登校班が異世界の冒険者へ   作:匿名希望

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【おまけシナリオ】――ファンタジー世界からの帰還者

夕暮れ時の音楽室。

放課後の静まり返った校舎に、どこか異国的で、しかし聴き手の魂を直接揺さぶるような透明な弦の響きが波紋のように広がっていた。

 

「――っ!?」

 

窓際の席で読書をしていた生徒たちが、一斉にハッとして息を呑む。

音楽室の隅に置かれたアコースティックギターを手に、佐藤芽衣は微動だにせず立ち尽くしていた。

そのストレートボブの髪が微かに揺れ、彼女の大きな瞳は現実の教室ではなく、遥か彼方の戦火に焼かれた異世界の空を見つめているかのように虚ろだった。

 

ジャラァァン……と、どこか物悲しくも神聖な余韻が消え去ると、芽衣はハッと正気を取り戻したように両手で口を押さえた。

 

「はっ……! す、すみません……! 私、また勝手に……っ!」

 

周囲の生徒たちが「え、今のなに……?」「プロの演奏みたいだったんだけど……」「鳥肌立った……」とざわめく中、芽衣は顔を真っ赤に染め上げ、手元のギターをまるで熱いもののように慌ててスタンドに戻した。

 

「い、いや、趣味です……! 小さい頃から弦楽器を触るのが好きで、つい指が勝手に……!」

 

必死に「普通の女子高生」を取り繕いながら頭を下げる芽衣の姿に、クラスメイトたちは「へえ、芽衣ちゃんってギター弾けるんだ!」「すごい上手だったよ!」と口々に微笑ましい声をかけた。

 

だが、近くの教室の片隅――窓側の席で、教科書を片付けかけていた神崎凛の手が、ピタリと止まっていた。

 

(……今の音色は……あれは、人間の技じゃないわ)

 

凛の三白眼が、驚愕とわずかな緊張感で細められる。

聴き手の脳内に直接、荒廃した王都の情景と、絶望の淵で響く精霊の歌声を焼き付けるようなあの技巧。

それは、凛自身がかつて神話の迷宮の底で聞いた、異世界の音律そのものだった。

 

――佐藤芽衣。

美術室の前にデッサン用具をぶちまけた彼女を助けた日、彼女からほんのりと漂ってきた「異世界の魔力と、戦火の残り香」に、凛はどこか引っかかりを覚えていたのだ。

 

(まさか……あの子も……?)

 

 

放課後、美術室。

いつものようにキャンバスに向かい、古代の叙事詩を思わせる重厚な背景を描いていた凛の背後から、栗山まりあがニヤニヤとした笑みを浮かべながら忍び寄ってきた。

 

「ねえ、神崎さーん」

「なによ栗山さん。急にそんなに顔を近づけてこないでよ」

「聞いてよ、さっき音楽室でさ、芽衣ちゃんがギター弾いたらしいんだけどさ……それがもう、なんか聴いたこともないような凄まじい曲だったって噂でもちきりなのよ。

 本人は『趣味です……』って真っ赤になってごまかしてたらしいけどさ」

 

まりあは面白がるように目を輝かせた。

「ねえ、これってさ。あのラブレターをくれたピュアな乙女・芽衣ちゃんの中に、実はとんでもない『裏の顔』があるってことじゃない? ロマンだわぁ……!」

 

凛は筆をぴたりと止め、深く溜息をついた。

(やっぱり……あの子も、私たちと同じ「あっち側」の記憶を持っているのね……)

 

凛には、芽衣の抱える痛みが痛いほどよく分かった。

平和な現代社会に放り出され、普通の女の子として生きようと必死に微笑みながら、その内側では血塗られた戦乱の記憶や、仲間を失った恐怖という消えないトラウマを抱え込んでいる。

自分たちが「ポンコツな日常」の仮面の下で必死にバランスを保っているように、芽衣もまた、あの可憐な少女の皮の下で過酷な戦場の記憶を噛み締めているのだ。

 

「……栗山さん」

「ん? なに、神崎さん?」

「……今度、佐藤さんと少し話してみようと思うの」

 

「おっ? もしかして、ラブレターのお返事の続き? それとも、ライバル宣言?」

「違うわよ!」

凛は思わず声を張り上げ、少し照れくさそうにプラチナブロンドのポニーテールを揺らした。

「……ただ、なんとなく放っておけない気性の人だからよ。それに、彼女の絵の才能や、芸術に対する情熱は本物だもの」

 

「ふーん?」

まりあは意味深な笑みを崩さない。

「まあ、神崎さんがそう言うなら、美術部で彼女をスカウトしちゃうのもアリかもね!

 恋のライバルから美術部の戦友へ……うわ、少女漫画の展開として最高じゃない!」

 

「からかわないでよ、本当に……」

 

凛は苦笑しながら、再びキャンバスへと向き直った。

窓の外には、茜色の夕日が静かに街を包み込み始めている。

 

二人の「帰還者」が同じ空の下で交わるとき、甘酸っぱい青春の恋心と、切なくも温かな絆の歯車が、静かに、そして確かに噛み合い始めるのだった。

 

 

放課後の美術室。陽光が斜めに差し込む室内に、絵の具とオイルの独特な香りが満ちていた。

 

キャンバスを挟んで向かい合う神崎凛と佐藤芽衣。

栗山まりあが気を利かせて「買い出し」名目で席を外したことで、室内には二人だけの静寂が訪れていた。

 

「……音楽室でのあの演奏、ただの趣味ではないわね」

 

凛が筆を置き、静かに切り出した。

その鋭くも温かな三白眼が、芽衣を真っ直ぐに見据える。

芽衣は小さく肩を跳ねさせ、手に持ったスケッチブックをぎゅっと抱きしめた。

 

「神崎さん……私……」

「隠さなくてもいいの。私も……あっちの記憶があるから」

 

凛の言葉に、芽衣の大きな瞳が信じられないといったように見開かれた。

緊張で固まっていた芽衣の肩からすっと力が抜け、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 

「やっぱり……神崎さんだったんだ……。私を守ってくれた、あの美しいエルフの剣士様の面影が……ずっと重なっていて……」

 

堰を切ったように語られ始めたのは、凛たちが落ちた『神話の迷宮』とはまた異なる、戦火と混迷が渦巻く『剣と魔法の世界』での過酷な身の上話だった。

 

芽衣が飛ばされた先は、魔王軍の残党と混沌の破片によって踏みにじられた王都の最前線避難民キャンプ。

140cm台の小さな妖精族『リゼット・ヴェルデ』へ姿を変えられた彼女は、背中に透き通る光の結晶翼を生やし、小ぶりなリュートを抱えて戦場に立っていた。

 

「私は戦う力なんてありませんでした……。

 でも、私の奏でる音色だけが、魔物の恐怖から避難民や兵士さんの精神を守る『結界』になったんです。

 音程を一つでも外せば、恐怖に狂った人たちが結界を破られ、全滅する……。毎日が、息もできないような恐怖の連続でした……」

 

手足を震わせながら語る芽衣の肩を、凛はそっと包み込むように抱きしめた。

芽衣は凛の胸の中で小さく息を吐き出し、かつて吟遊詩人として各地の避難民や冒険者たちのキャンプを渡り歩く中で耳にした、数多の『噂話』についてぽつりぽつりと語り始めた。

 

「吟遊詩人は、歌を届ける代わりに様々な土地の噂や伝承を集めるのが仕事でした。

 ……ただ、神崎さん。これから話すのは、あくまで戦乱の混乱の中で尾ヒレがついて広まった『ただの噂話』です。

 本当の事実は全く違うかもしれないということは、忘れないでくださいね」

 

芽衣は前置きを口にすると、どこか遠い目をして三つの異質な噂を紡ぎ出した。

 

 

第一の噂:【女テイマーとホブゴブリンの相棒】

 

「王都の南に広がる古代遺跡の街道で、よく囁かれていたお話です。

かつて、新人冒険者だった頃に拾った小さな雌のゴブリンを、実の妹のように慈しみ、立派な『ホブゴブリン』へと育て上げた女性テイマーさんがいたそうです。

 二人は切っても切れない強い絆で結ばれた最高の相棒同士でした。

 ですがある日、遺跡に巣食うゴブリン群の討伐に向かったきり、二人は行方不明になってしまったんです。

 街の噂では、彼女は群れを率いていたゴブリンシャーマンの恐ろしい凶呪を受け、魔法も剣も扱えない、弱々しい身体に変えられてしまったのだと言われています。

今でも彼女は、かつての相棒であるホブゴブリンに深く護られながら、森の奥でひっそりと生きている……。

 そしてそのホブゴブリンは、大切な主人を元に戻すための『解呪の方法』を求めて、今も人間たちの街の近くで解呪の糸口を探し続けている……そんな噂が流れていました」

 

 

第二の噂:【リビングドールの護る魔の森の砦】

「次は、魔の森の境界線を守っていた騎士団の砦のお話です。

 かつてそこは王都の防衛線の要でしたが、魔王の配下であった悪名高き『人形遣い』の奇襲を受け、一夜にして連絡が途絶えました。

 人形遣いの残虐な魔術によって、砦を守っていた騎士団員たちは全員、肉体を奪われ、意思を縛られた『リビングドール(動く人形)』へと姿を変えられてしまったのです。

 その後、討伐に赴いた伝説の勇者様によって人形遣いは倒され、砦は解放されました。

 ですが……一度掛けられた人形化の呪いは解けることがなく、騎士たちは人間の肉体に戻ることができませんでした。

 噂では、彼らは今も人間の自我と騎士の誇りを保ったまま、人間を辞めた『リビングドールの騎士団』として、誰もいなくなったその砦をひっそりと守り続けているのだそうです」

 

 

第三の噂:【勇者の剣と継承の真実】

「そして最後は……王都の誰もが知る『勇者様』にまつわる、少し奇妙な与太話です。

魔王軍との戦いの中、伝説の武具を求めて古代遺跡の最深部へ挑んだ勇者様は、立ちはだかる凶悪な守護者との戦いで深手をおおい、帰らぬ人となった……と公表されています。

 たまたま加勢に入った名もなき女性剣士が、彼の最期に立ち会い、討ち取られた勇者様から『聖剣』を託されて新たな勇者として立ち上がった、と。

 ですが……腕利きの冒険者たちの間では、全く別の不穏な噂が囁かれていました。

 『死んだとされたあの勇者は、実は遺跡に仕掛けられていた古代の超常的な罠にかかり、強制的に性別と姿を変えられた勇者本人ではないか』と。

 聖剣を携えて現れた新しい女勇者の戦い方に、どこか先代の勇者様とよく似た癖がみられた事から立ち上った、眉唾ものの噂話なのですが……」

 

「……どれも、どこか切なくて、妙に生々しい噂話ね」

 

凛は静かに耳を傾け、深い溜息をついた。

自分たちが神話の迷宮で経験した不条理と同じように、異なる異世界でもまた、多くの人間が理不尽な変質や世界のバグに巻き込まれ、傷を負っていたのだ。

 

「ええ……。噂ですから、真実は全く別の悲劇か、あるいはただの創作かもしれません。

 でも、あの世界には、私や神崎さんみたいに『運命を狂わされた人たち』がたくさんいたことだけは、紛れもない事実なんです」

 

芽衣は照れたように小さく微笑み、抱えていたスケッチブックを開いた。

そこには、凛が描く重厚な油絵とは対照的な、繊細で美しいタッチで描かれた「翡翠色のローブを着た小さな吟遊詩人」の姿があった。

 

「でもね、神崎さん。私、この世界に戻ってきて、神崎さんに出会えて……本当によかった。

 過去のトラウマも、失恋の切なさも……全部、大切な思い出として歌にしていけそうな気がするんです」

 

「佐藤さん……」

 

照れくさそうに微笑む芽衣の姿に、凛は胸の奥が温かくなるのを感じた。

エルフの狩人としての気高さも、中二病の黒歴史も、そして異世界で負った心の傷も。

目の前の健気な少女と共に過ごす日常の中で、少しずつ、穏やかな青春の光へと溶け込んでいく。

 

「また、音楽室で歌を聞かせてちょうだい。……今度は、私がその歌に合わせた絵を描くわ」

「はい……! 喜んで、神崎さん!」

 

夕暮れ時の美術室。

二人の「帰還者」の笑い声が、穏やかな放課後の風に乗って、静かに溶けていった。

 

 

夕暮れの美術室に漂っていた甘くセンチメンタルな感傷の余韻は、神崎凛の脳内で猛烈な勢いで巻き起こった一つの致命的な違和感によって、一瞬にして音を立てて砕け散った。

 

――待って。

――エルフの『剣士』?

 

凛の三白眼が、記憶の引き出しを凄まじい速度で逆回転させる。

彼女が自身を認識していたアバター、そしてあちらの世界で刻んだ二つ名は、確か『月影の狩人・リリアーネ』。

弓矢を愛用し、森の暗がりに身を潜めて獲物を狙う、れっきとした「狩人(アーチャー)」だ。

しかし、芽衣の口から飛び出したのは「美しいエルフの『剣士』様」という、職種および戦闘スタイルにおける決定的なミスマッチだった。

 

(いや、ちょっと待ちなさいよ。剣士って……近接戦闘の肉弾戦特化型よ?

 弓を引くどころか、前線で鉄の塊を切り結ぶ戦闘狂のポジションじゃない。それに「美しい」って……私のこと?

 いやいや私の顔立ちはもっとこう、孤高のハンターとしてのシャープさと、どこか影のある退廃的な美しさであって、なんかこう……太陽の下でキラキラ輝くような正統派の美形じゃないわよ!)

 

頭の中で警報音が鳴り響く。胸の奥で芽衣が自分に抱いていたリスペクトの眼差しと、回想される「エルフの救世主」の解像度が、奇妙に、そしてグロテスクにズレていくのを感じた。

もしや、自分がかつて誰かを救った記憶の改竄か?

いや、それとも――。

 

冷や汗が背中を伝うのを隠しながら、凛は表情筋を微動だにさせず、しかし声のトーンをわずかに落として尋ねた。

 

「……ねえ、佐藤さん」

「はい、神崎さん? なんだか急に真剣な顔をして……」

「一つ、確認させてもらうけれど……その、あなたを窮地から救ってくれたっていう『美しいエルフの剣士様』ね」

「はい! あの、冷徹な美しさの中に隠しきれない優しさがあって、まるで銀の月光みたいに凛とした、あの素敵なエルフ様です……!」

 

目がハートになりかけている芽衣の様子に、凛の疑念は確信へと変わった。

(間違いない。私じゃない。あれは泥臭く沼地に足を取られながらオークの群れから逃げ惑っていた記憶しかないわよ!)

 

「……特徴を、もう少し詳しく聞かせてくれないかしら。装備とか、武器とか、あとその……性別とか」

「えっ? ええと……」

 

首をかしげた芽衣は、スケッチブックの隅に鉛筆を走らせながら、懐かしそうに目を細めた。

 

「背が高くて、銀髪を綺麗に短く切りそろえていて……」

「銀髪のショートカット?」

「はい。物凄く爽やかな笑顔が似合う男の人で、でも戦うときはめちゃくちゃクールで騎士道精神にあふれていて……」

「騎士道精神……?」

「装備はですね、細身のレイピアと、あとは背中に小型のボウガンを背負ってました!

 あ、そうそう、ピンチの時に『立て、小鳥ちゃん。君の歌声はまだこんなところで消えていいものじゃない』って言って、手を差し伸べてくれたんです……っ!」

 

美術室の空気が、完全に凍りついた。

 

――レイピアとボウガン。

――爽やかな笑顔。

――騎士道精神。

――気障な台詞。

――そして、決定打としての「男」。

 

凛の脳内で、先ほどまでの感動的な再会ストーリーが音を立てて崩壊し、壮大な「人違い(正確にはエルフ違い)」の真相がライトニングの如く駆け抜け――そしてツッコミのマグマが限界突破した。

 

(それ、もうただ耳が尖ってるだけの超絶イケメンの騎士様じゃない!!!)

 

心の中で、凛は盛大に机をひっくり返していた。

どこがリリアーネだ。

どこが自分の過去の英雄譚だ。

それは完全に、どこかの貴種流離譚から抜け出してきたような、全方位にモテ要素を振り撒く正統派ファンタジーの主人公そのものではないか。

自分の記憶にある「泥まみれのサバイバル生活」と、芽衣の記憶にある「白馬の王子様ならぬ白銀のエルフ騎士」のギャップが大きすぎて、脳の処理パケットが完全にオーバーフローを起こしている。

 

「……神崎さん? 顔がすごく青いですけど……大丈夫ですか?」

心配そうに覗き込んでくる芽衣の無垢な瞳を見て、凛はかろうじて理性の糸を繋ぎ止めた。

 

(くっ……! 世界が違う、次元が違う、そもそも『神話の迷宮』と『王都の最前線』では物理的な座標からして完全に別物なんだから、エルフの個体群が被ったって何ら不思議はないわ……!)

 

自分の中で無理やり論理武装を完了させた凛は、微かに引き攣りかけた頬の筋肉を必死に抑え込み、遠い目をして窓の外の夕日を見つめた。

 

「……いいえ、何でもないわ。ただ……私の知っているエルフとは、少しばかり……タイプが違うなと思って」

「あ、やっぱりそうですか? 私が出会ったその人も、『俺はただの、通りすがりのしがない傭兵さ』って言ってましたから。

 神崎さんのような神秘的な狩人様とは、また違った気質の人だったかもしれません」

「そう……ね。世の中、色んなエルフがいるものだわ……本当に、実に多様性に満ちているというか、なんというか……」

 

遠い目をしながら呟く凛の心中を察する術もなく、芽衣は「ですよね!」と無邪気にうなずき、再びスケッチブックを開いて、今度は記憶の中の「銀髪のエルフ騎士」の横顔をサラサラと描き始めた。

 

夕暮れの光の中、致命的な勘違いを抱えたまま同じ空間に佇む二人の少女。

世界が違えば、エルフの解釈もここまで違う――これは、平行世界が織りなす、あまりにもシュールで少し切ない、放課後の秘密のすれ違いであった。

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