登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
秋風がグラウンドの赤土を巻き上げる放課後。
タイム計測の電子音がけたたましく鳴り響き、中学1年生のランナーたちが息を荒らしてゴールラインを駆け抜けていった。
「――はい葵、またスタートの瞬間にかかと側に体重かけすぎ!
陸上用のスパイクはね、ドシンと踏み込んじゃダメって言ってるでしょ?」
ストップウォッチを首から下げた九条理子は、あきれたように溜息をつきながら、トラックの脇で膝に手をついて肩で息をする轟葵にスポーツドリンクのボトルを差し出した。
「うぐぐ……理子、違うんだ……! これは身体の底に眠る重戦士(ドワーフ)の重低音グラビティがだな……!」
「はいはい、ドワーフネタは後でね。ほら、水分補給」
理子は葵のファンタジー発言を「いつもの奇行」としてさばさばと一蹴し、タオルを頭からポンと被せた。
葵の異世界での姿――ドワーフの重戦士「ドラガ・アイアンハート」。
かつて巨大な両手斧を振り回し、プレートメイルの重圧を大地に沈めながら前線で敵の攻撃を受け止めていた過酷な記憶は、現代の華奢な女子中学生の肉体に戻った今も、感覚のバグとして色濃く残っていた。
陸上部で短距離を走る際、葵はどうしても「地面を砕く勢いで足を打ち下ろす」癖が抜けず、現代の軽すぎるスニーカーの反発に翻弄されては豪快にズッコケ、トラックの土を被るのが日常茶飯事となっていた。
「あたたた……また膝すりむいちゃった……。くっ、ドラガの皮膚ならこんな小石の摩擦などノーダメージだったものを……っ」
「泣かないの。ほら、絆創膏貼るから足出しな」
理子は手慣れた手つきで救急箱を取り出し、葵の膝に絆創膏を貼っていく。
理子は、葵や小春が極端に男子を警戒し、苦手意識を抱いている本当の理由を知っていた。
かつて小学生の頃、クラスのガキ大将だった吉岡広海たちから受けた不条理なちょっかいや、おさげ髪を引っ張られるといった執拗な嫌がらせ。
あの恐怖と屈辱が、彼女たちの心に深々とした傷を残したことを。
だからこそ、理子は陸上部の練習中や廊下で男子部員や他校の男子が葵に近づきそうになると、自然な動作で割り込み、さりげなく距離を取らせてやる気配りを見せていた。
「おい九条ー! 次の50m走のコース順、どうなって――」
「あ、高橋くん、そこから動かないでー。葵が着替え中(※実際は絆創膏を貼り直し中)だから男子立ち入り禁止!」
「えぇっ!? ここグラウンドだぞ!?」
「いいからあっちのスターティングブロック片付けてきて! 早く!」
テキパキと男子を追い払う理子の背中を見ながら、葵はほっと胸を撫で下ろすと同時に、自分の頼りなさに小さく唇を噛み締めた。
(……ダメだ。私(ドラガ)は、小春を守れる強い存在じゃなきゃいけないのに……。
男子が近づくだけでビクッとして、軽すぎる荷物を持っただけで筋肉痛になって……こんな貧弱な体じゃ……)
トラックの脇にあるベンチの影から、小柄な少女が心配そうにこちらを見つめていた。
バッサリと切り揃えられたショートカットの髪を揺らし、応援用のタオルをぎゅっと握りしめているのは、葵の最も大切な親友・野沢小春だった。
「葵ちゃん……大丈夫? また転んじゃったの……?」
小春がトコトコと駆け寄り、心配そうに葵の膝を覗き込む。
「小春……! ううん、大丈夫! ドワーフの肉体は……じゃなくて、私の体は頑丈だから!」
「無理しないで……。葵ちゃん、いつも陸上部の練習頑張ってるから……私、スポーツドリンク新しく作ってきたよ」
小春が照れくさそうに差し出してきた手作りのドリンクボトル。
その健気で温かな気遣いに触れた瞬間、葵の胸の奥で、かつて異世界の戦場で燃え上がっていた「タンク」としての覚悟が力強く脈動した。
ドワーフの怪力を失い、華奢な中学生の肉体になったことに絶望していた自分。
しかし、目の前で一生懸命に自分を支えてくれようとする小春の姿を見た時、葵は悟ったのだ。
筋肉の質量や斧の重さではない。
大切なのは「この子を守るための強いお姉さんでいる」という、折れない意志なのだと。
「……ありがとう、小春! よーし、私、次の100m走で絶対自己ベスト出すからね!」
「うん……! 応援してるね、葵ちゃん!」
小春の笑顔を見て、葵はバシッと自分の両頬を叩いた。
「よし、理子! もう一回計測頼む!
今度は『鉄の足甲』の重さを脳内でパージして、この軽すぎるスニーカーのバネを完璧に使いこなしてみせる!」
「はいはい、フォーム崩したら即ストップだからね。……ふふ、いい顔になってきたじゃない」
理子はニッといたずらっぽく笑い、ストップウォッチを構え直した。
グラウンドに広がる夕暮れの風の中、葵はスタートラインに立った。
前屈みの姿勢。
かつて重装甲で叩き込んでいた低重心の踏み込みを、しなやかな女子中学生の脚力へと変換していく。
(見ててね、小春。私はもう、男子に怯えて不審なポーズをとってた昔の私じゃない。……本当の強さを、この脚で手に入れてみせる!)
パンッ、と理子の手拍子が鳴り響く。
爆発的な足音とともに、葵は赤土のトラックへと駆け出していった。
もう二度と転ばない、まっすぐで力強い、現代の戦士の走りで。