに構築できていない)
冷徹な軍用AIのサブロジックが警報を鳴らす中、澪は引きずられるようにして千波の後に従った。
放課後の買い出しということで千波に連れられて向かったのは、学校近くの大きなショッピングモールだった。
平日の夕方、制服姿の高校生や中学生がが行き交う平和な空間。
だが、その一角に差し掛かった瞬間、澪の歩行フォームがピタリと硬直した。
「……待て、千波。この前方、半径50メートル以内の空間に、極めて危険な『異物』の反応を複数探知した」
「は? 異物って、また物騒なこと言って……あ、ちょうどいいじゃん!」
千波が指差した先のベンチの周辺には、なぜか高校生組や中学生組の面々――南部明、本橋杏奈、綾部茂、城之内順子、野沢小春、そして丸島隆二の姿があった。
どうやら部活や塾の帰りに、買い食いでもしながら談笑しているらしい。
だが、澪の「戦術特化型アンドロイド」としての直感が、彼らを見た瞬間に全スレッドで危険信号を点滅させていた。
(なぜだ……? あの者たちは全員、一般の地球人、あるいはせいぜい『別の理』に侵された帰還者に過ぎないはずだ。
にもかかわらず、私の内部センサーは、あの6人の周囲だけ『確率論を無視した因果律の歪み』を観測している。
本能が、彼らに近づくなと警報を鳴らしている……!)
「お、千波先輩じゃん! お疲れーす!」
明が爽やかに声をかけ、その横で杏奈が「こんにちは」と上品に会釈する。
茂や順子も手を振り、小春と隆二が緊張した面持ちでこちらを見つめている。
なぜか、彼らは澪の姿を見るなり、理由は分からないが言い知れぬ「気まずさと恐怖」を覚え、一斉に背筋を凍らせていた。
「お疲れ様~! ねぇ、うちの澪がさ、最近また硬い顔ばっかしてっから、みんなも何か面白い話してやってよ!」
千波がケラケラと笑いながら言う。
「い、いや……その、如月さんは、いつも凛としててカッコいいと言うか……その……」
明が冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる。
澪はアイスブルーの瞳を細め、明を無機質に見据えた。
「……南部明。貴殿の歩行時の重心移動、わずかに左へ偏っている。昨日の部活で左膝の靭帯に微小な損傷を受けただろう。
放置すれば戦闘能力が12パーセント低下する。直ちに医療カプセルでの修復を推奨する」
「えっ!? なんで俺の怪我知ってんの!? ていうか医療カプセルって何!? こわっ!」
明が後じさるのを見て、澪はさらに首を傾げた。
(やはり、あの者たちは危険だ。戦闘経験の有無に関わらず、私の防壁を軽々と迂回して本質を暴き出そうとする)
そこへ、買い出しの荷物を抱えた小西湊が、ひょっこりと現れた。
「あら、皆様。こんなところで集まってどうされたのですか?……あ、如月さん、ちょうどよかったです」
湊は完璧なパッキングのランドセル(高校生になってもなぜか持ち歩いている緊急用バッグ)から、サランラップに包まれた綺麗なおにぎりを一つ取り出した。
「お昼ご飯の栄養バランスが偏っているように見受けられましたので、補給用にお持ちしました。
梅干しと、手作りの昆布の佃煮が入っています。糖分と塩分の補給に最適ですよ」
「……コニシ、ミナト……?」
澪は差し出されたおにぎりを受け取った。
白米の表面が完璧に握られ、一粒の崩れもない。
「これは……生体維持用の高カロリーペーストではないのか?」
「違います、お米ですよ。さぁ、温かいうちにどうぞ」
澪は、警戒しつつもそのおにぎりを一口かじった。
――瞬間。
「……っ!!」
澪の全身のシステムが、文字通り「フリーズ」した。
人工知能のログが真っ白になり、脳内モニターにエラーコードが滝のように流れる。
冷徹な宇宙艦隊の司令官としての演算ロジックが、その一口の圧倒的な「温かさと、手作りの優しい味」の前に、完全に崩壊したのだ。
「あ、れ……? 私のプロセッサが……再起動を……要求……」
白目を剥きかけ、カクカクとロボットのように硬直する澪。
「ちょっ、澪!? 大丈夫!? なにこのおにぎり、食べただけで人間がバグったんだけど!?」
千波が慌てて澪の肩を揺する。
「ふふ、私の補給パッキング技術は、どんな星間国家の栄養剤よりも優れていますからね」
湊は満足げに伊達メガネをクイと押し上げるのだった。
ショッピングモールの喧噪を離れ、夕暮れの公園のベンチで、澪はやっとの思いでシステムを正常復帰させていた。
隣では、千波が買ってきたばかりのタピオカミルクティーをストローで吸いながら、呆れたようにため息をついている。
「もう、びっくりさせないでよ澪。急にロボットみたいに固まるんだもん。恋人から手作り弁当でも食べさせられたリアクションじゃん」
「……異議あり。あれは生体化学兵器レベルの美味だった。私の防壁を完全に貫通された」
「大げさなぁ。でもさ、最近の澪はさ、昔の明るかった頃よりちょっと頑なすぎるところあるよ。
……やっぱり、あの『行方不明だった数年間』のことが、まだ尾を引いてる?」
千波の言葉に、澪のアイスブルーの瞳がわずかに揺らいだ。
「……千波。あなたは、私たちが地球から切り離されて放り込まれた『あちら側』の世界が、どれほど残酷だったか想像できるか」
「うーん、なんとなく。すっごい遠い宇宙で、ドンパチ戦争してたんでしょ?」
「そうだ。無限に続く宇宙艦隊戦。自己増殖を続ける機械生命体との泥沼の消耗戦。
消滅するかも分からないコロニーの暗闇……私はそこで、人間としての感情や肉体をすり潰し、ただの『処理装置』として数年間を過ごした」
澪は、制服のポケットから、怪しく発光する量子暗号キーを取り出し、指先で弄んだ。
「そして……私をその地獄から引きずり出し、艦隊を全滅させた『あの6人の少女たち』。――彼女たちの存在を、私は忘れることができない」
「6人の……女の子?」
「あぁ。私たちの艦隊の旗艦に突入してきた、異界の兵士たち。
漆黒の軍服を着た、冷酷な指揮官。
敵を殺人ナノマシンで全滅させる衛生兵。
光学迷彩を纏い、影から一撃で中枢を断つ工作員。
遠方から光速のビームで艦橋を撃ち抜く狙撃手。
私たちのセキュリティを指先一つで全剥ぎしたハッカー。
そして、最前線で私の旗艦を正面から叩き潰したパイロット……」
澪の声に、戦場の凍てつくような殺気が微かに混ざる。
「彼女たちは、私たち銀河艦隊にとっては『世界を滅ぼす災厄』そのものだった。
……だが、不思議なことに、あの6人の少女たちの戦闘スタイルやアーキテクチャの根底には、なぜかこの地球の、私たちが育った時代の『どこか懐かしい気配』が混ざっていたのだ」
「え……それって、もしかして……」
千波は驚きに目を見開いた。
「ああ。確証はない。だが、あの6人もまた、私やあなたたちの弟たちと同じように、別の星間世界や次元の裂け目に呑み込まれ、そこで『最強の兵器』へと改変されて帰ってきた者たちなのかもしれない」
夕陽が完全に沈み、街のネオンが灯り始める。
星間戦争の記憶を抱えた戦術特化型アンドロイドと、弟の激変に振り回されながらも明るく生きる現役女子高生。
そして、この世界のあちこちで、別の理を背負った「帰還者たち」の歯車が、少しずつ、しかし確実に噛み合い始めていた。
「……ま、難しいことはよくわかんないけどさ!」
千波はパッと明るい笑みを浮かべ、澪の背中をパーンと叩いた。
「どんなにヤバい奴らが相手だろうと、ウチらの親友である澪が困ったら、このアタシとギャルグループが全力でシメてあげるからさ!
だから、そんな暗い顔しないで、明日は一緒に新しいコスメ買いに行くよ!」
「……戦闘準備の必要はないと思うが……あなたのそのリクエスト、拒否権はないのだろう?」
「当然!」
冷徹な軍用AIの胸の奥で、わずかに、けれど確実に、人間としての「温かな体温」が灯る。
二つの世界の理が交錯するこの街で、少女たちの戦いと日常は、まだ始まったばかりだった。