いつもと変わらない、普通の朝だったの。
空は晴れていて、気持ちが良かった。
ママは卵を焼いてくれてて、おはようって言った。
パピヨンも元気で、学校に行く途中。
世界は崩壊した。
────────
丸机を挟み目の前に座っている人に、じっと見つめられた。
なんだか居た堪れなくて、出された紅茶の表面を見てしまう。
「お名前をお伺いしても大丈夫でしょうか?」
「あ、は、はい!え…と、ルナ、と申します。ルナ・バタフレン・ジェンジー、です」
「ふむ…」
理性を宿した青と金のオッドアイを伏せ、人形のような人は考え込む。
「ルナ・バタフレン・ジェンジーさん、で合っていますね?私達の言葉が確りと通じる関係上、ダーザインは貴女の世界又は貴女の世界に近しい言語形態を持つ言語を保有する世界との関わりがある可能性が高いです」
「え、えと…」
「ミス、言語の解析は完了しましたか?」
ミス、と呼ばれた灰色の女の子?は、オッドアイの人を一瞥してから、私に目線を合わせた。
「急に世界とか言われても、この子は分からないわ。月、アナタが全部説明なさい」
「…わかりました」
月さんは少し目を伏せてから、私に向き合い直した。
「まず、前提条件として、貴女がこれまで生きてきた世界の他にも沢山の世界が存在します。異世界、という概念は貴女の世界にもありますか?世界を形作る法則がその世界ごとに異なりますので、並行世界に近い世界同士もありますが、そのほとんどが他の世界では夢物語として語られるような世界になっていることが多いですね」
「は、はい…えっと、つまり…ここは異世界なんですか?」
月さんは首を縦に振る。
「はい。少なくともルナさんの話す言語はこの場所で話されている言語とは異なります」
目の前の人と話す言語が違うと言われてもよく分からない。月さんが話す言葉は私の知っているものばかりだし、意思の疎通ができている。もしかしたら先ほど取り付けられた機械に何か魔法が掛けられていたのかもしれない。
「単語自体は英雄活劇世界に近いけど、文法がかなり違う。一人だけルナ・バタフレン・ジェンジーと言語一致者がダーザインにも所属してる。でもその人は帰還困難者よ」
「私達が所属する組織はダーザインという互助組織になります。世界間での衝突を避け、また世界同士が交わらないようにVS能力者が中心になって活動しています。VS能力者とは、簡単に言ってしまえば慣れている法則下以外の場所でも活動できる人のことを指します。例えば私、ミス。そしてルナさんもそうではないかと私達は考えています。ダーザインが交流できる世界の中にジャスティスフォースという名の世界がありまして、ルナさんが話す言葉は単語、言葉一つ一つはジャスティスフォースのものに近いのですが、文法などがほとんど一致しない。つまり、ルナさんは私達が未だ確認できていない世界から迷い込んでしまった可能性が高いです」
「な、るほど…」
ミスさんの話はよくわからなかったが、月さんが噛み砕いて説明してくれたのは、かろうじて飲み込めた。
「えっと、それで…帰る手段って、あり、ます、か…?」
「はい、今のところルナさんの世界はわかりませんが、見つけられ次第…」
「ところがそうもいかないの」
終始落ち着いた口調の月さんを遮って、ミスさんが口を挟む。
「ルナ、アナタがこの世界にやって来るほんの少し前にM+T=の世界の幾つもの場所でとても大きな法則の歪みが観測された。それも一つの世界が崩壊した時のようなものね。この意味が分かるかしら?」
ミスさんの鋭い視線が私に突き刺さる。
「現状、ダーザインが支部を置いているM+T=の世界とは全て連絡が取れてる。そして、アナタの世界はアナタがこの世界に来てしまうような大きな法則の揺れが発生した」
丁寧に、私の首を真綿で締めてくるように。ミスさんの言葉の意味は半分程しか分からなかったけど、私に重大な警告を示そうとしているのは、口調、声のトーン、表情、身振り手振りで伝わってきた。
「つまりね、アナタの世界は崩壊してしまったかもしれない」
私の、世界は崩壊して、しまったかもしれない…?
コーヒーの苦味のように、舌全体にこびりついて離れない、嫌な言葉を嚥下できない。
「私は、私のおうちに、帰れないんですか…?」
「少なくとも数ヶ月は無理ね」
ただ、ひたすら冷たく。
「困ります…!」
机に手をつき、立ち上がる。
「だ、だって…ママにもパパにも何も言ってないし、学校が、月印としてのお仕事がっ!」
「もう一度、言うわね」
淡々と。
ミスさんは私に現状だけを伝える。
「アナタの世界は崩壊したかもしれない。アナタのママもパパも学校もお仕事ももう無いかもしれないの」
じわり、と喉が熱を持つ。
「それじゃあ、それじゃあ…!私の、おうちは、もう、無いんですか…?」
「そうね」
肯定の、言葉。
頭がガンガンする。嘘だと言って。夢だと言って。
私が意識を持ってこの場所に存在する感覚が、夢じゃないよ、嘘じゃないよ、と囁く。
ミスさんはその後にも何か言っていたはずだが、私の耳には何も届かなかった。
「あの子は強い子だね。涙を流していない」
「…涙だけが、悲しみを表すわけじゃないわ」
ほとんど状況を把握したルナが放心してから大分時間が経った。
月を起動してから一年近く経ったはずだけど、まだあたくし以外との交流が少なくて人の心の機敏を読み取れないのが目立つ。
虚空を見つめるルナを観察する。
夜のように深い髪色は、髪の長さに反して艶々としていて、しっかり手入れがされていることがわかる。学生服であろうジャケットとジャンパースカートも皺が寄っていなく、先ほど中央世界にやってきて転がっていた時についてしまったであろう土埃が少々目立つくらいだ。それなりに良い暮らしをしているか、本人が几帳面か…先ほどの言葉遣い等を考慮すると、どちらもかもしれない。
また、学生の身でありながらも仕事の心配をしていた。アルバイトではなく、仕事だ。ルナと言語が同じ人間を思い出す。星の形をした光る虹彩が印象に残っている。よく見ると、ルナの虹彩は月の形で光り輝いていた。アレは確か…光る虹彩を魔力量の証と言っていたか?M+であるなら魔力量で持て囃され、なんらかの役職に就いているのかもしれない。
はあ、まあ良いわ。
「月、ルナは今のところVS能力者である可能性が高いわ。もしかしたらムーンライトミスに配属になるかもしれないから慎重にコミュニケーションを取ってちょうだい」
「わかったよ」
返事をするやいなや、月は振り返り、ルナへと向かっていく。
言ったそばから無神経に突っ込んでいく姿に頭を抱える。永く生きてきたけれど、子育て、しかも機械の子育てなんてやったことがない。
何か教え方が良くなかったのか、特に人との関わり方に難が多くあるように見える。一人前のように見えてまだ一年しか生きていないのだから仕方ないと割り切るのも手か?
「ルナさん、大丈夫ですか?」
「…ぅ、あ、は…はい」
ずっと何も無い場所を見ていたルナは、緩慢な動きで首を回し、月に焦点を合わせた。
「ルナさんが生まれ育ってきた世界は、なくなってしまったことが確定した訳ではありません。可能性が高いだけです」
「ほぼ、確定、してるん、ですよね?」
ルナは何か言葉を探すように俯いた。
確かに、ルナの世界の消滅は可能性が高すぎる。ルナはおそらく青年期に当たるだろうと考え、包み隠さず全てを伝えた。傷付けるかもしれないが、本人に考えてもらうのが最良だとあたくしは考えたから。
「いいえ、《可能性》があるんです。ルナさんの世界がまだ存在する、という《可能性》が」
「…」
「僅かかもしれません。ですが、その《可能性》を見つけませんか?」
ルナは呆然と月を見たままだ。
「私達が所属するダーザインは互助組織です。ルナさんの力を少しでもお貸しいただければ、私達…私が、絶対にルナさんを支援します」
「ッ…私の、おうちに、帰れますか?」
帰れないかもしれない。それはあたくしも月も理解している。けれど…
「帰します。全力を尽くして。だから…絶望しないで」
月は跪き、ルナの手を握り込む。その顔は、本当にルナの絶望を望まずに眉を下げていた。
「絶望は、とても、悲しい。だから、私は誰にも絶望を味わってほしくない」
両手で握り込んでいたところを開き、ルナの掌の真ん中の辺りに口づけた。
「お願いです。一緒に世界を救ってくれませんか?」
ルナを見上げた月は驚いて目を見張った。
当然だ。ルナの顔は茹で上がったように真っ赤になっていて、気絶していたのだから。
きっとルナは純情に違いない。親バカではないが作り物だとしても顔が整いすぎている月に、手とは言えキスをされたのだから、純粋なルナはびっくりしてしまったのだろう。
ミスは、先ほどとは違う方向で月の人間性について、頭を抱えた。
────────
「それで、なんで戦わなくちゃいけないんですかぁ!!」
ひい、と情けない声を上げながら、ルナは連れてこられた戦場で現象体からの攻撃を避け続けていた。
「な、な、なななな、なんですか、あのモンスター!怖い!恐ろしい!見たことない!」
「仕方ないのよ、うちの部隊はまだ設立したばかり。戦闘エージェントが少ないから、魔法で攻撃できるアナタは貴重な存在なの」
「わ、私、戦ったことなんて…きゃあ!」
丁度ルナの足元へ敵からの攻撃が着弾した。
「そうね、アナタは無いわね。でも考えてみてちょうだい。アナタはアナタだけじゃないでしょう?」
「私が...?!私、だけ...じゃ、ない...」
ルナは思考を巡らせる。そして、思い至る。たったひとりだけ、家族が一緒に来ているじゃないか、と。
虫型の敵から距離を取り、向かい合う。
『天地創造りし父神よ...生命創造りし母神よ...!今一度私の名前に応えて、血眷を遣わしてください』
「パピヨン、おいで!」
ルナが見上げた先には、光。その光の中からは一般的な種よりも一回り、二回り程大きな揚羽蝶に似た召喚獣が浮いていた。
ぞっ、とするような魔力量。物言わぬ一匹の蝶から、果てしない実力をミスは感じ取っていた。
パピヨンと呼ばれた召喚獣は、ルナの指先を流れるように追いかける。
「これまでと同じように、私を助けてくれる?…パピヨン」
ひらり。鱗粉にも見える光の粉が舞う。
ルナはそのままパピヨンを追いかけるように舞い上がる。重力を感じさせない動きは、踊るように、そして計算し尽くしたかのように攻撃をすんでのところで避け続ける。
くるり、くるり。敵が五体いようと関係ない。ルナはパピヨンを追いかけ続ける。
『恒星を見上げて、』
一体の機械型の現象体が、自爆覚悟か、ルナへ突き進んでいく。狙うはルナの胴体。避けられない。
「ルナさんには触れさせないよ」
ガキィン!!と、金属同士が強くぶつかり合う音が響いた。
銀に輝く棒を持って、月が攻撃を弾いたのだ。振り上げたそのままの勢いで、器用にも体の周りで回し、突進してきた現象体以外の敵にも牽制する。
「ルナさん、被弾の心配は無用です!私が、ついています」
『独り哭き叫ぶ、』
ルナの声は震えていた。
当たり前だ。自身の召喚獣によって守られているとはいえ、T=の世界で生きてきた普通の女の子が、命の取り合いの場に立つ。泣き出したい程怖いだろう、逃げ出したい程怖いだろう。だけれど、もう既にそれが許される立場に居られなくなってしまったのだ。
ミスは、予感する。
「良いわ、助けてあげる」
ミスは腰元の本を取り出し、片手で開くと本は空中に止まった。
誰も読み取ることができない文字列をミスが指先でなぞる。なぞられた文字たちは純白の光を放つ帯となり、ルナへと飛んでいく。
首に、胴に、腕に、脚に。光はルナに巻き付き、やがて全身が光に包まれた時、ミスは本を閉じた。
『神武羅比売記:織』
ルナについた光達は霧散し、ミスによって作られた衣装が姿を現す。
黒の地に金の意匠が施されたジャンパースカートに生成のブラウス。所々で目を引く蝶はアクセントになり、ミスからの加護が刻まれていた。
ルナは途切れさせず、詠唱を続ける。
『孤高なる獅子の王よ』
涙を堪えるかのように、ぐっと顔に力を入れた。
『今ここにかの日の奇蹟を』
「月!引きなさい!」
広範囲にパピヨンの魔力が広がったのを確認したミスが、最もルナに近い場所で戦っていた月に撤退を指示する。月は一瞬迷いを見せながらも素直にミスが待機する場所へと走り出した。
『創世の凱旋歌』
一番最初に伝わってきたのは、衝撃波。複数の爆発物が重なって爆発した。
「月ッ!」
「ぐ、っ…」
衝撃をより近い場所で食らった月が、背中を押されバランスを失って倒れた。その勢いのままミスの近くまで転がる。
白い制服は多少汚れているが、目立った損傷は見当たらなかった。
「つ、月さん!?」
広範囲攻撃の中心に居たにも関わらず、魔法を行使した本人は影響を受けていない。てけてけと駆けてくる。
「大丈夫です。このボディーは並の生命体よりは頑丈ですし、ほら、欠けてもいません」
球体関節人形であっても衝撃が響いたのか強張った表情を見せていたが、ルナが大粒の涙を浮かべながら駆け寄ってくるのを見た月は起き上がり、両腕を見せるように持ち上げた。
「ほえっ?!ぼ、ボディー?欠、け?」
「あら、言っていなかったかしら?月は人間じゃないわ。球体関節人形、ロボットよ」
「ふ、ふえ〜!?!?」
目を白黒とさせて、ルナは月とミスを交互に見る。
「はい、私は球体関節の体を持ちますが、実際の人間を元にして人工知能としての人格を獲得していますので、学習もできますし感情もあります」
「こんなに人間っぽい顔なのに、作り物なんですか…?」
ルナは月の頬をぺたぺたと触る。
「お肌に似てる…けど、あったかくない、です…」
「ご満足いただけましたか?…もうそろそろで現地の方がいらっしゃるので、少しでも現状復帰しておきましょう」
────────
「隊長さん、お疲れ様でした」
「あれ、キルシュさんこの世界は大丈夫なんですか?」
「はい、中央世界と離れた法則ではないので大丈夫です!」
戦いがひと段落した後ピンクの髪色の女の人が何人かの人と一緒にやってきた。月さんの部隊の情報補佐官?という役職の人で、名前をキルシュさんと言うらしい。
それにしても、ひどかった。街から離れた場所だからといって、パピヨンの導きのまま広範囲に影響が出てしまう伝承級魔法を放ったのが駄目だったのだろうか?歩道や近くの植物に直撃の跡が残ってしまったので、この世界?のダーザイン支部?の職員さんが復旧に来てくれたらしい。最初の目的だった現象体?の掃討は十二分にできていたらしいので、月さんにもミスさんにも上出来だと褒められたが、申し訳なさの方が上回っていた。
「その子が例の子ですか?」
「はい。ルナ・バタフレン・ジェンジーさんです。おそらくリューカさんと同世界出身かと。…ミスが推測していました」
「あ、はい!ルナ、と申します!」
「ふふ、よろしくお願いしますね」
優しそうな人だ!
その後も月さんとキルシュさんはお話ししていたが、専門用語とかが難しくて、内容が半分ぐらいしか頭に入ってこなかった。
「それで、アナタはどうするつもり?」
「うきゃあ!」
耳元でいきなり声をかけられて、びっくりして振り返ると、すぐそこにミスさんが浮いていた。
「どう、とは…?」
「そのままよ。アナタの今後の身の振り方」
「身、の…」
「そう」
ミスさんは踊るようなターンで私から距離を取る。
「アナタには選択肢がある。ダーザインから離れてたった独りで知らない土地で生きていくか、ダーザインでキルシュのように補佐官をするか、私たちの部隊【ムーンライトミス】に所属して戦いながらアナタの出身世界を探すか。アナタは自由よ。どんな結末に落ち着いても、アナタ次第、アナタの責任。あたくしはアナタの選択を尊重するわ。ただ、一つ…」
ミスさんはふわふわと浮いて移動する。そのため、私より10cm程背が低いはずなのに、太陽と重なった。
「あたくしの『神話』はアナタを選んだ。…どう?あたくし達に着いて来れば、ハッピーエンドを約束してあげる」
ミスさんは私に手を差し伸べた。
「わ、わた、し…」
ぎゅ、と手を胸の前で握り込む。
「先ほど約束した通り、私達はルナさんのお願いに全力で応えます。一緒に、世界を救いませんか?」
月さんも、裏から話しかける。
不安で仕方がない。けれど、勇気を振り絞る。
私は、きっとこのために生まれてきた。
「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「わたくし、アナタに絶望させたことなんてあったかしら?」
「うぅん、少なくともミスにはないんじゃないかな?」
「...へえ?」
「遠い、記憶。...だと思う。よく分からないけどね」