登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
秋の夕暮れが茜色から深い群青色へと移り変わるころ、繁華街のきらびやかなネオンがアスファルトの路面に幾重もの色を映し出していた。
ガラス張りの巨大なアパレルショップのなかで、吉岡広海は鏡に映る自分の姿を前に絶望的なまでの動揺を隠せずにいた。
その身にまとわされているのは、ふんわりとしたシフォン素材のパステルピンクのオフショルダーニットに、軽やかなフレアスカート、そして足元にはトレンドを意識した白いショートブーツという、一切の隙がない「今時の女子中学生のコーディネート」であった。
漆黒のストレートロングヘア――サイバーパンク世界の電子生命体アバター「クリア・ヴァレンティノ」の面影を残すその端正な顔立ちは、驚くほど整っており、深窓の令嬢のような静けさと気品を漂わせている。
しかし、その内面で暴れ回っているのは、紛うことなき「元・ガキ大将の男子小学生の魂」であった。
「待て、待て待て待て! なんだこの布きれは! 防御力ゼロどころか、機動性を殺すだけの完全な死に装束じゃないか!
オレは――私は男だぞ! なんでこんな、女子力が物理的暴力として殴りかかってくるような服を着せられなきゃならないんだぁっ!」
広海が顔を真っ青にして絶叫すると、すぐ隣で両手を叩いて大喜びしている人物がいた。実の姉であり、高校のギャルグループの頂点に君臨する吉岡千波である。
「キャハハハッ! ちょっと見てよマユ、エミ! ヤバくない!?
この子、顔立ちマジで美人さんなんだから、こういうガーリーな服着せると一気にモデルさんじゃん!
『女の子の体になってくれて本当によかったぁ!』って感じの最高ビジュアルの妹が爆誕しちゃったんだけど!」
「ほんとほんと! 千波ちゃん、ナイスプロデュースすぎ!
広海ちゃん、その服マジで似合ってるよ~! 写真撮ってインスタのストーリーに載せていい?」
「やめろぉ! ネットに流したらその瞬間にお前の回線にウイルス叩き込んで全デバイスを文鎮化してやるからな!
おい蛍、光、お前らも何か言えよ! 突っ立ってないで助け舟を出せ!」
広海が助けを求めるように視線を向けた先では、ギャルグループのペースに完全に飲まれ、なぜか自分たちもお揃いの新作パーカーを試着させられてホクホク顔になっている松山蛍と竹原光が、「いや~、広海さん、でもその服、髪の色と合っててマジで映えてますよ?」「そうそう、戦闘力高そうに見えないから逆に不意打ちできますって!」と全く噛み合わない呑気な感想を返してくる。
唯一、参謀ポジションの梅川灯だけは、少し離れたソファに腰掛けながら、優雅にアイスティーのストローをくわえ、冷ややかな目でこの惨劇を眺めていた。
「バカだなぁ、広海ちゃん。騒げば騒ぐほど千波先輩のコーディネーション欲に火が着くだけなのに。……それにしても、ねぇ?」
灯は呟きながら、頭の中でひとつの「仮説」を組み立てていた。
「揺り戻し」という世界のバグ。
その厄介な現象は、異世界から帰還した者たちに「転移せず普通に現実で成長していた場合の身分設定と記憶」を容赦なく付与する。
しかし、そこには残酷なまでの「手抜きのシミュレーション結果」が内包されていた。
書類上、そして周囲の認識上、吉岡広海は「最初から一度も行方不明にならず、この世界で育った吉岡千波の妹」として処理されている。
だが、その自動生成された設定の中には、「姉である千波が持つ圧倒的なギャルとしての影響力」や「日常的に受けるであろう強烈なファッションの洗礼」といった動的な環境要因までは正確に考慮されていなかった。
(もし……。もしも本当に、彼女が最初から「異世界に行かず、この現代の我が家で千波の妹としてまっすぐ育っていた」としたら――)
灯の脳裏に、別の可能性のシミュレーションが滑らかに展開していく。
もしもあの日、神隠しに遭うことなく、広海が最初から「妹」としてこの家に生まれていたならば。
幼いころから年の離れたファッショナブルな姉・千波に「可愛いお人形さん」として可愛がり倒され、物心ついた頃には強制的にキッズ用のメイク道具を握らされ、小学校高学年の時点で「お姉ちゃんの友達と一緒に原宿の竹下通りを練り歩く」という通過儀礼を無理やり経由させられていただろう。
反抗期を迎えようものなら、「何地味な格好してのよ! アンタのその素材を生かさないともったいないでしょ!」と千波のギャル軍団に四方を囲まれ、気づけば毎週末のショッピングモール通いが義務付けられていたに違いない。
その結果として形成されたであろう「パラレル世界の吉岡広海」は、おそらくこうだ。
外見は現在の清楚系美少女アバター(クリア・ヴァレンティノ)の容姿をそのままベースにしつつ、髪には絶妙なアッシュ系のインナーカラー、耳元にはキラキラと揺れる大ぶりのピアス、そして学校の校則スレスレを攻めたハイレベルなスクールメイクを完璧に施し、放課後は渋谷や新宿のカフェを我が物顔で闊歩する、筋金入りの「イケイケ現役女子中学生ギャル」――。
元・ガキ大将としての粗暴な気質や、格下の相手にだけイキるようなセコいプライドなど、姉のハイテンションな陽キャ圧力の前に最初の三日で見事に矯正され、「うぇーい、マジ卍っしょ!」と笑いながら他人のスカートの丈をツッコミを入れるような、陽気で少しおバカな今時の女の子として、何の違和感もなくスクールカーストの上層を謳歌していたはずなのだ。
「……ふっ。そう考えると、今の『元・ガキ大将の魂を宿したまま、無理やり清楚系美少女の肉体で千波先輩のファッションショーのいけにえにされている広海ちゃん』という構図は、ある意味で神様が用意した最高に趣味の悪いたたき売り罰ゲームだね」
灯が小さくクスクスと笑っていると、まさにその当事者である広海が、絶望のあまり白目を剥きかけた。
「おい、待て灯! 何一人で納得してやがる! お前も何か言ってくれ、この理不尽な状況を打破するハッキングコードを組め!」
「無理だよ広海ちゃん。僕のハッキングはネットワークのファイアウォールを抜くことはできても、千波先輩の『妹を一番可愛いギャルに仕立て上げたい欲求』という強固な防壁を破ることは物理的に不可能なんだから。
……素直に諦めて、そのフリルの付いたワンピースを着た方が生存確率は上がると思うよ?」
「誰が着るかぁぁぁ!! オレは電子の破壊神――いや、男だぁぁぁっ!!」
広海の絶叫がアパレルショップの試着室の前に響き渡り、マユやエミが「きゃはは、広海ちゃんテンション高すぎ!」とさらに大はしゃぎで新しい服の束を持って追いかけていく。
「こら広海! 逃げないの! 次は原宿系のポップなやつ試すからね~!」
「近寄るな! 触るな! 治安維持部隊を呼ぶぞ!!」
「揺り戻し」という名の不完全な世界改変が生んだ、ガキ大将のプライドと清楚系美少女の肉体、そしてギャルの姉による圧倒的過保護のトライアングル。
もしも最初から「本当の妹」であったなら迎えていたはずのキラキラしたギャルとしての日常は、今の広海にとっては、いかなるサイバーパンクの死闘よりも遥かにサバイバル度の高い、過酷すぎる戦場なのであった。