登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
秋の気配が深まる早朝の通学路。
黄色い横断旗を手にした登校班の班長が、「はーい、みんな手を挙げて渡りましょうねー」と元気よく声を上げていた。
「……了解した。交差点における歩行者優先権の主張、および目視によるドライバーへの視覚的シグナル伝達行動を開始する」
綺麗に切り揃えられた黒髪のボブカットを揺らし、すっと右手(角度45度)を挙げて横断歩道を渡る時任霧子。
プライベートな思考では交通シグナルのミリ秒単位の制御パターンをミリタリースペックで解析し終えているが、現在の外見はどこからどう見てもおとなしい小学3年生である。
その背後で、同じ登校班の小学6年生・大塚美月(おおつか みつき)が「キリコちゃん、今日もきっちり手挙げててえらいね~!」と、ランドセルにつけた可愛いイチゴのキーホルダーを揺らしながらお姉さんぶって頭を撫でてきた。
(……くっ、美月。お前のその『可愛い妹を愛でる小学生のお姉さん』ムーブは実年齢差数十年に対して精神的カロリーが高すぎる……。
だが、無用な警戒を避けるため『9歳の女子児童』を完全トレースせねば……)
霧子がシニカルな苦労を噛み締めていたその時――
キィィィィッ!! と甲高いブレーキ音が住宅街の路地に響き渡り、乗り捨てられたワンボックスカーの陰から、どさりと「異様な存在」が躍り出てきた。
「ハハハハ! 運がいいぜ! 警察の検問を抜けた先に、手頃なクソガキの群れがいやがる!」
男の叫び声とともに、空間の理がぐにゃりと歪んだ。
『姿の切り替えスキル』の発動――男の肉体が瞬時に膨れ上がり、衣服を破らんばかりの巨躯へと変貌する。
現れたのは、全身を分厚い褐色の毛並みと鋭い爪で覆われた、全高2.5メートルを超える大柄な熊獣人であった。
「な、なんだアイツ!? 熊!?」
「キャーッ! 助けてーっ!」
班長の児童や低学年の子供たちが悲鳴を上げて散らぐ中、熊獣人は獰猛な咆哮を上げ、逃げ遅れた位置にいた霧子へ向けて太い腕を伸ばした。
「ケハハッ! このチビを人質にすれば、警察も手出しはできねねぇ! おとなしく捕まりな――」
熊獣人の視界で、小柄な少女・霧子の三白眼が氷のように冷たく冴え渡った。
(……チッ、近接戦闘IQ査定完了。間合い1.8メートル。
右前足による補縛行動。首筋の休眠サイバネティクス・ポートから生体電流を強制放電して敵の視神経を焼くか……いや、小学生が放電したら後処理が面倒くさすぎる……!)
霧子が最小限の動作で回避運動に入ろうとした、その刹那。
「――人の登校班で、何やってんのよバカ」
地を這うような、低く、冷徹な大人の女性の威圧声が路地に響き渡った。
熊獣人が驚愕して視線を滑らせた瞬間、目の前に立っていたのは――美月だった。
彼女が大切に抱えていたファンシーなスクールバッグが足元に落ちるのと同時に、彼女の周囲の空間が強烈な魔力歪曲を起こす。
『姿の切り替えスキル』――。
光の収束とともに現れたのは、可愛らしいランドセルを背負った小6女子の姿ではない。
しなやかで引き締まった四肢、夜風にたなびく銀灰色の美しい毛並み、そして十本の指先から滑らかに伸びる鋭利な白銀の爪を持った、二十代前半の雌の狼獣人――凄腕の武闘家としての圧力を全身から放つ、本物の異世界帰還者の姿であった。
「なっ……お前、獣人世界からの帰還者か!? げっ、狼族の――」
「言っとくけどねぇ……!」
美月――狼獣人の鋭い黄金色の瞳が、殺気を含んでギラリと光った。
「私はね! この『二身のデカい狼』の姿が友達にバレたら『怖ーい!』って言われるし、全然かわいくないから!
毎日必死に隠して!
無理して小学生のフリして!
可愛い文房具とか集めて女子児童のお手本やってんの!!」
ドッ、と激しい踏み込みの衝撃波がアスファルトを爆砕した。
「それをアンタみたいな無骨な熊のバカ野郎が!! 私の登校班のエリアで変身して台無しにしてんじゃないわよォォォ――ッ!!」
「グハッ!?」
狼獣人の超スピードによる前蹴りが、熊獣人の分厚い腹部に完璧なクリーンヒットで突き刺さった。
巨体がくの字に折れ曲がり、悲鳴を上げる暇もなく宙を舞う。
「ハァッ! 爪光・連環斬!」
空中で体勢を崩した熊獣人に対し、美月の鋭い爪が空中演算のごとき精密さで閃いた。
肉体を傷つけず、衣服と衝撃波だけで敵の関節サーボ(生体関節)を的確に破壊・麻痺させる凄まじい手練れの連続連撃。
ドシャァァァンッ!!
数秒前まで大威張りしていた熊獣人は、見る影もなく叩きのめされ、元の冴えない男の姿に戻って路上に白目を剥いて転がった。
「ハァ……ハァ……。ったく、朝から無駄な体力使わせないでよ……」
美月はフッと息を吐くと、瞬時にスキルを解除し、元の可愛らしい小6女子の姿へと戻った。
そして路上に散らばったファンシーな文房具を拾い集め、スカートのホコリをポンポンと払う。
(……ふぅ。これでよし。……って、やばい! 精神年齢20代の地の部分が完全に漏れ出てた……っ!)
冷や汗を流しながら美月が恐る恐る振り返ると、そこには――
逃げ遅れた体で、完璧に事顛末を目撃していた小学3年生の時任霧子が、冷ややかな三白眼でじーっと自分を見つめて立っていた。
「……あ、あははー! キリコちゃん! 今のはね! お姉ちゃんの『とくべつな手品』だよ~? 怖くなかったかなーっ? なんちゃってー!」
滝のような汗をかきながら、必死に「可愛い小6のお姉さん」を演じ直そうと両手をバタバタさせる美月。
その痛々しいまでの必死さを前に、霧子は深々と、本日何度目になるか分からない溜息を吐き出した。
(……やれやれ。まさか同じ登校班に、獣人世界のガチな武闘家が潜んでいたとはな。
しかも『可愛い小学生』のプロ頭脳として中身20代で無理をしているとは……)
霧子はスッと右手を挙げ、普段通りの無機質なトーンで言い放った。
「……大塚先輩。不審者の無力化、および登校班の安全確保、ご苦労だった。
……なお、私は今の『手品』の件について、他の児童や班長には『大きな犬が助けてくれた』と証言を補正しておく」
「っ……!? キリコちゃん……あなた、もしかして……」
「言っておくが、私の精神年齢と実経歴はそちらの狼よりも遥かに年長だ。
……ほら、早く行かないと遅刻する。信号は手を挙げて渡るぞ、美月『先輩』」
霧子がランドセルを揺らしながら歩き出すのを見て、美月は呆然と口ぐせを開けたあと、「……マジかぁぁぁ……! 私、今までずっと年上の先輩に向かって『きりこちゃんかわいー!』とかやってたの……!?」と顔を真っ赤にして頭を抱えるのだった。