登校班が異世界の冒険者へ 作:匿名希望
第6階層の湿った暗がりを抜けた先、開けた廃墟の広場で、その小さな影はうずくまっていた。
ぼろぼろのフードをかぶり、汚れきった服に身を包んだ、六人の子供たち。
怯えたように体を寄せ合い、飢えと恐怖で震えているその姿は、かつて見慣れたはずの「現実の自分たち」の年齢、そのまんまの姿をしていた。
ガタガタと歯を鳴らしている最年長の男子は、かつての透と同じように、ボロボロの登校帽のような布を握りしめていた。
その隣で泣きじゃくる低学年の子供たちは、かつてのミナやドラガのように、泥だらけの小さな手を必死に組み合わせていた。
クロエの足が、ぴたりと止まった。
(……あれは)
頭の中で、冷徹な盗賊の記憶が冷ややかに囁く。
『足手まといだ。捨て置け。ここは弱者が生き残れる場所ではない』
だが、その冷たい警告のすぐ下で、かつての桐生透だった少年の胸が、焼けるように激しく痛んだ。
(違う……! あの子たちは、ほんの少し前までの僕たちだ……!)
「……おい」
クロエの低い声に、他のメンバーも一斉に足を止めた。
リリアーネ、レン、ムギ、ドラガ、そしてミナ。
高ランク冒険者としての冷酷な仮面をまとっていたはずの彼女たちの瞳が、そのうずくまる子供たちを捉えた瞬間、激しく揺らいだ。
「……ねえ、ちょっと」
リリアーネが、息を呑むように呟いた。
そのプラチナブロンドの長い髪が、冷たい風に揺れる。
エルフとしての高慢な美しさの裏で、彼女の脳裏には、かつて放課後の教室で怯えていた自分の姿がフラッシュバックしていた。
「なんで、こんなところに……。あんなちびっこが、生きていけるわけないじゃない……!」
「放っておけないね」
レンが、震える手で純白の聖職者ローブの裾を握りしめた。
聖女としての気高い祈りの言葉ではなく、かつての少年としての「助けなきゃ」という衝動が、彼女の喉からあふれ出す。
「見捨てたら……私たちがここまで積み上げてきたものは、全部ただの化け物の自己満足になっちゃう……!」
「うん、そうだよね!」ムギも銀色の狐耳をパタパタと激しく波立たせ、狂気交じりの瞳に涙を浮かべた。
「あの子たちの魔力回路、まだ真っ白で何も染まってない! こんなクソみたいな迷宮に落ちてきたら、私たちみたいにぐちゃぐちゃに……!」
「おいおい、泣くなよ……!」
ドラガはガシガシと自分の頭をかきむしり、その身の丈ほどある両手斧をドンと地面に突き立てた。
「こんなガキども、あたしが片手で全員担いでいってやるさ! なあ、母ちゃん!」
ミナは、無言で眼鏡のブリッジを押し上げた。
冷徹な裏方としての計算も、ポーターの現実的な采配も、その瞬間にはすべて吹き飛んでいた。
彼女の瞳には、かつてランドセルを背負って泣きそうになっていた1年生の弟のような少年の姿が、目の前の子供と重なって映っていた。
「まったく……手のかかる厄介ごとを拾いましたね」
ミナは小さく息を吐くと、その顔に浮かんだのは、ポーターの冷徹さではなく、あまりにも深い「母のような」微笑みだった。
「――そこの、あなたたち。いつまでそこに泥を被って座っているつもりですか。
荷車の後ろに乗りなさい。温かい干し肉のスープくらいなら、分けてあげますよ」
クロエは、うずくまる子供たちの最年長――かつての自分によく似た少年の前に歩み寄った。
少年が怯えたように顔を上げ、震える目でクロエの鋭いナイフと冷酷な美貌を見上げる。
クロエは、その小さな頭の上に、無造作に、けれどどこか優しく、冷えた手袋のままでポンと手を置いた。
「大丈夫だ」
その声は、かつてのスラムの盗賊のものでも、冷酷なリーダーのものでもなかった。
それは、かつて同じ世界から引き裂かれ、二度と戻れなくなった者だけが知る、残酷で、そして底抜けに温かい「先輩」としての響きだった。
「――お前たちは、あたしたちが守ってやる。だから、泣くな」
泣きじゃくる子供たちを荷車に乗せ、歪んだ記憶と壊れた心を抱えた最強の女冒険者パーティは、再び前を向いた。
元には戻れない。けれど、守るべきものができたその背中は、以前よりもずっと大きく、迷宮の闇を切り裂くように眩しく輝いていた。
冷えたスープの温もりが、廃墟の広場に静かに広がっていく。
ミナが手際よく用意した粗末な鍋から立ち上る湯気に釣られるように、拾い上げた六人の子供たちは、おずおずとスプーンを口に運んでいた。
その最年長である、ぼろぼろの登校帽を握りしめた少年は、怯えを完全に拭い去れぬまま、しかし目の前に座るクロエの姿をじっと見つめていた。
「……ねえ、お姉ちゃん」
ぽつりと、少年がかすれた声を漏らす。
クロエは腰の短剣の手入れをぴたりと止め、鋭い三白眼をわずかに緩めて少年を見下ろした。
「なんだ」
「……なんか、その……知ってる気がするんだ。お姉ちゃんの、その目の感じとか、歩くときの癖とか……」
少年が無意識に口にしたその言葉に、クロエの胸の奥がキュッと締め付けられた。
それはそうだろう。目の前にいるこの怯えた少年は、少し前まで自分が被っていた「桐生透」という殻そのものなのだから。
現実の記憶の底で、失われかけたはずの自分の面影が、いま目の前で生きて呼吸をしている。
「気のせいだ」
クロエは冷たく言い放ったが、その手は無意識に、少年の頭にぽんと粗く置かれていた。
「あたしはスラムを這いずり回って生きてきた盗賊だ。お前みたいな温室育ちのガキの知り合いなもんか」
「うそだ……」
少年は小さく首を振ると、驚くほど自然に、クロエの革鎧の裾をキュッと両手で掴み、その背中に小さく体を預けてきた。
拒絶されると思っていたのだろうか。クロエはわずかに息を呑み、そして、それを振り払うことはしなかった。
それは他のメンバーたちも同じだった。
少し離れた場所では、リリアーネのプラチナブロンドの裾に、泣き疲れて小さな女の子がしがみついていた。
「……お姉ちゃん、きれい……。お星様みたい……」
「っ……! べ、別に褒めても何も出ないわよ!」
高慢なエルフの仮面を被るリリアーネは、顔を真っ赤に染めながらも、その女の子が落としそうになったボロボロのマフラーをそっと巻き直してやった。
その指先がわずかに震えているのは、鏡に映ったかつての自分の幼い頃の面影を、その小さな体に認めてしまったからに他ならない。
その隣では、純白のローブをまとったレンの袖を、一人の男の子がぎゅっと掴んで離さなかった。
「あのさ、僕も大きくなったら、お姉ちゃんみたいに光を出せる?」
「……うん。きっと、なれるよ」
レンは慈愛に満ちた聖女の微笑みを浮かべつつも、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
男の子だった頃の自分が、今の自分に救われているという奇妙なねじれに、心がどうしようもなくかき乱される。
ムギの足元では、小さな女の子が、ふさふさとした銀色の尻尾にすり寄っていた。
「ふわふわする……! ねえ、お姉ちゃん、これ本物?」
「こ、こら、尻尾の付け根は敏感だから勝手に触るなって――あひゃっ!?」
狂気の魔術オタクとして冷酷に振る舞おうとしていたはずのムギは、子供の無邪気な一撃にすっかり調子を狂わせ、耳を真っ赤にしてタジタジになっていた。
ドラガの背中には、まるでコアラのように小さな女の子がしがみつき、その重みにドラガは豪快に胸を張ってみせる。
「ははっ! 重いぞ、もっとしっかりしがみつけ! あたしがついてる限り、この迷宮の魔物なんか一本背負いにしてやるからな!」
強がり交じりのその声は、かつて寂しさに震えていた自分自身を力づけるためのものでもあった。
そして、荷車の周辺では、ミナが温かいスープの入った木椀を子供たちに配りながら、優しく目を細めていた。
「ほら、お汁をこぼさないの。……まったく、どの子も本当に手がかかりますね」
呆れたような、しかし底抜けに温かいその母の響きに、子供たちは安心したように次々とミナのスカートの端にしがみついた。
二度と元の世界には戻れない。
家族の温もりも、かつての自分の名前も、あの青空の下の教室も、すべては遠い幻影の彼方に置いてきてしまった。
けれど――。
自分の背中にしがみつく小さな温もりを感じながら、クロエは静かに立ち上がった。
この子たちは、自分たちの過去そのものだ。
そして、かつて誰も手を差し伸べてくれなかった自分たちとは違い、今度は自分たちが、この子たちの「未来」をその両腕で抱きしめている。
「……行くぞ」
クロエの低い号令に合わせ、リリアーネが弓を構え、レンが聖光を灯し、ムギが電撃を走らせ、ドラガが斧を担ぎ、ミナが荷車の綱をしっかりと引き締めた。
歪んだ自我と、逃れられない異世界の記憶を抱えながら。
最強の女冒険者パーティは、泣き虫な子供たちをその背中に守りつつ、再び容赦ない迷宮の深淵へと足を踏み出していくのだった。
幾つもの季節が、数字を持たない迷宮の深層を巡っていった。
かつて震えながらボロボロのフードをかぶっていた六人の子供たちは、過酷な迷宮の空気と、女冒険者たちの背中を追い続けた年月の中で、見違えるほどに頼もしく成長していた。
あの時、クロエの革鎧の裾にしがみついて泣いていた最年長の少年は、今や身軽な身のこなしで周囲を索敵する見習い盗賊となり、他の子供たちもまた、それぞれの武器を手に取って自足できるだけの戦闘力を身につけていた。
第9階層の、比較的安全な廃墟の広場。
焚き火の明かりが、静かに夜の壁を照らし出している。
「……ここまで来れば、もう大丈夫だ」
クロエは、かつて自分がそうされたように、少し背伸びをした少年の頭にぽんと手置いた。
その声には、かつての冷徹さや冷たさはなく、ただ静かな誇りと、確かな別れを受け入れる落ち着きがあった。
少年は、もう泣いていなかった。
その瞳には、恐怖ではなく、自分の足でこの迷宮を生き抜くという強い意志の光が宿っている。
「うん。……ありがとう、お姉ちゃん。いや、クロエさん」
少年が照れくさそうに笑い、その背後に続く他の若者たちも、それぞれリリアーネやレン、ムギ、ドラガ、ミナに向かって深く頭を下げた。
「ふん、やっと一人前になった気でいるの。足手まといになったら容赦なく置き去りにするからね」
リリアーネはツンとそっぽを向いてみせたが、その耳のあたりは少しだけ赤く染まっていた。
「困ったことがあったらいつでも聖女の祈りを頼りなさい。……なんてね、もう君たちなら大丈夫か」
レンは慈愛に満ちた笑顔で優しく微笑んだ。
「私の魔力回路の最新理論、今度会ったときにちゃんとテストしてあげるから覚悟しといてよ!」
ムギは銀色の尻尾を機嫌よく揺らしながら、少し大げさに鼻を鳴らした。
「お前ら、いざとなったらいつでもあたしを頼れ! この斧でどんな壁でもぶち割ってやるからな!」
ドラガは豪快に笑いながら、少年の肩を力強く叩いた。
「まったく、これだから子供の成長は早いものです。……道中、怪我をしないように気をつけるんですよ」
ミナは片眼鏡をきっちり押し上げ、温かい保存食の詰まった包みをそれぞれの手にそっと手渡した。
かつて自分たちが「守られる側」から受け継いだ温もりを、今度は「守る側」として彼らに手渡し、そして、それぞれの道を歩む者同士として見送る。
やがて、若者たちはそれぞれの武器を構え、自分たちの意志でさらに深い、あるいは別の階層へと続く通路へ向かって歩き出した。
その背中は、かつて自分たちが捨ててきた「かつての日常の子供たち」ではなく、紛れもない、この迷宮を生きる誇り高い冒険者のものだった。
彼らの姿が闇の向こうへと完全に溶け込み、足音が聞こえなくなった後も、パーティの面々はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
「……行ったね」
クロエが呟き、腰の短剣の柄にそっと触れた。
もう自分たちの過去の幻影を背負う必要はない。
彼女たちは、ただの「過去の亡霊」ではなく、この迷宮の深層で血と絆を紡ぎ続ける、唯一無二の女冒険者パーティだったからだ。
「さあ、私たちも行くよ」
クロエの低い号令に合わせ、リリアーネが弓を構え、レンが聖光を灯し、ムギが電撃を走らせ、ドラガが斧を担ぎ、ミナが荷車の綱をしっかりと握りしめる。
失ったものも、歪んでしまった肉体も、すべてをその身に抱えたまま。
最強の女冒険者パーティは、さらなる深淵へ続く未知の闇へと、迷いのない足取りで再び歩みを進めていくのだった。